あなたがそう言ったから

□重ねた手
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『エルヴィン団長、お願いがあるんです』


ユキが提案してきたのは自分が死んだと世間と家に報告してほしいということ、そして兵団には家に帰ったと言って欲しいということだった。


「君の境遇は理解している、協力はしよう。だが、上手くいくとは限らない。身を潜めている間に見つかるかもしれないし、ほとぼりが冷めたら兵団に戻って来るつもりだと言ったが、いつになるかわからない。彼らはなかなかにしつこいように見えたが?」

『わかっています。それでももう、これしか方法がないんです。私にはどうしても生きなければならない理由ができたんです』

「その理由を聞かせてもらってもいいか?」

『ある人に死ぬなと言われました。ただ、それだけです』


真っ直ぐに見つめ返してくるユキにエルヴィンは「そうか」とだけ言って笑った。それはユキが調査兵団を去っていく数時間前のこと。夜も更け、兵団内が静まり返ったときのことだった。

壁外調査で重傷を負った彼女は目を覚ました直後にエルヴィンのところを訪れ、調査兵団を去り、世間から身を隠しながら生きることを伝えた。

元々命を落とすために入れられていただけに、何かしら彼女の方から行動を起こしてくるだろうとは思っていたエルヴィンだったが、まさか生きるための選択をしてくるとは思っていなかった。これからの未来を見据えた選択だった。

ユキの瞳はここにきた当初のものではなくなっていた。前は全てを知り尽くしてしまったかのような濁った瞳をしていたが、今はその澄んだ瞳で真っ直ぐに目の前を見つめている。

囚われることでもなく、自由を。死ぬためではなく、調査兵団の兵士として戦うために彼女が考え抜いた選択だった。


「君の上官が気づいたらただじゃ済まないだろうな」

『気づかれないよう尽くします』

「心配すると思うが?」

『それもわかっています。でも敵を騙すにはまず味方からといいますし、私はここにどうしても戻ってきたいんです。そのためならできる限りの手を尽くしたい』


その瞳はやはり以前の彼女とはまるで別人だった。


[あいつを思う気持ちは、もう随分前から俺の中にあったよ]


変わったのはお前だけじゃなかったんだな…リヴァイ。

リヴァイの変化だけにとらわれていたが、まさか一度は命を手放そうとしていたこの子をここまで変えるとは。


エルヴィンは自分に向かって真っ直ぐな瞳を向けるユキに一度小さく笑い「協力しよう」と言って彼女を見送った数日前のことを思い出していた。



**
***



エルミハ区に到着し、町で一番大きな花屋を聞いてまわったリヴァイは、漸く辿り着いた。

町で一番大きな花屋とだけ聞いていたリヴァイは、そこそこ町の中心を想像していたが結果は中心地とは遠くかけ離れたところだった。

そのことに少しの苛立ちを覚えつつ裏手に回ろうとすれば、住宅街を抜け、馬舎や牛、豚などの家畜小屋を抜けなくてはならないという面倒な造りになっていた。

非常に面倒な構造だが、身を隠すにはうってつけの場所だ。…漸く花屋の裏手側の回り込むと小さな家の入り口があった。

…ここにユキがいる。迷うことなく扉を叩いたリヴァイだったが、中から人が出てくる気配はない。

…いないのか?…いや、隠れている身でそんなに簡単にはでてこねぇか。

開けっ放しになっている窓に、なんて不用心な奴だと思いながら中を見たが誰もいない。それどころか人が住んでいるとは思えない空き家のような内装に、本当にユキはここにいるのかと不安になる。

せっかくここまで来たのにいねぇじゃ話になんねぇぞ。

早くその姿を見て安心したいという気持ちと、単純に早く会いたいという気持ちに掻き立てられる。

ほんの一週間ほど会ってないだけなのに、もうずっと会ってないように思える。しかも最後に見たのは壁外調査で負傷し、包帯を巻かれベッドで横になっている姿だ。

その前にはあんな風に別れてからろくに口も聞いていない。どうして俺に一言もなく、勝手に去る事を決めたのか…どうして今までずっと頑なに口を開こうとしなかったのか…聞きたいことも山程ある。

どっちにしてもユキに会わなければ始まらない。正面から家屋の周りを一周しようと回りこんで、……見つけた。

小さな石段に腰掛け、膝を抱えるようにぼんやりと花を見つめている。…たったそれだけなのに、まるで幻想的な光景にドクリと心臓が波打つ。

相変わらず愛想のない表情で、風に揺れる花に視線を落としているユキに一歩近づけば、その瞳がゆっくりと上げられた。

驚いたように目を開くユキに胸が締め付けられる。…漸く見つけた。


「どうだ、こんなところでコソコソと暮らす感想は」

『…えぇ、それなりに不便なく暮らさせていただいてます』

「そうか」


始めこそ驚いたような表情をしていたが、相変わらず感情のこもらない声でそう答えたユキとの距離を詰める。


「てめぇよくも黙って兵団をでていきやがったな。ご丁寧に嘘までつきやがって」


ユキはゆっくりと立ち上がり、俺がどこまで知っているのか探るように視線を向けてくる。ここにきてまで、まだこいつは隠し通そうとしているらしい。


『団長のみに話し、黙って出ていったことは悪かったと思っています。ですが、ここは私の家が持っている別宅なので嘘をついたわけではありません』

「ほう?それは初耳だな?クレア家にはお前が死んだように伝えてあると聞いているが?」


沈黙が生まれる。ユキは何かを言い返そうとして何も言葉が見つからなかったのか、そのまま口を閉じた。


「お前の話は聞いた。生まれも境遇も、置かれていた状況も全部だ」

『…そうですか』


ユキが視線を落とす。全てバレてしまったのかと諦めたようだった。


「いろいろ言いたいことも説教したいことも山ほどある。…が、まずこれだけは言わせてくれ。気づいてやれずに悪かった」


ユキの瞳が大きく見開く。どうして謝るんだと、理解できないと目が訴えていた。


『どうしてあなたが謝るんですか、あなたが謝る必要なんてありません』

「初めてお前を見つけたあの時、お前は自分の首を斬ろうとしていた。何度聞いてもお前は理由を答えようとしなかったが、エルヴィンからお前は初めから死ぬために調査兵団に来ていたのだと聞いて納得した。あの時のお前には一切の迷いもなかったからな」

それを唯一見つけた俺は気づいてやるべきだった。初めてユキを見つけた壁外調査の光景を思い出す。

太陽の光が木漏れ日から覗く巨大樹の森の中。巨人の死体に囲まれ、蒸気に包まれた空間の中心にぽつりと立ち尽くしていた小さな背中。

その首にはブレードが添えられ、あのとき声を掛けなければユキはそのまま刃を引いていただろう。

その後、ユキは何度聞いても答えようとせず、その真意を知ることもないままこの日を迎えた。

彼女がどれだけ悩み、苦しんできたのかを知ることもないまま…手放してしまうところだった。久しぶりにユキを目の前にして改めてこいつのことが好きなんだと実感しているというのに。

視線を落とし、悔しそうな表情を浮かべながら「悪かった」ともう一度繰り返したリヴァイに、ユキは小さく笑みを浮かべる。その表情すら、リヴァイにとっては久しぶりに向けられたものだった。


『リヴァイ兵長、あなたは本当に優しい方です。あなたは何度も私から聞き出そうとしましたが、答えたがらなかったからと気を使って聞かないようにしてくれていたんじゃないですか』

「お前が頑なに答えようとしなかったからだ」

『誰かにこんなことを知られたくなかったんです。だから、あなたが負い目を感じる必要はどこにもありません。…現に私が今こうして生きているのは、あなたのおかげなんですから』

「俺は何かした覚えはねぇよ。ただ、お前に生きろと言っただけだ」

『それですよ。あなたにそう言われなければ私はとっくに自ら命を絶っていたか、今頃クレア家に戻って殺されるのをただ待っていました』


「どうやって殺されるのかも、本当に殺されるかどうかもわかりませんけどね」とユキは表情を変えることなく続ける。


『あなたにとってどうだったかはわかりませんが、私にとってあの言葉はとても特別だったんです。たった一言が私に生きる意志をくれた。初めて生きようと思えた…あなたのために生きようと思ったんです』


ユキは相変わらずいつもの無表情でこちらにまっすぐ視線を向けていた。

こっちが勘違いしてもしょうがねぇぞ今の発言はと思うと思わず笑いそうになった。表情には出していないつもりだったのだが、少し出ていたらしい。

ユキが俺を見てどうして笑っているんだと言わんばかりの表情で訴えている。


「なぁ、ユキ…調査兵団に戻ってこい。いつになるかわからない帰りを待てるほど、俺は気が長いほうじゃない」

『…まだダメです。今戻ればクレア家に気づかれる可能性があります』

「ここにいたって同じことだ。だが、俺の目の届くところにいてくれれば俺がお前を護れる。お前が手の届かないところにいるのは俺が耐えられねぇんだよ」

『あなたに迷惑をかけるつもりはありません。だからこうして1人で身を隠す道を選んだんです。なのにどうしてあなたはこんなに私に構うのですか』


調査兵団にいたときから、どうして自分に構うのだとユキは言っていた。その瞳はいつもの純粋で真っ直ぐなものだったが、その中に戸惑いのようなものがあった。

ここまで言ってもまだ気づかねぇのかとリヴァイはため息をつく。そんなリヴァイの呆れたような表情に、ユキはどこか不安そうな色を浮かべる。

リヴァイはユキの頭に手を置き、ゆっくりと撫でた。突然頭を撫でられ、戸惑うユキに構わずに。


「俺のために生きるんだろう?だったら俺の側にいないでどうする。さっきも言ったが、俺はいつ戻って来るか分からないなんて気が長いことを言ってられる性格じゃねぇ」


…だから、戻ってこい。

頭を撫でていた手がユキに差し出される。ユキはその手とリヴァイの表情に交互に視線を向けて口を開いた。


『一度でいいから私は誰かに望まれて生きてみたかった。そんな叶いもしない願いを恥ずかしながら私はずっともっていました。…リヴァイ兵長、あなたは私を望んでくれるんですか』

「あぁ」


ユキは笑みを浮かべると、そっと手を重ねた。リヴァイの手がユキの小さな手を包み込む。満足げに笑ったリヴァイに『ご迷惑をお掛けすると思いますが、よろしくお願いします』とユキは深々と頭を下げた。


「相変わらず硬いな、こっちの調子が狂う」


顔を上げさせ「お前らしいけどな」と言えば、ユキは瞳を細めた幸せそうな笑みを浮かべた。



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