空色りぼん

□暖かい毛布に瞳を閉じた。
1ページ/1ページ




「怖くでもなったか」

『え?』


ぽつりと零された言葉に視線を向けるがリヴァイは相変わらず背を向けていて、見えるのは自由の翼だけだった。


「寝られなくなったんだろう」

『まさか、巨人が怖くて寝られないわけじゃないよ』


その言葉に嘘はない。手に震えもないし、巨人を見ても仲間を食べられているところを見ても恐怖は感じなかった。

そんな感情はとっくの昔に消え去っていると分かってはいたものの、いざ巨人に食べられている仲間を見たときも恐怖を感じなかったのは人間としてどうなのだろう。…分かっていた事だけど。

人が死ぬのを見るのも仲間が殺されるのも全てが今更だ、もう慣れている。それほど私は死というものが常に身近にあった。


『私にとっては壁の外も中も大して変わらないよ。巨人に食われるか、……ーー』


ーー人間に”食われるか”。

そう言いそうになった言葉を飲み込んだ。何を言おうとしてたんだ私は。そんなことリヴァイに言ってどうする。


『巨人に殺られるか、人間に殺られるかの違いでしょ』


同じ地下街にいたんだから、これくらいなら言ってもいいだろう。一度言いかけていた言葉を不自然に途切らせてしまったがどうせ気にしてもいなさそうだ。

背を壁に預けるようにもたれかかりながら空を見上げる。

リヴァイは何も言わなかった。思い当たる節があるのか、それとも自分の過去を思い出しているのかは分からないがきっとそれに近いだろう。

この男が何を考えているかなんて私には全く想像もつかない。リヴァイは今まで見てきたどの人間ともタイプが違って表情も感情も読みづらい。


『…リヴァイ』

「なんだ」

『私、調査兵団にきて良かったと思ってる』

「…壁外にきてるっつーのに、随分と余裕だな」

『あぁ、ごめん。不謹慎だね…気分を悪くしたんなら謝る』


今回の壁外調査でも少なからず死人が出ているのに不謹慎だったかと素直に謝罪する。


『壁外調査に関わらず、こんなふうにいろんな人たちと寝食を共にしてくだらないことで笑い合って…そんな風に過ごしたことがなかったから案外楽しいものなんだって初めて知った』


仲間はいても仕事上の関わりだけだった。他に自分の周りに集まってくるのは私のことを性処理用の道具か商品として見てくる連中だったり、私に恨みを持っている人間だ。あとは、怯えた瞳を向けられるくらいか…。

…だけど、今は違う。

朝起きれば「おはよう」と馬鹿みたいに手を振って来る人がいたり、共に訓練をし、夕飯を囲って食べる仲間がいる。

その仲間は壁外へ出れば互いに支え合い信頼し合う、同じ自由の翼を背負った人間だ。

自分にこんなふうに仲間ができて共に行動をするようになるなんて、少し前までは想像もしていなかった。自分とは縁のない、遠い世界の話だと思っていた。


『なんだか生きてるって感じがする。やることがあって毎日が充実してるからかな』

「調査兵団に来てよかったなんて言ってやったら、奴らは喜ぶだろうな」

『…奴らって?』

「…エルヴィンにミケ…ハンジなんざ耳障りなくらい喜びそうだ」

『あはは、そうかも』


”本当かいユキ!?私は嬉しいよ!!”

なんて言いながら、鼻息荒く飛びついてきそうなハンジを容易に想像できる。かなり鬱陶しそうだ。


「お前が何を思ったかは知らねぇし知るつもりもねぇが、その歪んだ感情もちったぁ改善されたようだな」

『ほんの少しだけね。でも正直まだ戸惑ってるよ、私には今まで縁のなかったものだから。それに私は臆病者だからね』

「初めての壁外調査で巨人を2体討伐するやつは臆病者とは言わねぇよ。そのうちの1体は奇行種だったそうじゃねぇか」

『たまたま私の前を通りかかっただけだよ。それに巨人を見るのは初めてじゃないし』

「たまたま通りがかった巨人をあっさり殺すようなやつのどこが臆病者なんだか聞かせてもらいたいものだな」

『私にとって巨人はそれほど脅威じゃない。それよりも私は未だに調査兵団の気が変わって、地下牢に放り込まれるんじゃないかって怯えてる』


やっぱり私にとって一番警戒すべきは人間だ。そして死よりも恐ろしいのは自由を奪われ、終わることのない苦痛と恐怖を与えられることだ。

それが如何に絶望的で恐ろしいのかを私は知っている。再びあの恐怖を味わうくらいなら、私は迷わず死ぬことを選ぶだろう。

だからこそ私は人を信用できない。調査兵団で普通の兵士としてこの先も扱われると確信できない。…自分が今までやってきた悪事が全て無かったことになるとは思えない。


『だからさ、リヴァイ。もし私を地下牢に放り込むくらいならいっそのこと潔く殺してよ。地下牢に入れても私は大人しくしてないよ。全力で脱出する方法を探すし、無ければ次の日の朝までには死んでるだろうね』


軽く笑ってそう言えば、外を見ていたリヴァイの瞳がこちらに向けられた。その眉間には深い皺が刻まれている。


「エルヴィンは今更お前をどうこうするつもりはない」

『それは分かってる。頭では分かっていても、それを全部鵜呑みにできるほど私は馬鹿じゃないし、なれない』

「お前も知っているとおり俺も元は地下街の人間だ。その俺が今も平然と調査兵団に居座っていることが、お前の身の安全を保証することと同じだろう。調査兵として力を貸すのであれば、エルヴィンは俺たちの罪を不問にするという約束を守っている。その点については信用していい」


確かに私と同じような経緯で来たリヴァイが未だに罪を問われていないのであれば、私も同じ扱いなのだろう。リヴァイの言うことは的を得ていた。


「1ヶ月以上も調査兵団にいて、ここの奴らはそんなに信用できなかったか?」


そう責めるように問われれば、当然信用できないわけではなかった。私が自分でさっき言ったようにここで過ごした時間は素直に楽しいと思ったし、彼らを仲間と思うこともできている。


『ここの人たちが悪いわけじゃない、私が必要以上に疑り深いのが悪いんだよ。私はそうやって生きてきたから、それ以外の生き方がわからない』

「お前が思っているほど、人間は腐った奴ばっかじゃねぇ。お前が今まで見てきたようなクズばっかりでもねぇ…今までを基準にするな。”あの場所”を基準にしてちゃ何も進まない」


リヴァイが望遠鏡をコトリと置いて瞳を細めた。自由の翼が風に乗って揺れる。


「信頼に足る人間は、必ずいる。」


それは自分と同じように地下街からきたリヴァイが実際に調査兵団に来て感じたことなのだろう。リヴァイが調査兵団の人間を強く信頼していることが、これでもかというほど伝わってきた。

リヴァイがこれだけ信頼しているのだから、私も信頼していいのかもしれない。自分の心を全て置いておける場所になるのかもしれない…。

無意識に視線を上げると、リヴァイと視線が交わった。その眉間には皺がなくなっていて思わずクスクスと笑えば「なにを笑ってる」と不機嫌そうな声が返ってくる。

この夜の幻想的な雰囲気に飲まれて弱音を吐いてしまった自分をこれでもかというほど悔いたが、リヴァイは私を突き放すことなく安心させるような言葉をかけてきた。

そういえば前も調査兵団内で悪質な嫌がらせに遭った時も、こんなふうに慰められたなと思い出して思わず笑ってしまった。

…なんだ。こんなにガラが悪くて粗暴で近寄り難い雰囲気を出しているくせに、やっぱり困っている相手を放って置けない優しさを持っているらしい。


『なんでもないよ』


これでもかと言うほど冷たい視線を向けられながらそう言えば、リヴァイはチッと舌打ちをして時計を確認する。


「あと5分で交代だ」

『次は誰がくるかな』

「まだいるつもりか」

『寝られないんだもん、だからここに来たんだし』

「好きにしろ」


もうどうでもいいと言わんばかりに吐き捨てるように言われた時、早めに来たのであろう次の見張り役が姿を現し目を見開いた。

目の前には見張りをするはずがない兵士長に、ちゃっかりと座り込んでいるこれまた見張りに着くはずのない初壁外調査の私。


「どうしてリヴァイ兵士長がここに!?言って頂ければ私がやったのに…」

『いいのいいの、そんなの気にしないでよ』

「お前はそこで座ってただけだろうが」

『いたっ』


ゴッという鈍い音と共に頭に衝撃が走る。見上げればリヴァイが望遠鏡を兵士に手渡していた。

…え、まさか望遠鏡で叩いたの!?
あんな硬いやつで!?

やっぱりあの暴力男は優しくなんかない。8割が暴力でできていて2割しか優しさがない。いや、1割かもしれない。


「後は任せる」と言ったリヴァイに『また明日ねー』とひらひら手を振ると、リヴァイは眉間に皺を寄せ私の襟元をガシッと掴んだ。


「何言ってる、お前もだ」

『え?だってさっき勝手にしろって言っ……ちょっと、痛いって!引き摺らないで!』

「うるせぇ騒ぐな、他の奴らが起きちまうだろうが」

『…ぐっ!』


そう言われてしまっては大人しく口を閉じるしかない。それを良い事にリヴァイは襟元を引っ張っりながら階段を降りていく。

やがて部屋につくとドサリと乱暴に床に放り投げられた。慌てて受け身をとった私が文句を言おうと起き上がろうとすると、ばふっと視界が一気に暗くなる。

どうやら毛布を投げられたらしい。もぞもぞと顔を出せば、その男は既に隣に寝転がっていた。


『…もうちょっと優しく扱ってくれてもいいんじゃないの?』

「…」


この男はもう無視を決め込む事にしたらしい。こちらに背を向けて返事すら返ってこなくなった。

なんだよもう…と思いながら仕方なく私も寝転がって瞳を閉じる。…が、やっぱり眠くない。眠れない。

…そりゃそうだ。いきなり床に放り投げられて毛布投げつけられて、優雅に居眠り決め込んだ男の隣で寝られるわけがない。

というかさっきまで寝られなかったのに、更にイライラが加わって寝られるわけがない。

そんなこんな考えているうちに結構時間も経った。ちらりと横に視線を移してみれば、背中を向けたままピクリとも動かない。

やっぱり人類最強と言えど人間。睡眠は取るという訳だ。しめしめと思いつつゆっくりと起き上がる。油断は出来ないので音を出さないように起き上がった時、ガシッと腕を掴まれた。


「何をしている」

『…いや、…そのー……起きてたの?』


掴んだ人間が誰かなんて振り返らずとも分かる。

明らかにイラ立った声にゆっくりと振り返れば、やはり想像していた通り眉間に皺を寄せたリヴァイがガッチリと私の手を捕らえていた。


「お前は大人しくもしてられねぇのか」

『寝られないのに、大人しくしてられない』

「餓鬼かお前は」

『私のことは放っておいて寝てなよ、そうじゃないと明日つらいだろうし。私は一日くらい寝なくたって……』


ーー…大丈夫だから。

その言葉はグイッと引っ張られたことによって言い切ることはできなかった。

前のめりに倒れる体。床に思いっきり額をぶつけると思い反射的に瞳を瞑ったが、恐れていた痛みはいつまでたっても訪れなかった。

恐る恐る瞳を開けると筋肉のついた腕が目の前にあり、自分がリヴァイに受け止められたのだと気づく。

…へ?何この状況。
呆気に取られているとごろりと床に降ろされ、毛布がかけられた。

隣を見ればその鋭い瞳と視線が交わる。予想外に近い距離と同じ毛布に入っている状況に、思わず目を見開いて固まった。


『な、なにすーー』

「いいか、お前が動けば俺が起きる。俺に迷惑かけたくなかったら大人しくしてろ」

『…なっ』


それだけ言うと、リヴァイは再び瞳を閉じた。あまりにも唐突で理不尽な行動に、何か言い返してやろうと思ったが何も言葉が出てこない。

これ以上何かを言ったところで、この男が折れることもないだろう。そして、その時間はリヴァイの睡眠を邪魔するだけだ。

…はぁ、とため息をついてから仕方ないと瞳を瞑る。そうして訪れた静寂の中、僅かに触れ合う肩から伝わる体温に無意識に意識が集中していく。

暖かい人の体温に、自分の張り詰めていた何かが緩んでいくのを感じた。

…あぁ、もしかしたら私は気が張っていたのかもしれない。自分は大丈夫だと思い込んでいただけで、やはり慣れない壁外という環境に緊張していたのかもしれない。

リヴァイの体温と暖かい毛布に包まれ、自然と瞼が重くなってきた。どうして男と同じ毛布に包まっているというこんな状況で私は眠くなっているんだろうと考えていたはずなのに徐々に思考が鈍り、ゆっくりと夢の中へ落ちていく。

静かな静寂の中、呼吸音さえ聞こえるほどの距離に自分の鼓動がやけに早く脈打っていたのを、夢うつつの中ハッキリと感じた。


 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ