あなたがそう言ったから

□不安
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それからユキは相変わらずいつも通りだった。いつも通りに無愛想でいつも通りに冷めた表情をし、いつも通り悲しそうな表情を浮かべている。

きっとあのとき私が偶然あの場に居合わせていなかったら、ユキの生い立ちも置かれている現状も彼女の意思も…他の兵士やリヴァイと同じように知ることはなかったのだろう。そのうちいなくなったユキに慌てることになったのだと思う。

ユキがエルヴィンの言う通りあの死因不明の巨人を討伐したのだとしたら分隊長と同等…いや、私たちを凌ぐほどの強さを持っていることになる。

そんな戦力であればどんな手を使ってでも自分の元に置いておきたいはずだが、エルヴィンの言う通りこの壁の中で貴族の力は強い。特に憲兵団に融資をしている貴族だというのだから、私たちが簡単に口を出せる相手ではない。


…貴族家の事情に他所者は介入できない。

知っていて何もできないなんて悔しすぎてクソみたいだ。そんな私の気持ちなんて知る由もないユキは、相変わらずの無表情でまた猫と戯れている。その隣には足を組んだリヴァイがユキの隣でその光景を眺めていた。

今ではこの光景も見慣れたものになっている。初めはユキも何故自分のところに来るんだと言いたげにリヴァイを睨んでいたが、最近では隣にいるのが当たり前のようになっていた。

それどころかリヴァイの言う通り、ユキはリヴァイと一緒にいるときだけ…ほんの少し表情を浮かべているときたものだから初めは自分の目を疑った。

リヴァイがなにかユキに語りかける。ユキがそれに答えるとリヴァイは口元を緩めていた。

[お前らがよく見てねぇだけだろ、あいつは分かりづれぇが喜んだり笑ったりしてる]

前にそう言っていたリヴァイに「まさかぁ、君の気のせいだって」なんて言ったが…本当に彼の言う通りじゃないか。

ユキの瞳は僅かに細められ、口元には笑みが浮かんでいる。それは本当に小さく、注意して見なければわからないほどだが…確かに笑っていた。


「…わかりづらすぎるんだよ、全く」


「無表情な2人が話しているのは面白い」だなんて前は言ったが、2人とも緊張のとけた穏やかな表情で笑いあっている。見ているこっちまで心が温まるような光景に、無意識のうちに拳を握りしめていた。

どうにかユキが退団することなく調査兵団に居続けさせる方法はないのか…ハンジは暫く穏やかな時間を過ごす2人を見つめていた。



**
***



細い首に添えられた刃が木漏れ日から覗く太陽の光を反射していた。

結い上げられた黒髪。
小さく華奢な背中。

俺の存在に気づいたのか、ユキは振り返って滅多に見せない笑顔を作った。細められた瞳と緩められた口元は、今まで見た中で一番綺麗な笑顔だった。


「お前、そこで何をしてる?」


その瞬間、ユキは刃を引いた。首元に当てられていたブレードが肉を裂き、目の前は一瞬で真っ赤に染まった。

鮮血が吹き出し、黒髪が舞う。手を伸ばしたと同時にユキの身体は生い茂る草木に埋もれ、力無く倒れた身体はぴくりとも動かなかった。


「…!」


瞳に入り込む光から視線を逸らし、いつもの見慣れた自室の光景に夢だったのかと漸く気づく。

驚いて飛び起きたのであろう自分にため息をついた。気持ち悪い感触に手のひらを見ればうっすらと冷や汗までかいてやがる。

時計に視線を移せばまだ起床時間まで時間があった。シャワーを浴び、頭から水を被って漸く頭が冴えてくる。

しかし、それでも先程の夢で見た光景が頭から離れない。周りの景色も空気も妙に現実味を帯びていて、刃を首に当てていたユキもあの日の光景そのものだった。

ただ1つ違ったのは俺に気づいたユキが刃を引いたことだ。笑みを浮かべたまま刃を握る手は震え、吹き出す真っ赤な血の中で倒れていくユキは…泣いていた。


「…クソッ」


最悪な夢だ。朝から吐き気がするほど気分が悪い。頭は冷めても気分が冴えない…クソみたいな気分だ。

しかしあの日…もし俺が偶然あの場に居合わせなければ夢は現実になっていたのかもしれない。あるいは俺の存在に気づいたユキがあの日のように手を止めず、今日の夢のような行動をとっていたら。

あの距離では止めることは叶わなかった。


「…何を今更、…考えたって仕方ねぇだろ」


ユキは何を聞いても話すつもりはないし、その件に関して一切口を開こうともしない。これ以上聞いても話さないだろうことはわかっているし、なによりしつこい奴だと思われるのも避けたい。単純に嫌われたくなかった。

ソファに座り、無意識にため息をつく。さっきのは夢だ…現実じゃねぇ。そんなくだらないものに振り回されてたまるか。

タオルで髪を拭き終えれば、時刻は朝食の時間を示していた。いつもなら支度を終えて部屋を出ている時間だが、今日はいつの間にか時間が過ぎていた。

…かと言って朝食なんてそんなに急いで摂る必要もない。いつもより遅い時間に行けばクソメガネあたりが絡んでくるだろうが無視すればいい。

そもそも今はクソメガネに構ってやれるほど気分もよくないし余裕もない。いつも気乗りなんてしないが今日はいつも以上だ。朝食も食べたい気分ではないが仕方ない。

重い気持ちのままドアノブを捻り廊下へ出たところでふと、先程の夢は何かを暗示しているのかという考えが頭を過ぎった。正夢でないにしろ、ユキになにかあったとしたら?

…いや、そんなまさかなと思いつつ足取りは無意識にいつもより早くなる。食堂の扉を開いて真っ先に窓側の隅に視線を向ければ、……いた。ユキが黙々とスープに手をつけている。


(…そりゃそうか)

安堵のため息をつけば案の定「どうしたのリヴァイ、今日遅くない?」とクソメガネが話しかけてきたが無視した。

「なんだよ冷たいなぁ」という不満の声を聞きながら横をすり抜け、食事を持ってユキの正面に腰を下ろす。

ユキは俺が来たことなんてまるで気づいていないかのように、目を合わせることなく黙々と食事を口に放り込み続けている。別に反応を期待していたわけじゃないが、さすがにここまで無視されると堪えるものがある。

小さく頬を動かすユキを見てふど、こいつと食事を摂るのは初めてだと思った。いつもこいつは1人で食事を摂り、いつのまにかいなくなっている。

だから誰かが目の前に座るなんて滅多にないはずなのだが、相変わらずこの無表情野郎はこちらに興味など一切なしだ。ついさっきまでお前のことを心配して焦っていた自分が馬鹿みたいに思えてくる。

今日何度目かわからないため息をついてスープに口をつけたとき、ユキが漸く口を開いた。


『急いでいたようですが』


気づいてたのかよ。


「大した用じゃねぇよ」

『そうですか』


短い会話。今朝見た夢もその内容も口にできるはずもない。周りを見ていないように見えるくせに気づいていたのか…と思っているとユキはスプーンを皿に置いた。

その皿には既に食事はなく、ユキは茶を飲んで立ち上がった。食事を終え、片付けるのだろう。

オイ、と呼び止め振り返ったユキにみかんを差し出す。


「食うか?」

『…』


ユキはじっ…とみかんを凝視してから再び腰を下ろした。


『ありがとうございます』


差し出された小さな手のひらにみかんをのせてやれば、ユキは再びそれをじろじろと観察し始めた。

よっぽど俺からの親切が珍しいのか?怪しいものじゃないかと疑っているのか?そう思うほど訝しげにみかんを見るユキにさすがに俺もそこまでされると傷つく。


「別に怪しいものなんか入っちゃいねぇよ。どれだけ疑ってるんだてめぇは」

『人は普段やらないことをやると疑われるものです』


やはりそうかと呆れて言葉も出ない。だが、ユキがみかんに気を引かれて戻って来てくれてよかったと思う自分がいる。もう少し話していたかった。…どうしても今朝の夢が頭から離れず、不安が胸を掻き立てる。

そんな人の心配を他所にユキはみかんの皮を剥き、丁寧に白い筋までとってから口へ放り込んだ。口を動かす仕草はまるで小動物のようで見ていて飽きない。


「お前果物すぎだな」

『好きです』

「菓子もだが」

『はい』


こいつと関わるようになってわかったことは、ユキは意外と素直だということだ。聞けばなんでも素直に答える。…あの日のこと以外は。


「お前最近、ハンジにしつこくちょっかいだされているらしいな」

『はい』

「お前が笑わないと嘆いていた。あいつはお前のことを相当気に入っているようだが」


ユキはみかんの筋を取り除く手を止め、少し考える素振りをする。その眉間には小さな皺が寄っていた。


『私が笑えばあの人が私に構うことはなくなるのでしょうか』


ハンジに何をされようと嫌がる素振りすら見せていなったが、やはり迷惑だと思っていたらしい。…まぁ当然か。


「同じだと思うがな。笑わなければ笑うまで、笑えば珍しいもの見たさで繰り返してくる」

『結局、あの人から逃れることはできないんですね』

「あいつの言うことも分からなくもねぇな。どうしてお前はそこまで頑なに笑おうとしない?そんな無愛想だから孤立するんだろ」

『では聞きますが、あなたはどうして笑わないんですか』

「俺はお前と違って頑なに笑わないようにしているわけじゃない。元からこういう性格だ」

『あなたがヘラヘラ笑っていたら不気味ですからね』

「てめぇ…」

『無愛想なのはお互い様じゃないですか』

「否定はしねぇ」


自分が無愛想であることはとっくに認めている。頼まれたって愛想を振りまけるとも思えねぇ…だが、お前は違うだろ?お前は笑えばきっと人が自然と集まってくるはずだ。こんな風に1人で食事を摂ることだってないだろう。


『私には愛想を振りまく理由がありません。人に媚びて得たいと思うものがないんです』


人との繋がりは必要ない。
人の優しさも必要ない。

そう言ったユキの言葉は酷く弱々しく聞こえたような気がして何かが疼く。…あぁ、こいつはやっぱり放っておけないと思わせられる。


「お前がそこまで人を遠ざけようとする理由はなんだ?」


こいつは自分から人を遠ざけている。誰かが触れようとするのを避けるように、自ら距離をとって関わらないようにしている。そこまで頑なに拒む理由があるのなら、俺はそれを知りたくてしょうがない。どれだけ知りたいと思ってもお前は教えてはくれないんだろうけどな…。


『別にありませんよ』


…あぁ、そうだよな。お前は簡単には踏み入れさせてくれねぇよな。そんな寂しそうな目をしてるくせに、絶対にその口を開こうとしない。本当に面倒くせぇ奴だな…なのに放っておけない俺もどうかしちまってるんだろう。


「お前は笑ったほうがいい、きっと似合う」

『え?』


キョトンとした瞳で見つめられれば、無意識のうちに口から出た言葉を認識して柄にもない言葉に焦る。

「笑ったほうがいい」…ただそれだけを言おうとしていたはずなのに、まさか「似合う」なんて言葉が自分の口から出るとは思わなかった。

「ハンジが言っていた」と咄嗟に誤魔化せば『そうですか』とユキは納得したようだった。またいつもの無表情に戻り、千切ったみかんを口に放り込んでいる。


「楽しいことがあればお前も自然に笑えるだろう。楽しいと思えることはないのか?」


我ながらありきたりで退屈な問いだと思ったがユキは『そうですね…』と少し悩み、


『リヴァイ兵長とこうしている時間は楽しいですね』


小さく口元を緩めた。

こいつってやつは…本当にタチが悪い。それを考えてやっているわけではなく、自然にやっているのだから余計にタチが悪い。


「…そうかよ」

『えぇ』

「それは、…良かったな」

『はい』


どう反応していいのか分からずこっちが回答に困る。なんなんだよお前は本当に…っ、こっちのペースに持ち込んで行こうとしてもすぐにひっくり返してきやがる。聞こうとしていたことも、結局1つも聞けてない。


『そういえば』


ふと、ユキが改まったように口を開いた。


『聞きたいことがありました』

「なんだ」

『答えたくなければ答えなくていいのですが』

「聞かれてみなきゃわかんねぇよ。なんだ、早く言え」

『地下街はどんな場所ですか』


スープを掬った手が止まった。視線を上げればユキは表情を変えることなく黙々とみかんの筋を取り除いている。

視線に気づいたのかユキが瞳をあげ、視線が交わる。


「どうしてそんなことを聞く?」

『気になっただけです』

「変わった趣味だな」

『すみません、今のは忘れてくださって結構です』

「あそこは法も何もない無法地帯だ。憲兵も近寄らないほど手のつけられない輩が集まっている。実力がものをいう世界だ、情や情けで動く人間はいない」


そうですかと答えたユキは再びみかんに視線を落とし、筋取りを再開させた。その表情は相変わらず喜怒哀楽のなんの感情も映さず、何を考えているのか汲み取れない。

どうしてそんなことを聞いた?理解できない。今朝の夢が頭を過って、また心が疼く。…頼むから俺を不安にするようなことはしないでくれ。



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