木漏れ日
□心の痛み
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鬼獅子の棍棒とぶつかり合う直前、私の傘は空を切った。勢い余って地面に転がった身体を起こして振り返ったが、既に鬼獅子の姿は跡形もなく消えていた。
[オイ嬢ちゃん聞こえるか!?生きてるなら返事をしろ!]
直後に聞こえてきたあの声が通信機から聞こえてきたのだと理解したのは、再び通信が途切れたときだった。
『…生きてるよ』
暫くの沈黙の後、無意識に呟いた声は向こうには届いていないだろう。とっくに通信は切れていたから。
風が吹き、倒壊したばかりの建物の残骸から土煙が舞う廃村で、暫くの沈黙を破ったリヴァイが「何が起こったんだ」と呟いた。
何が起こったのか。…私にはなんとなくわかっていたが、結局答えることなく私たちは馬に乗り本隊へと合流した。
それからリヴァイとは一度も顔を合わせていない。あれだけの戦いを見せられれば、面と向かって言葉を交わそうとは思わないだろう。
この世界ではありえない力を目の当たりにしたのだ。今までは力をセーブしていたから「多少力の強い存在」くらいに認識されていたようだが、今回のを見てしまったらそれは通用しない。
…ただの化け物だ。そんな認識はこの世界では巨人だけに向けられていたが、リヴァイはきっと私にもそう思ったに違いない。
巨人に向けられるようなあの瞳を向けられるのが怖くて、私は鬼獅子と戦った廃村から本隊へ合流するまで目を合わせられなかった。
リヴァイだけは私を対等に扱ってくれるなんて淡い期待は持たない。そんな期待をしたところで無駄だってことは、今まで生きてきて痛いほど思い知らされてる。
それが夜兎の宿命…ここらへんが潮時だ。
鬼獅子は消えたんじゃない。…元の世界に戻ったのだと思う。あのタイミングで通信機が復活したことが確たる証拠。…あの瞬間、向こうの世界とこっちの世界が繋がり鬼獅子は元の世界に戻った。
阿伏兎は装置のことを「送った罪人を戻しちまうことがあるから不良品なんだ」と言っていた。
…本当に突然だった。なんの余韻もなく、一切の痕跡すら残さずこの世界から消えた。
私もいつかあんな風にこの世界からいなくなるのかもしれない。何も別れを告げることすらできず、突然にこの世界を去るのかもしれない。…それが今じゃない保証はどこにもない。
拠点に着いて簡単に治療をしてもらえば、運悪く通りかかったハンジに「どうしたのそれ!?」と驚かれる。この様子からしてリヴァイは私が鬼獅子と戦ったことを他の人間には言っていないらしい。
…いや、言えないだけか。そんな話したところで誰にもなんの得もないし、混乱を招くだけだ。
屋根に登りため息をつく。壁外は本当に星が綺麗だとぼんやり思って、故郷である母星からでは星は見えなかったことを思い出した。
四六時中雨が降りジメジメとしていたあの場所は、はたから見れば住みづらく汚れた場所に見えただろうが、太陽を嫌う私たちにとっては住みやすい星だった。
『…そういえば今日』
ふと思い出して立ち上がる。正確な日付はわからないが、こっちの世界と向こうの世界の時間の進み方が同じだとすれば…今日だ。
今日が私の家族の、命日だ。
がちゃ、と背後で扉が開く音がした。そして同時に感じる気配にまさかと自分の直感を疑う。だが、この気配を間違えるはずがない。
『どうしてきたの』
信じられず、心の整理が追いつかないまま問えばリヴァイは「手当もせずにフラついてる阿呆がいると聞いたからな」と言った。
ハンジにでも聞いたのだろう。でもあんな戦いを目の前で見せられても尚、私のところに来るとは思いもしなかった。しかも手当だって?…馬鹿げてる。私は思わず鼻で笑った。
『手当なんて必要ない。大した怪我はしてないし、私はあなたたちのような人間と違ってヤワじゃない』
「うるせぇな、お前が馬に乗ってるとき右手を庇っていたのを見てる。痛めたんだろ、さっさと出せ」
見られていたのかと思った瞬間、グイッと左肩を掴まれ身体の向きを変えさせられる。突然のことと正面で向かい合ったリヴァイに驚いて言葉が出ない。
「早くしろ」
そう言って手を差し出してくるリヴァイは全くと言っていいほど、いつもと同じ様子で不機嫌そうに眉間に皺を寄せていた。
『だから別に手当てするほどのものじゃないって言ってるじゃん』
「それはお前が決めることじゃない」
いや、私が決めることだろ!
舌打ちをしながら伸ばされる手を反射的に振り払い右腕に痛みが走る。…今のは完全に自業自得だ。
リヴァイは振り払われたことを気にもしていないのか反対の手で私の手首を掴む。強引に引っ張られるかと思ったがそんなことはなく、裾を捲る手も自分の方に引き寄せる手もまるで壊れ物を扱うように優しかった。
「予想より酷いな。傷口は塞がっているようだが、お前は飯に接着剤でもかけて食ってんのか」
『食べてるわけないだろコノヤロー、だから言ってんでしょ。私はあんたたち人間みたいに脆くないんだって』
「腫れは引いてねぇな、骨を痛めたか?」
『さぁ。でも明日にはそこそこ動かせるようになってるよ』
「そうか」
言葉は雑なくせしてリヴァイは一応というつもりなのか薬効を塗って添え木をし、包帯を巻いていく。
終始丁寧な手つきといつもと変わらない様子に困惑する。まるでさっき昼間に起きたことは夢だったのか…?とも思わせられるほどリヴァイはいつもと変わらなかった。
いや、夢なんかじゃないことはこの怪我と身体のあちこちから感じる痛みが証明している。鬼獅子と戦い、それをこの男は最も近い場所で見ていたはずだ。
…なのに、どうしてこんな風に接することができる?私を化け物と思っていないのか?恐れていないのか?
距離をとろうとは思わないのか…?
『放っておけばそのうち治るのに、これじゃ動きづらくてしょうがない』
「まだごちゃごちゃ言うつもりかてっめぇ。お前みたいな奴でも一応女だろうが、怪我や傷が残らねぇように少しは気を配れ」
思わずきょとんとしていつまでも返事をしない私を不思議に思ったのだろう。見上げてきたリヴァイと視線が合い、私は思わず笑った。
まさか夜兎である私を女扱いするなんて、…そんなことを言ったのはあんたが初めてだよ。
『あんな戦いを見せられて、もう二度と私のところに来るなんて思ってなかった。…私のことを化け物だと思わなかったの?』
リヴァイが顔をあげると同時に、私はその視線から避けるように俯く。一瞬の静寂が、永遠のように重くのしかかる。
返事を聞くのが怖いと思っている自分がいることに驚いた。恐怖の対象として見られるのは当然のことじゃないか。なのにどうしてわざわざリヴァイに聞くような真似をした?どうして他の答えを望んでる?
「お前が化け物だってことは前からわかってたことだろうが」
返ってきたのは、さも当然だと言うように零された言葉だった。いや、まぁ、そうだろうけど!…私が言いたいのはそう言うことじゃない。
『今までは力だって抑えてたから少し力の強い、規格外の戦闘力くらいにしか思われてなかったかもしれない。でも昼間のは違ったでしょ…』
私は戦いの中で我を失いかけた。本気で鬼獅子を殺そうとしていた。周りのことすら目に見えず、リヴァイがいるとわかっていながら力をセーブしなかった。
結果、リヴァイに見せたのは夜兎の戦い。血肉を喰らい合う野蛮な戦いだ。他の夜兎の戦いを見ているといつも思うことがある。あれはまるで血肉に飢えた獣だ。
『所詮私は戦闘種族。戦うことでしか生きることができない…それがリヴァイ…あんたにもよくわかったでしょ。私たちの戦闘能力は他の種族からは恐れの対象にしかならない。この凶暴性は家族だって手にかける…私の家族が殺し合って死んだように』
家に帰ったとき、リビングで家族が死んでいた光景に当時の私は衝撃を受けた。家族同士で殺しあうなんて古い風習だったし、そんなのは今の時代ではないと聞いていたから。
なのに、私の家族は互いに互いを殺しあった。飛散した書籍、食器、家具。そこに滴る血液から発せられる血生臭い匂いが、雨の匂いと混じってとても不快だったことをよく覚えている。
リヴァイは何も言わなかった。私は顔を上げることすらできず、リヴァイがどんな表情で聞いているのかもわからなかったが、私の言葉を待つリヴァイに続きを語った。
『私の中にはそんな野蛮な血が流れてる。元の世界でだって恐怖の対象でしかなかった…あんただって今思ってるんでしょう?私のことを化け物だと。…なのに、なんでこんなところに来たの…放っといてよ』
触れられていた手を強引に振り払えば、静寂が落ちた。ため息をつきながらリヴァイが立ち上がるのがわかる。自分から突き放したはずなのに、これで去って行ってしまうのだと思った瞬間、言いようのない寂しさが込み上げてきた。
私はいつの間にこの男にここまで心を許していたんだろう。こんな顔を合わせれば口喧嘩ばかりをするような、こんな男に。
ここの世界の人たちは私を軽蔑することなく接してくれた。それはそもそも夜兎族を知らなかったから。
どれだけ野蛮で恐ろしい種族なのか、彼らは知らなかったから接してくれていただけだ。…ただ、それだけ。それも私が力を抑制していたから叶ったこと。
でも、夜兎本来の姿を見られてしまっては下手な誤魔化しは通用しない。彼らにとってはただの化け物としかなり得なくなった。
わかりきったことじゃないか。さっき自分でも言っていたように元の世界でも散々同じ扱いを受けてきた。だから仕事でどこへ行ったとしても、他人とは距離をつくるようにしてきた。…避けられるのが怖いから、距離を作られる前に自分から距離を作っていた。
この世界から私はいずれいなくなる。鬼獅子のようになんの前触れもなく、突然元の世界に帰ることになるかもしれない。だから、この世界でどんな扱いをうけようがどう思われようが関係ないはずなのに。…関係ないはずなのに。
心が痛い。
どうしようもなく、苦しい。
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