あなたがそう言ったから
□これから
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「ねぇ、リヴァイ」
「なんだ」
「なんだか最近、ユキが人間らしくなったような気がするよ」
窓枠に肘を置きながらそういうハンジの視線の先を見てみれば、他の兵士の談笑に混ざっているユキの姿があった。ケラケラと笑う周りの兵士に合わせるように笑っている。…だが、その笑みは不器用すぎて引きつっているようにも見える。
「そうか?俺には下手くそな真似事のようにしか見えないが」
「実際下手くそな真似事なんだろうけどさ、それでも他人と関わらず興味も示さず、なんの反応も返そうとしなかった頃よりずっといいじゃないか」
「彼女なりに頑張って周りに溶け込もうと努力してるってことだろ」と続けるハンジに「そうかもな」と答える。
調査兵団に連れ戻して来たその日からユキは少し変わった。周りの人間と置いていた距離を少しずつ縮めようと、あいつなりに努力しているんだと端から見ていてもわかるくらいだ。
だが、相変わらず笑顔はあからさまに引きつっているし、笑うタイミングすら他の人間の様子を伺っている。本人に悪気は一切なく、ただただ懸命に今まで取り零して来たものを拾い集めようとしているのだろうが…あんなに不器用な人間は今まで見たことがない。
彼女が失ったものを取り戻すにはまだまだ時間が必要なのだろう。だが、周りの人間もそれを汲んでやっているようで、以前のように距離を作ろうとする者はいない。その点は周りの人間に助けられているところだろう。
少しずつ感情を取り戻し、表そうと努力しているユキの成長を周りの者も楽しんでいるようにすら見える。暫く見ているとユキの班長が彼女の口元を両方の親指で無理矢理吊り上げていた。
困っている表情を浮かべるユキに対し、周りの者はケラケラと笑みを浮かべる。誤解のないように言っておくが、これはタチの悪いイジメではなく彼らなりにユキを笑顔にさせようとしているだけだ。
「あの怪我でユキは死んだとクレア家に伝えて今は詮索もされていないけど、なにかの拍子で見つかったらどうするつもり?庇う手立てはあるの?」
「さぁな、そんなもん見つかってから考えればいいだろう」
「君って意外と行き当たりばったりなところあるよねぇ」
「向こうがどんな手段を使ってこようが俺のやることは変わらねぇよ。俺はあいつを守るだけだ」
「人類最強が立ち塞がるとなれば、向こうも相当手をこまねくだろうねぇ。私なら諦めちゃうけど奴らはどうかな」
「殺してでも手放したいと思っていた存在が、漸く死んだと聞かされたんだ。これ以上詮索はしてこねぇだろうし、俺たちが庇うような真似をしているとも思ってないだろう」
「確かにそうだね」とハンジは安心したように息をついた。ハンジ自身、気にしていた彼女のことだけに色々と心配していたのだろう。
そもそもコイツがユキのことを言わなければ、実家に戻っていると思っていたのだから。その礼をまだ言っていないが、ユキを連れ帰ったとき「ありがとう、本当にありがとう!」と鬱陶しいほど礼を言われたのでもういいだろうと勝手に自分の中で一区切りをつけた。
ハンジが「おーい」と手を振ると、ユキはそれに気づいたように振り返る。少し引きつった表情を見る限りハンジには今でも様々な嫌がらせを受けているんだろうと同情する。
一度は聞こえなかったふりをしようとしたのか視線をそらしかけたユキだったが、俺の姿を見てハッとしたような表情を浮かべて走って来た。
「まるで子犬みたいだねぇ」とハンジは駆け寄って来たユキを見て笑った。俺の姿を見つけた時の表情、そして駆け寄って来た一連の動作全てが愛おしく思う。
一階の窓とは言え、外よりも少し高くなっているためにユキは窓枠に手をかけ、首だけを出して覗き込んできた。
『お2人がこんなところにお揃いとは珍しいですね』
「リヴァイが私と話したいって言うから仕方なく付き合ってあげてたんだよ」
てめェが勝手に寄ってきてベラベラと喋ってたんだろうが!と言う前に『それはないと思いますけど』とユキが呟く。こいつのほうがよっぽど俺のことをよくわかってくれている。
「最近君もリヴァイに似てハッキリとなんでも言うようになったよね…さっきだって一瞬私のこと無視しようとしたでしょ」
『あまりに貴女にちょっかいをだされるので、できるだけ避けるようにしています』
「ちょっと!?それ上官に言うことじゃないよね!?」
「俺がそうしろと言ったんだ」
なぁ?と頭を撫でるとユキは『はい』と言って口元に小さな笑みを浮かべる。
(…なんだ、ちゃんと笑えるじゃないか)
その表情を見て目を見開き固まっているハンジを横目に、ヘラリと笑うユキの表情を見下ろす。
こいつの中で一番変わったのは目だ。小さな笑顔くらいなら前も度々見られていたが、目が曇っていた。だが、今は綺麗な黒瞳のなかに光が灯っている。
霧がかかっていたような曇りはなくなり、綺麗に澄んだ瞳がのっている。
「あのねぇ、ユキ。なんでもリヴァイの言うことばっかり聞いてたらこんな無愛想なやつになっちゃうよ?それでもいいの?」
「黙れクソメガネ」
『私はリヴァイ兵長の仰ることであればどんなことでも信じ、守ります。リヴァイ兵長のために生きると決めましたから』
あまりに当然のように紡がれる言葉に、ハンジはキョトンと目を見開いた。しかし、ユキは至って真剣な表情を浮かべている。
リヴァイも少し動揺していたようだが、くしゃくしゃと小さな頭を撫でてやっていた。
「…え?なに?君たちもうそういう関係になったの?」
『そういう関係とは?』
「…あ、いや、だからさ…その…」
『私は部下としてリヴァイ兵長を側で支えていくと誓いましたが…?』
「部下として」という言葉にハンジは「…なんだ、そういうことか」と緊張の糸が切れたように息をつく。そんなハンジの様子を理解できていないユキが首を傾げ、俺に助けを求めるような視線を向けてくる。
俺の表情を見て、ユキは更に首を傾げた。どうやら俺も表情に出てしまっていたのだろう。困惑するユキに「気にするな」と言えば『…はい』と納得できないような表情を浮かべながら元の場所へと戻って行く。
絹のような黒髪が背中で揺れ、徐々に遠のいていく。手のひらに残っている暖かな体温が少しでも残るように手のひらを握り、自嘲じみた笑みを零す。
「部下として、…ねぇ。あんなことを平然と言うもんだから、2人はもうそういう関係になってるのかと思ったよ」
「ほっとけ」
「リヴァイの伝え方が悪いんじゃないの?」
「あいつの物分かりが悪いだけだ」
俺は気持ちを伝えたはずだった。…にも関わらず、ユキは俺が1人の部下に対しての気持ちだと未だに思い続けているらしい。
たった1人の部下だと思っている奴のために、わざわざあんな場所まで危険を犯してまで迎えに行くわけねぇだろ!それに「離れるな」「側にいろ」なんて言うと本気で思ってんのかあいつは!
しかし、それを言ったところでユキが首を傾げる光景は容易に想像できる。あいつにこの気持ちを伝えるには回りくどい言い方は無しに、直接的な言葉で伝えるしかないのだろう。
前回のでも俺は相当頑張ったんだ。…もう少し時間が欲しい。ユキも変わり始めているのだから、俺もあいつに習って少しは素直にならなきゃなんねぇんだろう。
もうユキは自分から死のうなんて考えることはない。俺のために生きると誓った。上官として俺を見ているユキに、それ以上の関係を意識させなければならないのは骨が折れそうだ。
握った手をゆっくりと開けば、先程自分に向けられた笑みを思い出して思わず口元が緩む。
視線を窓の先に向ければ、ユキはまた不器用な笑顔を浮かべていた。
「…まぁ、そいつはこれからじっくり教えていけばいい。時間はたっぷりあるからな」
「気が長くなるねぇ」
弱い風が吹き抜け、優しく頬を撫でていく。木漏れ日の暖かな光が彼女の黒髪を照らし、キラキラと幻想的に輝いていた。
ユキがこちらを振り返り、にこりと笑う。リヴァイもそれにつられるように、小さく笑みを浮かべた。
あなたがそう言ったから END
2018.9.24 _銀子