空色りぼん
□決死の追いかけっこ
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『…危なかった』
建物の間をすり抜けながら、
少女は壁を目指していた。
超大型巨人が現れ100年の平和が崩された瞬間、人々は逃げ惑いウォール・ローゼへと避難を始めた。
偶然シガンシナにいた私は装備していた立体機動装置で一際高い建物の屋根に飛び乗り周囲を見渡す。
やはり全ての人が逃げ切れるわけではなく、逃げ遅れた人が次々と巨人の口に放り込まれていくのを見るのはあまり気持ちのいいものではなかった。
だから、”試しに”という感覚で巨人の首を斬り落とした。
立体機動装置は使い慣れていたし、兵士もまだ到着していないようだったから本当に気が向いて殺っただけだった。
だけど、その瞬間を一人の兵士に見られてしまった。
あれ、どこかで見たような気がする。
なんて一瞬思ったけど、獣を狩るような鋭い瞳にやばいと思い一目散に逃げ出した。
待て、とか聞こえたような気がしたけど聞こえないふりをする。まさか兵士がもうここまで来てるとは思わなかった。さっきまでいなかったくせに!
チラリと振り返ると、やはり先程の兵士が追いかけてきていた。
結構スピード出してるんだけどな…。やっぱり本物の兵士には敵わな…っていうかあれ?やっぱりあの人どこかで見たことあるような…。
[一人で一個領団並みの戦闘力があるらしいぜ、リヴァイ兵士長]
まさか、あの人類最強の!?一回凱旋で見ただけだけど、間違いない…人類最強の人だあれ!
…どおりで早いはずだ。
途中で自分に向かってきた巨人の腕を切り刻んで妨害したが、逃げ切れないかもと後ろを振り返れば人類最強と呼ばれる彼の姿は意外にもなくなっていた。
『助かった』
ホッとため息をつく。こんなに巨人がうようよいるのだから、得体の知れない女一人をかまっている暇はないのだろう。
巨人に感謝しなければ…と思った次の瞬間、キィィっというワイヤーの音と共に回り込んでいたのであろう噂のリヴァイ兵士長が目の前から現れた。
しかも、自分に向かって刃を構えて。
お互い立体機動同士。相手は私のワイヤーを切ろうとしているようだったが今更止まることもできない。間一髪体をのけぞらせると同時に身体を捻ってかわせば何とかギリギリワイヤーを切られる事は避けられたが、鼻の頭を刃が掠めて通り過ぎていった。
それから何とか逃げ切ったものの、あれは本当に危なかった。まさか人類最強に見つかるとは我ながら運がない。
逃げ切れたのは奇跡に近いが、
もう二度と会うことはないだろう。
私はもう一度安堵の溜息をつき、人気のなさそうなところを選んで壁を登った。
今は混乱が続き兵士たちも壁の上で待機していることはない。混乱に乗じて難なく壁を越えることができた。
**
***
「へぇ、それは興味あるね!」
「そうだろう?」
100年の平和が崩壊した日。
のちに人類最悪の日と呼ばれる出来事から数日後、後処理に追われていた兵士たちだったが、エルヴィンの話にハンジが目をキラキラさせて食いついた。
3人はというと”気晴らしにどこかへ食べに行こう”というエルヴィンのお誘いの元、珍しく兵舎から外出し晩食を食べに行った帰りだった。
「何せあのリヴァイが取り逃したってんだからね!」
「あそこで止められていなかったら捕まえていた」
「確かにその子も運がよかったねぇ。でも、リヴァイに見つかったっていうことに関しては運がないね」
ケラケラと笑うハンジに、
リヴァイは眉間の皺を濃くさせる。
「それにしてもリヴァイの一撃を避け、逃げ切った女の子…しかも巨人の首を一刀両断だろ?俄然興味が湧いてきたよ。是非一度会ってみたい」
「何言ってやがる、奴は兵士でもないくせに立体機動装置を持っていたんだぞ」
どうやって手に入れたかは知らないが、兵士でもないものが立体機動装置を使っているというのは重罪だ。
しかも、あの様子を見るに使い慣れているのだろう。むしろ平凡な兵士より使いこなしていた。
「どんな背格好だったのさ?」
「空色のりぼんをつけた黒髪の小さい女だ」
「黒髪…ってことは東洋人?」
「だろうな」
高い位置で一つに纏められたそれは、濡れたような綺麗な黒髪だった。あれは東洋人でしかありえない。幼い顔つきと黒真珠のような瞳もだ。
黒のタートルネックと短パンから伸びる白い手足。足に至っては立体機動に必要なベルトの本数より明らかに少なかった。
正式な兵士の訓練を受けていないから、正しい使い方を知らないのだろう。しかし、それなのにあの立体機動の技術…かなり腕が立つことは認めざるを得ない。
そのことを告げると、
エルヴィンは考えるそぶりをした。
「少し探させてみるか」
「東洋人なら珍しいから目立つだろうしね」
「無闇に探しても見つからないだろう」
「そうでもない、このご時世に違法に立体機動装置を使ってるなんて地下に潜むゴロツキくらいなものだろう」
”そうだろう?”
と問いかけられ、リヴァイは間をおき”あぁ”と答える。
確かに、自分もその中の一人だ。地下にいた頃は立体機動装置を使い悪事を働いたこともある。
こいつらが動き出しちまったら、あの女も逃げられねェだろうな。…と、リヴァイは思ったが自分には関係ないことだ。
夜の街には店ごとに異なる装飾が飾り付けられ、明るい光に包まれている。
あんなことがあっても、
壁の中は何も変わらない。
ウォール・マリアの住人はあれだけ苦労を強いられているのに、ローゼの人間たちは我関せずを貫いている。
そういう人間らしい光景に、リヴァイは盛り上がって会話をしている二人に聞こえないように舌打ちした。
自分に関係ないことだが、
やはり気分のいいものではない。
ーー…ふわっ。
「?」
その時、ふわりと自分の横で何かが舞った。
建物の角から来た人物が自分とすれ違った…ただそれだけだったのだが、リヴァイの瞳はその人影を追って振り返った。
ふわりと絹のように舞う黒髪。
腰まで真っ直ぐに伸びたそれと、
黒い洋服から伸びる白い手足。
そして黒髪に遅れて揺れる空色のりぼんに、リヴァイは瞳を見開いた。
「…お前」
『ん?』
リヴァイが腕を掴み、少女が振り返る。
黒真珠のような瞳が自分に向けられた瞬間、少女は前回と同じように”げっ”と顔を引きつらせた。
この女だと確信した瞬間、少女は太もものホルダーからナイフを取り出し、自分の腕を掴むリヴァイの手に向かって振り下ろした。
咄嗟に手を離し、少女のナイフは空を切る。だが、少女はそのまま更に一歩踏み出しリヴァイの間合いに入り込んできた。
黒髪から覗く殺意の籠った瞳と視線が交わる。その瞬間、背筋を這い上がるような寒気と共に少女から放たれる一閃がリヴァイの首を掠った。
「っ!」
息をつく間もなく放たれた一撃を、リヴァイは紙一重で身体を反らして避ける。
「リヴァイ!」
「え、え、どうしたのリヴァイ!?」
背後でエルヴィンとハンジが異変に気づいたのか声を上げている。しかし、リヴァイは振り返ることなく後ろ手をついて身体を反転させた勢いそのまま、少女の手に握られたナイフを蹴り上げた。
ーー…ガッ!
『っ!』
ナイフが宙を舞い、両者の間に距離が生まれる。それと同時に少女は踵を返して一目散に逃げ出した。
「オイ!待て、てめぇ!」
激しく繰り広げられた一瞬の攻防の後に逃げ出した少女を追うリヴァイに、「何があったんだ」とエルヴィンとハンジが叫ぶ。
「女だ!」
「何!?」
「女って、さっき言ってた巨人の首を斬ったっていうあの子!?」
「…クソッ!今度は逃がすか!」
一目散に逃げ出した少女を、
3人は逃がすものかと駆け出し追いかける。
興味はない、正直どうでもいいと思っていたが、あのナイフ捌きと身のこなしはやはり只者ではない。僅かな痛みに首に指を滑らせれば僅かに血が付着した。
立体機動同様、少女はちょこまかと建物を利用し逃げていく。
「ちょっと待って、私たちはあなたに危害を加えようとしてるんじゃないんだよ!」
『…っ』
少女がチラリと後ろを振り返ると、3人が自分を追いかけてきている。さすがは兵士というべきか、なかなか距離を離すことはできない。
(…やばっ)
危害を加えようとしてないとか一人の女…女だよねあの人。中性的な人は言っているけど、先頭走ってる人…あれ絶対危害加える気満々でしょ?
目がマジだもの、
獣を狩る目してるもの!
まさかこんな所でもう一度人類最強に見つかるとは思わなかった。しかも、すれ違っただけで気づかれるなんて!
(…こうなったらあの道を使うしかないか)
少女はギリっと歯を噛み締め、
一際細い路地裏へと入り込む。
町の光が届かない路地裏。
そこは袋小路になっており、
目の前には塀が行き先を塞いでいた。
「やっと追い詰めた」
そう言ってハンジが一息ついて足を止めた時、リヴァイは瞳を細めた。
「…いや」
少女はグッと体制を低くした瞬間、勢い良く飛び上がり左右の壁を交互に飛びながら軽々と塀を乗り越えていった。
あまりに一瞬のできごとだったが、あの身のこなし方は一般人ではないことを証明していた。
「えええ!?軽業師!?」
すとんと着地した少女は、
塀の向こう側から聞こえる声に小さく息をつく。
…よかった。
回り込まれる前にとっとと逃げてしまおう。
服についた砂を払い、
再び走り出そうとしたその時。
『え?』
ふっと、自分の上に影がかかった。
ーードサッ!
『いったたた…』
突如襲いかかる衝撃に少女が瞑っていた瞳を開けると、目の前には地面があった。
あれ?どうしてこうなったんだっけ?
起き上がろうとすると、
腰が押さえつけられたように動かない。
…まさか。
そう思った瞬間、
上から降ってきた声に私は背筋を凍らせた。
「俺から逃げようなんざ、いい度胸してんじゃねぇか」
恐る恐る首だけを動かして後方を見上げると、さっきまで先頭きって追いかけてきた人類最強の兵士が自分を見下ろしていた。
それはそれはもう冷たい視線で。
うつ伏せに倒れた私の背中の上に優雅に座り押さえつけていた。