あなたがそう言ったから

□彼女の意思
1ページ/1ページ




「どういうことだよ!」


机を叩きつけながら叫ぶハンジの声がエルヴィンの執務室に響き渡った。


「なんだよ今の人は!?ユキを殺す約束ってどういうことだよエルヴィン!?」


[話が違うわエルヴィン!私はあれを壁外で殺してこいと言ったのよ!?それなのにひょこひょこと連れて帰ってきて…何のために大金を渡したと思ってるの!?]


数分前にエルヴィンの元を訪れた貴族はクレア家の人間だった。ハンジはエルヴィンに用があったのだが、普段あまり調査兵団内で見かけることのない貴族が彼の部屋に入っていくのを目撃し、またどこかのお偉いさんと顔合わせでもしているのだろうと部屋の外で大人しく待つことにしたハンジの耳に入ってきたのが今の言葉だ。


「盗み聞きとは趣味が悪いな」

「趣味が悪いのはどっちだよ!?金をもらって兵士を殺す約束をしていた!?冗談だろ!?趣味が悪いのはどっちだ!?正直言って私は今、君に世界がひっくり返るほど失望してる!!」

「落ち着けハンジ、話を聞いてくれ」

「言い訳は聞きたくない!」

「私は事実しか話さない」

「…」


それからエルヴィンが語った内容は、ハンジに衝撃を与えるのに十分だった。

ユキは数多く存在する貴族の中でもかなり高位に位置するといわれているクレア家の妾の子だということ。そのクレア家はユキをどうにかして殺そうとしていること。壁外調査中に自然に戦死させようとしていたこと。


「なんだよそれ、意味がわからない…」

「言葉の通りだ。クレア家はユキを世間に公表させず、自然と殺す手段として兵団組織にいれた。確実に殺してくれと、了承もしていないのに大金を置いていったよ」

「そんなのあんまりだ…じゃぁユキは殺されるために調査兵団にいれられたってこと?」

「いや、兵団は自己希望制だ。彼女は自ら調査兵団を選んでここへ来た…自分の立場を理解して死ぬために調査兵団に来たんだろう」


どの兵団に所属しようが兵士であれば死の要因はいくらでも転がっている。だがユキは自分の意思で調査兵団を選んだ。一番死が不自然ではない調査兵団を。

そうしてこれ幸いと先ほどのクレア家の人間はエルヴィンにユキを壁外で殺してこいと依頼してきたらしい。もしくは置いてこいと。

もし彼女が他兵団を選んでいたなら、他の兵団長に同じように依頼しユキを殺そうとしただろう。自分たちの手を一切汚すことなく、一族の汚点であるユキを消すことができる最も最適な方法だからだ。


[まさか調査兵団を選んでくれるとは思わなかったわ。調査兵団なら下手な偽装工作もなく死んでくれる。あぁ、遺体の回収は必要ないわ。かえって迷惑なだけ]


数ヶ月前、そう言った夫人は長年の願いが叶ったかのように清々しい顔をしてエルヴィンの元を去っていったという。

ユキが自ら調査兵団を選んだのは、自分が一族の汚点であること…そして殺されるために訓練兵団に入れられたことを分かっていたからだろうとエルヴィンは言った。

自分は死ぬ為に訓練兵に入れられたのだと。厄介払いのために、いずれは殺されるために訓練を受けさせられているのだと。だから一番確実に命を落とせる調査兵団を、彼女は自分の意思で選んだ。


「…まさか、その依頼を受けたの?」

「もちろん突き返した。現にユキは壁外調査から帰還している。その結果がさっきの騒ぎだ」


扉の向こうから聞こえる金切り声を思い返し、ハンジは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。


「でも、死ぬためだとわかっていて調査兵団を自ら選んだのなら…ユキは帰ってこなかったはずなんじゃないの?生きて帰ってきたってことはユキは単純に私たちと同じ意思で調査兵団を選んだのかもしれない」

「いや、本人はわかっていた。私にこれを出して迷惑をかけて申し訳ない、と壁外調査から帰った翌日に言ってきたよ」


エルヴィンが机の上に置いた一枚の紙切れを手にとったハンジは目を見開いた。そこに書かれていたのは、決して上手いとは言えない字で書かれた退団の意思を示す言葉。そして裏面に小さく書かれたユキの名前。


「戻って来るつもりはなかったと言っていた。…どんな理由があったかはわからないが死にきれなかったんだろう」

「どうしてこんなこと…」


紙を持つハンジの手が小刻みに震える。

私は全くユキのことをわかってなかった。いくら声をかけてもどんな話をしても無表情な彼女のことを、周りはとっつきづらいと遠ざけていた。

私自身少し扱い辛いと思いつつここにきた当時のリヴァイのように、話せばきっと分かり合える人間なんだと執拗に追いかけ回していた。なによりどこか世界に失望したような表情の彼女がどうしても気になって仕方なかった。

それでも今日までの間、一度もユキが心を開いてくれることはなく笑うこともなかった。ここまで感情を表さないのはどうしてだろうと何度も思ったが、ユキは初めから人と接しようとは全く思ってなくて、ましてや私なんかの存在なんえどうでもよかったのだろう。

彼女は死ぬためだけに3年間の厳しい訓練の中で日々を過ごし、自分が一番自然に死ねる場所を選んで調査兵団に入団した。

高貴な貴族ほど妾の子は汚点として扱われる。しかし、この狭い壁の中で人1人を簡単に始末できるはずもなく、苦肉の策として彼女は兵士にさせられた。

それまで彼女がどういう扱いを受けてきたのかは想像するしかないが、表情を失っている今がその結果だとすればユキが死を受け入れたのも不思議な話ではない。

幼い頃から忌み嫌われ、どう殺そうか、どうやれば自然に死んだことにできるのか…そんなことをずっと言われてきたのだろうと想像すれば自然と涙が溢れてきた。


「退団と書いてあるがユキはクレア家に戻ると言っている。恐らくなんらかの方法で向こうからユキに戻ってくるようにと接触があったのだろう」

「待ってくれよ、そんなことしたらユキはどうなっちゃうのさ!?」

「殺されないにしろ、まともな扱いは受けないだろうな」


この先一生、陽の目を見る事は愚か外を拝む事すらできないかもしれない。最終手段としては、裏のルートを使ってどこかに売られることもありえなくはない。

どちらにしろもう二度とユキはまともな生活を送れなくなり、調査兵団にも姿を表すことはなくなる。彼女の笑顔はこの先永遠に失われる…。


「…その申請、受理したの?」

「もちろん許可は出していない。だが、自分がここにいてはいずれ調査兵団に迷惑がかかると言って食い下がろうとしない。クレア家は元は憲兵団のパトロン…家柄の影響も大きい」

「何か方法はないの?」

「考えているところだが、私としてもあの力を手放すのは惜しい。」

「…力?ユキは私が入れ込んでるくせにこう言っちゃなんだけど、兵士としての力はそこまでじゃ…」

「討伐者不明の巨人の死体が数体発見されているのを知っているだろう。あれはユキがやったもので間違いない」

「え!?あれをユキが一人でなんて…普段の訓練を見てたらとても思えないけど…」

「彼女は本当は優秀な兵士だ。それを暴いたのはリヴァイだったが、私もちゃんとこの目で確認した」


リヴァイに今夜時間があるなら訓練場に来て欲しいと言われ、何の用だと思いながら行ってみればユキとリヴァイが月明かりの中、薄暗い闇に包まれた訓練場を飛んでいた。

普段の訓練と変わらない光景にリヴァイは自分に何を見せたかったのか疑問に思っていたが、リヴァイとなにか会話をした後、ユキの動きが急変した。


「リヴァイはこれを見せたかったんだとすぐに理解したよ。その後、あの巨人はユキが倒したんだと聞いたときは疑わなかった」

「そう、リヴァイが…そういえばリヴァイはユキに入れ込んでるようだったけど、リヴァイはこのこと知ってるの?」

「いいや、何も言っていないし知らせるつもりもない」


どうして?とハンジが聞くとエルヴィンは少し間を持たせ、それが彼女の希望だからだと答えた。誰にも知られず去りたいというのが彼女の望みらしい。


「そんなの私は…理解できないよ。これから苦しむことを分かっててあの子を送り出すことなんてできない」

「だが、彼女一人のために調査兵団が組織で動くわけにもいかない。君も分かっているだろう、ハンジ?相手にとるには大きすぎる相手だ」


ぐしゃりとハンジの手のひらの中で、ユキの書き記した物が握り潰される。

相手にするには分が悪すぎる。組織というものは誰か1人の私情や感情で動いていけるほど簡単なものじゃない。

ユキはそれを分かっていて誰にも助けを求めようとはしないのだろう。その物分かりの良さに、ハンジの心には悲しみを越えて怒りの感情すら芽生えていた。



next
次の章へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ