木漏れ日

□執務室
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「居心地がいい…なんて最高の褒め言葉じゃない?」


私も言われてみたいなぁと小声で言うクソメガネを横目に、俺は適当に言い返そうとして…やめた。夜風が足元を吹き抜ける肌寒い廊下で、扉に背を預けながら中での会話に耳を澄ませている俺たちは不審者同然だっただろう。

だが、そんなことはどうでもいい。ユキの言葉に胸が熱くなる感覚を振り払い、会話が終わるタイミングで俺たちは退散した。

単純に嬉しい…だなんて自分でも笑いそうになるほど女々しいことを思ったのは否定しようがなかった。

執務室に戻り数十分後、ノックもせずにズカズカと入り込んで来たユキはいつもとなんら変わらない様子で定位置であるソファに寝転がる。

先ほどの会話を盗み聞いていたことを口にするほど俺は愚かではなく、燻る感情をいつものように収め、静かに流れる時間を過ごす。

ユキはと言えばソファに放り出した身体を時々寝返り程度に動かしたかと思えば『紅茶淹れて』と言ってくる。当然「自分で淹れろ」と返せば小言を言いながら頬を膨らませた。

放っておけばユキはソファから起き上がることなく本棚に手を伸ばし、本を手にとって仰向けに読み始めた。こっちの世界の字も読めないくせに何がしたいんだ?

そう思いつつ黙っていればユキは暫くそのまま真剣に本を読んでいた。読んでいた…というよりはただ見ていたというようなものかもしれない。

本をじっと見たままページも捲らずそのまま数十分が経過した。いつもと違う様子にこっちも書類に集中できず様子を伺えば、ユキの表情はいつもの気の抜けたものではなく、何かを考え込むような…真剣な表情を浮かべていた。


**
***


エルヴィンとの会話を強引に切り上げ、私はリヴァイの執務室へ向かった。扉を開ければ予想通り書類と向き合っていたリヴァイは眉間に皺を寄せて嫌そうに表情を歪める。

でも、何故だかいつも言われる小言が今日はなかった。一体何があったんだ?少し調子が狂いそうになる…ないほうがいいんだけど。

いつものようにソファに寝転がり、リヴァイを見れば黙々と書類と向かい合ってペンを走らせていた。その机に置かれたカップからはふわふわと暖かい湯気が立ち上っている。

どうせリヴァイの事だからまた美味しい紅茶を独り占めしているに違いない。前に勝手にカップの紅茶を飲んだら驚くほど美味しかったことをよく覚えている。…その後、散々文句を言われ喧嘩になったことは言うまでもない。


紅茶淹れてと言えば、当然のごとく一蹴された。わかっていた返事だっただけに、こちらも決められたことのように小言を言ってやる。ここまでが私たちの一連の流れ。


天井を見上げて、一息。エルヴィンに言ったことはやっぱり間違いなかったと思う。ここは居心地がいい。

普段あれだけぶつかり合っているのに、何故か自然と足を運んでしまう自分がいる。リヴァイが私を信用してくれているように、私もきっとリヴァイを信用している。

普段から歪み合っているからこそ、信用できる人物であることに気づいてしまう。それなのに気づかないふりをしてしまうのは、認めたらなんだか負けたような気がするから。

ソファから手を伸ばして本棚から一冊本を引っ張り出し、適当に中身を開く。文字が読めないことを思い出して途方にくれたが、今更戻すこともできず訳のわからない文字を目で追っていく。


『…』


この世界にとって…調査兵団にとって私という戦力は自惚れを差し引いても必要だということはわかる。エルヴィンが私を引き止めるのも当然のこと。

でも、どうして私は『手段が見つかれば帰る』と言わなかったんだろう。

エルヴィンに残ってくれと言われたから言えなかったわけじゃない。余計な期待を持たせるつもりは始めからなかったのに。

元の世界に戻ればまたいつものように好き放題暴れて稼いで、気が済むまでたらふく食べることもできるし、こんな不便な生活をすることもなくなる。

この世界と違ってのんびり日々を過ごせるような平和な星にいくこともできる。

どう考えてもこの世界に留まる理由は一つもない。元の世界に帰れば便利な生活が待っているのは間違いないのに。

…どうして、私は悩んでるんだろう。

万が一、億が一、…春雨の誰かが迎えにくるかなにかして帰る方法が見つかった時、私は真っ先に帰ると思っていたのに…今は即答することができないかもしれない。

何かが自分の中に引っかかっている。頭を悩ませてみてもわからない…この胸の奥につっかえているものはなんだ?探り出そうにも手が届かずむしゃくしゃする。


『…?』


気がつけば目の前が真っ暗だった。なんだと慌てて身体を起こせばバサリと何かが落ちる音。視線を床に向ければ自分の顔の上にのっていたのだろう本が落ちていた。


『…寝てた?』

「あぁ、寝てたな」


リヴァイは変わらず書類に向かっていた。いつの間に寝たんだろうと本を拾い上げるために手を伸ばせば、身体に毛布がかけられている。

いつかけられたのか全く記憶にないが、これをやったのはリヴァイの他にありえない。でも、あのリヴァイが?私に毛布を?

信じられない出来事に余程不思議そうにしていたのか、リヴァイがチッと舌打ちをした。


「お前みたいな怪力ガサツ女が風邪を引くとは思えねぇが、万が一があったら気分が悪いからな」


誰が怪力ガサツ女だ?あぁん?……いつもなら間髪入れずに言っていたに違いない言葉が、何故かでてこない。


『…そう。ありがとう』


代わりに出てきた言葉に沈黙が落ちる。数秒して自分が言った言葉にハッとなってリヴァイを見れば、信じられないものを見るかのように表情を歪めていた。

いやいやいや、ありがとう!?なにを言ってるんだ私は!?そりゃ毛布をかけてくれたことに関してお礼を言うのは間違ってないけど、怪力ガサツ女って言いやがったんだぞこいつは!?

ほら!リヴァイが見たことないような表情してる!気持ちはわかるけど、生憎こっちの方が驚いてるわ!そんな目でこっち見るな!


『リヴァイみたいな冷徹腐れ潔癖野郎に、女の子に毛布をかけてあげるくらいの少しの優しが残ってて安心したよ』

「そう言えばお前は女だったな。今言われなければ忘れていた」

『なんだとコラァ、この絶世の美女が目に入らないのか?おぉ?』

「頭がイカれてる奴だと思っていたがここまで来ると哀れだな。お前はまず目を洗ってこい」


咄嗟に憎まれ口を叩けば、リヴァイの表情は見慣れたいつもの無愛想に戻り、相変わらずの言い争いが始まった。

胸の中に擽っていた何かが、怒りでかき消されてモヤモヤがなくなっていく。あぁ、いつも通りだ。この感覚が心地いい。

なのにどうして?いつも通りなのに少し胸が痛い。毛布をかけてくれたのは間違いなくリヴァイの優しさだったのに、素直にお礼も言えない自分が憎らしい。


「…ったくてめぇはどうしようもねぇな」

『なんとでも』


毛布を引っ張り上げながら再びソファに寝転がる。身体を包み込むふわふわとした毛布が暖かい。リヴァイが毛布をかけているところを想像すると似合わなすぎる光景に笑いそうになった。

どうせ舌打ちでもしながら毛布を持ってきてくれたんだろう。リヴァイの優しさを知らなかったわけじゃない…でも、それがこうして自分に向けられるとなんだか不思議な気持ちになる。普段喧嘩ばかりをしているから余計だ。


ギィ…と椅子を引く音が部屋に響く。頭を動かしてみればリヴァイが席を立ったところだった。


『もう今日は終わり?』

「いや、あと少し残る」

『そう』

「あぁ」


まだもう少し私はここにいられるらしい。席を立ったリヴァイは空になった自分のカップに紅茶を淹れ始めた。

どうせ淹れてと言っても無駄なのはわかっているのでなにも言わない。背を向けるように寝返りをうった数十秒後、近づいてきた足音と共にリヴァイの気配をすぐ背後に感じた。続いてコトリと机に置かれるカップの音。

振り返れば2つのカップを持ったリヴァイは、そのうちの1つを机に置いていた。


『それ…』

「また勝手に俺のを飲まれても困るからな」


それだけを言い残して机に戻っていったリヴァイは再び腰を下ろし、書類と向かい合った。

私は未だに信じられず、目の前に置かれたふわふわと美味しそうな湯気を立てるカップとリヴァイを交互に見る。

そんなことをしていれば「なんだ」と一言。本当に今日はどうしたというのか。あのリヴァイが。…あのリヴァイが。

何か変なものでも食べたに違いない。もしくは頭をどこかに強くぶつけたのか…どちらにしろ可哀想な話だ。明日元に戻っていることを祈ってあげようと思いながらカップを手に取り口をつける。

その瞬間から甘い香りが鼻腔を擽った。続けて口いっぱいに広がる少し苦い紅茶は、予想していた通り文句の言いようがないほど美味しかった。


『美味しい』

「当然だ」


瞳を閉じる。やっぱりこの場所は私には勿体無い。



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