木漏れ日
□特別な存在
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リヴァイが立ち上がる気配を感じる。…あぁ、これで完璧に距離を作ってしまった。もう今までのようには戻れない。
これからどうやって残りの時間をこの世界で過ごしていこうか。このまま図々しく調査兵団に居残るか、それとも今夜のうちにでもここから離れて壁外で過ごすか。
どうしようかと思っていると、リヴァイがゆっくりと口を開いた。
「そんな話をわざわざ俺にしたのは、自分がいかに異質な存在かを強調して、俺たちから離れる理由を作ろうとしてるからか?」
思わぬ言葉に反射的に顔を上げれば、リヴァイはその場から一歩も動いていなかった。その鋭い瞳が私の瞳を射抜いている。
ドクンと心臓が波打つ。
…図星だった。
『私は事実を話しているだけ。今までだってそういう扱いを受けてきたし、夜兎族はそういう生き物なんだよ』
「さっきも言ったが、お前が化け物なのはここへ来た時からわかっていたことだろうが。今更何も変わらねぇよ」
『慰めも同情もいらない。もうここら辺が潮時だよリヴァイ。私はどうせこの世界からいなくなるんだから構ったって仕方ないでしょ。…もう、放っといてよ』
私は立ち上がり、陽もないのに傘を差してリヴァイの表情を見えないように遮る。
「てめぇ、どこにいくつもりだ」
『さぁ、でも私なら壁外でも生きていけるし。元の世界に帰るまでの間、のんびりしようかな』
「ふざけんな」
地を這うような低い声に、ピリピリと周りの空気が揺れている錯覚。足元を掬われるような寒気に傘を僅かに上げてみれば…リヴァイは今まで見たことがない冷たい表情を浮かべていた。
くだらない口喧嘩をしているときのような怒りじゃない。…本気で怒ってると理解するのにそう時間はかからなかった。
「勝手に決めつけて、勝手に自己解決してそれで俺が納得すると思ってんのか?お前は。自分勝手なのもいい加減にしろ。」
リヴァイが一歩踏み出し、私は思わず一歩後ずさる。それをもう一度繰り返しただけで、私の背中は壁に行く手を阻まれた。
『…だったら、リヴァイ…あなたは私が怖くないとでもいうの?あの昼間の戦いを見ても!!』
「思わない。お前はいくら力があろうが化け物みてぇな戦いをしようが、馬鹿でうるさいただの餓鬼だろうが」
『初めはみんなそうやって大丈夫だって言っても、いずれ私の力を持て余す時が来る。…もう嫌なんだよ、突き放されるのは。』
…もう、御免なんだよ。
そう言った私の声はとても弱々しく聞こえて情けない気持ちになる。こんな情けない姿なんて、リヴァイにだけは絶対に見られたくなかったのに。
「だからお前はそうやって離れようとしているのか」
『そうだよ。だからさっきから言ってるようにもう構わないでほしい。』
ふざけるなよ、ともう一度言ったリヴァイの言葉は先ほどとは全く違う…寂しさすら込められたような声色だった。
踵を返し背を向けると、腕を掴まれ身体が回転する。その強引さに腕を振り解こうと振り返った瞬間、リヴァイの細められた瞳が一瞬視界に映り……直後には目の前に艶のある黒髪があった。
「今までお前を軽蔑して来たような奴らと俺を一緒にすんじゃねぇよ」
耳元で零される声。
頭と腰に回される腕。
包まれる体温と熱くなる鼓動に、抱き締められたんだとすぐに気付いた。状況は読み込めても頭が追いついていかない。
どうして抱きしめられているのか、…わからない。頭が真っ白になり、いつものようにうまく思考回路が回らない。今はあの時のように体調を崩しているわけでもないし、抱き締められる理由なんて1つもない。
…なのに、どうして。
リヴァイの暖かな体温が、優しく抱きしめる腕が…私の思考回路を奪っていく。離れなきゃいけないのに、どうして私の身体は動かない?…どうしてこんなにも、…泣きそうなんだろう。
「お前が今までどんな想いをしてきたのか俺にはわからない。…だが、今までのことばかりを考えてこれからのことも決めつけるな。俺はお前を裏切ったり突き放したりしない」
『なんでよ、…いつもはそんな優しい言葉かけないくせに。同情とか情けとか、そういうのが一番嫌いなんだよ』
どうしてそんなに優しい声で話すの?…わからない。目頭が熱くなってうまく頭も回らないのにリヴァイの体温と、見た目以上にガッチリした身体の感触だけはハッキリとわかる。
…暖かい。なんで私はこんなに安心してるんだろう?リヴァイに抱きしめられてるなんてこんな状況で。
「そんなくだらねぇ感情だけでお前みたいな奴を相手にできるかよ。…まぁ、そんなのよりもっとくだらねぇ感情だけどな」
『…くだらない感情?』
「お前のことを想っているからだ」
『は?…ーーーー』
身体が離れたその瞬間、リヴァイの唇が私の唇と重なった。
**
***
足元で風に揺れる草花が小さく音をたて、木々の隙間から覗く木漏れ日がチラチラと視界で瞬く。
壁外調査最終日。私たちは壁に向かって真っ直ぐに只管走り続け、漸く休息のため旧市街地で馬を降りた。傘を差し腰を下ろせば、遠くの方で調査兵が各々短い休息の時間を利用し、水分補給や食事をしている様子が見える。
[お前を想っているからだ]
あの後、去って行くリヴァイを呼び止めることもできず、私はただその場に立ち尽くしていた。色々なことを考えていたかもしれないし、何も考えてなかったのかもしれない。
ただ気付いたときには朝日が昇り始めていて、私は膝を抱えたまま同じ場所で座り込んでいた。
あの言葉の意味を何度考えても辿り着く答えは同じ。なのに、どうしても認められない自分がいる。だってあれだけぶつかり合って来た相手だ。
顔を合わせれば口喧嘩、ときには拳がでることも珍しくない…なんなら足だって出ていた。リヴァイから向けられる表情といったら心底面倒そうに眉根を寄せているか、ため息というおまけ付きの呆れた表情ばかりだ。
それでもリヴァイの言葉が嘘や冗談を言っていたように思えないのは抱きしめていた腕を離し、背中を向けて去って行く瞬間。
…とても似合わない、
寂しそうな表情を浮かべていたから。
僅かに伏せられた瞳はいつもの鋭い光ではなく、寂しげで弱々しい光が灯されていたから。
抱きしめる腕も、包み込む体温も久しく感じることのなかった人の温もりがあった。抱きしめた後に、腰に回された腕はもう一度力を込めて私を抱き寄せた…まるで大切なものの存在を確かめるように。
息遣いすら感じるほどの距離で囁かれた声も、…重ねられた唇の感触もはっきりと覚えてる。
気づけば唇に指を当てていた自分に驚きながら、余計な考えを振り払うようにぶんぶんと思いっきり首を振る。わざわざみんなから離れた場所に来てよかった。もし誰かに見られていたりしたら、間違いなく壁外調査で頭がやられたんだと思われる。
『…はぁ』
ため息をついて空を見上げれば、2羽の鳥が気持ちよさそうに空を飛んでいた。耳を澄ませば森の中に身を隠しているのであろう鳥たちの声が聞こえてきて気持ちが落ち着いてくる。
リヴァイが、…私のことを?
鬼獅子との戦いを見ても尚、リヴァイはそう言った。今更何も変わらない、お前はただの煩い餓鬼だと。
その言葉がどうしようもなく嬉しかった。離れようとまでしていたのに…私をここに繋ぎ止めてくれたのは間違いなくリヴァイだ。
だけどそれと同時に無性に苦しくなった。逃げれば楽になることができたのにどうして繋ぎ止めるのか。どうして別世界の存在である私なんかを想ってくれたのか。
いずれはここから消える存在なのに。ずっとここにはいられない存在なのに。どうしてあんなにも大切そうな人を見るような瞳を私に向けるのか。
どうして私はこんなに苦しんでるんだろう。
今までだって想いを告げられることくらいあった。そのどれに対しても少し嬉しいくらいの感情はあったが、その他に別に思うことはなにもなかった。
…なのに、今私の心の中はぐちゃぐちゃになって、考えることはリヴァイのことばかり。昨夜のことが頭の中で何度も繰り返し再生され続けている。
『…あぁ畜生!なんで私がこんなに悩まされなきゃなんねぇんだコノヤロー!』
離れていることをいいことに声を出した勢いのまま立ち上がれば、近くに寄ってきてたのか小鳥たちが驚いたように一斉に飛び立った。脅かしたようでなんだか申し訳ない気持ちになったが、ごめん。今は自分のことで精一杯。
そもそも私はこんなに悩んでるっつーのに今朝のリヴァイときたらなんだ!?朝一番に顔を合わせたと思ったら「酷ぇツラだな」って言いやがった!
一体誰のせいで寝れなかったと思ってんだ!こっちはどんな顔していいか分からなくて戸惑ってたってつーのに、てめぇは涼しい顔しやがって!昨日のあれはなんだったんだあぁん!?
まるで何事もなかったような態度で来られて、私がどんだけ動揺したかわかってんのか!?
ドカッという音に我にかえった私が視線を向けると、右拳が見事に大木にめり込み煙を上げていた。…危なかった、こんなところで木を倒そうものなら私が無断で離れたことがバレる上に巨人が出現したと勘違いされてえらい騒ぎになる。
…腹が減ってるからこんなに悩んでるんだ。とりあえず食料をもらってこよう。そうすればこのモヤモヤも少しは解消する…あれ、っていうか朝から何も食べてなくね?これヤバくね?死ぬんじゃね?
ふと、気づいてしまえば突然、猛烈にお腹が空いているように思えてくる。
「あんな遠くまで1人で行って何してたんだ」
『考え事』
食料をもらいに荷台に行けばミケに早速問い詰められる。姿は見えずとも匂いで遠くにいることがわかっていたのか。…この男は獣型の天人より鼻が効くんじゃないかと思う。
しかし、それ以上問い詰めることもなく「そうか」と言っただけだった。変わってるけど悪い人じゃないんだよな…。むしろ心配してくれてるようにも見えるし。
私はいつもの野戦食糧を頬張って近くの壁に腰を下ろす。腹は相当減っていたらしく1つでは全く足りなかったが、ここではわがままも通用しない。どうせ今日の夜には帰るんだから我慢しよう。
…なんて、実はこっそり2つ持ってきたからあと1個あるんだけどね。
それでも少し食べただけで、予想通り頭の中を支配していたモヤモヤが少し無くなったような気がした。めまぐるしく報告やら怪我の手当てやらをしている兵士たちを見ていると、少しは気が紛れる。
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