木漏れ日

□たまには真面目な話でも
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ユキはあんたらに迷惑かけるのも後味悪いしと言った。それはこの世界から消えた後の話。

ユキはいつ、どうやってかはわからないがいつか必ずこの世界からいなくなる。それが今この瞬間じゃない保証はどこにもない。

相変わらず姿を見る度に安心する自分の気持ちから目をそらしていた。あいつはただの気の合わない奴のままでいい…くだらないことで喧嘩するような面倒臭い女のままでいい。

あんなやつを俺は特別に思ったりしない。


**
***


この世界に来てから二度目の壁外調査が先日終了した。今回も前回と同じように兵站拠点に食料を補充しながらウォール・マリアの奪還ルートを探るという途方も無い調査。

一気にぶっ潰してやろうと思えばできるのだろうが、この世界がどれほどの広さなのかもわからない上に、巨人を倒していけば万々歳というわけでもなさそうだというのだから面倒な話だ。

世界の謎を解明し、人類をこの壁の中から救うべく活動する彼らに協力してはいるものの先なんて見えやしない。彼らがやっていることが本当に正しいことなのかどうかさえ私にはわからない。

派手な戦争でもしていれば、向かってくる相手をぶっ潰すだけでいいのに…全くもって面倒この上ない。

そうして壁外へ出て行った調査兵は今回も命を落とした。死者が出ない調査は過去を遡ってもなかったという。これでも昔と比べて随分と命を落とす兵が少なくなったというのだから驚いた。

こんな狭い壁の中に閉じ込められた人間が底をつくのもそう遠くない気さえしてくる。


石碑に手向けられた花が雨に打たれて小刻みに揺れていく。ポツポツと傘に当たる雨音だけが、私とリヴァイの間に響いていた。


『意外だね、リヴァイみたいに薄情な人間がこうやって墓参りするとは思わなかった』

「俺もお前が墓参りするような奴には見えなかったが」

『人が死ぬってのはどこの世界でも等しく虚しい。たとえ自分の世界の人間じゃなくても同じだよ』


外に出てみれば雨が降っていた。そして墓前の前で傘をさし、立ち尽くしている男の隣に立ってお互いに墓を見下ろして数十分。漸く言葉を発した私の問いにリヴァイは答えた。


『リヴァイが薄情な人間…ってのは冗談。リヴァイはあまり気づかれないだろうけど人一倍仲間思いだと思う。ただ、悲しみとか苦しさを表に出すのが下手なんでしょ』

「勝手に勘違いするな、弱い奴はすぐに死ぬ…壁外調査に犠牲はつきものだ。いちいち振り返ってられねぇよ」

『本当にそう割り切れているのなら、雨の中墓参りなんてしに来ないんじゃないの。…だから思うよ、どうしてこんなところにいるんだって』

「ここは俺の世界だ、お前と違って別の世界にいけるわけでもない」

『世界の話じゃない。この世界で生きることは変えられないけど、どう生きていくのか選ぶことはできる』


リヴァイがただ非情な人間でないことは、ここにきて時間を重ねていくうちに気づいていった。散々文句を言い合って口喧嘩をしているからこそ、お互いに通じるものを見いだせたのかもしれない。

…私たちは似ている。

認めたくないし鳥肌が立つほど気分の良くない話だが、戦いの場に身を置き何をどう感じているのか、…感情表現が下手な上に他人に寄りかかれない孤高の強さ。

私は何度も辛いと思った。
誰かに寄りかかりたい、
支えてもらいたいと思った。

死んだ家族を何度も思い浮かべた。

だからリヴァイもきっとそう思ったことがあるのだと思う。今はそうではないかもしれないが、自分が背負っているものの重さ…それに対する不安や焦燥感は、周囲からの期待によって膨れ上がっていく。

一度零れ落ちたものを掬い直すことはできない。護れずに死んでいった仲間の命は、自分の足枷となって纏わりつき心を蝕んでいく。

リヴァイが言う通り「犠牲はつきものだ」と割り切れているのなら今、リヴァイはこんな風に律儀に墓参りなんてしていないだろう。こんな雨の中、この男は私が来る前からずっといたのだろうから、見かけによらず私と同じで過去のことをいつまでも悔いるタイプなのだと思う。

…だからこそ、どうして調査兵団を続けるのか疑問に思った。実力は人類最強と呼ばれる程なのだから調査兵団にとっては必要不可欠な存在なのだろうが、リヴァイは自分で選ぶことができる。

力があるからこそ、ここから抜け出せることも当然できるから。


『調査兵団をやめて普通に暮らせば楽になるんじゃないの?少なくとも壁外調査の度にこんな思いはしなくて済む』

「…この世界のことを前に話したことがあったな」

『壁の外には巨人がいる、壁の中の平和がいつまでも続くわけじゃない…って話?』


この世界にきてから少しして、資料室で現状を調べようとしていた私にリヴァイが話してくれたことがあった。

壁の中にいれば平和は続くと盲信されているが、実際に一番外側の壁は破壊されマリアの中にあった街は巨人の領域となった。

ローゼとシーナもいつ破壊されるかわからない。だから調査兵団にいるのだと。


「この壁の中で大人しくしていてもいつかは巨人に喰われる。人類全員が仲良く奴らの胃袋に収まる最期なんてのは御免だからな」

『だからリヴァイが戦うの?』


そう問えば、リヴァイは迷う素振りを見せることなく「そうだ」と答えた。その瞳は傘に隠れていて見えないが、恐らく死者の眠る墓石に落とされているのだろう。

傘が僅かに前に傾き、水滴が草に溢れ落ちる。


『戦いなんて勝っても負けても得るものより失うもののほうが多い。自分たちは何のために戦ったのか…払った代償と汚した手に意味はあったのか…きっとこの世界が巨人のいない平和な世界になったところでそう考えると思うよ』


何度戦を経験しても未だにわからない。今まで様々な戦いに手を貸してきたが、敗北した者はもちろん勝者も結局最後に浮かべる表情は虚しさを募らせた表情だった。

勝って得るものはあるが、そのために失ったものが多すぎるからだ。

ゆっくりと手のひらを広げてみれば、寒さからか少し色が抜けているように青白い手。薄暗い地面にぼんやりと夜兎特有の白肌が浮かび上がる。


『何度戦いを経験してきても結局、わからないままだけどね。』

「…お前」


リヴァイの傘が少し上がり、言葉の意味を探るような鋭い視線が向けられる。一見睨まれているように感じるがこれは違う…瞳の奥には優しい光が灯っていた。

同情している?
それとも心配している?

どちらにせよ、やはりこの男は不器用すぎる…こんな世界では損する性格だとこちらが同情してしまいそうになるほどに。


『まわりを見てみなよ。いつかはこの当たり前にある平和がなくなることを知っていながら、それでも他人任せにしようとしてる人ばかり』

「そうだな」

『ここにきてから少ししかいない私だってそのくらいわかる。前の世界もそうだっただけど、いつかを危惧して命を危険に晒す覚悟を持っている人間は多くない。だから変人扱いされる』

「はっ、今更だな。そんな扱いには慣れてる」


そう鼻で笑って軽くあしらうように言うリヴァイにユキも鼻で笑い返した。


『本当に弱みを見せないねぇ。リヴァイも向こう側にいけばこんな苦しみも悲しみも味合わなくて済むのに。いつか壊れる未来はこないかもしれない。案外リヴァイが死ぬまで平和かもよ』

「俺はそうは思わねぇがな」


ユキの指先が添えられた花に触れ、さわさわと花びらを撫でる。

雨音が傘を弾く音。それ以外に一切音のない空間は、まるで世界から切り離された別の空間のようにも思えた。

リヴァイの拳がゆっくりと握り締められる。自らの手のひらに食い込む爪の鈍い痛みに我に帰ったリヴァイは、しゃがみこんで花を撫でるユキを見下ろしながら口を開いた。


「俺はここで引き返すわけにはいかねぇ、…これまで壁外調査で死んだ仲間は俺に希望を残していった。あいつらのためになんて綺麗事をいうつもりはないが、放り出すことはできない」


ゆっくりと立ち上がったリヴァイをユキの瞳が見上げる。


「この壁の平和を取り戻さない限りあいつらの死は無駄になる。なんのために死んだのか、なんのために戦ったのか、…あいつらの戦いに意味を与えられるのは俺たちだ。必ずこのクソみてぇな世界を終わらせる」


リヴァイは曇天の空を見上げ、そしてユキに視線を落とした。馬鹿にして笑っているのかと思えば、ユキは笑っていなかった。

そこにいつものヘラヘラと張り付いたような笑顔は全くなく、リヴァイを真っ直ぐに見つめる真剣な表情。

時折見せる寂しげな瞳を灯らせたその表情にリヴァイは一瞬虚を突かれ息を飲む。そして自分が話しすぎた事に気がつき視線を逸らした。

なんでこんな事言ってんだ俺は。
こんな事言ったってどうにもならねぇだろ…。

こいつにはこんな悲しい顔は似合わない。馬鹿みたいに笑っていてほしいと思ってるのに…俺がこんな表情させてどうする。いくら守るだけの存在じゃないと言ったところで、これじゃあこいつに重荷を背をわせようとしてるだけじゃねぇか…。


「お前は馬鹿らしいと笑わないんだな」

『言わないよ。自分のため仲間のため、未来のため…そんな当たり前のことのために戦わなきゃならないことはいくらでもある』


そんな平凡な平和を当たり前に与えられてる世界もあるのにと、ユキは呟いた。ユキの世界にはそういった場所もあったのだろう。

ユキ自身はその平凡な平和を当たり前に与えられている…という作り話のようなところにはいなかったのだろうが。そんなところにいた奴は、こんな寂しそうな表情はしない。


『戦いの中で見てきたものも託されたものも忘れられない。だから戦う…さっきは偉そうなこと言ったけどさ、それって立派な戦う理由だと思う。リヴァイみたいな人間は自分のためだけにそんなに必死になれないだろうし』

「まだクソガキのくせして、こういう話になるとお前は一丁前のことを言いやがる」

『リヴァイほど年とってないね』

「経験に年齢なんざ関係ねぇだろ」

『…。戦う理由は私も同じでさ、リヴァイとは違って見ず知らずの赤の他人だけど、あぁかわいそうにって見捨てられるほど良心は捨ててないんだよね』


だからここでも戦うよ、とユキは傘を下ろして手を合わせた。赤髪が濡れていくのも気にせず手を合わせるユキにリヴァイは自身の傘を傾ける。


「お前は迷わないのか」

『…戦う事に?』

「さっきお前が言っていただろう。…こいつらは何のために死んだのか…こいつらのために戦ってその期待に応えることができるのか、俺にはわからない。」


もう、やめろ。
これ以上話すな。

そう考えても口が勝手に言葉を紡いでいく。…どうして止まらない。

何も変わらないのはわかっている。話したところで死んだ仲間が生き返るわけでも、この現状を変えられるわけでもない。

そんなことわかりきっているのに話したいと思ってしまうのは、こいつのことを頼れる存在だと思っているからだろうか。紡がれる言葉、戦い方、表情一つとってもユキがこれまでどれだけ多くの戦いを経験してきたのかがわかる。

そしてそれに対してどう思っているのかも、なんとなくわかる。…似ているからだ。こうしてわざわざ人のいない雨の日に墓参りに来て鉢合わせちまったのがいい証拠だ。


[俺がこいつを好きになるなんてありえない]


この胸をざわつかせる曖昧な…だが確かな感情が心を掻き立ててくる。


『全てのことに応えられる人間なんていないよ。いくら力を持っていたって、囃し立てられたってできることは限られてる。何のために戦ったのか、何のために死んだのか…その理由を見つける事はできないかもしれない』


戦いに勝てばこのために犠牲になったのだと自分を騙す事ができる。しかし、負ければ何も残らない。


『それでもリヴァイは戦う意外に選択肢なんてないんでしょ?私たちみたいな戦闘馬鹿は償う方法も未来を切り開く方法も戦いの中でしか見出せない性分なんだから』


雨空を仰ぎ見たユキの横顔に息が詰まった。

…クソッ。

こいつの表情一つ一つにこんなに動揺させられてるようじゃ…「勘違いだ」なんて言い訳もできなくなるじゃねぇか…。

自分より短い人生でなにを思い、何を感じて生きてきたのか知りたいと思う。ユキのことを、もっと知りたいと。悲しそうに笑うユキを抱きしめたい…これだけ突きつけられればもう充分だ。これ以上自分を騙す事はできそうにない。

思わずため息がでる。
自然に出る深い深いため息。


俺はこんな面倒な相手を好きになった。

異世界からきたユキのことを。

気づいてしまったら、
もう自分を騙すことはできない。

思わず自嘲染みた笑みを零せば、ユキは何がおかしいんだと言わんばかりに睨みつけてきた。きっと自分が言った言葉に俺が笑っていると思っているのだろう。しかもため息のおまけつきだ。

だが、それは勘違いだなんて言うつもりはない。そういう事にしておかなければ、今笑った意味を言わなくてはいけなくなる。


「オイ」

『なに』

「体術訓練付き合え」

『一人でやれば』

「どうせ暇だろ」

『うるさいな、…暇だけど。こんなじめじめしてんのによくやるねぇ。手加減しないよ』

「上等だ」


ユキが立ち上がり、
傘を開いて歩き出す。

雨音は一層強まり、石碑を洗い流していく。足元を吹き抜ける風が草木を揺らした。



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