空色りぼん

□使われていない扉の先
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壁外調査から帰ってきてから、ユキは驚くほどいつも通りだった。

死亡者特定の為の申告に、無表情のまま淡々と巨人に食われていった兵士の名を紡いでいくユキが酷く印象に残っている。

俺でも知らないような新兵の名でさえ、ユキは言葉を詰まらせることなくあの小さな口から紡いでいった。

ユキは自分が見た光景を思い出していたのだろう。兵士が巨人によって死んでいく瞬間を。

淡々と紡がれていく言葉は巨人に食べられていった順番通りだったのかもしれない。あまりに多くの名前が出てきたことに、検視官でさえ目を見開き驚きを隠せないでいた。


「よくあんなに覚えていられたものだ」と、後で検死官が話していたことをユキは知る由もない。

しかし、ユキの表情は全く変わることはなかった。時折見せるあの儚げな表情を浮かべるわけでもなく、他の兵士のように泣き崩れるわけでもない。

至っていつもと同じで、翌日もぎりぎりの時間に起きてきて朝食をとっていた。

初めての壁外調査で仲間が目の前で死んでいく光景を見れば大抵の兵士は心に大きな傷を負うものだが、ユキは驚くほどいつも通りだった。


[…何をそんなに怒ってるの?]


眉間に皺を寄せ、何故怒っているのか全く分からないと言わんばかりに自分を見上げていた表情を思い出す。

どうしてあそこまで取り乱したのか、自分にも分からなかった。気づいたら体が動いていてユキを殴っていた。力加減もできていなかっただろう。

巨人を拘束していた縄が外れ、兵士の表情が恐怖に染まった瞬間…駆け出した自分の前を小さな人影が横切って行った。

自分よりも近くにいたのであろうユキは巨人の項を削ぐのではなく、無謀にも正面に入り込みブレードで巨人の目と口を斬った。

息をつく間も無く巨人の捕食能力を奪ったユキは結果生き残った。一足遅れて頸を削ぎ落とし、巨人が倒れ再び姿を表したユキに俺は自分の目を疑った。


[…危なかったぁ]


そう呟かれた言葉には何の感情もこもっていなかったのだ。自分の身体の半分が巨人の口の中に入りかけていたというのに、驚くほどにそれは淡々と零された。

気づいたらユキは水分を含んだ瞳で俺を見上げていた。そして、目を見開いて固まっていた。

ユキが真っ先に巨人の項を削がなかったのは本人の言う通り判断の誤りと、ユキがいた方向からでは頸を狙っていたら兵士が先に喰われていたからというのもあるが、決死の思いで捕獲した巨人を失なわないためでもあった。

捕獲した巨人を失わないため、兵士を救うため、…ユキは自分の命を投げ出すような無謀な行動をとった。それもいとも簡単に、何の躊躇いもなく。


それが俺は許せなかった。まるで自分の命に価値がないと決めつけるかのように軽率な行動をするユキを、どうしても許せなかった。

自分にはもう仲間がいることをあいつは分かっていない。今も尚、自分は孤独で無価値なんだと思い込んでいる。

…どうすればあいつを繋ぎ止めることができるのだろうか?自分に興味がなく適当に生きている女を、どうやったら死なないように繋ぎ止めることができるのだろうか?

俺はあの時、ユキが死ぬかもしれないと焦った。ユキを失いたくないと本気で思った。

あれがユキでない他の兵士だったのなら、同じように思っただろうか?それは当然仲間が死なないに越したことはないが、あれほど冷静さを失ってまで殴るようなことをするだろうか?

…いや、恐らくしないだろう。だとしたらあいつにだけ特別に感情が揺らいだのは自分と同じ地下街のゴロツキだったという境遇の奴だからか、…それとも単なる同情か。

もしくは夜中の見張り台で余計な会話をしたからかもしれない。

あの寂しげな表情ばかりが脳裏に浮かんで仕方ない。


「…クソッ」


本当にあいつには余計な事ばかり考えさせられる。無意識に舌打ちをしながら、終息を迎えつつある後処理をエルヴィンに報告するため執務室を出た。

すると、珍しく執務室を出てすぐに廊下をほっつき歩いているエルヴィンに遭遇する。


「あぁ、リヴァイ。いいところにいた」

「俺もお前を探していたところだ」

「報告だろう?そろそろ来る頃だと思っていたが、それより先に聞きたいことがある」

「なんだ?」

「ユキを見なかったか?」

「…」


…オイ、ふざけるな。珍しく焦ってるから何事かと思えばユキはどこだだと?


「見てないが」

「…そうか」


エルヴィンはあからさまに視線を落とす。まるで娘を探す父親のような様子に呆れてため息が出る。


「少し頼みたい用事があったんだ。何人かの兵士に呼びに行かせたんだが、どこにも見当たらないらしくてな」

「見当たらない?」

「あぁ、兵舎は全て探したらしいんだが」


兵舎自体そんなに広いわけではない。

…何をやっているんだあいつは。


「あいつの事だ、どうせどこかほっつき歩いてるんだろ」

「そうだといいんだが」


ふと窓の外に視線を向けるエルヴィンにつられて外を見れば、ザーザーと勢い良く雨が降っている。


「…見つけたら知らせよう」

「あぁ、助かる。で、君の要件は?」

「…今のお前に言っても頭に入らないだろう。馬鹿が見つかったら報告する」

「あぁ、そうしてくれると助かる」


それだけを言い残してエルヴィンとは別の方向へ足を進める。

エルヴィンはユキを大層気に入っているためユキの事となると手が付けられない。大切な報告を上の空で聞かれてはたまったものではない…また説明する羽目になっても面倒だ。

いつものようにホイホイと市街地に行っているのかと思ったが、この雨では外へ出るのさえ普通なら懸念する。

訓練ももちろんできるはずがないから、遠くへは行っていない。まぁ、そのうち見つかるだろう。


時間を無駄にするわけにもいかないので、ついでに資料室から資料でも取ってくることにする。


自分一人分の足音が薄暗い廊下に響き渡る。資料室まで続いているこの渡り廊下は普段人が通ることは殆どない。

そのためただでさえ光の入らない廊下が、今は雨のせいで少しの光さえ入らず暗闇に包まれている。普通だったら身じろぎしてしまうような不気味な雰囲気を放っているため、調査兵の間では霊が出るという噂まである。全くくだらない噂だ。



ーー…ガチャ。

その時、廊下の脇に設置されている扉のドアノブが捻られた。



**
***



正面玄関に向かっていた私は自分の姿を見てその足を止めた。


いやいやいや、入れるわけがない。

正面から入ったら必ず誰かと遭遇する。そうしたら全身ずぶ濡れの私を見て「…え、どうしたの!?」と間違いなくなるだろう。

見つからないように部屋まで戻るしかない。しかし、兵舎を誰にも見つからずに通過するのは難しい。不可能と言ってもいい。

取り敢えず再び兵舎の裏へと戻ると古びた扉があった。こんな所に扉があるとは知らなかった…ということは普段から人通りもないということだろう。

ここなら見つからないかもしれない。


随分と古く使われていない感満載だが、内側から鍵がかかってました〜…なんてオチじゃないことを祈りながらドアノブを捻る。


ーーガチャ。

…開いた!


ゆっくりと押し開くとギィィ…バキッと変な音がしたが、開けばそれでいい。元々使われていないようだし、壊れたところで閉まっていれば誰も気付かないだろう。

ゆっくりと押し開き中に一歩入ると、目の前には暗い廊下が広がっていた。やはり見たことない光景に、ここなら誰にも見つからず行けるとホッと一息ついた時。

ふと、何かの視線を感じて瞳を凝らす。

そしてその人物の正体が分かった瞬間、蛇に睨まれた蛙のように全身が固まった。


「…お前」

『…』


廊下の暗闇からこちらに視線を向けているのはリヴァイだった。

始めは同じように驚いていたが直ぐに表情を戻し、蛇よりも鋭い眼差しが固まって動けないでいる私に突き刺さる。

緊急警報が頭の中に鳴り響くが、勿論私の体は動かない。この男から逃げられない事は分かっている。

まさかこんなところで、しかもこんなタイミングでリヴァイに会うなんて自分の運の悪さを呪った。


「そこで何をしている」

『…いや、その…』


カツカツと靴音を鳴らしながら近づいてくるリヴァイから逃げようと、ドアノブを後ろ手に捻りその場から脱出しようとした。

だが、それは彼の一睨みによって制される。


目の前まで来てしまったリヴァイに苦笑いを浮かべる。私の頭から足元まで視線を巡らせたリヴァイは、くるりと踵を返して歩き出してしまった。

呆然とその背中を見つめていると、リヴァイはバンッと乱暴に持っていた資料を近くにあった机に置く。


「そこから一歩も動くな、動いたら削ぐ」


そして全身を震わせるような低い声でそれだけ言うと、廊下の先に消えていってしまった。


『…動くなって、まさかここに置き去り?』


一体私はどうすればいいのだろう。しかし動いたら本当に削がれてしまいそうだ。あの目は冗談を言っている人の目じゃない、…というかリヴァイが冗談を言うところなんて見た事ないけど。


そんな事を考えていると、一分もしないうちにリヴァイが戻ってきた。

再び距離を詰められ思わず後退りするが、一歩で扉に背が当たる。また怒られるのではないか、また殴られるのではないかと咄嗟に瞳を瞑って身構えると、頭にふわりと何かがのせられた。


『…?』


恐る恐る目を開けると、視界の端に白いタオルが見える。そしてそのままガシガシと乱暴に手が動かされ、どうやら頭を拭かれているんだと気づいた時には思わずリヴァイの事を見上げていた。


「こっち見るんじゃねぇ、目に手突っ込むぞ」

『…はい』


不機嫌全開の顔でそう言われ、大人しく顔を伏せる。

あのリヴァイがタオルを持ってきて、しかも今髪を拭いてくれている。その事実に頭がついていけない。


「何をしていた」


そしてもう一度、先程の問い掛けが戻ってくる。


『…散歩』

「この雨の中をか?」

『…』

「…」


無言の威圧が恐ろしい。頭のてっぺんにすごい視線を感じる。それでも威圧に耐え暫く黙っていると、深い深い溜息が聞こえた。



 

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