垂り雪

□あなたが隣にいるだけで
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あの時、本当にキスしようとしていたの?

もしそうなら、どうしてキスしようとしたの?

聞きたくても聞けない。喉まで出かかった言葉も、声になる前に理性が押し留めてしまう。


『…リヴァイは明日エルヴィンから書類を奪うつもりなの?』

「状況にもよるが俺はそのつもりでいる。ここに来てから奪うタイミングがなくてここまできたんだ…戻ったところで機会が来るとは思わない」

『そのときは私も行くよ』

「…あぁ、助かる」


くしゃりともう一度私の頭を撫で、リヴァイの手はゆっくりと離れていった。今どんな表情をしているんだろう。こっちを向いているんだろうか?振り向いたらあの瞳を見ることができるだろうか?

そんな雑念を振り払って私はシーツを頭まで被って『もう寝る』と言った。少し突き放すようなきつい声になってしまってすぐに後悔したが、リヴァイは気にする風でもなく「あぁ」とこたえた。


沈黙が落ちる。
松明の炎が燃えるパチパチという音が響き、部屋の入り口の方からは風の音も僅かに聞こえてくる。

時計を見るとリヴァイと最後に言葉を交わしてから数十分ほど時間が経っていた。

カツカツと階段を誰かが降りてくる音が聞こえてくる。…誰だ?と思ったがすぐに見張りの交代だと気付いた。

一人はシーツへと横になりもう一人は入れ替わるように階段を登っていく。やがて布擦れの音も聞こえなくなり、先程まで見張りをしていた兵士も眠りについたことがわかった。

…もう寝よう。

いつまで起きていたって結局リヴァイに聞く勇気もないんだし、本当にただ無駄な時間を過ごすだけだ。

周りにはみんながいるし大丈夫。眠りに入ってもきっとまた次の見張り交代の時に自然と起きるだろう。

もう寝たのかな…。

恐る恐る振り返ると、リヴァイは瞳を閉じ静かに寝息を立てていた。寝てくれていたことにホッとしつつ、久しぶりに見た寝顔に胸が締め付けられる。

ここに来てからは寮だったから当然だが、地下にいても酔っ払って眠る私をリヴァイが部屋まで運ぶことはあっても逆は一度もない。

2人で暮らしていた頃もその辺の区別はちゃんとついていたのか別々にベッドを用意されていたし、思い返せば2人で深酒をしたときに一度だけリヴァイが眠っているところを見たくらいだ。

そのときの記憶だって曖昧ではっきりと覚えているわけじゃない。なんて言ったってリヴァイと2人で酔い潰れるまで飲んだのだから。

あれは、どうしてあそこまで深酒することになったんだっけ?…それすらも遠い昔の記憶のように思い出せない。

ただ、今目の前にあるリヴァイの寝顔は昔のほんの少ししか覚えていない記憶とぴったりと重なることは確かだった。

起きているときには殆どと言っていいほど寄せられている眉間の皺も解かれ、鋭い瞳も瞼が伏せられ隠されている。

こうして見ると幼い寝顔に、思わず口元が緩んだ。

…あぁ、どうしてこの人はこんなにも……


ーー…パチッ

『…は、…ーーッッ!!』


唐突に開かれた瞳に思わず声を上げそうになった口が、強引にリヴァイの手のひらで塞がれる。

なんで、どうして。
まさか起きてたの!?

っていうか痛い!
マジで痛い!

押さえつけるように口を抑える手首を掴んで痛いと目で訴えれば、リヴァイは呆れたように手を離した。


「他の奴が起きたらどうするつもりだ」

『だってリヴァイが急に起きるからびっくりして…いつから起きてたの』

「見張りが交代した時に起きた」


そこから起きてたのかよ!
じゃぁ寝たふりしてたってこと!?

…あぁそう。と不貞腐れながら再びシーツを顔まで引っ張りあげれば、呆れたようなため息が零される。


「やっぱり寝られねぇんじゃねぇか」

『もうおとなしくしてるよ』

「怖くて寝れないとか言うんじゃねぇだろうな」

『誰が。』


私を馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。大体寝られない要因の一つはあんたにもあるんだぞ、と思いながら寝たふりでもしてリヴァイが寝付いたら別の場所に移動しようと考える。

これ以上もたくさしていたらリヴァイにも迷惑がかかるし、外に出れば気分も少し変わるかもしれない。見張りも外ばっかりを気にしているだろうし、ばれないように移動すればいい。

そう考えて早速寝たふりをしようと瞳を閉じたとき、手のひらが暖かい何かに包まれた。

それがリヴァイの手だと気づくのにそう時間はかからず、思わず引っ込めようとしたがしっかりと握られそれは許されなかった。


『…だから怖くないって』

「お前がどこかにふらついたりしないようにだ」


まるで心を見透かされたようで言葉を失う。ここまでくるともう怖いとしか言いようがない。むしろ気持ち悪いくらいだ。

そう言えばリヴァイはお前が分かりやすいんだよと言って瞳を閉じた。


シーツの中で繋がれた手が暖かい。いつも私の頭を撫でてくれる大きな手。

どうしようもなく高鳴る鼓動とは対照的に、私の胸にストンと何かが落ちてきた。

この落ち着く感じはきっと安心感だろう。見知らぬ場所で不安だった心があっという間に満たされていく。

どうしてリヴァイと一緒にいるとこんなに落ち着くんだろう。心臓は煩く鳴り響いているのに、本当に私はおかしくなってしまったみたいだ。


緩やかに波打つ眠気に揺られながら手のひらに少し力を入れれば、リヴァイはそっと握り返してくれた。


**
***


「全隊、長距離索敵陣形に展開せよ!」


翌日。

拠点を出発した調査兵団は暫くの走行後、エルヴィンの指示とともに予定通り長距離索敵陣形へと展開した。

出発前の講義、及び訓練通り赤と緑の信煙弾を使って全隊が動いている。それを暫く繰り返しているうちに距離は大分進んだはずだが、私たちは未だに一体も巨人と遭遇していなかった。


「見事なもんだ。これだけの大部隊がまるで一つの生き物だ」

「やっぱり只者じゃないなエルヴィン分隊長は。次の補給地までこのまま後衛は巨人の姿すら見ずに済みそうだ」


前方で緑の煙弾が左方向に放たれる。今まで立て続けに撃っていたサイラムに変わり、私は煙弾を撃ち上げた。

パシュウ…という音と共に青空に向かって緑煙が一直線に伸びていく。それを見た後衛からも程なくして緑の煙弾が上がった。


「今まで14回進む方向が変わったから、それくらい巨人がいたってことだろ?思ったより見つかっちまうんだな」

「昨日も後衛の俺たちですら巨人を2体見たんだ、前衛はもっと多くの巨人と遭遇していたさ」

『今回は囮になる必要も討伐する必要もないから、犠牲者はまだでてないかもしれないね。それもこの陣形からはぐれなければだけど』

「立ち止まったら終わり…ってことか」


昨日に比べると巨人の足音どころか姿すら見かけない。相当陣形は広く展開されているのか、隣接している班の馬が漸く見えるほどだ。

エルヴィンはその更に奥にいる…向こうも馬で駆けていることを考えると追いつく為には相当な速力で馬を駆けなければならないだろう。

いずれにしても今はまだ動く時じゃない。

このまま陣形が順調に進むか崩れるか…、他の兵士もまだ開始直後で神経を尖らせている。こんな時に少しでも乱せば陣形の崩壊は免れない。


「また赤い煙弾だ」

「なぁ、今度は俺が撃ってもいいか!?」

「イザベル、これは遊びじゃないんだぞ」

「いいだろ別に、俺だって煙弾くらい撃てる!」


ギャーギャーとサイラムと言い争いをしていたイザベルを見兼ね、フラゴンはイザベルに許可を出した。

慣れない手つきで緑の煙弾を込め、前衛から緑の煙弾が上がるのをまだかまだかと待ちわびるイザベル。

漸く煙弾が上がり、フラゴンから合図をもらうとイザベルは引き金を弾いて撃ち上げた。


真っ直ぐに空へ伸びていく煙弾。しかし、その煙は上空で僅かに方向を変えた。


「ほら見ろ!俺だってこれくらいできるんだ!」

「煙弾を一発撃てただけで自慢するな」

「うるさいぞお前ら、ピクニックに来てるんじゃないんだ!」


しかし、その異変には誰も気づいていない。火薬が均一に込められていなかったのか?普通の銃弾と違い煙弾はそこまで精密性は求められないからありえない話ではないが…。

後衛で上がった煙弾を見ると同じように上空で風に煽られていた。僅かではあるが、二発連続はありえない。


湿気を含んだ風が頬を撫でる。
続いて足元を掬い上げるような風。

次第に、一面に広がっていた空を分厚い雲が覆い始めた。




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