空色りぼん
□馬鹿を引き摺りだす為には
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「探したよ、ユキ」
『ごめんごめん』
エルヴィンの執務室の扉を開けると、机に向かっていたエルヴィンが私を見るなり立ち上がった。
ここに来る間にも足止めを食らってしまったのだ。原因はハンジで、私を見るなり、
[大丈夫かい!?]
と、血相を変えて顔を覗き込んできた。
[どうしたの?そんなに慌てて]
[どうしたのじゃないでしょ!?転んで水溜りに顔から突っ込んだんでしょ!?]
…と、真顔で言われた。
犯人は一人しかいない。きっとそれでハンジに私の部屋から着替えを取ってこさせたのだろうが、もうちょっといい言い方はなかったのか…あの男は。
いつの間にか優雅にソファに座り、足を組んでいるリヴァイを睨みつける。どうしてリヴァイがここにいるんだ、足止めを食らっていたとは言え私より先に。
出る直前まで本読んでたよね?立体機動で来たのか?
「それで、君をわざわざ呼んだのは他でもない。2日後に控える夜会に出てもらいたいんだ」
『・・・え?』
思わず間抜けな声が出た。
…夜会?夜会って貴族達がやるあれを兵士である私がでるの?
思わず表情を歪めていたのだろう。そんな私にエルヴィンは「すまないね」と笑った。
「今回の夜会には、どうしても君に出てもらわなくてはならなくなった」
今回の夜会は調査兵団に投資しているお貴族様が集められて行われるらしい。まぁ、簡単に言えば「今後ともよろしくお願いしますね」と言い合うだけの会だ。
本当の所は多額の投資をしているにも関わらず、いつも大きな成果が残せない調査兵団に文句を言いに来るらしい。
それを笑って受け流すための夜会だ。夜会と言うよりは、投資家のご機嫌取りのようなものだろう。
『どうしてただの一兵卒である私がでなくちゃいけないの?』
「君の実力はパトロンにも知られていてね、調査兵団の主力として名が広がっている。周りから見れば君も幹部と同じくらい大きな存在になってしまったという事だ」
うーん、と思わず眉間に皺を寄せて答えを渋る私にリヴァイが舌打ちをした。
「悩める権利はお前にはねぇ、黙って出席しろ」
『…分かった』
確かにその通りか。渋々頷くとエルヴィンはにこりと笑った。
「では、あっちの方は任せたよユキ」
『…あっち?』
「あの馬鹿を引き摺り出してこいって事だ」
あの馬鹿って、……まさか。
『…ハンジも出席するの?』
「あんな奴でも一応分隊長だからな」
それを私に引っ張り出して来いと。
ちょっと待ってよ。
あのハンジを夜会に出席させろって?
無理無理、無理だって。だって今研究のために執務室に籠ってるんだよ?さっきはたまたま廊下を歩いていたけど、どうせトイレに行ってただけでしょ?
だってものすごい髪型してたもの。ものすごいクマだったもの。洋服もなんかヨレヨレだったし。
あれは絶対ずっと着替えてない。壁外調査から帰ってきてからずーーっと執務室に籠ってるんだもの。
「一応夜会があるとは伝えてあるが、巨人に夢中で二日後には忘れているだろう」
…でしょうね。きっと忘れ去ってるでしょうね。話に聞く限り下らない夜会みたいだし。
『…なんで私が?』
「どうせ暇だろう」
そう言われてしまっては何も言い返すことができない。
団長や兵士長とは違って、壁外調査直後の兵士には特に何も任務なんて無いのだから。
『…分かった、引き摺り出してくればいいんでしょ』
「感謝するよ、ユキ」
そんな風にエルヴィンに言われてしまっては頷くしかった。ただでさえ夜会も面倒なのに、さらに巨人狂を引っ張り出さなくてはいけなくなった。
私は深く深く溜息をついた。
**
***
そして二日後。
決死の覚悟を決めて執務室へ向かったものの、目的の人物がいないことに拍子抜けした。
資料は見るも無残に散らかされているのに巨人狂がいない。恐らく先程まで死ぬほどこき使われていたのであろうモブリットに近寄って行くと、疲れきった顔で私を見上げた。
「…あ、ユキさん。お疲れ様です」
『…なんか疲れた顔してるね、モブリット。原因は分かってるけど』
「そうなんですよ…、分隊長ったら食事も取らないし睡眠もろくに取らないしで……」
ぼそぼそと呟くモブリットの表情がどんどん暗くなっていく。
ダメだダメだ、申し訳ないけど今回はモブリットの愚痴を聞きに来たのではない。あの巨人狂を探しに来たのだ。
『…、…ところでモブリット、あなたのご主人はどこに行ったの?』
「分隊長ならなんか意味不明なこと叫びながら突然自室に閉じこもっちゃいましたよ」
『……そう、ありがとう』
「頑張って」と言い残し、重い足をハンジの自室に向ける。なんか叫びながらって、もう精神状態完全におかしくなってるでしょ。
嫌だようもう、聞いといてなんだけどそんなこと聞くんじゃなかった。だってそんな状態で籠って行った人が普通に出てくるわけないもの。
そんなことを考えながら歩いているとハンジの自室の前についてしまった。いつも見ている扉がやけに大きく、重々しく見える。
…行くしかない。夜会は夕方からで、しかも支度もあるからもたもたしている時間はない。
着替え室には化粧道具が既に一式揃えられていて、ドレスの着替えの補助のためにペトラが既に待っている。
小さく深呼吸をし、ゆっくりと扉を開ける。
窓も空いていなければカーテンも閉めっぱなしの薄暗い部屋。その奥で小さな灯りの下で机に向かっているハンジの背中があった。
『ハンジ』
「ん?あぁユキ!久しぶりだね!」
ようやく私に気づいたハンジは、バッと机から顔を上げて口を開いた。その頭はボサボサで服も二日前より依れている。
…これは何日もお風呂は愚か着替えさえしてないな…。要件だけを手早く伝えてトンズラしよう。
『ハンジ、忘れてるかもしれないけど今日は夜会が…』
「ねぇユキ聞いてよ!この間の壁外調査で見た巨人についてずっと考えていたんだけど、分かったことがあるんだ!ねえ!聞いてくれるよね!?」
だが、そう簡単にいくはずもなく、目をキラキラと輝かせたハンジに言葉を遮られる。前のめりに話すその勢いに思わず一歩後退った。
『…分かった、分かったから。でも、今日は夜会があるって聞いてるでしょ』
「夜会なんてあんな下らないもの出てる暇ないよ!もう少しでその先の事が分かるような気がするんだ!」
『ハンジは分隊長なんだからでないといけない決まりでしょ。一旦巨人の研究は中止、ほらまずはお風呂に入ってきなさい』
「ユキは巨人の研究とくだらない夜会のどっちが大切だと思うの!?」
こうなることは分かっていたが、やはり手強い。ただ来て引っ張り出そうなんて考えが甘かった。
この巨人狂をどうにかするには何か手を打たなくては。
『分かった分かった、…あ!あそこに巨人が』
「ええ!?どこどこ!?」
ーーバァンッ!
ハンジが後ろを向いた瞬間に勢い良く扉を閉める。
どうしたものかなぁ、と考えているとなかなか来ない私を心配して来てくれたペトラも同じように溜息をついていた。
「やっぱりダメだったのね」
『…どうしようかなぁ』
「それなら私にいい考えがあるわ」
『いい考え?』
そう聞き返すと、ペトラはニコリとそれはそれは綺麗な笑顔を浮かべた。
「ユキがまずおめかしすれば、きっと可愛いもの好き…もとい可愛いユキ好きのハンジ分隊長は飛びついてくるわ」
『…そんなんであの巨人狂がでてくるかな』
「当たり前でしょ、元々美人のユキが着飾ったらそれはもうとんでもなく綺麗なはずよ!それを見たハンジ分隊長は絶対に飛びつくわ!」
…本当に私が着飾ることでハンジが出てくるかは分からないが、どっちにしろやるしかなさそうだ。
きゃっきゃと嬉しそうにそう言うペトラに、私は深くため息をついた。
**
***
「か、か、可愛いよユキーーッ!!」
『抱きつくな!』
飛びついてくるハンジをベリッと剥がし壁に投げ捨てる。
あれから化粧をして髪を結い、ドレスに着替え…全て出来上がった時にはペトラは「きゃー!」と言って大喜びしていた。
水色の細身のドレスの裾が舞い、細かな装飾が施された白い花の髪飾りが光っている。これなら貴族が集まる夜会に出てもおかしくないだろう。
こうやって着飾るのは随分久しぶりのような気がする。地下にいた時は夜会に潜入する仕事もたまに受けていたが、そんなに頻繁にはやっていなかった。
化粧や髪を自分で整える私にペトラは不思議そうにしていたが、特に深くは聞かれなかったのであえて説明はしていない。
ドレスはペトラが選んだらしく、どうしてこのドレスなのかと聞いたら、
[ユキは空色のイメージがあったからよ、ほら、いつも空色のリボンしてるじゃない。やっぱり私の見込み通り似合ってるわ]
とペトラは満足げに笑っていた。
…で、問題のハンジのところに来たら思いっきり抱きつかれた。
苦しいし汚い!折角準備したものを台無しにする気か!
「可愛いよユキ!すごく可愛い!ユキもパーティーに出るんだね!?」
『はいはい、分かったからハンジも早く支度して。っていうかまずお風呂入ってきなさい』
「いやぁ魅力的だね!セクシーだね!」なんて言ってるハンジを引き摺り、風呂場に放り投げる。
ちゃんとシャワーを浴びたハンジが出てきた時に時計を確認すると、もう殆ど時間が無かった。
ごちゃごちゃと言っているハンジをすぐにペトラの元に連れて行き、強制的に座らせて身支度を整えていく。
完成するとハンジもやっぱり女性なんだなぁと思うほど、…あ、今のは流石に失礼だったな…ハンジも女性らしく綺麗に飾り付けられていた。
「二人ともすっごく綺麗よ!これでバッチリね!」
『…兵士になってまでこんな着飾って外に出るなんて思わなかった。…面倒くさいし嫌だなぁ』
「何言ってるのさユキ!ユキが行ったら会場中の視線を独り占めできるよ!」
そんなことあるわけないだろうとため息をつく。いつも思うがハンジは私を高く評価しすぎている。
再び鏡で自分の姿を見ると、まるで貴族のご令嬢のようだった。そう見えるように着飾ったのだから当たり前なのだが、こういう格好をすると夜会では碌なことにならない。
貴族の男達に声をかけられ、しつこいそれを躱すのが面倒だ。ご令嬢はこんなくだらないことを何度もやっているのかと思うと、育ちが良くても苦労するんだなと夜会に潜入するたびに思ったものだ。
「そんな格好で行ったら、あの無愛想なリヴァイのハートだって鷲掴みできちゃうんじゃないの?」
『…そんな訳ないでしょ、あのリヴァイだよ?無視されるか軽く鼻で笑われるに決まってる』
そして今回こんな格好で行くのは嫌だなと心底思う理由はこれだった。
自分の気持ちに気付いてからと言うもの、まともにリヴァイの顔を見れていない。見たら折角押し殺した気持ちがまた出てきてしまいそうで視線を合わせないようにしている。
だからと言って避けるわけでもない。第一そんなことをしたらあの男のことだ、直ぐに気づかれて余計に面倒なことになるに違いない。
なのに、どうしてこんな格好で出て行かなくてはいけないのか。バッチリと着飾った姿なんて照れ臭くて見せたくない…軽く笑われるのは目に見えている。
「本心ではそんなこと思ってないって。仮にもリヴァイだって男なんだから」
『どうだろうね』
軽く流して再び時計を見ると、もう兵団からの馬車が出発する時間まで僅かとなっていた。
『…!ハンジ、早く行くよ!』
「え、ちょっと待ってよ!この靴歩きにくいんだから!」
『気合いで走って!』
「えええ」
「行ってらっしゃーい」
ドタバタと走り去って行く二人を、ペトラはクスクスと笑いながら見送った。