木漏れ日

□触れる指先
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「探したじゃねぇか…てめぇ」


一体どれだけ探させるつもりだと今までの道のりを思い出して怒りを込めた声で言うが、ユキはピクリとも動かなかった。

一瞬寝ているのかとも思ったが、よく見れば毛布の中の身体が微かに震えている。正面で膝をつけば、ユキは漸く口を開いた。


『ほっといて』


あまりにも弱々しい声に息が詰まる。普段のこいつからは想像もできない声に毛布の上から肩に触れてみれば、ユキの身体は震えていた。


「ほら見ろ、…昼間無茶をしたからだろう」


…返事はない。やけに静かな空間に、ユキの乱れた息遣いが微かに聞こえる。

負傷兵に自らの包帯を分け与えたユキは傘を差していたとはいえ、かなりの時間陽に晒されていた。陽に弱いとは聞いていたし、そのために常に壁外調査では包帯で肌を隠し万全の対策をしていたことも知っている。

だが、どれほど陽に当たってはいけないのか知らなかった俺は「大丈夫」というこいつの言葉を信じるしかなかった。

実際体調を崩しているところも見たことがなかったし、今日も大丈夫だったんだろうなんて拠点についたときのユキを見て容易に考えていた。

その結果、ユキはこうして毛布に包まり…震えている。ハンジに嘘までついて人目のないところに移動するほど重い症状に苦しめられていた。


[太陽に当たり続けると死ぬ。最強と言われていた夜兎は死んだって聞いた]

以前ユキが言っていた言葉を思い出して背筋が凍る。毛布の上から触れた肩をゆっくりと撫りながら問いかける。


「どこか痛むか?薬を持ってくるか?」


いつものように「大丈夫」と言うかと思っていたがユキは黙っていた。答えられないほど重い症状に襲われているのかと思い、無意識に奥歯を噛み締める。数秒後、ユキは漸く開いた口で吐き捨てるように言った。


『ほっといてって言ってんの』


……まただ。そんな声で強がったってしょうがねぇだろうが。…頼むから今くらい素直になってくれないと、対処法もわかんねぇだろうが…。

そう思いながら「ふざけんな、心配してるんだろうが」と言えば、ユキは毛布を握る手に力を込め、息苦しそうに息を吸ってから弱々しく口を開いた。


『…頼むから、ほっといてよ……頼むから…』


突き放すような態度から一転。まるで懇願するように振り絞られた声は、ユキが限界だと知るには充分だった。

ユキは肩に置いた俺の手を掴んでもう一度「ほっといて」と言う。その震える手は驚くほど冷たく、体温がほとんど感じられなかった。

…あぁ、そうだ。こいつは本当に辛い時こそ見栄を張って強がる奴だった。それが今はどうだ?それすらもできず、毛布に包まって只管苦痛に耐えている。

残っているユキの僅かな理性が、弱っている姿を見られたくないなんてくだらない見栄を張って強がろうとしている。

…なんでお前はそうなんだ。本当に助けを求めたいときに求めず、一人で抱え込んで苦しむ。そうして乗り越えたら、なんにもなかったような顔をしていつものようにヘラヘラ笑うつもりだったんだろう?


「…っ、……馬鹿が」


青白くなっているユキの手をそっと握れば、初めて握った手の感触に浸る余裕もないまま胸が締め付けられた。…冷たい。力の抜けた指先はまるで氷のようだ。

本当にこのまま消えてしまうんじゃないかと思い、もう一方の手も添えて包み込む。


「お前がいくら悪態をつこうと、俺はお前をここに置いて行かねぇからな」

『…どうして』

「お前をほうっておけないからだ」


特別に思っている女が苦しんでいるのに放っておけるはずがない。普段強がっているだけに、こうして身体を縮こませて震える姿がどれだけ心臓に悪いか分かってんのか?

早くいつものお前に戻ってくれと思いながら両手でユキの手を握っても、振り払われる様子はない。

ユキは戸惑ったように手をピクリとも動かさなかったが、暫くの沈黙の後…ゆっくりと俺の手を握り返してきた。

「…!」

こんなたった小さな行動の1つが心を動かし、掻き立てる。まさか握り返してくるとは思わなかった…だが、ユキの指先は確かに俺の手にぴったりとくっつくように折れ曲がっている。

(…手、…小せぇ)
手の平から伝わってくるふかふかとした手の感触。毛布に包まる小さな身体。もしこいつが弱っている状況じゃなかったら、きっと俺はこの欲を抑えることができなかっただろう。


「寒いか?」

『…寒くない』

「そうか」

『…』

「…」

『…ごめん、やっぱり寒い』


漸く素直に答えたユキを俺は毛布の上から抱き締めた。ビクッとユキの身体の反応が伝わってくる。

リヴァイ?…耳元でユキが呟く。身体に回した腕に力をいれて引き寄せればユキはそれ以上何も言わなかった。

初めて抱き締めた身体は予想通り小さく、華奢だった。この身体でどうやってあんな力が出せるのか、どうやってあんな派手な戦闘ができるのか…そんなことはどうでもいい。

今はユキを苦しめているものが一刻も早くなくなってくれという願いだけ。

またあの馬鹿みたいな笑顔で笑ってくれ…顔を合わせれば口喧嘩するようなどうしようもないお前に戻ってくれ…そうじゃないと、こっちまで落ちつかねぇだろーが…。

ユキの身体を抱きしめる。髪に指を通せば、綺麗な赤髪が指の間をすり抜けていった。


**
***


手の平から伝わってきた体温は、悲しくなるほど暖かった。普段はぶっきらぼうで粗暴で近寄りがたい気の合わないやつのくせに、重ねられた手も私を抱きしめる腕もまるで壊れ物を扱うように優しかったことをよく覚えている。

凍りつくような寒さと苦痛に襲われていたときに現れたリヴァイを始めは信じられなかった。…まさか幻覚まで見るようになってしまったのかと思っていたが、確かに伝わってくる体温は幻覚ではないことを証明していた。

私を探しにきてくれたらしいリヴァイは、あんな突き放すような言葉を言われたのにも関わらず、私の側にいてくれた。朝まで一緒に寄り添っていてくれた。

……あのリヴァイが。信じ難いことだけどあの記憶は夢でも幻でもない。意識がはっきりしないなかでも、あの暖かな体温と不器用な優しさはしっかりと覚えてる。

どうしてあんな可愛げもクソもないような突き放す言葉を言われて、一緒にいてくれたのかはわからない。

大丈夫だと耳元でずっと語りかけてくれていた。『…元の世界ではあのくらいじゃこんなに酷くなることはなかったのに』『だから大丈夫だと思ってた、…油断してたの』……弱音を吐き続けていた私の言葉を「そうか」と聴き続けてくれていた。

いつのまにか眠りについたのか、目が覚めたら私は普通の部屋で自分のシーツの上で眠っていた。ここまで運んだのもわざわざ私をシーツの上に寝かせたのもリヴァイしかありえない。

倉庫に隠れていた私をわざわざ見つけ出して、一度は突き放そうとした私とリヴァイは朝まで一緒にいてくれた。酷い言い方をしたのに、…見放されて当然だったのに。


[お前をほうっておけないからだ。]


どうしてあそこまでしてくれたんだろう。…リヴァイが本当はいい奴だということは知ってる…だけど、いつも喧嘩ばかりするような私にあそこまでする必要なんてなかったはずだ。そんなことをする理由も義務もリヴァイにはない。出発の前だって言い争いをしたような気がする。


自分の手に視線を落とせば、昨日重ねられたリヴァイの手の感触を鮮明に思い出す。手を握り、拳を額にあてる。

抱きしめられたときの感覚を思い出せば何故か胸が苦しくなった。なんだ?…この感覚。心臓がやけに煩い、胸が締め付けられたように苦しい。

「もう一度」…と、思っている自分がいる。

…冗談じゃない。何かの間違いだ。
ただあんなふうにされたことがなかったから、そう思ってしまうだけだ。リヴァイだからそう思ったわけじゃない。うん、そうだ。そういうことだ。

起き上がって身支度を整えてから外へ出れば、それぞれが出発の準備を整えていた。一晩休んだだけあって体はすっかり元の調子を取り戻したらしい。身体の感覚も戻っていて今すぐにでも巨人の5、6体くらいなら蹴散らせると思う。

眩しい太陽の光に傘を広げ、手足に巻いた包帯を確認する。もう同じ過ちは繰り返せないもんな…。


「身体はもういいのか」


突然背後からかけられた声に思わずびくりと反応する。

平静を取り繕って振り返ればそこにいたのは予想通りリヴァイで、いつもと同じ感じの悪い瞳と視線が交わった。


『もう大丈夫』

「本当か?」

『昨日あれだけ痛い目みておいて、また嘘吐こうなんて思ってないよ』

「そうか、ならいいが」


あれ?なんだこの感じ。

いつもと全く変わらない様子で接してくるリヴァイに違和感を感じる。…いや、別に何かを期待してるわけじゃないけど、もうちょっと何かあるんじゃないの?

…いや、本当に期待とかそういうんじゃないけどさ…なんだよ、変に気を使ってるのは私だけかよ…。

いやいやいやいや、別に私もなんとも思ってないから。思うわけないから。だってリヴァイは私を介抱してくれただけ。…ただ、それだけ。

変に意識……してないけど……するのもおかしい。リヴァイが正しいんだ、変に考えるのはやめろ自分。私もいつものように接すればいい。気の合わないやつのままでいい。

…なんて考えてることを知るはずもないリヴァイは自分の馬を撫でながら「同じ失態はするなよ」と言ってくる。私を蔑むような、馬鹿にしたようないつもの目にホッと息をつく。


『わかってる、だからこうして万全の対策してるんじゃん』

「わかってるならそれでいい。…それから俺の前で強がるのはやめろ。お前がヘラヘラ笑ってねぇとこっちが心配する」


ーー…ドクン。

…まただ。また息がつまるような苦しい感覚。どこかが痛むわけでもないし、どこがそうなのかはわからないのに何故か苦しい。

気がつけばリヴァイの手に視線を向けていた…昨日触れた温かい手。あの腕に抱きしめられたんだと思うと妙に身体がむずむずする。

…って何考えてるんだ私は。変態かよ…。


『心配してくれてどうも。昨日はありがとう』


たった一度のお礼を言うにも相当勇気を振り絞っていたはずなのに、なんだか今回はすんなり言うことができた。

「あぁ」と応えたリヴァイが視線を拠点の方に移す。


「助かったのは俺の方だ。お前は俺の部下を救った……お前がいなければあいつは出血多量で助からなかっただろうからな。治療を受けて今では安定してるから壁内にも戻れるはずだ」

『そう、よかった』

「あんな無茶はもうしないでくれ…って言ってもお前はまた同じ状況になったらやりかねねぇな」


呆れたようにため息をつくリヴァイに「同じ状況になってみないとわからないよ」と言えば、もう一度ため息をつかれる。

あぁ、漸くいつもの感じに戻ったみたいだ。居心地の良さに思わず笑みが零れる。さっきまで感じていた妙な違和感も、無意識に思い出す昨日のことも…これ以上気にしたところで無駄だ。

どうして探しにきてくれたの?どうして側にいてくれたの?…そんなこと、どうせ聞く勇気もない。

そんなことを考えていると突然「なんだ?」と問いかけられる。ハッと我に帰ればリヴァイと視線が交わっていた。


『…なにが?』

「なにか言いたそうな顔をしていたような気がしたんだが。ずっとこっちを見ていただろ」


無意識のうちにリヴァイに視線を向け続けていたのか…、私は誤魔化すようにハッと鼻で笑って『別に』と愛想なく答える。

リヴァイの米神に青筋が浮かび上がったのがわかったが、私は視線を落として鳴り響く心臓の音を抑え込む。

この違和感は全て忘れてしまおう…それが一番いい。だって私はこの世界の人間じゃないし、そのうちいなくなる存在なんだから。

私はゆっくりと芽生えようとしていた何かを強引に押し込んだ。思えばこの時にはもう、この感情には気づいていたはずなのに。



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