木漏れ日

□時計の持ち主
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倉庫で一人震えていたユキを抱き締めた次の日…つまり昨日だが、あいつは一度も目を合わせてこようとしなかった。

いつものように話していてもくだらない口喧嘩をしていても、戦いの時ですら普段なら交わす目線は一度も合わなかった。

あの夜を意識してのことなら嬉しかった。距離をとるということは、あいつにとって俺は意識する存在になったということ。

だが、今日はなんだ?朝からユキの様子は至って普通。壁外調査の前に戻ったかのようにいつも通り。睨み合う視線も何度もぶつかっている。

巨人と交戦する際にもお互いに視線をかわしながら戦い、昨日より圧倒的にやりやすかった。呼吸が合うというのはこういうことをいうのだろうと改めて実感する。


『あー、疲れた。お腹すいたし喉も渇いたし眠い』

「どんだけわがままなんだお前は。馬の方がまだ我慢強い」

『だろうね、偉い偉い』


休息中の今、深いため息をつきながら俺の隣に腰掛けるユキ。こんなのはいつものこと…悪態をつきながら水を持ってこいと言ってくるのもいつものこと。

だが、決定的に違うのはこいつとの間に異様な壁を感じることだ。出会った当初に感じていたような距離が今、俺たちの間にある。

もちろん俺から離れたわけじゃない…こいつが意図的にまた作ったものだ。月日をかけて自分なりに距離を縮めていた感覚もあったのに、何故だ?

何故またお前は距離を取ろうとする?やっぱり原因はあの倉庫でのことか…?


「おい、お前…」

「リヴァイ、出発の準備だ」


問いかけようとしたところでエルヴィンに邪魔される。…クソッ、邪魔しやがってと思いながら「わかった」と答えれば俺の気持ちを組んだのか「邪魔したか?」と言ってくる。


「いや」

「そうか」


ここで文句なんか言えるかと少々荒く言い返して馬の手綱を握る。エルヴィンが立ち去ると同時にユキは重そうに腰を上げた。


『今なにか言おうとしてなかった?』

「いや」

『ならいいけど』


ユキは赤髪を揺らしながら馬に跨った。傘を差し、隊列の進行方向へと向かっていく。

(…まぁ、あとで聞けばいい。)

その後ろ姿を目に、呆然としていたのか『なにぼーっとしてんの?』と言うユキの声でハッとする。ユキはこちらを振り返り、怪訝そうな表情を浮かべていた。


「お前が珍しく駄々も捏ねねぇで準備に入ったから驚いただけだ。雨が降るかもしれないな」

『んだとコラァ、雨降ってびしょびしょになっちまえ潔癖野郎』


また目が合う。なのに、相変わらずこの距離は埋まらない。



**
***



巨人の身体が地面に沈む。身体に纏わりつく巨人の血が蒸発して視界を奪った。


『…うえ、口の中に入った』

「馬鹿みたいに口開けてるからだろう」

『本当に一言余計だなコノヤロー…』


立体機動で木の上から戻ってきたリヴァイに早速悪態をつかれる。…まぁ、こんなのはいつものこと。傘についた血を振り払い、再び傘を広げる。

視線を向ければリヴァイは自分の手についた巨人の血をハンカチで拭っていた。

この世界に来た当初を思い出し、なににも依存しないようにすれば驚くほどに心は軽くなった。もしかしたら私は昔から無意識のうちに自分が傷つかない方法を知っていて、どの星に行っても距離を取っていたのかもしれない。

だから、今もリヴァイと普通に話せてる。なにも考えないこの関係と距離感は本当に楽だ…何故だか自分の中に生まれる理由の分からない悲しさから目を逸らす。

きっとこれでいい。それで楽になるんだから。


ーー…ドォォオオオオン!!

「『!?』」


突如鳴り響く衝撃音に私とリヴァイは同時に顔を上げ、視線を向ける。


「巨人か?…まだいたのか」

『でも姿が見えない。あれだけ大きい音がなったなら3、4mなんて小さい巨人じゃないと思うんだけど』


なんだか嫌な予感がする。巨人じゃないと何故か確信できた。戦場において自分の勘が的外れでないことは自分が一番よくわかっている。


ーー…ドカァァアアアン!!

続けられる衝撃音にバッと馬に飛び乗り手綱を引いた。


『その負傷者頼んだよ!!』

「…オイ!勝手に行動するな!」


リヴァイの声を無視して音の方へ馬を駆ければ、土煙が上がるそこは建物が崩壊している様子が遠くから見てもわかる。…なのに巨人の姿も立体機動をする兵士の姿も見当たらない。

だとすればあそこにいるのは巨人ではない何か。建物をも一発で崩壊させることができるのなんて、この世界には存在しない。


[…なにそれ、時計?]


以前、壁外調査で私が初めてこの世界に来た場所で見つけた時計を思い出す。あれはこの世界のものじゃなかった…ということは、私の他にも転送されて来た存在がいるということ。

そうでなければいいと、考えないようにしてきたが嫌な予感というのは当たるものだ。

漸く廃村についた私は馬から降り、慎重に歩みを進める。音はしない。風の音だけが耳を掠める、…静寂。

周囲を見渡せば、先ほどの衝撃音で崩壊したらしい建物の残骸があった。巨人の死体から登る蒸気もなければ死体もない。兵士もいない。

ただただ静寂が包むこの空間は異様だった。


『…!!』


建物の残骸を乗り越えたとき、目の前には数人の兵士が転がっていた。その全員が血を流し、力なく地面に倒れている。

…その中心に、それはいた。


「なんだ、今度は女子供か」


鬼のような容姿、振りかぶる巨大な棍棒。明らかにこの世界の人間じゃないことは一目見ただけでどんなバカでもわかる。


『…まさかこんなところで鬼獅子に会うとはね』


最強傭兵部族の茶吉尼…春雨の処刑人として送られて来たのだとすれば、噂くらいは聞いたことある。あの棍棒は間違いない…鬼獅子だ。

こいつも転送されてきていたなんて…聞いてないよ阿伏兎。


「ほう?私を知っているのか。…ということはお前も春雨に飛ばされた処刑人か?」

『あなたと一緒にしないで。私は事故でこっちに飛ばされただけ」

「難儀な話だな。ここで私に会ってしまったこともまた、難儀な話だ」


鬼獅子は地面につけていた棍棒の先端を向けてくる。少し振っただけで風が舞い上がり、足元から掬われるような風に髪が揺れた。


「1年ぶりに漸くまともに話せる相手に会えたと思ったらこのザマだ。この世界の者はみんなこんなものなのか?…なら、私が全てを壊すのも時間の問題だろう」

『自分のいた世界を追放されたんだから、心を改めて少しはおとなしくしたら?それにこの世界は向こうみたいに天人はいない…あなたが見つかったら化け物と思われて騒ぎになる』

「全員殺せばいいだけのことだ、ここに転がっている奴らのようにな」

『この人たちは大事な使命があってここまで来てた。お前なんかが邪魔していいはずがなかったのに』

「仲間だったか?だったら仲間と共に葬ってやろう、小娘よ」


そう言い終えたと同時、振り上げられた棍棒は既に頭上にあった。あれだけ距離が開いていたにも関わらず、巨体の割に動きは早いらしい。


ーー…ドォォオオオオン!

初撃を飛び上がって躱せば、足場にしていた瓦礫は粉々に砕け散った。傘を閉じ、横薙ぎに振り払われる第二撃を受け止める。

その衝撃でミシミシと腕が鳴り、視線が交われば鬼獅子は不気味な笑みを浮かべた。


「私の攻撃を受け止めるとは、貴様並みの人間じゃないな?」

『そうかもね』


棍棒を振り払い、真っ直ぐ額に向かって傘を突き出した。見事にクリーンヒットしたが、茶吉尼の表皮は異常に硬いという噂通りびくともしない。


『マジか』

「ぬるいわ!そんな攻撃が効くと思うな!!」


傘を掴まれ、そのまま投げ飛ばされた私の身体は建物に突っ込んだ。身体を起こせば壁を突き破ったのか、殺風景な部屋が広がっている。

この世界に慣れすぎたせいで油断してたとはいえ、夜兎と並ぶ戦闘種族とだけあって意外と手強い。本気でいかないと、後列がここの異常に気づいて向かって来てしまう。

これ以上、あいつに調査兵を殺されてたまるか。


建物を飛び出せば、追撃をしようとしていたのか目の前に鬼獅子の姿があった。振り払われる棍棒を足場に頭部目掛けて傘を振り下ろせば、鬼獅子の顔面は瓦礫に突っ込む。

舞い上がる土煙。その中から伸びて来た手を避け、距離をとる。直後に瓦礫から起き上がった鬼獅子が振り下ろした一撃は地面を抉った。


『1つ、聞きたいことがある』

「なんだ」

『虎の刺繍が入った時計が私がこの世界に来た場所に落ちてた。あれはあなたの?』

「あぁ、そうだ」


自分に襲いくる棍棒を躱しながら投げかけた質問は、なんともあっさりと返ってきた。耳元で風が切る音が鳴る。紙一重で躱せば、その風圧で頬に切り傷が入った。

どんな腕力してんだよ…。


『一年もここにいたってことは、当然帰る方法は知らないか』

「帰る方法はない。諦めてしまえばこの世界をどうやって壊すか、どうやって支配するか…また新たな楽しみが浮かんでくる」

『その割には一年もおとなしくしてたなんてね』

「向こうの世界では戦場に立つ毎日だったからな。少しは休んでみたかったのさ、…それももう飽きたところだ。そんなタイミングで偶然にも、お前が現れた。本当にいいタイミングだった」

『こっちからしたら最悪のタイミングだったんだけど』


ーー…ドドッ、ドドッ!

『!!』

微かに聞こえてきた馬の音は次第に大きくなり、やがて建物の影からその姿を現わした。ついに後列が追いついてきてしまったかと思えば、異変を聞きつけた兵士数名を率いたリヴァイだった。


「ほう、また増えたか」

鬼獅子の視線がリヴァイたちに向けられ、口元に怪しい笑みが浮かべられる。リヴァイが馬を降りようとした瞬間、鬼獅子が体を捻り棍棒を振り上げた。

(まさかここから投げるつもり…!?)


「ユキ!」

『来るなッッ!!』


リヴァイが足を止めたのが見えた瞬間、腹部に強い衝撃が走った。


「私を前に余所見をするとは、愚かな女だ」

『…がはっ!』


リヴァイたちに向かって振り上げられていた棍棒はフェイク…、真っ直ぐに振り下ろされた棍棒は腹部に沈み、メキメキと音を立て口から血が溢れる。

激しい目眩と耳鳴りに意識が遠くなった瞬間、霞む視界に影がかかった。



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