空色りぼん
□愛馬の名前は
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「これからユキには自分の馬を決めてもらうよ」
『一人に一頭もらえるの?』
「うん、馬は壁外では唯一の移動手段だからね。馬との絆も高めてもらわないといけないから」
ハンジの言葉に”へー”と感心していると、”さっさとしろグズ”と言われる。リヴァイの馬はさぞこき使われているのだろうと思うと可哀想に思う。
馬舎の中に入ると、今までに見たことがないほどの馬の量に驚いた。一人一頭なのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、それにしてもこの量はすごい。
しかも街で見るような馬ではなく、体格がしっかりとしていてとにかく大きかった。聞けば調査兵団の馬は粗食に耐え、持久力も高いらしい。人間より立派だ。
「この辺はもう所有者が決まってるから、こっちから選んで」
『…って言われてもなぁ』
馬の基準なんて、乗ったことのない自分にはわからない。どれを見比べて見ても同じようにしか見えなかった。
『…!』
そこでふと、少し離れたところにいる馬と目があう。
「んな面倒くせェ事しなくても、適当に与えられた馬に乗ればいいだろ」
「ユキは訓練兵じゃないんだから、それくらいいいじゃない」
”チッ”っと舌打ちをするリヴァイを宥めていたハンジが、離れていくユキに気づく。
ユキは少し背伸びをして、その小さな手を一頭の馬に向かって差し出していた。
『ハンジ、私この馬がいい』
「ユキも珍しいところに目をつけたね。残念だけどその馬は使えないんだ、近く処分される予定でね」
『どうして?』
「性格が臆病すぎるんだよ、体格とか持久力は非常に優秀な馬なんだけどね…ここの馬はどうしても巨人に向かって行かなきゃいけないから臆病な馬は使えないんだ」
『…』
困ったように眉を八の字にしながら言うハンジを横目にユキが背伸びをして手を伸ばせば、瞳を閉じた馬はすりすりと顔を寄せてきた。
思わず小さく笑みが零れる。
『私この子にする』
「オイ、話を聞いてなかったのか。その馬は使えない。他の馬にしろ」
『いいじゃない、臆病でも』
「壁外での馬の必要性は昨日そいつに聞いていただろう」
『うん、それでも私はこの子がいい』
ユキの瞳がふっと柔らかく細められた。
『臆病者には、臆病者で充分だよ。』
小さく呟くユキの声はとても弱々しく、細められた瞳は寂しげな色を灯していた。
初めて見せるユキの表情に、2人は少しの間言葉を発することなく固まっていた。
その表情はいつも見せる飄々とした面影は一切無く、まるで今にも消えてしまいそうなほど儚く浮かべられていた。
寂しそうに細められた瞳からは、今にも大粒の涙が零れ落ちるのではないかと錯覚させられ、思わず伸ばしそうになる手をリヴァイはゆっくりと下ろした。
暫く固まっていたハンジがリヴァイの僅かな変化に気づき隣を見ると、やはり自分と同じような反応だった。
”巨人の首を一撃で切り落とすような女を、臆病者とは言わない”と悪態でもつくかと思ったが、その口からは何も発せられる事はなかった。
『一目でいいなって思った馬の方がいいと思うんだけど。…ダメ?』
ふと零されたユキの声にハッと引き戻されたハンジは慌てて「そうだね」頷く。
「じゃぁ早速乗ってみようか」
『うん』
「いいのか?クソメガネ、エルヴィンに文句言われても知らねぇぞ」
「大丈夫だって。この子だってユキと一緒なら大丈夫かもしれないし。それにもうこんなにユキに懐いてるんだもん、今更別の馬にしろなんて言えないよ」
リヴァイがユキの方を見れば、ぶるるっと喉を鳴らした馬がユキの頬に顔を寄せている。
会ったばかりのはずなのだが、まるで長年連れ添った信頼関係があるかのようにさえ見える。
『一緒に頑張ろうね』
そう言って馬を撫でるユキは自分達には決して見せることのない柔らかい笑みをうかべていて、リヴァイはこれ以上何も言うことができずに小さく舌打ちを零す。
「俺は責任をとらないからな」
「わかってるよ」
そう言いながらリヴァイは先に馬術訓練場へと向かっていった。
**
***
「ここに足を乗っけて、そうそう」
『ちょっと待って高い!』
早速馬に乗ろう!というところまで来たのだが、ユキは”高い高い”と怖がってもたついていた。
「なにが高いだ、あれだけ立体機動で飛び回っていたやつが今更何言ってやがる」
『立体機動と馬は違うじゃん!』
「喚くな、真面目にやれ」
『真面目にやってるよ!!』
パシッとリヴァイに頭を叩かれ、ユキは唇を噛み締めて意を結したように馬に乗った。
…が。
『いやぁぁ怖い怖い高い!』
そのまま上体を起こせず、ぎゅっと瞳を瞑りながら手綱を握って震えているユキにハンジは声を上げる。
「な、何この小動物かわいい!馬にしがみついてる感じがすんごくかわいいいい!」
「お前は黙ってろ、…オイ、上体を起こせ」
『無理!できない!』
馬にしがみ付きながら首を振るユキは、あろうことかそのままパッと手綱を手放した。
「馬鹿っ、手綱を離すな!」
『…え、ちょ…やだやだやだ!止まって兵長!』
ユキを乗せたまま馬はゆっくりと歩き出す。そのまま勢い良く走り出そうとした瞬間、リヴァイが手綱を掴み馬は歩みを止めた。
『…よかった』
「お前な…乗馬中に手綱を離す奴があるか」
脱力したように一息ついて安心しきっているユキの襟元を掴み上げ、リヴァイが馬から引きずり落とす。
『いたい!そんな乱暴しないでよ!』
「ピーピー喚くなうるせぇな。…で、なんださっきの「兵長」ってのは。まさか馬の名前じゃないだろうな?」
『そうだけど?』
当たり前でしょと言わんばかりに言うユキの頭をリヴァイは再びバシッと叩いた。痛々しく響くその音にハンジは「うわぁ」と顔を引き攣らせる。
『痛いなぁ!どうしてそんなすぐに叩くの!?この暴力男!!』
「なに当たり前のように言ってるんだてめぇ、ふざけたこと抜かしてんじゃねーぞ」
「いやぁ、いい音したね。でも、どうして馬の名前が兵長なの?」
『ただの嫌がらせ』
ハンジに答えると同時に、また頭を叩かれると警戒したユキはさっと頭を抱えて身を引いた。
…だが、いつまでもこない衝撃に恐る恐る見上げると、リヴァイは諦めたようにため息をつきながら兵長(馬の名前)の手綱をしっかりと掴み、首筋を撫でて落ち着かせていた。
「面白い口喧嘩してるところ悪いんだけど、ユキは恐ろしく乗馬の技術が無いみたいだね」
『…ぐっ』
「困ったなぁ、馬に乗れないと壁外調査には連れて行けないし…多分恐怖心さえなくなれば持ち前の運動能力で乗りこなせると思うんだけど。あ、そうだ。リヴァイが一度馬に乗せてあげたら?」
「ふざけるな、どうして俺がそんな事しなきゃならねぇんだ」
ハンジの提案にリヴァイが嫌そうに顔を顰める。その反応に「そんなに嫌がるんなら
いいよ」とユキも不貞腐れたように頬を膨らませる。
『今週中には自分1人でなんとかするよ』
「リヴァイ、こんな状態のユキが1人でなんとかできると思う?君はエルヴィンにユキの指導を任されてるじゃないか。一回乗ってみれば感覚も掴めるかもしれないよ」
「…チッ」
…あぁ、なんだ。リヴァイがここにいたのはやっぱり命令されたからだったんだ。暇なわけではなく。
…と思ったユキだったが、また頭を叩かれそうだなと思い心の内にとどめることにした。
「俺はこの壊滅的な下手くそがそれだけで乗れるようになるとは思わないが」
「やってみる価値はあるでしょ」
リヴァイは再び舌打ちすると「しょうがねェな」と言いながら自分の馬に軽々と跨った。
そして服についた砂を払う私に顎で自分の後ろを示してくる。どうやら後ろに乗れという事らしい。
『…よし』
息を整え足をかけて登ろうとした時、ぞわっと背筋に寒気が走り一瞬躊躇ってしまった。
その様子を見ていたリヴァイから「なにやってんだ」と苛立った声が聞こえてくる。
『分かってるよ!…ちゃんと乗るから…うわ!?』
言い終わる前にグイッと襟元を掴まれて一気に引き上げられる。
想像以上に勢い良く引き上げられ動揺したが、それどころではない。ぼーっとしていたら反対側に落ちてしまう。
ユキが何とか馬に乗ったのを確認すると、リヴァイが間髪入れず「行くぞ」と手綱を引こうとする。
『ちょっと待って!』
「なんだ」
『いきなり走ったりしないよね?』
「ちゃんと掴まっとけ」
慌てるユキを見たリヴァイは口元を吊り上げる。そのまま前を向いたリヴァイはどうやらもう止まるつもりはないらしい。
だが、掴まれと言われてどこに掴まればいいのか。掴まったら殴ったりしてくるんじゃないかと、ユキは遠慮がちにちょこんと洋服の裾を握れば不機嫌そうな声が零される。
「…お前、落ちてェのか」
『落ちないよ』
「…」
リヴァイは小さくため息をつき、そのままグッと手綱を引く。すると、馬が動き出しユキの視界がグラッと揺れた。
『…わっ!』
ユキは咄嗟にリヴァイの身体に抱きついた。先程の馬の首にしがみ付いたのと同様、抱きつくというよりはしがみつくという方が正しい。
『降ろして降ろして!』
「まず目を開けろ、上体を起こせ」
落ち着いた低い声に、ユキはゆっくりと瞳を開ける。
地面の草がどんどん後方に流れていく。馬の蹄が草を踏み、徐々にその景色を変えていく。
馬の身体と、二人分の足が見えた。
「ゆっくりでいい、目線を上げろ」
ユキは何も考えないようにしながらゆっくりと目線を上げる。
広場を囲む柵が見えた。続いて大きく手を振るハンジ。その隣には馬舎。
そして大きな木が聳える森と、更に向こう側には市街地と壁が見えた。
『…すごい』
ユキはその黒真珠のような瞳を見開いた。普段の自分からでは到底見ることのできない、高いところから見る景色。
それは想像していたよりも美しく、太陽の光に照らされ世界が輝いているように見えた。
「簡単なことだろう?お前はぎゃーぎゃー騒いでこんな下らねェことができなかった」
『…』
返事がないことを不審に思いリヴァイが背後に視線を向けると、ユキは目を輝かせて景色に見入っていた。
そのあまりにも純粋な表情にリヴァイは小さく笑う。
先ほど馬を選ぶときに見せた儚い表情ばかりが頭に残ってしまっていたが、こんな表情もするのかと無意識に肩の力が抜ける。
(…もう、こいつのあんな表情は御免だ)
ここに来てから飄々としていたから忘れそうになるが、ユキは地下街の人間だ。直接聞いたことはないがユキの住処に行ったときのことを思い出せば、なんとなく今までどんなふうに過ごしてきたのかが分かる。
だが、それはユキが今のように実力をつけ、自分の思うように生きられるようになってからの話だ。そもそも東洋人という珍しい特徴に加えて人目を惹く容姿をしているユキが、今のような力をつけるまでにどんな扱いを受けてきたのか…。
それは想像するだけで胸糞悪くなるような話だ。
だからこそ、ふと見せられたあの表情に胸が締め付けられるような思いがした。同じ地下街にいたからこそ分かる…ユキも自分と同じような苦労も当然してきたのだろう。
…いや、女である彼女は自分よりもっと苦労してきたはずだ。でなければ、あんな今にも消えてしまいそうな笑みを浮かべたりはしない。あの表情はこれまで数えきれないほどの苦労をしてきたユキだからこそできるものだ。…もうあんな表情は見たくない。
一方で暫く景色に見入っていたユキは、自分の頬にあたる硬い感触にハッと現実に引き戻された。
そうだ、自分はリヴァイに抱きついていたのだ。
そう自覚した途端、カァァッと顔が熱くなるのがわかる。こんなにしがみつくように抱きつくなんて!完全に取り乱した…恥ずかしい。
自分の失態に今更恥ずかしくなってくる。慌てて腹部に回した腕を離そうとすると、パシッと手を掴まれた。
「何してる」
『…いや、思わず抱きついちゃったから…ごめん』
他人に抱きつかれるのをリヴァイが好むはずがない。それに私はリヴァイにとって信用できない相手だ。
『元々馬に乗せるのもノリ気じゃなかったのに、こんなことされたらいい気分じゃないでしょ。だから、ごめん』
そう言うと、リヴァイは再び大きなため息をついた。