木漏れ日

□ソファの上のかたまり
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どうして俺はこの女を好きになったのだろう。

今日最後の仕事を終え、自室に戻ろうと廊下を歩いていると談話室のソファーにある赤い塊が視界に入った。近寄ってみれば予想通りユキが間抜け面を晒して深い眠りに落ちている。

なんてみっともねぇ姿晒してやがるんだこいつは…。思わずため息がでる。口は中途半端に開けられ、服の隙間からは腹まで出ている始末。

向かい側のソファに座ってみるが全く起きる様子はない。相変わらず気持ちよさそうに眠っているユキにもう一度ため息をつきたくなるが、珍しく降ろされた赤髪がソファに広がっている光景は目を惹きつけられるには充分だった。

昼間は不服そうに睨みつけてくる瞳も今は閉じられ、長い睫毛が浮かび上がるような白い肌に影を落としている。


…異世界から来たこいつを元の世界に戻す方法を俺は考えてやるべきなのだろう。…だが、当の本人にその気はなく調査兵団で自由奔放に過ごしている…そんな現状に心の中で安心している自分がいた。本人に帰る気がなければ帰る手段も当然見つけることはなく、暫くはこの世界に留まり続けることになる。

…それでいい。俺の口から「戻るな」「ここにいろ」と言える日は一生来ないだろう。ユキは本来この世界にはいない存在…そんなこいつを引き止めていい理由は一つもない。

俺ができるのは精々ユキの機嫌が変わらないよう祈るだけだ。


相変わらず呑気に寝息を立てているユキの髪にそっと触れてみれば、心地よい感触が指先から伝わってくる。

熟れた林檎のような赤いそれが指の間をすり抜けた瞬間、ガシャンと何かが割れたような音が響き渡った。

遅れて兵士たちの慌てたような声が遠くの方から聞こえてくる。恐らく下の階で花瓶か食器なんかを割ったのだろう。


『ぶぇっくしょい!!』


ったく、騒がしい兵士もいたものだと溜息をついた瞬間、突然あげられた声に慌てて手を引っ込めれば、その声の発生源であるユキの瞳がゆっくりと開いた。

手の甲で瞳を擦り周囲を見渡して…視線が合う。


『…なに今の音……あれ、なんでリヴァイがいるの』


目があった途端に嫌そうに顔を歪めたユキに毎度の如くイラっとしたが、下での騒ぎもあったおかげで伸ばしていた手に気づかれなかったようで安堵する。

ユキと俺はお互いにいがみ合う者同士。寝ているユキに触れていたなんて知られるのは絶対にさけたいことだった。


「お前があまりにもみっともねぇ間抜け面晒してたからな、笑ってやろうと思っていた」

『ははーん?さては寝込みを襲いに来たな』

「誰がお前みたいな汚ぇ女を襲うか」

『誰が汚い女だあぁん?もう一回言ってみろ潔癖野郎』

「お前以外に誰がいるんだバカ女、よだれ垂らしやがって汚ぇな」


え、マジでか…と口元を拭ったユキは自分がよだれを垂らしていないことに気づき、殴りかかる勢いでこちらを睨んでくる。

飛びかかってくるか?と思ったその時、ユキは予想に反してため息をつきながら立てかけていた傘を手に立ち上がった。大きく伸びをして『あ』と何かを思い出したようにこちらを振り返る。


『今日も執務室に引き篭もり?』

「…お前はまた来るつもりか?最近いつもそうじゃねぇか、用もねぇくせに入り浸りやがって」

『どうせ書類ペラペラしてるだけじゃん』

「書類整理だ」

『まぁ、気が向いたらお邪魔するかもね』

「餓鬼はクソして寝ろ」

『エルヴィンに呼ばれてんの。餓鬼の年齢過ぎた奴はクソして寝てろ』


言い捨てるようにユキは暗い廊下の先へと消えていった。

自然と力が入っていたのか、背凭れに体重を乗せれば身体から力が抜けていくのがわかる。無機質な天井から自分の指先に視線を落とせば、先ほど触れたユキの髪の感触がまだ残っているような気がして舌打ちした。


「何やってんだ、俺は…」


あまりにも情けない声にため息をつく。迷惑だと言いながらエルヴィンとの話とやらが終わった後に執務室にあいつが来ることを望んでいる自分がいる。

もし来たら、今日は紅茶でも淹れてやろう。


**
***



「そろそろ誰かに呼びに行かせようかと思っていたところだった」

『ごめん、寝てた。』


エルヴィンの元を訪れれば、早速呆れたような表情を向けられる…かと思いきやエルヴィンは「そうか」と言っただけでそれ以上何も言ってこなかった。

よくよく考えてみればこれが普通な大人の対応なのかもしれない。最近口煩い面倒な男と一緒にいることが多かったから感覚が麻痺してるんだ。

あの男ならここから説教が始まり、口論になって結局本題に入れずに終わっていたに違いない。

つい先ほどの会話を思い出してイラっとした感情を抑え込んでエルヴィンに促された通り目の前のソファに座れば、エルヴィンは早速本題を口にした。


「呼ばれた理由はわかっているな?」

『わかってる。昨晩のことでしょ』


あぁ、とエルヴィンは頷いた。


「憲兵団から脅迫状にも近い報告書が届いている。憲兵3人を店先まで殴り飛ばした…という事実は本当か?」

『本当』

「理由は?」

『報告書にはなんて?』

「一方的な暴行と書かれている」


思わず笑いが溢れた。確かに夜兎を相手にしたら一方的な暴行になるが、これほどまでに自分たちのことを棚にあげるとは。例え世界が変わろうとこういう輩はいるんだと呆れる。


『店につっかかってたから相手になっただけ』

「どんな理由があろうと今後、今回のようなことは控えてもらいたい。ただでさえ君は公にされていない存在なんだ」


わかってるよ、と答えるとエルヴィンは報告書を机に置き、改めて口を開いた。


「だが、感謝している」

『…、…言ってることが矛盾してるけど』

「報告書に記載されている店は昔死亡した調査兵の家だ。君が調査兵じゃないかと疑われたのはその兵士か調査兵団を庇うような発言をしたからだろう?」


僅かな笑みを含みながら問われれば、誤魔化しは通用しないと理解するのに充分。


『御察しの通り。それでムカついたから殴り飛ばした』


エルヴィンの言う通り、調査兵であった店主の息子の遺留品を目にとめた憲兵が店側に暴言を吐き始めたのが事の始まり。

悪い酔っ払いの悪質な絡みだと思っていたが状況はどんどんエスカレートし、手を上げようとしたところで私が店先まで殴り飛ばしちょっとした騒動となったわけだ。

周りの人間のあっけにとられた表情を見てやっちまったと思ったが、そういう時は大抵気づいた時には手遅れ。どんな形であれエルヴィンの耳に入るだろうなとは思ってた。

なにせ調査兵団を庇うような発言をしてきちゃったからね…さすがに疑われるとは思ってたけど、本当に疑われたよ。


「私が伝えたかったことはあまり目立つようなことはしないでほしい…それだけだ。ここからは気を緩めてくれ」


そう言うとエルヴィンは執務机から立ち上がり、背中を向けた。


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