空色りぼん
□りぼんの少女
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「…チッ。エルヴィン、どうなってやがる」
屋根から見下ろす光景はとても眺めのいいものとは言い難かった。数時間前まで平穏に包まれていた空間は、壁の崩壊という形でその姿を失う。
シガンシナ区の壁が突破された。
そんな知らせがあり兵士達が駆けつけた時には、既に壁の中には巨人が溢れていた。
至る所から叫び声が響き渡り、巨人に食べられた人間の残骸がそこかしこに転がっている。見るに耐えない状況とはこのことだ…100年の平和が破られた事実に兵士達は驚きを隠せない。
「わからない。だが、我々がやることは決まっている」
”住民の避難が先決だ”
と続けられる言葉に、リヴァイは再び小さく舌打ちを零す。
エルヴィンの号令と共に刃を携えた兵士達は一気に街へと降り立っていった。アンカーを射出し、ワイヤーを巻き取りながら宙へと舞い上がり風を切る。
リヴァイが後ろを振り返れば、そこには普段壁の中でぬくぬくと過ごしてきた兵士達が、腰を抜かして震えている光景が広がっていた。
前進しているその殆どが自由の翼を掲げた調査兵であり、駐屯兵は戦力外…憲兵に至っては姿すら見当たらない。
「…クソが」
しかし、何を言ったところで腰を抜かしている兵士達が動くことはないし、こんな状況であっても内側の壁を乗り越えてこない憲兵に期待するだけ無駄だ。むしろ足手まといになるくらいなら来ないでいてくれた方がいい。こちらの邪魔をされたらたまったもんじゃねぇからな…。
リヴァイはアンカーを放ち、市街地へ向かって高く飛び上がった。巨人を削ぎながらあっという間に最前線へと躍り出たリヴァイは一度足を止めて辺りを見渡す。
兵士達が辿り着いていない領域までくると、未だに住民たちが我を失い逃げ惑っている。隠れてやりすごしていたものの、次々と現れる巨人に身動きが取れなくなったのだろう。
「きゃぁぁぁ!」
空を切るような高い声に視線を向けると、10m級の巨人が今まさに少女を摘み上げ口に放り込むところだった。
「…クソッ」
リヴァイは地を蹴り上げ、少女を貪ろうとする巨人に刃を振り上げる。しかし、この距離では間に合わない。リヴァイの眉間に皺が刻まれた…、その時。
ーー…ズシャァァ!
大きく広がる青い空に、
赤黒い血飛沫が舞った。
リヴァイの瞳が大きく見開く。…今、何が起きた?
宙に現れた一本の軌線。少女を掴んでいた巨人の首と胴は切り離され、大きな首はごとりと音を立てて地面に落下し転がっていく。
キィィィ…っという聞き慣れた立体機動の音と共に宙を舞う小さな物体は、勢い良く旋回し巨人の手から零れ落ちた少女をキャッチしてふわりと屋根に着地した。
…なんだ、あいつは。
頬についた返り血を手の甲で拭う人影は小柄な女だった。全身を黒い洋服で包み、何食わぬ顔で返り血を拭っている彼女の小さな体にはベルトが巻きつけられ、肩の上では濡れたように深い黒髪が揺れいてる。
思わず自分の目を疑いたくなった。あの女が10m級の巨人の首を斬り落としたのか…?兵士でもないあの小柄な女が?
俄かに信じがたいが、彼女の手に携えられた刃からは赤黒い液体が滴り落ち、目の前の女が殺ったという事を証明している。
あれはブレードか?…いや、ブレードで10m級の巨人の首を一太刀で切断するのは不可能だ。あれはブレードより丈夫そうに見える。
しかし、注視しなければいけない点はそこではない。どう見ても兵士ではない女がどうして巨人を討伐したのか。それも見るも鮮やかに、まるで熟練の兵士のように。
『首飛ばされて死なないの?…どうやったら倒せるの?』
リヴァイが固まっていると首を飛ばされた巨人が再生されていく様子を見て、女は怯えるわけでもなく、ただただ嫌そうに眉根を寄せる。
『兵士は何やってるの?』
絹のような黒髪が、ふわりと夢のように舞った。小さな背に広がる青と同じ空色のリボンが遅れて揺れる。
しかし、そこで女は俺の視線に気づいたのかこちらに視線を向けた。
「!」
『!』
ばちりとぶつかる視線。すると、女はあからさまに『げっ』という表情を浮かべ、自分の後ろを確認しながらもごもごと口を開いた。
『…いたの?…あ、えーっと……この子を宜しくね、兵士さん』
そう言うと同時に女は抱えていた少女をゆっくり下ろし、踵を返して逃げ出した。
「オイ、待て!」
ふわりと黒髪を靡かせ屋根を飛び降りた女を、リヴァイは反射的に追いかける。
「兵長!今のは!?」
「お前はその餓鬼を避難させろ!」
「え!?」
リヴァイは駆け寄ってきた兵士にそれだけ伝えると、逃げ出した女を追うべくパシュッという音と共にアンカーを放った。
ワイヤーを巻き取り逃げ出した女を追うが、女は器用に立体機動を使って建物の間をすり抜けるように逃げていく。
(…早いな)
小柄な体を活かし、ちょこまかと入り組んだ建物の間をすり抜けていく女。
そこら辺の兵士のレベルではない。調査兵団の熟練兵士と同等か、それ以上かもしれない。
すると建物の隙間から巨人が出てくるのが見えた。そのまま行けば目の前を飛んでいる女の正面に現れる。
「…クソッ!おい、止まれッ!!」
リヴァイの叫びに女は一瞬だけ振り返ったが、そのまま視線を前方に戻して飛び続ける…どころか速度を更に上げた。
「馬鹿が…ッ!」
女の正面に15m級の巨人が現れる。巨人が女に向かって手を伸ばした瞬間、巨人の腕が弾け飛ぶように切り離され、血飛沫が舞った。
いくつにも切り刻まれた肉塊は後を追うリヴァイに降りかかり追跡を妨害する。更に女は再び巨人の首を一太刀で斬り離した。
巨人の首が宙を舞い、屋根に落ちて転がっていく。
流れるように行われたそれは、息をつく間もないほど一瞬の出来事だった。目の前を飛ぶ女は巨人に恐怖するどころか、自分から逃げるための妨害に利用したのだ。
リヴァイは信じられない光景に一瞬止まりかけていた思考を再び動かし、頭の無い巨人の頸を削いで再び女を追うため路地裏へと身を滑り込ませた。
女が後ろを振り向くと、追いかけてきていた男の姿はなかった。
ほっと一息ついて前方に視線を向けた瞬間、目の前から自分を追いかけてきていた兵士が突如姿を表す。
『わ!?』
(…回り込まれた!?巨人で妨害もしたのに…!!)
顔を引きつらせた女に向かって真っ直ぐに突っ込んで行くリヴァイは、二本の刃を構える。
お互い立体機動同士で、この勢いではもう逃げることはできない。
すれ違う直前、顔を引きつらせる女にリヴァイはブレードを頭上に伸びるワイヤーめがけて薙ぎ払った。
ブォッ…ッ!
「!」
しかし、リヴァイの刃は体を仰け反らせ避けた彼女の黒髪を数センチ切り離しただけで空を切る。
(あの体制から避けただと?)
振り返れば女がくるんと回転して体勢を立て直し、再び建物の隙間に消えて行くところだった。
「リヴァイ!」
「…エルヴィンか」
再び追いかけようとしたリヴァイの足をエルヴィンが呼び止める。
「お前がすごい勢いで飛んでいたのを見たが、どうした?」
「…言っても信じるとは思えないが」
「それは言ってみないと分からないだろう」
リヴァイはもう一度女が消えて行った方に視線を向け、ゆっくりと口を開いた。
「…女だ」
「女?」
「あぁ、15m級と10m級の巨人の首を一太刀で斬り落とした」
「駐屯兵団の兵士か?」
「…いや、兵士じゃない」
エルヴィンは目を見開く。リヴァイに視線を向けるが、彼は真剣な表情を浮かべ遠くを見つめているだけだ。
「立体機動を使ってか?」
「…あぁ」
「それは面白いな」
”何言ってやがる”と向けられた視線を、エルヴィンは笑って軽く受け流す。
「兵士でもないのに巨人を倒した上に、立体機動で君から逃げたんだろう、その子は」
兵士でもないものが立体機動装置を持っていたこととか、刃をもっていたこととか問題は山ほどあるはずなのだが。
「どうして嬉しそうなんだ」
「いや?気のせいだろう。」
「…」
眉間に皺を寄せるリヴァイに、”そんな表情をしないでくれ”と言う。直後ドシン、ドシンと巨人の足音が響き渡った。
「この話は後だエルヴィン」
そして彼は再び宙を舞った。