木漏れ日

□からかってただけなら
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「そろそろ出発だ。早く食って出発に遅れんなよ大食い野郎」


リヴァイはそう言って立ち上がり、背を向けて歩き始める。まるで何事もなかったかのように……昨日のことなんて無かったことのように。


『リヴァイ』


耐えきれなくなって呼び止めれば「なんだ」と言ってリヴァイが振り返る。いつもの面倒そうな声。…細められた瞳が私を捉える。

歯を噛み締め、拳を握り締める。深く息を吸い込んでゆっくりと口を開いた。


『昨晩のは私をからかっただけなの?』


気を抜けば声が裏返りそうだった。必死に腹に力を入れて声が裏返らないようにする。

不自然に力の入った声になった気がしたが、このくらいはしょうがないだろと自分に言い聞かせてリヴァイの瞳を真っ直ぐに見返せば、彼の瞳が僅かに揺れたような気がした。

瞳が細められ、リヴァイの唇が再びゆっくりと開かれると同時に心臓が大きく波打つ。

答えを聞くのが怖かったのかもしれない。からかっただけだと言われたくない。あんなの本気にしたのか?と言われたくない。

そう思う反面、嘘に決まってんだろと言って欲しい自分がいた。だってそれなら多少傷つきはするかもしれないが「ふざけんなよてめぇ」なんて言って怒って、…それでまた元の関係に戻れるから。


「嘘でも、冗談でもねぇよ」


だが、返ってきたのは私の逃げ腰だった心を貫いた。言葉がでないでいる私にリヴァイは歩み寄り、ちょうど人一人分の距離を開けて立ち止まる。


「昨夜お前に言ったことは本当だ。信じられねぇなら、何度でも言ってやる」

『ちょっと待ってよ、…だったらなんでそんな態度とるの』

「態度?」

『いつもと変わらない態度で接してきたじゃん、…何事もなかったみたいに』

「お前に気を使わせないためにやったんだが、…まさかそのせいで冗談だと思われるのは想定外だな」


リヴァイは自身の前髪を軽く掴むと、再び視線を合わせてくる。真正面からの視線に耐えきれなくなって視線を逸らして、…恐る恐る顔を上げれば視線が交わりどきりとする。

真剣な瞳だった。この男はこんな表情をするのかと思ったが、昨夜も同じ表情をしていたことを思い出す。鋭い瞳の奥に、らしくない優しげな光。そんな表情を他の人に向けているところを見たことがない。

この瞳は、
私だけに向けられている。


「もう一度言うが、俺は嘘や冗談で言ったんじゃない。そんな半端な覚悟で言うことでもねぇだろ」

『ちょっと待ってよ…そんなこといきなり言われたってどうしたらいいかわからない。私のことあんなに嫌ってたくせに』

「?…俺はお前に嫌いだと言ったことはないが」

『はぁ?何しらばっくれて…』


…あれ?そういえば言われてない、かも。バカ阿保クズ野郎…思い出せば散々なことを言われてはいるが、確かに嫌いだとは言われて…ない。

思い出しながら困惑してる私を見て、困ったようにリヴァイが口元で笑う。


「お前を困らせるつもりはねぇよ。いついなくなるかもしれねぇお前に、伝えなきゃならないと思っただけだ」

『…、…キスされた』

「断りもなく悪かったと思ってる」


視線を下げながら言うリヴァイの申し訳なさそうな表情に、それ以上なにも言えなかった。

「悪かった」ともう一度言ったリヴァイは答えを求めるわけでもないらしい。どうして?普通聞くもんじゃないの?その先なんて考えてないってこと?本当にただ伝えたかっただけ…?

困惑してるとリヴァイの手がスッとこちらに向かって伸ばされる。抱きしめられ、キスされた瞬間を思い出し反射的に避けようと足を一歩引けば、リヴァイは呆れたように小さく笑った。


「そんなに構えるな、別にとって食おうってわけじゃねぇよ」


そう言ってリヴァイは手を指差してくる。昨日、鬼獅子との戦いで負傷した手。


「見せてみろ」


有無を言わせない申し出に渋々差し出せば、リヴァイは私の手にそっと触れた。自分より大きな手に包み込まれ、指先でそっと撫でられる。

その行動1つ1つに意識してしまう自分に戸惑う。前はそんなこと感じなかったのに、どうして今になって突然意識してんだよ…っ。

そう思いながらふと顔を上げてみて、胸が締め付けられた。私の手に視線を落とすリヴァイが、安心したように柔らかい表情を浮かべていたから。


「本当にもうだいぶ動かせるようになってるな」


その表情に呆然としていると、なにも答えない私を不審に思ったのように視線が上げられた。思わず跳ねる心を落ち着かせて『だからあんなに心配しなくてもいいって言ったのに』とぶっきらぼうに答える。

リヴァイの表情は、いつものものに戻っていた。


「これでも一応心配してるんだ」

『…それはどうも』


ぽんぽんと頭を撫でられ、気恥ずかしさに言葉が詰まる。変わったのは私だけじゃない。…今までリヴァイはこんなふうに優しく触れることなんてなかった。…さっきみたいな表情をすることも。


窓の外で兵士が集まり始めた音が聞こえてくる。休息時間も終わり、出発準備にとりかかったんだろう。


「行くぞ」


リヴァイの手が離れていく。その瞬間、寂しいと思う気持ちが自分の中にあったことを、私は認めたくなかった。



**
***



壁外調査から帰ってきたその日から、兵団内はいつものように慌ただしく後処理に追われていた。私は調査中に死亡した兵士の火葬だけに参加し、それ以外は他人事のように傍観しながら過ごす。

エルヴィンら幹部には殆ど顔も合わせることなく数日が経った。その数日間、私は慌ただしく後処理に追われる兵士の声を聞きながらも、壁外調査でのことばかりを考えていた。

陽に当てられ、身体の芯から凍えるような恐い思いをした。だが、それをリヴァイに助けられ、次の日には想いを告げられ……唇を重ねた。

腰に回された手と、ゆっくりと重ねられた唇の感触は今でも鮮明に思いだせる。今まで見せたことがない優しげな表情と声色に、あのとき私は本当にどうしていいかわからなかった。

喧嘩ばかりしていたのに、突然あんなこと言いだされたら…誰だって混乱するに決まってる。鬼獅子と戦ったことなんてとっくに頭の隅に追いやられてる。

…そういえば「通信機が繋がった」と言ってもリヴァイは特になんの驚きもなかった。あれから答えを求めてくるようなこともないし、翌日だっていつもと同じように接してきた。

リヴァイの言う通り本当にただ伝えたかっただけ…なのかもしれない。そんなこと言われたって、こっちは普通に意識するだろうが…。


談話室のソファに寝転がりながらぼーっと天井を見つめる。そういえばいつからここにいたんだっけ…と思いながらゆっくりと起き上がれば、周りの兵士もそれぞれの部屋に戻り始めているのか疎らになっていた。

時計を確認すると就寝には早いが、何かを始めるような時間でもない。いつもはこのくらいになるとリヴァイの部屋に入り浸るのが習慣だった。

…けど、今は行っていいのかどうか迷う。あんなことがあった後に、リヴァイの部屋に行く勇気は正直ない。

どんな顔をしていいのかわからないし、なにを話していいのかもわからない。…いつも特に話してはいないけど、普段の沈黙では感じない息苦しさを感じそうな気がする。

壁外調査の後処理もそろそろだいぶ落ち着いてくる頃だし、一度行かなくなるとこれからも行きづらくなってくるんだろうな…かといって行く勇気もでない。

…そもそも私はリヴァイのことをどう思ってるんだろう。気の合わない奴、意地の悪いやつ…そんな先入観ばかり持っていた。

だけど実際には違うことを、私は知っている。あれほど不器用な人間はいないだろうと思うほど、リヴァイは人間らしく厳しい一面もあれば隠された優しさも持っている。

あの信念に満ちた瞳は人を動かす力もある。…きっとだからこそここの兵士はリヴァイを慕うのだろう。

だからなんだよちくしょう…相手はリヴァイだぞ?あのリヴァイだぞ?今まで散々言われてきたことも、拳を交わしたことも忘れたのか私は。

最終的にはなんの断りもなく突然キスしてくる男だ。…なのに、なんで私は数日間会ってないことに寂しさを感じてるんだろう。またあの居心地のいい空間に行きたいと思っているんだろう。

再びソファに寝転がり、額に手の甲を当てればひんやりとした手の甲が気持ちよかった。暫くしたら反対の手に置き換えて心を落ち着かせる。


『…行こう』


やっぱりこのまま行かないと気まずくなりそうだと思った私は重い腰を上げ、立てかけていた傘をとって歩き出す。

リヴァイだっていつも来ていた私が突然来なくなれば、当然壁外調査での一件が原因だと思うだろう。

なんて返事をしようかなんてまだ答えは見つかってない。…でも、一度距離を作ってしまえばきっと戻れなくなる。それはどうしても嫌だった。


扉の前に立ち、一息つく。ドアノブに手を伸ばしてピタリと止まった。…くっそ動け私の手!なんでここまできて尻込みしてんだよ!

いつもなら軽いノックをして返事を聞かないままに開ける扉。…なのに今は身体がピタリと止まって動けない。

あぁぁもう!こんなもの勢いだろ!ノリと勢いで今まで乗り越えてきただろうが!くっそなんでリヴァイなんかにこんなに気を使わなくちゃいけないんだよ、馬鹿らしくなってきたわチクショー!!

ガッと手をかけた瞬間、目の前の扉が勢いよく開いた。


ーー…ゴッ!!


「!…すまない」


完全に前傾姿勢になっていた私は避けられず開いた扉に額がクリーンヒットする。痛ってぇ…なんてタイミングで開けんだよこのやろー…。

そう思いながら見上げれば、そこにはエルヴィンが立っていた。部屋の奥ではリヴァイが少し驚いた表情を浮かべている。


『いや、大丈夫。タイミングが悪かった』

「私も気づかずに悪かった。大丈夫か?」

『ちょっと痛いだけ』

「冷やすものをとってこよう」


そう言うエルヴィンを『いいよ、本当に大丈夫だから』と慌てて引き止める。


『それより取り込み中だった?』

「あぁ、今終わったところだ。ゆっくりして行くといい」

「おい、なに勝手言ってやがる」


エルヴィンは小さく笑いながら部屋を後にする。廊下の先に消えて行くエルヴィンを見送った私が部屋の中に視線を戻せば、リヴァイは何も言わずに執務机に腰を下ろした。

これは「入っていい」という意味だ。


『まだ後処理ある?』

「あぁ、大分落ち着いたけどな」

『そう』


扉を閉め、ソファに腰掛ける。書類と向かい合うリヴァイはやはりいつもと…壁外調査前と変わらなかった。



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