空色りぼん

□真っ黒になった雑巾
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自主練中に当然やってきたリヴァイは、私の頭を乱暴に撫でた。「褒めてやってるだろ」と言うくらいならもう少し優しくしてくれてもいいじゃないかと思ったが、リヴァイが他の人の頭を撫でているところは見たことがない。

そう思うと少しだけ照れ臭くなってリヴァイに背を向けるように再び的と向かい合った。


「悪くないな」


ぽつりと呟かれる言葉にリヴァイを見ると、その視線は私が削いだ的に向けられていた。


[お前がもし本当に些細なことで傷つく女なら、よく頑張ったな]

一体今日はどうしたと言うのだろう。いつもは心を抉るようにキツい言葉ばっかり言ってくるくせに、なんだか調子が狂う。

てっきり文句を言われると思っていたのに、まさか褒め言葉が出てくるとは思わなかった。


『なんか変なものでも食べた?リヴァイに褒められるなんてなんか嫌な予感する。とんでもない不幸が起こったらどうしてくれるの?』

「お前に降りかかる不幸を俺のせいにするな。それに俺だって褒めることくらいある」

『ふーん。でも、どうもこのしなるブレードは慣れなくて浅くしか入らない。斬るのと削ぐのじゃ要領が違ってまだ慣れない』

「これくらい出来れば充分だろう、これに立体機動の機動力が加われば更に深く削げる。立体機動になったらこの威力が出せないんじゃないかという心配も、お前にはいらねぇだろうしな」

『なら、よかった』


切り込みが入る的を見ながら言うリヴァイの髪が風に乗って揺れる。

だが、リヴァイはもっと深く削いでいた。立体機動の機動力が加わっていたとはいえ、あそこまで深く自分が削げるようになるとは思えない。しかもあの時のリヴァイは手を抜いていたのだ。


『私的には安定してもう少し深く削げるようになりたいかな。そうすれば体制が多少崩れた状態でも巨人を倒せるだろうし。でもリヴァイほどは深く削げそうにもないや』

「お前はまだブレードの扱いに慣れていないだけで、元々刃物を扱う技術は高い。早いうちにできるようになるだろ。まぁ、俺ほどできるようになるとは思わねぇけどな」


そういうリヴァイに思わずきょとんとしてしまう。

なんだ?今日は本当に…前までの扱いとは違いすぎて不気味だ。ハンジが言うように私の実力をある程度認めてくれていそうではあるのだが、…何かが変だ。

…あぁ、もしかして私のことを慰めようとしてるのだろうか。

食堂での一件もあったし、さっきも私は少しだけ弱音を吐いた。…それについてもしかしたら、…本当に僅かな可能性だけどリヴァイは私を気遣ってくれているのかもしれない。

本当にそうかは分からないが、もしそうなのだと思ったら少しだけ笑ってしまった。

急に笑った私に当然リヴァイは「なんだ」と不機嫌そうに鋭い視線を向けてくる。


『いや、人類最強の兵士長殿に褒めてもらえるとは思わなかったから』

「兵長だなんて呼んだことねーだろ」

『兵長って呼んだほうがいい?』

「いや、いい。気持ち悪い」

『気持ち悪いってひどくない?…当たり前だけどみんなリヴァイのことを兵長って呼ぶし、今なら呼び方変えてあげてもいいと思ったのに』

「なんで上から目線なんだ。このままでいい、今更変えられるのも慣れねぇ」

『まぁ、兵長だと私の馬と同じになっちゃうしね』

「それは何度も変えろと言ったのにお前が変えないからだろ」


けらけら笑うと、リヴァイは「チッ」と舌打ちをして私からブレードを取り上げた。


『え、ちょっと返してよ』

「返さねぇ、今日はもう終わりだ。こんな夜中にやってるから朝起きられなくなるんだろう」

『朝は元から起きられないから関係ない』

「開き直るな。それとここでの練習は隠れてやってるわけじゃねぇだろうな?」

『エルヴィンにはちゃんと許可取ってるよ』

「ならいい。だが、今日はもう終わりだ」

『ええ、どうして』

「命令だ」


「ちゃんと片付けろよ」と言いながら兵舎に戻っていくリヴァイは、有無も言わさず去っていってしまった。

仕方なく片付けをして松明の火を消せば、夜の闇が目の前の森を覆っていた。


『…』


兵舎に戻ろうとして、ふと頭に触れたリヴァイの手を思い出す。仕事の仲介人であった親父以外で、男の人に頭を撫でられたのなんていつぶりだろうか。

かなり乱暴ではあったが、まさかあのリヴァイに撫でられるなんて思ってもみなかった。

リヴァイにとって私は地下街から来た信用できない女だ。調査兵団に害を成さないかの監視対象でしかない。

…だが、それも少しだけ…ほんの少しだけ変わってきているのかもしれないと思うと、なんだか嬉しかった。

本当に最近の私はおかしい。ここに来てからこんなことばかりだ。調査兵団という居場所に愛着が湧き始めてしまっている…いつ裏切られるかも分からないのに。

そうだ、いつ裏切られるかは分からない。今までのことは全部嘘で突然地下牢に放り込まれるかもしれない。男の多いこの兵団でいいように弄ばれるかもしれない。これまでの罪を問われて殺されるかもしれない。

だからこそ今までと同じようにちゃんと線引きだけはしっかりしなければならない。自分と他人の境界線。他人の心に踏み込むことはあっても、自分の領域には決して踏み込ませない。

たとえ裏切られたとしてもすぐに行動できるように。自分の身を護れるように。


これは臆病者な私の、精一杯の防御術だ。



**
***



「全くなってない、全てやり直せ」


箒と雑巾を持った兵士たちが固まった。目線の先には不機嫌そうに眉間に皺を刻んだリヴァイ。

窓のサッシに指を滑らせ、これでもかというほど不機嫌そうな表情を浮かべている。

会議室の掃除を任された私と他5名の兵士だったのだが「終わったよー」と報告してリヴァイが来て、今に至るというわけだ。


『もう充分綺麗になったと思うけど』

「お前の目は見えてるのか?」

『見えてるよ、失礼な』

「だったらこれはなんだ」


そう言ってリヴァイは指についた埃を突き出してくる。そりゃあんたが勝手にサッシに指を突っ込んだんでしょーが。


『机も床も綺麗だよ』

「俺は会議室を掃除しろと言ったはずだ、机と床とは言ってない」


まさか潔癖なのか?このリヴァイが?

一瞬ぽかんとしてしまったものの、改めてリヴァイを見るとなんか納得できた。


『確かに、ガラの悪さを気にしなければ着ている服も持ってるものも綺麗だもんね』

「てめぇ喧嘩売ってんのか」


「やり直せ」と言ってバタンと扉を閉めて出て行くリヴァイに、思わずため息をつく。


「お前は相変わらずすごいな…リヴァイ兵長にあんな口聞くなんて」

『そうかな?…でも、改めて考えるとあんな偏屈な人でも一応上司なんだよね…』


分かってはいるけど、今更態度を変えるのも変な気がする。しかも兵長って呼ぼうかと言ったら気持ち悪いと返された。あれは完全拒否だった。


「俺は怖くて絶対あんな風に口答えできねぇよ」


まぁ、あの人は視線だけで人が殺せそうだもんね。


『…はぁ、どうして急に掃除なんか始めたんだろう』

「知らないの?ユキ」


その声に振り返ると、
ペトラが小首を傾げていた。


「この時期に会議室を掃除しろって言われたら、壁外調査以外ないよ」


あぁ、そうか。壁外調査だ。

ここに来て訓練ばっかりでそれどころじゃなかったけど、調査兵団と言えば主な仕事は壁外調査だ。


「ユキは今回の壁外調査に参加するの?」

『どうだろう』


壁外調査についてはまだ何も言われていない。エルヴィンに書類を届けに行ったりもよくしてるが、一度も壁外調査の話になったことはなかった。

それはハンジもリヴァイも同様だった。


「まだ来て一ヶ月経ってないもんね。今回はお留守番かもよ」

『ええー』

「何、行きたかったの?」


ペトラは目を丸くする。当然だろう、志望したわけでもないのに壁の外に行きたいと思う人はごく少数だ。


『うーん…どっちでもいいかな』

「なにそれ、自分のことでしょ?」


確かに自分のことだ。だけど壁外に行きたいとも思わないし、行きたくないとも思わない。

どっちでもいいというのが本音で、つまりは私は自分の事にそんなに興味がなかった。


『でも、やっぱりお留守番の方が楽か』

「なにそれ」


「変なの」とペトラは笑う。私が壁外調査に行くか行かないかはエルヴィンが決めることだし、私がどうこう考えても仕方ない。

あとで聞いてみようと思いながら掃除を再開した。



**
***



「まぁ、こんなものだろう」


その一言によって、私たちの長く果てしない掃除は幕を閉じた。

結局、あの後何回も「終わったよ」「やり直せ」繰り返しだった。

何がそんなに不満なんだ、あなたには何が見えているんだとぶつくさ文句を言いながらも、何とか最終的に合格をもらった。本人は満足はしていないようだったけど。

なんだかんだ一日かかり、こんなことなら訓練の方が楽だったと切実に思った。


「やぁユキ、おつかれ」

『ハンジ』


ぐったりと談話室のソファで項垂れていると、ハンジがやってきた。

その目の下には少しクマがあるように見える。やっぱりそろそろ壁外調査ということが関係しているのかもしれない。


「エルヴィンがお呼びだよ」

『…エルヴィンが?そっか、ちょうどよかった』

「どうして?」

『話したいことがあったから』

「もしかして壁外調査の話?」

『どうして分かったの?』

「お呼出しもそのことについてだと思うよ」

『着替えたらすぐ行く』

「分かった、そう伝えとくよ」


そう言ってハンジと別れ、急いで着替えてエルヴィンの執務室へ向かった。



**
***



扉を開けるとそこにはエルヴィン、リヴァイとハンジまで揃っていた。


「君を呼んだのは他でもない、二週間後に迫った壁外調査についてだ」


やっぱりそうかと心の中で思う。そんな私の表情を読み取ったのか、エルヴィンはそのまま続けた。


「君にも、今回の壁外調査に参加してもらおうと思っている」


私はもう一度、やっぱりそうかと思った。


「君の訓練成果については色々と聞いていてね、問題ないと判断した」

『分かった』


あまりにあっさりと答えた私に、ハンジが少し驚いたように口を開く。


「で、でもいいの?まだ来たばっかりなのに」

『私はそのためにここに連れてこられたんでしょ?なら、やるよ。』

「ユキ、君には今まで通り訓練に励んでもらう。作戦については後日説明しよう」


『うん、わかった』と頷いてみんなの顔を見れば、エルヴィンはいつもと同じ団長たる威厳のある表情を浮かべ、ハンジはあまりにもあっさりと了承する私に少し驚いているようだった。

そしてリヴァイはというと、特に興味もないのか無表情で澄ました顔をしていた。「足手まといになるなよ」とか嫌味の一つでも言われるかと思いきや、何も言われなかった。

そうして私は初めての壁外調査へと向かう事になった。





 
 

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