空色りぼん

□夜中の見張り台
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日が沈み、ゆっくりと空が濃紺に包まれていく。松明の光がぼんやりと瞳にうつった。

調査兵団は本日の宿である拠点についたのだが、そこでホッと一息というわけにはいかなかった。

負傷者は慌ただしく運ばれ、隣を通り過ぎるたびに苦しそうなうめき声が聞こえる。私は怪我人運びを手伝いながら、周りに視線を巡らせていた。

そしてリヴァイやハンジ、エルヴィンらの姿を見て安心した。しかし言葉を交わすことはない。そんな余裕は相手方になさそうだったからだ。

特に向こうはみんな何かしらの役職についているから、私より何十倍も忙しいに違いない。

明日の巨人の捕獲については、出発前に確認済み。確認済みと言っても「俺の動きに合わせろ」としか言われないふざけた打ち合わせだったので、今更何もすることはない。

それに「生きててよかったね」なんて、仲間の死体の前で言えるはずもない。


「…」


そんなユキの様子を、ナナバは横目で見つめていた。彼女は今回、自分が班長とする三列三・伝達班として同行していた。


壁から離れていくうちに、上がっていく赤い煙弾。”それ”が近づいてきていることは班の全員が分かっている。

しかし、班員は左右に視線を振ることなく前を見続け進行する。そんな時、ユキだけが斜め後方に視線を向けていたのにナナバは気づいた。

その視線の先には隣の班員。辛うじて見えるほどの距離だが、巨人に襲われまさに戦っている最中だということが見てとれた。

ナナバはユキの手元を見て目を見開く。今にもユキは手綱を引いて進路を変え、襲われている兵士の元に行ってしまいそうな勢いだったからだ。


「ユキ、前を見なさい」

『…』

「まさか、助けに行くつもりじゃないでしょうね」

『…』


相変わらず返事は帰ってこない。聞こえてはいるだろうが、自分の方を振り向こうともしない。

そのスピードが落ちることは無かったが、後方から視線をそらそうとはしなかった。


「それは許されないわよ、あなたがここで動いたら陣形が崩れる」

『…』

「あなたの実力は聞いているわ、でもここは動くべきじゃない。それぞれの役割を果たすの」

『…』

「班長の命令を聞けって、団長からも言われたでしょう」


その時、ナナバは不覚にもユキのその先にある光景を見て眉根を寄せた。

兵士が巨人の口に収まる瞬間。立体機動中の体を捉えられ、腕が引き裂かれ血飛沫が散る瞬間を。


ハッと気づいた時には、ユキは前を向いていた。その黒真珠のような瞳で、真っ直ぐ前を見据えている。


『わかってるよ』


あまりにも冷静で、不気味なほど透き通る声。悲しむでもない、声をあげるでもない。

何の感情も示さない無表情よりも一切の光さえも灯していない、吸い込まれてしまいそうなほど冷たく濁った瞳に、ナナバは鳥肌さえ立ったのをハッキリと覚えている。


真っ直ぐ前に向けられた瞳は、深い闇の如く黒く濁っている。じとりとしたそれは、まるで世界の全てを悟ってしまったかのようだっま。

とても少女のものとは思えないほど冷淡なそれは、ただ眼前の景色を捉えている。


「…それならいいの」

『班長、先に確認しておきたいことがあるんだけど』

「それは今じゃないと駄目?」

『いつ巨人がくるか分からない状況だからこそ、今じゃないと駄目』


相変わらず感情の読めない冷静な声に、ナナバは「なに?」と答えた。


『もし私たちより外側の兵を切り抜けて奇行種が来たり、索敵の取り零しで巨人が目の前に現れたら…つまりこの班が戦闘を余儀無くされた場合は、班長の指示を待たないで私が行ってもいい?』

「どうして?」

『班長が行くのは例外、他二人は予備の馬を並走させてるから私が一番適役だからだよ』


…確かにユキの言うことは理に叶っていた。この中で一番適任なのはユキだと誰でも思うだろう。彼女の実力は調査兵団内ではもう噂になっている。

だがユキはこの壁外調査が初めてであり、明日にはリヴァイとの巨人捕獲任務にも就いている。


「あなたは明日兵長と巨人捕獲任務があるのよ」

『もちろん、サボるつもりはないよ』


ナナバは眉を寄せた。どうしたものか、これは中々に強敵だ。しかし、言って簡単に頷くような子じゃないだろう。ナナバはため息交じりに口を開いた。


「分かったわ」

『あなたなら分かってくれると思った。』

「え」


ーー…パシュッ!
アンカーが放たれる。

その音の主をナナバが認識した時には、ユキの小さな体は既に宙に舞っていた。


「ユキ!?」


ユキが飛んで行った方向に視線を向けると、建物の影からこちらを見ている巨人と視線が交わる。


「ひっ」

索敵の取りこぼした巨人の出現に思わず背筋が凍りつく。全身を寒気が駆け抜けた時、黒い影が宙を横切りバシュッという音と共に肉塊が宙を舞った。

巨人の頸を中心に液体が飛び散る。続いて巨体が地面に沈む重い音と共に大地が揺れる。

舞い上がる砂煙の中心に降り立ったユキの黒髪が風に揺れた。

呆気にとられている私たちを気にする様子もなく、ユキはブレードについた血を振り払う。

巨人の頸を息を付く間も無く削いだことに呆気にとられたが、それ以上に『兵長ぉー』と呼ぶユキの元に彼女の馬が駆け寄って行ったのを見て更に驚いた。

なんだ、その名前は。
まさか馬の名前か、と。


それからというもの、ユキは全速力で走り抜けようとした奇行種の項も削ぎ、初陣にして討伐数2となった。

と、言っても自分達の班が遭遇した巨人はそもそも2体だったのだから、その全てを討伐したということになる。

ユキの実力は噂には聞いていたが、ナナバと他兵士は呆気に取られたというのが正直な感想だった。



**
***



『……寝れない』


ユキはむくりと起き上がった。

薄暗い空間。周りを見渡せばたくさんの兵士が毛布に包まり深い眠りの中へ落ちている。

しかし、寝れない。このどこでも寝られることが自慢な私が、寝れない。一度寝たら蹴り起こされるまで起きない私でも、寝付けなくては意味がないのだ。

全くちっとも、
微塵も眠くない。


少し気分を変えようとむくりと起き上がって静かに部屋を出る。

夜中には誰かしら見張りについてるはずだから変わってもらえばいい。見張りの兵士も眠い体を引きずっているんだろう。

カツン、カツンと足元の悪い階段を上って行く。やがて松明の炎が見えたと思い上を向くと、見張り番であろう兵士の自由の翼を背負った背中が見えた。


カツン、と小さな靴音を鳴らしながら階段を登り切る。それと同時にこちらを振り返った人物を見て思わず目を見開いた。


『…リヴァイ!?』

「…」


驚いて固まる私を見たリヴァイはあからさまに眉間に皺を寄せた。


『…どうしてリヴァイがここにいるの?役職に就いてる人は見張り番には就かないと思ってた』

「本来見張りにつくはずの奴が来られなくなったからだ」


その返答にぽかんと開いていた口を閉じる。来られなくなった、ということは重傷を負ったか死んだということだ。

いずれにしても楽しい話ではない。私はすとんと壁に背をつけて座った。


『それで兵士長様がねー…、ご苦労様なことですねぇ』

「お前は何しにここに来た。初陣の奴は見張りにはつかないだろ」

『…うーん、そうなんだけど』


なんて答えようかと迷っている私に一瞬だけ視線を向けたリヴァイは、再び外へと視線を戻した。


「寝られないのか?」

『生憎、人の家ですやすや寝られるほど尻軽女じゃないの』

「初日から爆睡してた奴がよく言うな」

『まだ覚えてるの?』


けらけら笑ってみせると「誰が起こしたと思ってるんだ」と言いながら睨みつけられる。そんなに怒らないでよ、もうだいぶ前の話じゃないか。

リヴァイから視線をそらして空を見上げれば、満点の星空が広がっていた。ゆっくりと瞳を閉じると柔らかな風が頬を撫で、髪を優しく揺らす。

見張りのため外へ視線を向けるリヴァイの背中を見るが、リヴァイは何も言わない。思えば壁外へ出てから初めて顔を合わせて言葉をかわした。

…まぁ、この男から「生きてて良かった」なんて言葉が出てきたら、明日私は死ぬかもしれないが。

ただ、その成人男性にしては小さな背中にやはりホッとしている自分がいた。

生きててよかったと。人類最強と言われているこの男が死ぬわけ無いとは分かっていても、壁外では何が起こるかわからない。

それこそ、昼間に見た仲間のように巨人に食べられる可能性に例外などない。




 
 

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