木漏れ日

□揺れる紫傘
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その後、酒を飲み始めた彼らはすぐに後悔することとなった。

なんの躊躇いもなく酒を飲んだユキが一杯目にして机に突っ伏す。それに驚き、なんだどうしたと近づいたハンジを見上げる顔は真っ赤でまさに泥酔状態。

たった一杯…どころか半分ほど飲んだだけにも関わらずほろ酔いなんて可愛いものじゃない。

周りにいる人間に絡み、果てには見ず知らずの客に絡み、それを阻止しようとしたリヴァイに絡み始めてからは更に手のつけようがなかった。

暴牛のようなユキをなんとか引きづるように兵舎へ戻ろうとした時、通りかかった店で客同士が争っているのを目撃したユキは迷うことなく乱入。

大男を一瞬にして蹴散らしたユキは店の人からこそ感謝されはしていたが、彼女にボコボコにされた彼らには一生の心の傷を残すこととなっただろう。ユキはこれからも色々な伝説を残しそうだとその場の全員が顔を引きつらせた。

タチが悪すぎて手がつけられないうえに無駄に怪力なユキの悪酔い。二度と酒は飲ませないとその場の全員が暗黙のうちに誓ったのだった。



**
***



「ねぇユキ、わたし今日休みなんだけど街に出てみない?」


廊下を歩いていると、ふと聞こえてきた声に視線を向ければ昨日酒に酔って死ぬほど顔を赤くさせて暴れていたユキがクソメガネに声をかけられているところだった。

その表情は昨夜の暴動を微塵も感じさせないほどけろっと元どおりに戻っている。止めに入らされたこちらの方が疲労感を残しているくらいだ。

こっちの気も知らないでケロリとした表情に苛立ちさえ感じてくるが、そんなこと知る由もないユキは赤髪を揺らし首を傾げた。


「私1日暇だから案内できるよ。昨日街に出たとき初めて来たって言ってたから案内しようと思って」

『今から?』

「そうだよ」

『うーん、いいや』


ごめんと答えるユキに俺と同じような疑問を持ったハンジは予定でもあるの?と問いかける。


『うん』

「そっか、じゃぁまた今度」


あいつに予定なんてあったのか?と考えるが、そんなものは思いつかない。そもそもあいつはここの人間ではないし街に出たこともないと言っていたから知り合いもいない。

兵団の予定であれば俺が知らないということはないはずだが…。


手を振って別れるハンジにユキは軽く手を振って廊下を歩き始める。その背中がどこか寂しそうに見えたのはきっと気のせいだろう。


**
***



立体機動訓練を終え、次の馬術訓練に向かうため馬小屋に向かっていると草原の中にぽつんと紫色の物体があった。

緑一面の中にある異質なそれがユキの傘だということはすぐにわかった。…馬術訓練を見ているのか?切り倒された丸太に座って片肘をつき、ぼーっと訓練場を眺めている。

太陽の光の下、自らの傘が作り出した影に収まり赤髪を揺らす姿はやはりどこか幻想的な雰囲気があった。この世界とは馴染まない雰囲気は、よく見れば見る程不安定さを感じさせられる。


…あんな表情もするのかよ。

顔を合わせれば嫌そうに睨みつけてくる瞳。口を開けば喧嘩腰の言葉ばかり。

そんなただ煩いだけの厄介な女のはずなのに、今のユキは瞳を細め、口を閉じ…ただ静かに訓練場へ視線を向けている。

…まただ。廊下を歩き去る時と同じ、寂しそうな背中…そう見えたのは影の下にいたからか、それとも他にそうさせる要因があるのかは分からない。

ただでさえ小さな背中が更に小さく写り、少し目を離したら消えてしまうのではないかと思ったら無意識のうちに視線を離すことができなくなっていた。


「リヴァイ、どうした?」

「エルヴィンか…いや、なんでもない」


エルヴィンに呼ばれ身体を反転させようとして、初めて自分の足がユキのいる方向に向かって一歩踏み出されていたことに気がついた。

俺はあいつのところに行こうとしていたのか?…んなわけねぇだろ。声かけてどうすんだ…第一 なんて声をかけるつもりだった?

あいつは厄介なだけの女。何かしたところで俺になんの利益もないどころか面倒なことになるに決まってる。余計な体力と気力を使わされるだけだ。


「…くだらねぇ」


首を傾げるエルヴィンを無視し、俺はそのまま馬術訓練場へ向かった。


**
***


馬術訓練を終え、再び同じ道を通れば既にユキの姿はなくなっていた。さっきクソメガネに言っていた用事とやらに行ったのか?

真相はわからないが、だからなんだって言うんだ。あの女のことなんか気にしたところでしょうがない。

一通り訓練を終えれば今度は書類整理が待っている。クソ面倒くせぇが、文句を言ったところでどうにかなるもんでもない。ごちゃごちゃ考えるだけ無駄だ。

一度自室に戻り、シャワーを浴びて気分を入れ替え執務室に向かう。廊下の窓から見える空は既に茜色に染まっていた。

足を止め、外を覗けば下の広場では何人かの兵士が体術訓練に励んでいる。…というよりはじゃれ合っているという表現の方があっているのかもしれないが、訓練が終わった後の話だ。兵士が何をしていようと自分が口を出すことではない。


「…!」


その更に下に視線を落とすと、紫色の傘があった。真上からで誰が下にいるかは当然分からない…が、見えなくともユキがいることはわかりきっている。

また遠くから眺めているのか?と思いきや傘は何故かゆらゆらと揺れていた。…何してるんだ?

地面の砂で遊んでいるか、それとも拾い食いか?そんなことを思いながらも、俺の足は自然と階段を降りていった。



**
***


扉を開ければすぐ目の前にいたユキは傘の下で野良猫に猫じゃらしを振っていた。

扉を開ける音に警戒したのか野良猫が走り去っていくと、こちらを睨んだユキは「逃げちゃったじゃん」と悪態をついて丸太に腰を下ろす。


「お前、今日は用があったんじゃねぇのか?」


傘が傾けられ、ユキの視線が上げられる。何を言いたんだと全身で訴えているのが手に取るように分かった…これほど考えていることが素直に外に出る奴は珍しい。良くも悪くもユキは素直だ。ここで兵士らと馴染めているのもそのおかげだろう。


「ハンジに用があるからって言ってただろ。一日中訓練を遠くから見ていたような気がしたが」

『聞いてたの?』

「通りかかっただけだ」

『ふーん』

「別に詮索しようとしているわけじゃねぇが」

『用があったわけじゃない。ハンジと一緒に出かけるのが嫌だったわけでもない。私はこれがないと外を歩けないから』


そう言いながらユキは傘をゆらゆらと小さく左右に揺らした。


『晴れた日にこんなものさしながら街を歩いてたら目立つでしょ』


それでいかなかったのかと漸く理解する。思い返せばユキは調査兵団に来てから、…この世界に来てから一度も街に出たいとは言わなかったし、行こうともしなかった。

いくら暇そうにしていても調査兵団の敷地から出ることはない…それを少し不自然に思ってはいたが、漸く理由がはっきりした。

今ではすっかり見慣れてしまったことでも、初見の人間からしたら晴れた日に傘をさして歩いているこいつを不自然に思うだろう。特に傘の下の容姿もこの世界では目立つ。


「…お前はそんな些細なことを気にするような奴には見えなかったが」

『それどういう意味?っていうかなんで隣座ってんの?どっかいってくれる気持ち悪いから』


眉間に皺を寄せあからさまに嫌そうな表情を向けてくるユキを無視して腰を下ろせば、距離が少しだけ縮まったような妙な感覚に包まれる。


「元の世界ではどうしてたんだ?」

『オイ、無視かよ。…なにが?』

「お前がいた世界ではどうしていたんだと聞いている。堂々と傘をさしていたんだろう?」

『変わらないよ。できるだけ人目を避けるようにしてた。ここと同じで変な目で見られていたことに変わりない』

「元の世界にはお前のような奴が他にもいたんじゃないのか?」

『いるけどごく少数しか生き残ってない種族だから堂々とはできなかった。この力を利用しようとする輩はそこら中にいたし、陽の光に嫌われた私たちは影に生きるのが当たり前だったから』


種族、という言葉を反復するように問えば、ユキはここで言う人種と同じようなものだと言った。

しかし、肌や髪の色だけではなく人間の形をしていないのも普通だし、ユキのように一見人間のようで、ふとしたきっかけがないと分からないのもいるらしい。


「…想像できねぇな。ここには人間と巨人しかいないからな」

『そうだろうね。ここにきたのが私じゃなくてもっと他の種族だったら大惨事になってたかもしれない…そんな元の世界の中でも私たち夜兎は特別だったけど』


夜兎というユキの種族は、圧倒的な戦闘力を誇り元の世界でもその強さは他の種族から一つ頭でていたという。

戦いに生きる種族と言われた夜兎はその血の欲求通りに戦場を彷徨い、その過程で命を落としていった彼らの内、生き残ったのは極少数。今ではほとんど伝説みたいなものとして認識されていて、利用されるか怖がられるかしかないために生き残った者は素性を隠しているか、ユキのように力を活用して生きているらしい。


元々、そんな状況下に身を置いてきたからユキは別の世界という異質な状況に置かれた今でもこうして平然としていられるのだろう。

太陽に嫌われた影に生きる種族…その言葉が地下街にいた頃の自分と重なった。陽の光を拝むこともできず、只管薄暗い地下街で暮らしていた頃の自分。

しかし、ユキはいつものように平然としていた。悲しむ風でもなく、ただただいつものようにへらりと笑っている。


『…っていってもここと違って色んな星があったから、故郷なんかは太陽が登らなかった。ここでいうリヴァイがいた地下街みたいなものだよ』


唐突な言葉に誰に聞いたと問えば、噂だよと返される。調査兵団内では俺が地下街出身者ということを知る者は少なくない。

それを聞いていれば大抵の奴らは構えるようにして接してくるが、ユキの態度は全くと言っていいほど変わらない。それはユキ自身が確かな戦闘力をもっているからこそ俺たちは対等な立場でいられるのだろう。


「夜兎という種族は太陽を避けているようだが、陽に当たるとどうなる?」

『発熱とか意識を失うとかはよく聞くよ、実際になったこともあるし。でもそれは軽い症状で当たり続けると死ぬ。最強と言われた夜兎は死んだってきいた』

「…そうか」

『今更だから私は別にいいけど、あんたらに迷惑かけるのも後味悪いし。だからハンジの約束も断った』


これで満足?と言ったユキは立ち上がり、転がっていた石を蹴った。傘の影に覆われたユキがゆっくりと振り返って見せた作り笑いに、心が押しつぶされたかのような感覚に襲われる。

「…」

どうしてこんなに苦しい?
どうしてこんなにも悲しいと思う?

どうでもいい奴なのに、どうしてわざわざ通り道でもないのに足を運んで声をかけた?

顔をあわせれば喧嘩ばかりで、気が合わない鬱陶しい女。それでも規格外の強さをもっているユキは信頼できる存在でもある。

気づけば今どこにいるのか、何をしているのか、元の世界に戻っているんじゃないかと気になっていた。朝姿を見る度に安心していた自分がいた。

馬鹿笑いに呆れることが多くても、時折見せる寂しそうな表情を見せられればどこか放って置けない気持ちになる。自分のことでもないのに焦燥感に追われる。


まさか俺は…いや、ありえねぇ。絶対にありえねぇし、絶対に認めない。

俺がこいつを好きになるなんてありえない。


「あれ?そこにいるのはリヴァイとユキじゃないか」


その声に振り向けば、買い物を終えてきたのだろうハンジが立っていた。


『随分と遅かったね』

「うん、たくさん買い物してきたからね。ユキはもう用事終わったの?」

『うん』

「そっか。結局用ってなんだったの?」

『それは…』

「俺が雑用をやらせていた」

『…!』


自分の言葉に被せるように言ってきたリヴァイをユキは驚いたように見上げたが、彼は無表情のままだ。


「なんだ、リヴァイの雑用ってわかってたら引きずってでも連れてったのに」

「こいつが前にさぼった掃除をさせていたんだ。どんな理由だろうと今日こそはやらせるつもりだった」

「ふーん、まぁ次の機会にすればいいしね。ユキもお疲れ様。悪いねぇ潔癖の相手してもらっちゃって」


じゃぁねと言いながら去っていくハンジを見送り姿が見えなくなった頃、ユキは不機嫌そうに口を開いた。


『サボったことなんてないんだけど』

「いつも綺麗になってねぇだろうが」

『それはリヴァイ基準で見るからだろーが。…じゃなくて、…恩でも売ったつもり?言っておくけど頼んでないからこんなこと』

「言われなくてもお前に恩なんて面倒臭いもの売ろうとしていない。」


リヴァイは立ち上がり、ユキの横を通り過ぎていく。そして一言「夕飯に遅れるなよ」と言って建物内へ戻っていった。


『遅れるわけないじゃん』


パタンと、扉が閉まる。
夕方の心地よい風が頬を撫で、ユキはゆっくりと瞳を閉じた。


『ありがとう』



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