あなたがそう言ったから
□新兵の噂
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厳しく問い詰めようと思っていたが壁外調査中は忙しなく、結局そのまま壁内へ戻ってきた。
後片付けや報告中に何度かあの新兵を見かける機会があった。名前はユキと言うらしい。今までは気にもしていなかったから気づかなかったが、明らかに雰囲気が浮いて目立っていた。
黒い髪と瞳という容姿もそうだが、小柄な身体と整った顔立ちは人目を惹き、他の兵士からも一目置かれているようだ。だが、幼い顔立ちに似合わない凛とした雰囲気と冷たい無表情が周りと距離を作っている。
[ここで私を見つけなかったことにしてくれませんか]
巨人からのぼる蒸気が満たす森の中、あいつが言った言葉が頭から離れない。
細い首に突きつけられた刃。恐れも恐怖も写さない無表情なあいつが放ったそのたった一言が今でも脳裏に焼き付いている。
ユキはあの時、自ら命を絶とうとしていた。俺に見つけなかったことにしてくれと言ってまでその意思を変えようとはしなかった。
何故巨人に襲われてもいないあの状況で死のうとしていたのか。…わからない。まるで生気を灯していないあの瞳が壁外調査から戻って来た後もなかなか頭から離れない。
ユキの周りに転がっていた巨人の死体は本当にユキが殺ったのか?まだ入団して間もない…しかも初陣の新兵が?
あの場にユキ以外の兵士はいなかったし、返り血も浴びていた。刃も鞘には僅かしか残っていなかったところを見るとあいつがやった事はほぼ間違いない。
自分が殺ったのではないと否定する理由もわからないままだ。…理解できないことが連続で起こり、それに悩まされているということに腹がたつ。それもこれも全部あの新兵のせいだ。
夕日が差し込む中、窓の外を見てみれば外では兵士が各々好きに時間を過ごしていた。壁外調査の後片付けもひと段落ついた今では当然の光景。別に文句をつけるつもりはない。
いつまでも仲間の死を嘆いていては前には進めない。数ヶ月後にはまた壁外調査が行われる。
「…!」
そろそろ行くかと思った時、真下に小さな人影がある事に気がつき思わず足を止めた。
ゆらゆらと揺れる黒髪はユキのもので間違いない。塀に登っている猫に手を伸ばし、すり寄ってきたそれを抱きかかえて撫でている。
「珍しいね、リヴァイが感傷に浸って窓の外をぼんやり眺めるなんて」
隣に並んできたクソメガネが呟く。ドタバタと落ち着きのない足音で気づいていたが、関わりたくないと避けようとするには遅かった。
案の定クソメガネは「ねぇねぇ、何見てたの」とニヤニヤしながら俺の視線を追って下を覗き込み、驚いたように目を開いた。
「あの猫なかなか懐かないんだよねぇ、珍しい。よりによってユキに懐くなんて」
「知ってるのか?」
「有名だよ。たとえ餌を持っていっても懐かないんだから頑固な猫だよねぇ」
「そっちじゃねぇ」
え?と首を傾げるハンジにあっちだと顎で示せば、あぁユキねと笑う。
「知ってるも何も今期入ってきた新兵じゃないか…ってリヴァイが顔を覚えてるわけないか」
確かにすぐに顔を覚えようと努力はしないが、覚えようとしてないわけじゃない。面倒なので何も言わないでいれば、クソメガネは勝手にペラペラと話し始めた。
「今回入ったばっかりのピッチピチ。第二のリヴァイなんて言われてるのに知らないの?」
「は?」
「愛想がないから。東洋人で美人だけど愛想がないって有名だよ。私もいつも構ってるんだけど本当に愛想がなくてねー、ぐりぐり撫で回しても無表情なんだからリヴァイより重症だよ」
「可哀想だからやめてやれ」と言えばハンジは「えー、嫌だよそれでも可愛いんだもん」と笑っている。あいつも苦労してるんだな…と同情したがどうやらあいつについて詳しいらしい。大して期待もしていなかったが思わぬ偶然もあったものだ。
「ハンジ、聞きたい事があるんだが」
「なに?」
「リヴァイが私に質問なんて珍しいね」と言うハンジに俺は先日の壁外調査でのことを話した。
班長の命令を聞かずに単独行動をしたこと。ユキの周りには巨人の死体が転がっていたこと。自殺しようとしていたことは除いてそれらを伝えると、ハンジはキョトンと間抜けな表情を浮かべた。
「命令に背いてあとで班長にこっ酷く絞られたって話は聞いたけど、ユキが巨人を倒したの?討伐数にはのってなかったけど」
「あいつは自分は殺ってないと言い張ってる。だが、他に兵士はいなかったし返り血も浴びていて刃も数本しか残ってなかった…殺ったとしたらあいつ以外に考えられない」
「う〜ん…でも、ユキはこう言ったらなんだけど実力はやっぱり新兵って感じだよ。訓練時代の成績も中の下だし調査兵団に来てからの成績も優れているとは言えない。…初陣で巨人を討伐できるとは思えないなぁ、ましてや1体や2体じゃなかったんだろ?」
「あぁ」
だとすれば、あの巨人の死体はなんだったんだ?本当にユキがやったんじゃないのか?…なら、あの死体はどう説明をつければいい。
「私もいつもこねくり回したりして構ってるけど、実際なに考えてるのか全然わからないんだよね。あの容姿だからいろんな兵士が声をかけるらしいんだけど、無表情だし話しても一言二言しか言わないからその内みんな口をきかなくなったみたい」
「ユキの同期から聞いたんだけどね」とハンジは言う。それは訓練兵時代だけではなく調査兵団に来てからも同じような流れが起こったらしい。
何度声をかけても一切笑いもしないし、返ってくるのは感情の篭らない冷めきった声。何より年に似合わぬ沈着に、何にも心揺さぶられぬ無関心と無感情に凍りついた瞳。
それら全てが不気味な雰囲気を思わせ、更に彼女自身も人を避ける為に周りも自然と距離を置くようになったという。
「だから私も心配でさ、会うたびにちょっかい出すようにしてるんだけど…」
「いい迷惑だな」
「笑ってもらえたことはないね」
「もうやめてやれ」
「でも笑ったら絶対可愛いと思うんだ、だからやめない」
なんで意地になってんだよと思ったが、もう面倒だと特に何も言わなかった。下を見ればまだユキが猫と戯れている。…いや、あれは戯れているというよりはすり寄ってくる猫をおざなりに撫でているだけのようにも見える。
成績は中の下。…そんな新兵が初陣で巨人を討伐するのは不可能だ。結局、自殺しようとした理由もわからないままか。
…ただ最近見ていて分かったことは、いつもなにかを諦めたような表情を浮かべているということだ。
大きな希望を持った調査兵の中では明らかに浮いている。ユキの瞳には夢や希望というものが一切ない。あの目はまるでこの世の全てを悟ってしまったかのように暗く濁り、全ての事に対して興味など無いといった…そんな表情だ。
「なんだかユキってさ、いつも泣きそうな顔してるんだよね」
「そうか?…俺には何の感情もないように見えるが」
「だからこそだよ。何の感情もないことなんて人としてあり得ない…だから私には何かを訴えてるように見えて、泣きそうなほど悲しく見える」
「どこに何を落っことしてきちゃったんだろうねぇ」と言うハンジの声に背を向けて歩き出せば「…あれ、リヴァイどこ行くの?」と問われる。
「説教しなきゃならねぇことを思い出した」
「まさかユキ?もう班長に絞られたんだから許してあげなよ」
「また違う理由だ」
は?…と首を傾げるハンジを無視し、俺は中庭に続く階段を降りた。
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