木漏れ日

□帰るべき場所
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「あれ、珍しいね。こんなところでぼーっとしてるなんて」


聞き慣れた声に視線を上げれば、俺を見下ろしていたのは書類を抱えたハンジだった。驚いた顔をしてこちらを覗き込んでいる。

どうやらユキを見送ってからだいぶ時間が経っていたらしい。談話室に1人でぼけっと座っているのを見たら不思議に思うのも無理はない。


「ユキのこと待ってるの?」

「どうしてあいつが出てくる」

「今ユキがエルヴィンに呼び出しくらってるから、てっきり終わるの待ってるのかと思ったんだけど」


[エルヴィンに呼ばれてんの]

言われてみればさっきユキはエルヴィンに呼ばれていると言っていた。冷静に考えてみればこんな時間にユキ個人を呼び出すのは珍しい。


「あいつは何かやらかしたのか?」

「勝手な決めつけは良くないねぇ」


ケラケラと笑いながらハンジは目の前のソファに腰を下ろした。どうやら話は長くなるらしい…「まぁ、御察しの通りやらかしたらしいんだけどね」とハンジは続ける。


「昨夜憲兵と街で喧嘩したらしいよ。なんでも憲兵を3人、店先まで殴り飛ばしたとか」

「はぁ?」


何をどうしたらそんなことになるんだ?……地下で暮らしていた頃の自分を思い出せば、そんなことは日常茶飯事だったが…ユキに奴らとやりあう理由は一つもない。


「昨日ユキは初めてのお給料で死ぬほど肉が食いたいって言って外食しに行ったんだけど、その店がたまたま元調査兵の店でね…酔った憲兵が店側に一方的に手を出したらしいんだ」


そこに偶然居合わせたユキが憲兵を店先まで殴り飛ばし、エルヴィンの元に脅迫状にも似た書類が届いたらしい。

…何をやってるんだあいつは。本当に目を離せば問題を起こしやがる。姿を見ないと思ったらそんなくだらねぇことやってたのか…。


「…だが、ユキが調査兵であることは公にしてないはずだ。どうしてエルヴィンの元に書類が届く?」

「調査兵団を庇うような発言をしたらしいよ。お前らに命をかけて戦う人間を馬鹿にできる権利は一つもない。あいつらを馬鹿にするな……私が聞いたのはこんなところかな」

「…」

「こんなこと言われたら調査兵団の人間じゃないかって向こうは思うだろうね」


思わず頭を抱えたくなった。あれだけ厄介ごとを起こすな、公にされていないことを自覚しろと言っておいたのにあいつは…。

紫色の傘を振りかざし、頬に米粒でもつけながら尻餅をついている憲兵に悠々と語るユキの姿が容易に想像できた。

そんな仕打ちを受けた憲兵はユキの赤髪とあの負けん気の強い瞳を根強く覚えているだろう。これから先、動きづらくなったらどうするつもりだ…と考えていればハンジは相変わらず軽い笑みで笑った。


「さすがユキだよねぇ、やることが違うよ」

「俺は呆れしか出てこねぇが」

「そう?私はあいつらにイラっときても言えないことが多いからすっきりした。地面についた尻を急いで起こして、ユキに怯えて逃げ帰る憲兵は傑作だっただろうなぁ」


一頻り笑ったあと、ハンジは「でもさ…」と改めて口を開いた。

「正直嬉しい気持ちが一番だよ。私たちは理解されないことの方が多いからね…ユキの言葉を聞いたときは本当に嬉しかったな」


それにユキが私たちをそれなりに思ってくれていることもわかったしね、と言い、ハンジはへらりと笑ってこちらに視線を向けてくる。


「リヴァイもそうじゃない?ユキが私たちをどう思ってるのか、本人から聞いたことなんてないでしょ?」

「そうだな」


ユキは自分の思っていることを滅多に口にしない。…そう言うと「ユキ以上に正直になんでも言う奴はいない」と思われがちだが、普段口からぼろぼろ零れ出ている言葉は、ユキが表に出そうとして故意的に出しているものに過ぎない。

一見ただの馬鹿だが、ああ見えて核心に迫るような事は絶対に口にしないのがあいつだ。

本当はなにを考えているのか、なにを思っているのか。飄々として掴み所が無い。あいつが調査兵団をどう見ているのか気にした事はなかったが、改めて聞いて…悪い気は当然しなかった。

クソメガネの言う通り、調査兵団は理解されないことの方が多い。元の世界とやらで多くの場所を目にして来たユキの言葉の重みは決して軽くない。


「そんなわけで今頃エルヴィンに叱られてるだろうユキの様子を見に行こうよ」

「何言ってんだてめぇは」

「あの2人が話してるのって思えばあんまり見たことないし、どんなこと話してるのか気になるじゃないか」

「俺は気にならねぇが」

「そんなこと言わないで行こうよ。私1人だと見つかったら気まづいじゃないか」

「それは俺がいたところで変わるのか?」

「わからない」


**
***


背を向けたエルヴィンは棚から飲み物と菓子を取り出し、机の上に並べて正面のソファに腰を下ろした。


「君に酒は飲ませられないが、いい銘菓をもらったんだ。これで我慢してくれ」

『なんか普通に準備始めてるけどお咎めなし?てっきりもうちょっとくらい怒られるのかと思ってた』

「今回は大ごとにはならなかったし、しらを切っていればいいだけの話だ。それに君が本気を出していたら憲兵の男達は自分の足で帰れていないだろうからな」

『ははっ、まぁ間違いなく救急車を呼ぶ騒ぎだね』


救急車?というエルヴィンになんでもないよと答えて菓子を口に放り込む。うん、美味い。

正直呼び出しをくらった時点で中々のお咎めを覚悟していたが、エルヴィンにその気は無いらしい。エルヴィンのこういう引きの良いところは有り難い限りだ。


『それで、私をお茶に誘って改めて何を話すつもり?』

「約束でもしていたか?」

『いや、別に』


リヴァイに執務室に行くかもしれないと言ったことが頭を過ぎったが、特別約束しているわけではない。そもそもあれは私が一方的に訪れているだけでリヴァイは良い迷惑だと思っているに違いない。

エルヴィンは「そうか」と頷き、菓子を1つ手にとった。


「私は正直、君がここまでこの世界に留まってくれるとは思っていなかった」

『私は暫くここにいるんだろうなって思ってたかな』

「君は良くも悪くも考えていることを表に出さないから、掴み所が無い」

『そう?だだ漏れしてると思うよ』

「表に出ている感情が邪魔をして、本当に知りたいことが分からない。元の世界に帰ろうとしているのか?この世界で何を思い、感じているのか?この先どうするつもりなのか?探ろうとしても君には毎回うまくかわされてきたな」

『私は誠心誠意答えているつもりだったけどなぁ。元の世界に帰れる方法は無いし、この先どうするもない。なにか奇跡がない限りここに居座るだけだよ』


エルヴィンはまた「そうか」と言ってグラスを傾ける。またはぐらかされたと思っているのだろうが、私は思ったままを口にしてるだけでこれ以上もこれ以下もない。

帰れないから帰らない。
戻れないからここに居続ける。


「君の戦闘力は本当に目を見張るものがある。君が来てからというもの、壁外調査での犠牲者は大幅に減少した上に進行度も飛躍している」


君の活躍には本当に感謝している。と、エルヴィンは続けた。


「君が帰るべき場所があることは充分承知してるが、帰る方法はないと開き直る君に安堵さえしてる」

『…』

「だからもし、君が帰る方法を見つけたとしても…私は素直に見送ろうとはしないだろう」


パキンと、チョコレート菓子を噛み砕く音が響く。噛む度に口いっぱいに広がる甘さの余韻に浸りながら、私は目の前にいるエルヴィンを見上げて菓子を指差した。


『私がこの世界からいなくならないように…って餌付けしてる?』

「それもあるが、謝罪の意味合いの方が大きい。私は君が元の世界に戻るべきだとわかっていても、その手段を探すことに対して進んで協力できそうにない。悪いと思っている」

『エルヴィン、私さ…殴り飛ばした憲兵にも言ったけど調査兵団のことは割と気に入ってるんだ。自分たちの自由のために命張って戦う志は悪くない。正しかろうが間違っていようが、自分らしく生きればいい…安寧に浸って動かない臆病者より私は好きだから』


今までいろんな土地を渡って来た。同じ場所は一つとして存在せず、それぞれの場所がそれぞれの問題を抱えていた。

諦める者、見て見ぬ振りをする者、権力を振りかざす者、それら全てに立ち向かう者。

私が手を貸して来たのは最後にあげた人達だ。圧倒的不利な状況に立たされていようと最後まで戦う。そんな馬鹿で滑稽にも思えるような存在に、自然と惹かれていたのかもしれない。

…これが私の罪滅ぼしでもあるが、それを言う必要はない。


『別に謝罪なんてものはいらない。むしろ私には勿体無い場所だよ』


邪魔だなんだと散々文句を言いながら、執務室に入り浸る私をあいつは追い出そうとしない。どうしてかとても落ち着くあの場所は…私にとって本当に勿体無いほどの場所だと思う。

さりげなくエルヴィンのグラスに手を伸ばせば、スッと遠ざけられる。『今ならいける気がするんだけど』「勘弁してくれ、酒を口にした君を私1人で相手にしたくない」……諦めて紅茶の入ったカップを傾ける。


『私のことを散々言っていたけど、こっちからもエルヴィンに言いたいね。考えてることがわからない』

「よく言われるよ」


エルヴィンはユキの左耳で小さく点滅する赤いランプに視線を向ける。帰る方法は無い、見つけるつもりもない…だが彼女の耳につけられた通信機は、彼女が元の世界からの連絡を期待しているという証拠。

帰る手段が見つかるかもしれないという希望がユキの中にはある。聞いたところで素直な返事が返ってくるとはないだろうが。


「今日はリヴァイのところに行かなくていいのか?」

『は?』

「最近執務室をよく尋ねていると聞いたが?」


なんだ知っていたのかこの男…。そうなるとさっきの「約束でもあるのか?」というのもカマかけだったらしい。


『知ってたの?』

「噂で聞いていた」

『あっそ。それで、エルヴィンから私にいうのは「兵士長の邪魔をするな」?』

「そんなことを言うつもりはない。むしろもっと関わってほしいと思っている。リヴァイは君を信頼しているようだからな」

『信頼?どこをどう見てもそんな風には見えないけど?厄介者だとしか思われてない。』

「そう思うなら君は何故リヴァイの執務室に行く?」


エルヴィンと視線が交わる。どうして?改めて考えたことはなかった。だが、確信していることはある。


『居心地がいいんだと思う。散々文句は言われるけど、追い出そうとはしてこない…私にとっては贅沢すぎる場所だよ』

「前にも言ったが彼と肩を並べて戦える者はいなかった。だから今までにない存在に戸惑いはあるだろうが彼なりに信頼しているんだろう。そうでなければ戦場で背中を任せたりしないし、潔癖のリヴァイが執務室に他人を置いていたりはしない」

『…、…それなら嬉しい限りだね』


ユキの素直な言葉にエルヴィンは思わず口元を緩めた。今のは彼女の素直な心の声だと確信するには十分だった。


『じゃぁね』と言ってエルヴィンに適当に別れを告げ、扉を開ける。視線を落とせば廊下に木の葉が落ちていた。…廊下の窓は閉まっているのに、なんで木の葉が?

(…まさか)

周囲を見渡すが、人影一つ見当たらない。今の会話を万が一リヴァイに聞かれでもしていたら…死ねる。間違いなく死ねる。


…まぁ、そんなわけないか。

執務室に足を向ける。扉を開ければきっと書類から顔をあげたリヴァイが、いつものように眉間に皺を寄せるんだろうと思いながら。



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