空色りぼん

□冷たい瞳
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「あいつ、憲兵に気に入られて栄転しようとしてるらしいぜ」


ーー最悪だ。

食堂で食事を摂るユキはそう思った。

自分が一部の兵士から嫌われているのは分かっている。それは当たり前の事だと割り切っているし、特に気にすることもなかった。

そもそも私は周りからすれば得体の知れない女だ。訓練過程もすっとばしているくせにひょっこりと現れて、しかも幹部と馴れ合っているのだから恨まれて当然だろう。

分かっていたから特に反論もしなかった。他のみんなは驚くほど受け入れてくれているし、仲良くもしてくれている。

だから気にしなければ済むことだ。今日の立体機動装置の件は少し驚いたが、自分の管理が甘かったというのもある。


だが、しかし。
ーー…しかし、だ。


どこで聞いていたのかは知らないが、憲兵に話しかけられていたところを見られていたらしい。

こそこそなんて事はせずに堂々と話している連中に、食堂全体とまではいかないが周りの空気が冷たくなっていくのを感じた。全く迷惑な話である。

隣で一緒にご飯を食べているペトラの表情もどんどん険しくなっていく。


「訓練もしてない奴がここに来れるっていうのはな、家の力しかねーだろ」

「どこの金持ちだか知らねェが、とっとと壁外につれてって巨人に食わせちまえばいいのに」

「東洋人だから裏で金持ちがついてんじゃねーの?」

「ちょっとあなたたち、いい加減に……んぐっ」


ペトラが立ち上がったのを見て、ぱしっとその口を手のひらで抑えた。「どうして止めるんだ」いう視線が向けられたが、もう片方の手でペトラの腕を引いて座らせる。

ゆっくりと手を離すと、ペトラはやっと離されたと言わんばかりに口を開いた。


「どうして何も言わないの!?あんなの酷いじゃない!」

『言わせておけばいいよ。放っておけば飽きるだろうし』

「なんでそんな冷静でいられるの?私絶対許せない、ああ言うクズ共見るだけでイライラする。それにあいつら、不祥事起こして憲兵団を追い出された奴らじゃない」


握りしめたフォークを握り潰しそうな勢いのペトラをユキは『まぁまぁ』と宥めていた。

当の本人が飄々としているその様子を遠くから見ていたハンジが小さく呟いた。


「あれじゃぁどっちが年上か分からないねぇ」


ははっと困ったように笑うハンジは、食堂に現れたリヴァイを見つけて「おーーい!」と大きく手を振る。

それに気づいたリヴァイは嫌そうに眉間に皺を刻んだが、食堂の端の異様な雰囲気に気づいたのだろう。

少しそちらに視線を向けていたかと思うと気になったのか、ハンジの前に座った。


「なんだ、あれは」

「それがね、ユキが憲兵に声かけられたらしくて、それを見ていた連中がせっせと嫌がらせしてるみたいなんだ」

「…他にも見ていた奴らがいたのか」

「え、なに。リヴァイも現場に居合わせたの?」


ハンジの問いかけにリヴァイは「まぁな」と短く答える。

あの場に他に人がいるとは気づかなかったが、あいつは意外にも憲兵からの勧誘を跳ね除けた。

元々調査兵団へは立体機動装置の不正使用で連れてこられていたユキは、ここに居座り続ける義理はない。調査兵団より憲兵団の方が力があると知っているユキは、この機会を利用して憲兵団に行く選択もできたはずだ。

だが、ユキは少しも迷うことなく勧誘を断った。しかも、調査兵団を馬鹿にするような発言をした相手をビビらせるほどの空気を放ちながらときたものだ。

ユキの行動に多少驚いたことは間違いない。まだ完全にユキを信用していなかったが、調査兵が誰も見ていないあの状況で発せられた言葉は信頼に足るような気がした。


…だが、ユキが断ったことを知っていてグチグチと文句を言っているあいつらはタチが悪い。殴り飛ばしたくなる。

だが、隣のペトラとは対照的にユキは涼しい顔をしていた。


「憲兵団への栄転を狙ってるなら、こんなところで訓練する必要もないだろ」

「ああ、そうだよな。壁の中のお偉いさんのところに行って腰でも振ってろよ」


「あははは」と二人の男が笑う。ペトラの握っていたフォークがパキンっと音を立てて割れた。ペトラは勢い良く立ち上がり、男のところへ行こうとする。

しかし隣に座っていたユキが食膳を持ち、ガタンと立ち上がったのを見たペトラは足を止めた。そしてユキに視線を向け、目を見開く。


「…ユキ?」


あまりにもゆったりとした足取りで、ユキは男達の元へ向かっていく。

未だにケラケラ笑っている男の前まで行くと、ユキは男の目の前に食膳を置いた。


「あ?」

「なん……」


ーーゾワ…ッ!

文句を言おうと視線を上げた男の動きがぴたりと止まった。

とんっと静かにテーブルにつけられる指先。妖面さを纏ったしなやかな動作で、動きを止めた男の顔を覗き込むようにユキはゆっくりと口を開いた。


『俺にも腰振ってくれって?なんなら相手してあげようか?』


身体の芯から寒気が走るような冷たい声に、男はびくりと体を震わせた。

視線を上げれば、彼女の瞳と視線が交わる。一切の光さえ灯していないその瞳は深い闇のように黒く濁り、全てを吸い込んでしまいそうなほど不気味な雰囲気を宿していた。

まるでこの世の全てを悟ってしまったかのような瞳に、男は言葉を発することさえ出来ず固まっている。足元を掬い上げるような殺気に頬を汗が伝う。


絹のような黒髪が、するりと肩から零れ落ちた。

それだけ見れば目を奪われてしまうような幻想的な光景だが、彼女の纏っている雰囲気に周りにいた兵士さえも息を飲んだ。


怒鳴るわけでもなく、たった一言。

そのたった一言で威勢の良かった男の口が縫い付けられたように塞がれる。一切の感情を灯さない瞳は、男に恐怖を与えるのには充分だった。


ユキはテーブルに置いた食膳を再び持ち上げると、男が放心しているのを見向きもせずに…まるで何事もなかったかのように食堂を後にした。


「…たった一言で黙らせちゃった」


ぽつりとハンジが呟く。


「なんだか「ゴロツキのユキ」を垣間見たような気分だよ。あんな表情見たことなかったな…」


ハンジはポカンと口を開いたまま固まっていた。いつもへらへらと笑っているユキと結びついていないのだろう。

しかし、あいつはゴロツキが蔓延る地下街で暮らしていた女だ。へらへら笑っているだけでは、あの場所ではやっていけない。

ここではそんな必要がないから陽気に過ごしていたのだろうが、その気になればその辺の兵士なんざ一言で黙らせるほどの力がある。

リヴァイは紅茶のカップを口元へ持っていき一口飲むと、小さく口を開いた。


「いつもはへらへら笑って隠しているが、あいつはあれでも地下街で生き抜いてきた女だ。うっかり噛み付かれないようお前も気をつけろよ」


ガタンッと椅子が倒れる音が響き、放心していた男達が悔しそうに歯を噛み締める。


「…くそっ!」


周りからの冷たい視線に居場所をなくした男達は早々と食堂をあとにした。



**
***



それからというもの、ユキはいつもと変わらず訓練に励んでいた。

訓練過程を経ていない兵士ということで色々言う連中もいたが、先日の一件以来手出しをするものはパッタリといなくなった。

まぁあれだけ顔を青ざめさせていれば、もう突っかかるような度胸も残っていないだろう。

…そんなので巨人に立ち向かっていけるかどうかは甚だ疑問だが。

初日の馬術に「あれはもう無理だろう」と思ったが、暇ができたエルヴィンと共に様子を見に行った時には馬に乗って駆けていた。

その成長に少し驚いたというのは認めざるを得ない。一週間前は馬にしがみついて手綱を離すという暴挙に出た奴が、ここまで成長するとは正直思わなかった。

あれならば立体機動同様、馬術の方も他の兵士と一緒に訓練できる日もすぐに来るだろう。


『ねぇリヴァイ、私と兵長の息ピッタリでしょ』


そうやって得意げに言うユキにはもう深く触れようとはしなかった。

「ふざけるな、名前を変えろ」と何度も言ったがユキが「兵長」と呼ぶと馬がユキの元に来るようになったらしい。

おかげでハンジがこっちをみて楽しそうに笑うようになった。始めはその度にイライラしてたが、もう慣れたので放っておく。


元々の潜在能力もあったが毎日訓練しているとはいえ、正直この短期間でここまで上達するとは誰も思っていなかった。


飄々としていて、掴み所がない女。

いつも『面倒くさい』とか『大変なの嫌だ』とか言っているが意外と努力家なんだと気づいたのは、たまたま夜風にでもあたろうと外に出た時だった。


ーー…バシュッ!

訓練場から小さく聞こえる音。

こんな夜中に誰だと思いなんとなく足が向かった。夜の闇が覆う森の中に、小さな松明の光が一つ灯っている。

その光の元にいる小さな影は、兵士ではあまり見られない腰まで伸びた髪を揺らしていた。

それが黒髪だという事はすぐにわかった。いつもの空色のリボンは付けられていない。

濡れたように綺麗な黒髪は珍しくおろされ、主の動きに合わせて自由気ままに舞っていた。


「オイ」

『うわっ!?』


背後から声をかければ、よほど集中していたのかユキは小さな体をビクリと震わせて振り返った。


『…なんだリヴァイか、驚かさないでよ』

「お前が勝手に驚いたんだろ、俺は驚かしたつもりはない」

『こんな夜中にいきなり後ろから声かけられたら誰でも驚くよ』


『お化けかと思った』と真面目な表情で呟くユキの手元を見ると、ブレードが握られていた。

その更に奥を見ると訓練用の巨人を模した的があり、既に何本もの切り込みが入っている。


「こんな夜中に一人で練習してたのか」

『いつまでも皆の手を借りるわけにはいかないから』


ブレードの損耗具合と削ぎ落とされた的を見れば、ユキが短期間でここまで成長した理由が分かったような気がした。

元からの身体能力に加え、毎日誰も見ていないところで1人訓練するほどの努力家。だからこそユキは立体機動を始めとして、あれほどの戦闘技術を持ち合わせているのかと納得するには充分だった。

当然、初めから全てができたわけではない。立体機動も刃物を使った戦闘技術も全てユキの絶え間ない努力によって身につけられたものだ。


『それに実力があれば認めてもらえるでしょ』


そう言ったユキは、少し寂しそうに眉をハの字にさせてへらりと笑みを浮かべる。

この間の一件の事を言っているのだろう。全く気にしていないという訳でもなかったようだ。


「たった一言で黙らせてた奴が良く言いやがる」

『…見てたの?』

「まぁな」

『誰かさんみたいに暴力でねじ伏せるよりはいいでしょ?』

「…誰に聞いた」

『ハンジとエルヴィン』


エルヴィンという意外な名前が出てきたことに少し驚く。

奴は巨人と調査兵団のことだけを考えていて、他人のいざこざにまで気を配るような奴だとは思っていなかった。

そう言われてみて改めて思い出してみると、エルヴィンはユキを異様に可愛がっているところがある。

自分の娘でも見ているかのような、そんな感じだ。こいつにはそういう人を惹きつける力があるのだろう。

短期間で調査兵団に馴染んだことも、あのエルヴィンさえも娘のように扱わせてしまったことも、全てユキの人柄があってこそできたことだ。

そういえば地下街でも随分信頼を得ていたなと思い出す。

かく言う自分も無意識に声をかけていたのは、彼女のそういう部分に惹かれていたのかもしれない。放っておこうと思えば、声なんてかけずに兵舎に戻れば良い話だ。

しかしユキは他人の心には踏み込むが、絶対に自分の中には踏み入れさせようとはしなかった。それは仲良くしているハンジであっても変わらない。

絶対に自分の領域には踏み入れさせない。例えどんなに仲良くしている相手でも、自分と他人の線引きは崩さなかった。


…それはまるで必死に自分の身を護っているようで、馬舎で『臆病者には臆病者で充分だよ』と言ったユキの寂しげな瞳を思い出させる。


『実力をつければ、リヴァイみたいに有無を言わさずみんなが認めてくれると思ってね。あとは単純に足手まといにもなりたくないし』

「俺は認められたくてやっている訳じゃない」

『それはそうだろうけど。でも、あんな冷たい扱いは出来れば受けたくないじゃない』


ユキは困ったように笑うと、その表情を隠すようにふいっと顔をそらした。


「お前みたいな無神経な女でも気にするとは意外だな」

『これでも些細なことで傷ついてるよ』

「…ほう?そいつは初めて知ったな」

『よーく覚えといて。だからもう少しくらい私のことを優しく扱って』


そう言って再びへらりと笑うユキの頭をくしゃくしゃと乱暴に撫でると、ユキは驚いたように目を見開いて俺を見上げてきた。


「…お前がもし本当に些細なことで傷つく女なら、よく頑張ったな」


目を見開いて固まるユキの瞳が真っ直ぐに向けられる。黒真珠のような瞳は息を飲むほど綺麗で、思わず視線を逸らした。


「…なんだ、お前が優しくしろと言ったんだろう」


くしゃくしゃと乱暴に撫でてから手を離せば、『痛い!』と文句を言いながらユキは頭を両手で押さえて後退る。


『全然優しくない…っ』

「褒めてやってんだろうが」


文句を言いながら再び的に向かい合うユキの背中を見ながら、自分の手に視線を落とす。

どうして自分がユキの頭を撫でたのかは分からなかった。ただなんとなく、そうしたかった。

誰にも知られることなく努力を重ねるその姿と、強がるようにへらりと笑うユキに勝手に手が動いた。

もうあんなふうに寂しそうな表情を浮かべて欲しくないと、俺はこのとき確かに思っていた。


  

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