木漏れ日
□街へと続く道
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手のひらに視線を落とせば、通信機が力なく点滅している。充電がなくなれば向こうとの繋がりはなくなるっていうのに実感が湧かない。
この点滅が消えたらもう、帰れなくなる気がするのにそんなに焦っていない自分がいる。それがこの世界にいたいと思っているからなのか、それが彼の存在のせいなのかはわからない。
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***
「…またか」
屋根へ登ってみれば、ユキはそこで傘を差しながら呆然と街を眺めていた。最近こうしていることが多い。前から1人を好むように屋根へ登って遠くを眺めていることはよくあったが、最近は毎日だ。
[充電がそろそろなくなるみたい]
あの時以来、こんな調子が続いている。普段は平気なフリをしていても、こうして1人でいるときはいつも寂しそうな表情を浮かべている。「戻れなくてもいい」と前に言っていた通り自分自身でもそう思い込んでいるようだが、やはりそう簡単に割り切れていないということだ。
…それが当たり前で、むしろ自分の世界に帰りたいと思うのが普通なのだろうが、あいつは自分のことになると異常に関心が薄い。だから自分のことをあまり考えようとしていないようだが、さすがに本心までは誤魔化せない。本人すら気づいていないのだろうが。
屋根に足をつければ、ユキはこちらに気づいたのかそれともとっくに気づいていたのか、俺の方を見て不機嫌そうに眉間に皺を寄せて悪態をつく。
「またここにいたのか」
『何か用?』
「手が空いただけだ」
『あっそ』
ユキは再び正面へと視線を戻した。傘が作る影に身を隠し、ぼーっと眺めるその先には街が広がっている。以前ハンジに街に行こうと誘われていたのをユキは断っていた。
その後もハンジを含め他の兵士にも声をかけられているようだが、ユキは結局全て断っていた。なんとなく事情を察し始めた調査兵はもう彼女を誘おうとはしなくなったが、ユキがこうして街を眺めているのは本当は行きたいからなのだということは察しがつく。
陽を嫌うこいつは、雨が降っていない晴れた日にも傘を手放すことができない。兵士と街へ行けば共にいる奴らも変な目で見られ、1人で行っても調査兵団と関わりがあると知られている以上、普通じゃない自分を見て何かしらの噂も流れ、俺たちに迷惑がかかると思っている。
だからユキは壁外調査の時や特別な用事以外は調査兵団の敷地を出ようとはしなかった。口には決して出さないが、こいつなりに俺たちに気を使っているらしい。
今着ている服もここに着た時と同じもので、これを洗濯しているときは兵服を着てやり過ごしている。そんなユキをエルヴィンも他の兵士も見兼ねて服を買ってやると言っているが、頑なに「いらない」と首を縦に振ろうとはしなかった。
着られりゃなんだっていいでしょ、と言いながら毎回決まり文句のように面倒臭そうに返答する。兵服とチャイナ服という派手な服しか持っていないのも街に出られない理由の1つだというのに。
よく見ればユキの服は裾が所々切れている。こいつがこの世界に来てからの月日を考えれば、当然のことだ。
「こんな代わり映えしねぇ景色なんて見てよく飽きないな」
『やることもないし、こうやってぼーっとしてる時間は嫌いじゃない』
「たまには街にでも出たらどうだ。今更俺たちも監視だなんだというつもりはねぇし、鎖を外しても戻ってくんだろ」
『人を犬みたいに言うな。いいよ面倒だし、この世界は夜になると早々に店じまいするわ電気はないわでいいところないし』
「昼に行けばいいだろう」
『冗談、私はここで大人しくしてるよ』
ユキはこれ以上触れるなと言うように、小さく笑った。
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***
ドンドン!
『…』
…ドンドンドン!!
『なんだよもう、…うるさいな』
今何時だと思ってんだ、まだ朝だろうと寝起きでぼやける視界を手の甲で擦ってベットから起き上がる。
『…はーい、今開け…』
ドアノブに手を伸ばした瞬間ガチャっと扉が開き、勢いそのまま額に角が直撃した。…ドガッ!という鈍い音と共に衝撃で足元がふらつく。
『…痛っ、たいなぁ!!』
「漸く起きたかノロマ」
ズキズキと痛む額を抑えながら叫べば、目の前に立っていたのはリヴァイだった。
『…オイ、朝っぱらから起こされてドアで額ぶつけられた上に、なんでノロマ扱いされなきゃいけねェんだあァ!?まず謝れコノヤロー!』
「なにが朝っぱらだクソが、もうとっくに朝飯の時間も終わってるだろうが」
時計を確認すれば、確かにとっくに朝食の時間は終わっていた。食堂に行ってももう後片付けすら終了して、昼御飯の支度に入っている頃だろう。
…だが、そんなことはどうでもいい。人がぐっすり眠っている部屋に押しかけてきて、不可抗力とはいえドアで人の頭を殴っておきながら何平然としてんだコイツ!!澄ました顔しやがってマジで一発ぶん殴ってやろうか…!
考えるよりも先に拳を振り上げていた私は、目の前の男に違和感を覚えて動きを止める。
(…兵服じゃない)
「さっさと着替えて顔洗ってこい」
『嫌だね、朝食食べ損なったんなら昼まで寝る』
「ふざけるな、今から出かけるぞ」
『…は?』
「10分で支度しろ」
『……はぁ!?』
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***
『…んで、どこ行こうっていうのさ』
朝っぱらから起こされて支度しろと言われ、なのにこいつは黙って悠々と私の前を歩いている。
『ドアでドツイてきたくせに無視かコノヤロー。まだ痛いんだぞこっちは』
「お前が勝手にぶつかってきたんだろうが。あんなところに突っ立って何してたんだ」
『誰かさんがノックしまくるから開けようとしたんだろうが…ッ!』
本当にムカつくことこの上ない。しかも私服だし、…なんで私服の時までスカーフ巻いてるんだよ。そのスカーフで絞め殺してやろうか。
一体どこに連れて行くつもりなんだか…。そう思っていると、兵舎の端まで来たリヴァイはそのまま敷地を出ていった。兵舎から伸びる一本道を下っていけば、そこには街が広がっている。
私が足を止めれば、ゆっくりと振り返ったリヴァイの瞳がこちらを見上げた。
『まさか街に連れて行く気?』
「そうだが」
『私は行かない。』
「ごちゃごちゃ言ってねェで早くしろ」
『どうして行かなきゃいけないの?私は行かないって前にも言ったはずだけど』
「お前の服を買いに行く」
『はぁ?いらないって言ってるじゃん。兵服があれば充分だって』
「周りの奴らが見兼ねているんだ、何をするにも兵服でいるお前をな。お前は良くても周りは気にしている」
ユキはぐっと言葉を飲み込み、視線を落とす。瞳を細めて少し考える素振りをすると『じゃぁ1人で行くから』と言った。
「お前1人でか?道もわからねぇんだろうが」
『街に行ったことくらいある』
「夜に飯を食いに行っただけだろう。しかもあれは街の手前の店だ」
『…まぁ』
「金だって持ってねぇだろ」
『…』
「いいから黙ってついて来い、俺も暇じゃねぇんだ」
そう言って歩き出すリヴァイだったが、自分を追ってくる足音がないことに気づいて振り返る。ユキは一歩も動かず、その場に立ち尽くしている。
俯いた表情は前髪に隠れて伺うことはできない。それでも傘の柄を握るその手に力が篭っているのはわかった。僅かに震えている。リヴァイは瞳を細めた。
『私は行かないって言ってるの』
「お前も強情だな」
『それはこっちのセリフ。私はいかない、理由くらいわかってんでしょ』
あぁ、とリヴァイは頷く。ユキが街へ行こうとしない理由くらい重々承知している。それをわかった上で、リヴァイはユキを連れて行こうとしている。
『なら、これ以上無理強いしないで。自分がどんな風に見られようとどうでもいい。でも私はリヴァイが、…調査兵団が自分のせいで変な目で見られるのは嫌』
傘を握るユキの手に、ゆっくりと力が込められていく。彼女の口元が強く引き結ばれているのがわかった。リヴァイは小さくため息をつく。その表情は呆れたようなものではなく、優しく口元を緩めたものだった。
「今更何気にしてんだよ、晴れの日に傘を差しているからなんだってんだ。お前のそのおかしな格好の方が明らかに変だろうが」
『この服は私のトレードマークなの、変じゃない』
「本当は街に行ってみたいんだろう?」
『別に行きたくない』
「だったら物欲しそうに屋根の上から眺めるのはやめるんだな」
ユキの瞳が僅かに見開き、揺れる。結ばれていた口が無意識のうちに開かれた。そんな表情をしていたのを、ユキは自覚していなかったようだ。
「まぁでも、お前の意思なんか関係ねぇ…俺がお前と行きたいんだからな。」
『…は?』
反射的に顔を上げれば小さく笑みを浮かべていたリヴァイは踵を返し、背を向けて歩いていく。一瞬だけ見えた表情にユキは悔しそうな表情を浮かべ、無意識のうちに自分の胸元で拳を握り締める。
なんだか違和感がした。息がつまるような、苦しいような、そんな感覚。
『…本当、意味わかんない』
ぼそりと小さく呟き、ユキは仕方ないと自分に言い聞かせながらリヴァイの背中を追って歩き出した。
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