木漏れ日

□選択
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「まさかと思うが嬢ちゃん、…お前この世界に残りたいとか言うんじゃねェだろうな」


『違う』と即答することができなかった。ここは私の生まれた世界じゃないし、私がいるべき世界でもない。私はただの乱入者…ここには事故でたまたま飛ばされて来ただけだ。

春雨に依頼を受け、そこで出くわした戦闘狂の少年に飛ばされて異世界に飛ばされただけ。…ここで得たものはなにもかも、本来私が手に入れるはずもなかったものだ。ここでの暮らしは本当に不便だし、ご飯だって満足に食べられない。

元の世界に帰ればいくらでも便利な暮らしはできるし、死ぬほどお腹いっぱいご飯を食べることだってできる。自由気ままに、誰にも拘束されることなく好き放題暮らすことができる…今まで通りに。

…なのに、ここでの記憶が…出会った仲間が…頭から離れない。巨人に支配されたこの世界で、狭い壁の中に追い詰められながらも戦い続ける彼らのことが。…私のことを想っていると言ってくれたリヴァイのことが。

…あぁ、私はいつの間にかこんなにもこの世界に執着していたのか。星から星を飛び回り、どこにも居座ることもせず居場所を得ようともしなかった私が。…この世界から離れたくないと思うほど、あの男に心を動かされてしまったのか。


「やり残したことでもあるのか?」


[お前のことを想っている]

このまま何も言わずに去ったらどうなるんだろう。…もう関係ないのか。阿伏兎の手を取ればもう、この世界に戻ってくることはなくなって二度と彼に会うことはなくなるんだから。

そう思った瞬間、全身に寒気が走った。続けて目頭が熱くなる。…なんだ、泣きそうなのか私。もう二度とリヴァイに会えなくなると実感して泣きそうになってるのか。

このまま元の世界に帰ればきっと、夢だったんじゃないかと思うほどあっさり過去の記憶になっていくんだろう。ここでの出来事も出会いも、…リヴァイのことも。私は薄情なやつだから、きっとそうやって自分の気持ちに蓋をして見て見ぬ振りをすることができる。今までだってそうしてきた。

でも、そうやって過去になることがどうしても悲しいことに思えた。元の世界に帰りたい。その気持ちは嘘じゃないけど、この世界から離れたくない。…この気持ちも嘘じゃない。


「やり残したことがあるなら、少しくらい待ってやってもいいぜ」

『そんな少しの時間で片付けられるようなものじゃないかもしれない』

「…嬢ちゃん、お前」

「ユキッ!!」



**
***



その瞬間、響き渡った声にユキは息を詰まらせた。彼女らのすぐ側に聳える建物の屋根の上に、息を切らしたリヴァイが立っていた。リヴァイはユキと向かい合う男を見て状況を察する。

ユキと同じ傘を持つその男からは、彼女と同じ異様な雰囲気を感じる。瓦礫の上に佇むその姿は、まるでこの世界と馴染んでいない。その手に乗せられている小さな箱のようなものからは光が漏れていた…あれはどう見てもこの世界のものではない。

ユキが駆け出して行った後、巨人が吹き飛んでいる光景が見えた。始めはまたどうせユキがぶっ飛ばしたんだろうと思ったが、向かった方向とは別の方向から飛んで来ていたことに気づいて嫌な予感がした。直感ってやつだ。

巨人をぶっ飛ばすなんてことがユキ以外にできるはずがない。なのに、それが起こったということはユキ以外にそういうことができる存在が現れたと考えるのが自然だ。

…だとすればそれはユキの世界の存在が現れたということ。前に鬼獅子と言われたあの凶悪な存在が現れたときのように。

…焦る気持ちを抑えながら急いで来てみれば、戦闘どころか男がユキに向かって手を差し出していた。ユキが前に言っていた迎えとやらが来たんだと理解するのにそう時間はかからなかった。ユキがこの世界からいなくなる。今、この瞬間に。


「行くな!ユキ!!」

『…リヴァイ』


目を見開くユキが彼の名を零す。信じられないと訴えるように屋根から飛び降りて来たリヴァイを見つめた。


「嬢ちゃんの心残りってのはこの男か?」


ユキが唇を噛みしめる。


『…どうして来たの』

「巨人が飛ばされているのを見た。戻りも遅ぇし、嫌な予感がした。…まさかこんなことになってるとは思いもしなかったがな」


リヴァイが阿伏兎に視線を向ける。阿伏兎もまたリヴァイをその瞳に捉えていた。静寂が落ちる。それを破ったのは阿伏兎だった。


「なァ、兄ちゃんよ。駆けつけてくれたとこ悪いがここいらでお別れだ」

「迎えに来たにしちゃ随分と遅かったじゃねぇか。わざわざこんなガサツ女のためにご苦労なことだが、…ユキ」


名を呼ばれ、視線が交わる。


「こいつについていけばお前は元の世界に戻れるんだろう?だが、俺はお前に戻って欲しくない。ここにいてほしい。俺の我儘だってことは充分分かっているが、それでもここにいて欲しい」


リヴァイの真剣な瞳にユキは息を飲んだ。胸が張り裂けそうだった。どうして今になってそんなこと言うんだ。私に気を使っていたんだろうけど、今まで直接「帰るな」なんて言ってこなかったくせに。

そう不満を零せば、リヴァイは予想通り「お前に気を使っていたから言わなかった」と言った。そして「それでもやっぱりだめだ。お前にはここにいてほしい。…帰ればいいなんて言ったら俺はこの先後悔し続ける」とリヴァイは続ける。


「さっき嬢ちゃんには言ったが、元の世界に戻れるチャンスは一回きりだ。逃せば元の世界に帰る機会はなくなるんだぜ。それを知ってもなお、嬢ちゃんを繋ぎ止めておきてェってのか?」

「そうだ」

「即答かよ。そんな権利がお前さんにあるのか?」

「お前に強制的に連れ戻す権利もねぇだろう。選ぶのはユキだ」


ハッとしたようにユキは顔を上げた。リヴァイは複雑な表情を浮かべながら、不器用に口元だけで笑みを作っている。


「俺はお前に行って欲しくない。この世界にいてほしい。…それが俺の気持ちだが、この選択はお前の今後の一生を左右する。だから、お前が選べ。お前は自分の道を選べる」

「随分と気に入られたみたいだなァ嬢ちゃん。だが、できれば俺は連れて帰りたいんだけどねェ、団長様の命令だ」

『…私は』


…どうする?

どちらかを選ばなくてはならない。

元の世界に戻るか、
この世界に残るのか。

叶えられるのはどちらか1つだけ。手放した方はもう、二度と手に入らない。この先ずっと、永遠に。

視線を上げれば、リヴァイの真剣な瞳と視線が交わった。…なんでそんな真剣な表情してんだよ。わざわざこんなところまできて、柄にもないようなこと言って引き止めて。…どうしてそんな悲しそうな目で、…私を見るんだよ。

…ふと、思った。元の世界に私を待つ存在はいるのか?こんな風に引き止めてくれる仲間は?四六時中、うざったいほど心配してくれる人は?…こんなにも私を愛してくれる存在は?

中途半端に上がっていた手が、ゆっくりと降ろされていく。


「それが、嬢ちゃんの答えか?」

『うん』


返事をするまでに、少しの間があいた。


「ここに残るってことはもう二度と元の世界には戻れないってことだ。今まで築いてきた人脈も名声もなくなる。自分の生まれ育った故郷を見ることも、家族の墓に花を添えることさえできなくなる。今まで自分が生きてきた全てのものを手放してでも、この世界に残るのか?」


今まで生きてきた証はなくなる。名声も人脈も、白紙の状態からやり直さなければならない。故郷の光景をこの目に写すことも、生まれ育った地に足を踏み入れることも、どんなに望んでも懐かしんでも二度と手に入らなくなる。

家族の墓に花を添えることも、家族と同じ世界に骨を埋めることもだ。全ての繋がりは一切無くなる。


『全てを手放す…っていうのは違う。今までこうやって生きてきたから私はあなたたち春雨に呼ばれて、団長に目をつけられて、この世界に飛ばされてきた。今までの私がなければこの世界に来ることもなかったし、こっちの世界で彼らと共に戦うこともなかった。』


それに、とユキはリヴァイに視線を向ける。


『向こうの世界にはこんなに私のことを必要としてくれる人もいないし、こんな存在とはもう二度と出会えないと思うから』

「…ユキ」


小さく微笑むユキに、リヴァイは声を零す。はっきりと言い放ったユキの真っ直ぐな瞳に、阿伏兎はフッと笑みを零した。


「そうかい、なら俺はもうなにも言わねェさ。戻っても団長に付け回されるだろうしな、あんたは見つからなかったと報告しておくさ」

『ありがとう』

「それと、餞別だ」


ポイっと投げられたそれをキャッチしたユキは手の中のものを見つめる。瓶の中には一輪の花が咲いていた。それを見たユキの目が見開く。


(…故郷の花だ)

一年中陽が差すことのない故郷の地に生えていた花。鮮やかな黄色を灯すこの花を、夜兎として生まれたものの中で知らない者はいない。


「特殊な加工がしてあるものだ。10年とそこらくらいは持つぜ。あんたにやるよ」

『あなたが大事にしてるものじゃないの?』

「いいさ、俺はまた取りに行けばいい。俺は同族を大事にするタチだから本音を言えば無理矢理にでも連れ戻したいところだが、嬢ちゃんのその目を見てたら気が変わった。戦場を彷徨うだけの俺たちだが、幸せを見つけられたってんなら応援するのもまた同族を想う俺の役目だ」


手のひらで機械を弄ぶ阿伏兎に、ユキはもう一度お礼を言った。阿伏兎は小さく笑みを浮かべ、装置のスイッチを押す。同時に装置からは眩い光が放たれた。


「人生は重要な選択肢の連続だ。あんたにとってこの世界に残ることが、最善の選択であることを祈るぜ」

『この花が枯れる頃、ここにいて良かったと思えるように頑張るよ』

「そうかい。嬢ちゃんのこと頼んだぜ、兄ちゃん。引き止めたお前さんにはこのじゃじゃ馬姫を幸せにする責任があるからな」

「あぁ、その責任を背負って行く覚悟くらいとっくにできてる」

「言うねェ。なら、安心だ」


阿伏兎を包む光は一層強くなり、風が巻き上がった。「達者でな」…そう言い残した阿伏兎は光に包まれ、反射的に瞑った瞳を開いた時にはもうその姿はなくなっていた。

まるで初めからそこには誰もいなかったと思わせるほど跡形もなく、呆気なく姿を消した。手のひらにある瓶の感触だけが、彼が今ここにいたことを示している。


リヴァイはユキに視線を向け、言葉を失った。…ユキは泣いていた。空を見上げ、憂うような表情を浮かべながら、その瞳から大粒の涙が頬を伝って零れていく。

彼女はもう二度と元の世界に戻ることはできない。たった今、全てを手放した。いくら望もうともう二度と手に入らない。そうまでしてこの世界を選んでくれたユキを、リヴァイはその腕を掴んで引き寄せ…力一杯抱きしめた。

この世界を選んでくれたこと、自分を選んでくれたことは嬉しかった。声をあげそうになるほど嬉しかった。…なのに、この結果をずっと望んでいたはずだったのに…苦しい。胸が張り裂けそうになるほど胸が締め付けられる。


『責任とってよ』

「あぁ」


お前に想いを告げたあの日から、とっくにそのつもりだ。




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