木漏れ日
□おなかいっぱいになりたい
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目の前に積み上げられた食器に次々と運び込まれてくる暖かな食事。
目の前に広げられた料理を次々と小さな口に放り込んでいくユキを、ハンジは自分の食事も蔑ろに呆然と見つめていた。
「本当に食べようと思えば食べられるんだねぇ…」
『こういうときくらいお腹いっぱい食べなきゃ』
「…ごめんね、お腹いっぱい食べさせてあげられなくて…なんか悲しくなってきた」
当然のように腕相撲に圧勝したユキは、直前に交渉した通りちゃっかり30人前の料理をもらいがっついていた。
店主も客も呆然とする中『じゃ、30人前よろしく。今すぐね』と言い放ったユキは今思い出すだけで腹が破れそうなほど面白かった。あれは当分この地域で伝説として語り継がれるだろう。店主にとっては心の傷もいいところだ。
周りの客の反応も半々でユキを讃えるものもいればドン引きしている者もいる。それら全てを気にする風でもなく…というかもう慣れてしまっているようにユキは無視して目の前のご馳走にご執心だ。
一体誰がこの小柄な少女の圧勝する光景を想像できただろうか。それは恐らくユキの怪力を知っているハンジしかいない。
ーー…カランカラン
「お、きたきた」
ハンジの声と共にユキは口一杯にパンを頬張りながら扉へ視線を向け、…眉間に皺を寄せた。
「『は?』」
そして最後に入ってきた人物と視線を合わせるなり、互いに表情を曇らせる。
ユキの前に積まれている30人前の食事に呆気にとられているエルヴィンとミケ、そしてユキと睨み合うリヴァイと言う奇妙な絵面にハンジは既に笑いすぎて痛い腹を抱えて笑った。
「二人とも想像してた通りのリアクションだよ!あっははは!」
「…ハンジ、この食事は一体…」
「いやぁエルヴィン、これには色々訳があって…」
「んなことはどうでもいい。俺はこいつがいることなんて一言も聞かされていなかったが?」
ハンジの言葉を遮り、リヴァイは怒りの篭った瞳をハンジに向ける。私も聞いていないと同様にユキにも視線を向けられたハンジはケロリと笑った。
「だって言ったら君らこなかったかもしれないだろう?だから、リヴァイとユキにはお互いがいることを秘密にしてたんだ」
ユキはハンジと二人でご飯を食べにきたつもりで、リヴァイはハンジのみが先に店にいると思っていた。壁外調査もひと段落したから一度みんなで食事に行こうよ、と言われていたのだ。
だからって…
「『なんでこいつがいるんだよ』」
「うわぁ息ぴったり」
同時に出た言葉にエルヴィンもミケも小さく笑みを零すが、当の二人は心底気に入らないといった様子で睨み合っている。今にもユキの方から噛みつきそうな勢いだ。
そんな二人を仲介するように、それより…とエルヴィンが口を開いた。
「入った時から気になっていたが、これはどうしたんだ?」
「ユキが腕相撲して店主に勝った戦利品。30人前だって」
「ほう、それはすごいな」
「怪力女」
『うるさい』
恐ろしいことに、もう既にそのうちの6割ほどは食器のみになっている。本当に恐ろしい光景だ。食器にのっていたはずの食事たちは、あの僅かに膨れた腹の中に収まっているのだから。
「ねぇユキ、折角だから三人前みんなにあげたら?そのほうがエルヴィンのお財布も救われるよ」
なぜ私がおごることになってる?というエルヴィンにハンジはまぁまぁと調子の良い笑みを浮かべる。
暫く睨み合っていたユキだったが仕方なさそうに『いいよ』といって3人に勝利して得た食事を渡していた。
躊躇っていたのは30人前の全てを独り占めしたかったわけではなく、エルヴィンとミケにあげたくなかったわけでもない。
昼間あれだけ掃除と称した雑用に腹を立てていた対象のリヴァイに渡すことが嫌だったのだろうことは誰もが見ても明らかだ。
戦利品とはいえ、1人前は肉、野菜、パンとバランスよく盛られたもので文句のつけようもないほど素晴らしい食事だ。そして並の人間であれば1人前で充分に満足する。
「結局、ユキの奢りになっちゃったねぇ。ずっとリヴァイに怒ってたのに偉いじゃない」
ハンジの言葉にミケが「またお前何かしたのか?」とリヴァイに問う。当然の如くリヴァイは眉間に皺を寄せた。
「”また”ってなんだ、オレは何もしていない」
『今日永遠と掃除させたのは誰だよ』
「他の兵士はすぐに終わらせた。あれだけ時間をかけていたのはお前ら2人だけだ」
『だって普通いちいち家具なんて全部どかす?あんなの年末の大掃除だけだって』
「家具の下に一番埃がたまるだろうが」
「でもユキがいたおかげで楽だったなぁ、タンスでもなんでも一人でひょいっ!だもんね。ユキが小さいから一瞬家具が歩いてるのかと思ったよ」
『次小さいって言ったら殴る』
ユキが拳を握って見せれば、ハンジは勘弁してと両手を上げた。
再び料理に手をつけたユキは昼間の掃除地獄を思い出しイライラが再び募ってきたものの、なんだかんだといって終わった時の達成感は否定できなかった。
あれだけ気に入らなかったリヴァイの口からでた「合格」の言葉に思わずよっしゃと声を上げそうになったことは誰にも言うつもりはない。
自分がどうしてここまで馬鹿正直に言うことに従うのか理解できなかった。私は元々こんなに聞き分けなんてよくなかったはずだ。さすがになんでも力でねじ伏せるような原始的な夜兎族ではないけれど。
喧嘩するほど仲がいい。
…なんて、誰だ?あんな適当な諺を考えやがったやつは。仲が悪くて気が合わないから喧嘩するんだろうが。
チラリと視線を上げれば、偶然なのか視線がバッチリとあってしまう。べーっと舌を出してテーブルの下で足を蹴れば容赦なく蹴り返された。
『もう二度と掃除なんかしない』
「来週もやらせるにきまってるだろうが」
『はぁ!?何言ってんのこの人!すいまっせぇぇん店員さん包帯持ってきて!頭一つ巻けるくらい長いの!頭怪我してる人がいます!』
「いい加減にしろ」
強引に口を抑えるリヴァイ。本気で苦しそうに抵抗するユキ。そんな2人に、3人はけらけらと笑う。
『ぷは…っ!今本気で殺そうとしたでしょ!?』
「…しぶてぇな」
『この…っ』
「はーーい、ストップ。他のお客さんの迷惑になるからやめましょうねー」
その声と周りの視線に、二人はしょうがないといった様子で口を閉じる。そんな二人にハンジは「代わりと言っちゃなんだけどさ」とドカンとテーブルに酒瓶を置いた。
「これで決着つければ?暴力のない平和的解決方法だと思わない?且つ楽しいなんて最高じゃん」
ケラケラと笑うハンジに面白そうだと頷くエルヴィン。その中で唯一顔を歪めたユキに気づく者はいなかった。
「これは調査兵団で新人にはだいたいやる恒例行事でもあるからね。もちろん私もエルヴィンもミケも参加で」
要は新人を酔い潰らせるということだ。『上等だコノヤロー』とユキは強気に笑った。
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