空色りぼん

□離ればなれ
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「…君に一つ提案があるのだが」

『なんでしょうか』

「兵士をやめて私の元に来る気はないか?」

『…は?』


あまりに唐突な言葉に思わず首を傾げる。何を言っているんだ、この男は。


「君ほど美しい女性を戦場へ向かわせるのは心苦しい。…私の元へ来るというのなら、何不自由ない生活を約束しよう」


そう言って男は私の手を取り、甲に口付けた。…うわ、出た…貴族がよくやるやつだと思わず引き攣りそうになる表情を笑顔に戻す。


『お気持ちはありがたいですが、私は調査兵団を辞するつもりはありません』

「…そうか、ならばこの後、今夜はどうだろうか」


簡単に引き下がらない相手に、やはり貴族の男はしつこいなと掴まれている手を握りつぶしてやりたい気持ちをグッと堪える。

これも調査兵団のためだ。私がここでヘマすれば皆に迷惑がかかる…っ。


『機会がありましたら、是非』


遠回しに断る言葉だが、男は「いい返事を期待している」と言ってやっと腕を離して去っていった。

面倒だったなとはぁ、と息をつく。

しかし、それはまだ序盤に過ぎなかった。前の男が終わったと思えば、息をつく間も無く違う男に話しかかられる。

しかも、同じような内容ばかりだ。それを軽く受け流せば、また違う貴族に声をかけられる。

へらへらと笑いながら下心丸出しの表情で近づいてくる。若い人から、年のいった人まで様々だ。

相変わらず決まりのように1人ずつまるで順番待ちをしているかのように声をかけてくる。笑顔を取り繕うのもだんだんしんどくなってきた。

このやろう、みんなはどこに行ったんだ!

1人の男の挨拶が終わり、周囲に視線を巡らせる。だがそんな時にまた肩を軽くつつかれる。

振り返ると同時に笑みを取り繕うのは、もう慣れた。



**
***



「…チッ、何をやっていやがったお前は」

「いやぁちょっと目を離した隙に次々とね、…っていうか痛い、痛いよリヴァイ!」


リヴァイに掴まれたハンジの頭からは、ギシギシと嫌な音が鳴っている。


「どうしてちゃんと見張っておかなかった」

「見張ってたんだけど、いきなりフラッといなくなっちゃったんだ」


4人の視線の先には、貴族の男共に愛想を振りまいているユキがいた。彼女の周りには次々と人が集まっている。


「やはりすごいなユキは…これほどまでとは思っていなかった」

「なに感心してやがる、さっさとどうにかしろエルヴィン」

「どうにかしろと言われても、私にはどうすることもできない。相手は調査兵団のパトロンだからな」

「お前の大事な娘が男に囲まれてるんだぞ」

「手を出されたら君に動いてもらうとしよう」

「誰が動くか、自分でやれ」


ただでさえ調査兵団に投資してくれる貴族は少ないというのに、これ以上減らすわけにはいかない。エルヴィンもここでは派手に動けない。


「それにしてもすごいねぇユキは、あっという間に囲まれちゃってるよ」

「それはそうだろう、集まって来ない方がおかしい」


ぽつりと零したミケの言葉に、ハンジがうんうんと大袈裟に相槌をうった。

ユキは上品に笑いながら、文字通り愛想を振りまいている。今まで見たことがないその笑顔は完璧に作っているのだろうが、普段のユキを知らない男達から見たらそれはもう綺麗な笑顔に見えることだろう。

白い髪飾りが黒髪の上で揺れ、紅を引かれた唇が緩められている。

その姿はどこからどう見ても貴族のご令嬢と言うに相応しかった。どこで教わったのか礼儀作法も素晴らしく、それなりに男を魅了する仕草も心得ているらしい。

彼女の仕草一つ一つが、表情の一つ一つが会場の視線を集めている。彼女の周りに男達が集まるのは当然のことだった。

しかしユキもずっと囲まれ疲れ始めているのか、僅かに顔が引きつっている。ただでさえヒールの高い靴を履き、たった1人で何人もの男を相手にしているのだ。相当無理しているに決まっている。


「仕方ない、私が行ってこよう」

「おっ、さすがエルヴィン」

「そろそろどうにかしないとリヴァイに怒られそうだ」


そう言ってにこりと笑顔を浮かべるエルヴィンに、リヴァイは眉間に皺を寄せた。


「どうして俺が怒らなくちゃならねぇんだ」


そんなリヴァイの言葉を聞きながらエルヴィンはユキの元へ行くと、彼女を囲む相手に社交辞令を交わしていく。

隙を見て戻れと言われたのだろう。一瞬こちらをチラリとみたユキは、話の隙を伺い抜け出して、こちらへとことこと走ってきた。


『疲れた…』

「あはは、おかえりユキ。随分と熱烈な歓迎を受けてたねぇ」

『…っていうかハンジどこにいってたの』

「いやだなぁ、ユキが勝手にいなくなったんでしょ」


そう言えばそうだったかもしれない。ハンジを睨んでいたものの、自分の顔を手で覆って深く溜息をつく。

これも調査兵団のためだ。エルヴィンはもっと馬鹿馬鹿しいやりとりを笑顔でやっているのだから少しは見習わないと。


「…で、何の話聞かされてたの?」

『自分の財力自慢と、過去の栄光を永遠と。調査兵団を辞めて自分のものになれって』

「うわぁかわいそう。財力と過去の勇姿でユキをどうにか手に入れようと必死だね」

『いい迷惑だよ…本当の私を知ればそんなこと言ってこないんだろうけど』


はぁ、と深くため息をつく。会場の目がないことをいいことに項垂れる私の頬にリヴァイがぺちっとデコピンをする。


『痛い!』

「だらしなく気を抜くな、どこから見られてるか分からないだろうが」


見上げると、リヴァイが不機嫌そうな顔で私を見下ろしている。


『しょうがないでしょ、大変だったんだから』

「軽く流せばいいだろ」

『流しても付きまとわれるの』

「愛想振りまいているからそんな事になるんだ」

『私はリヴァイと違って人と会話ができるから、無表情でシカトなんてできません』

「喧嘩売ってるのかてめぇ」


バチバチと視線が交わる。すると、リヴァイが呆れたように溜息をついた。


「お前は馬鹿なくせしてなにクソ真面目に対応してるんだ…馬鹿なくせして」

『ねぇなんで二回言ったの?二回言わなくてもよくない?』


どうしてそんな言い方しかできないんだと文句を言った次の瞬間、彼の手のひらが私の頭に乗せられた。


「お前がそこまで気を張る必要はない。全てエルヴィンに任せておけばいい」


私は目を見開いてリヴァイを見る。すると、ぽんっと軽く一回頭を撫で、その手は暖かな余韻を残しながら離れていった。

ドクリと心臓が音を立てる。頭ではいくら否定しても身体は正直に反応してしまう。…こんなんじゃダメなのに。私はこの気持ちを無くさないといけないのに。


『…少しは流せるように努力するよ』


私は唇を噛みしめながら顔を逸らす。やはりリヴァイの顔を真っ直ぐに見ることはできなかった。

そして再び会場の中へ足を踏み入れる。



**
***



それからと言うもの、状況は更に悪化した。

誰かの側についていようと後を追っていたが、呼び止められてしまってはそちらに対応するしかない。

一度離れてしまえば最後、追いかける事は難しかった。

何とか駆け込んだお手洗いで、私は盛大に溜息をついた。手を流す水が冷たくて心地いい。あとどれくらいこれが続くんだろう。まだまだ終わりが見えない。

でも、長く席を外すわけにもいかず、鏡で軽く化粧が崩れていないかだけ確認して廊下へ出た。


「やぁ」


すると、一人の男が壁に背を預けて立っていた。まるで私の行く道を塞ぐようなその立ち位置に、思わず眉間に皺が寄りそうになる。

気持ち悪いほど爽やかな笑顔を浮かべた男は、よく見ると初めに声をかけてきた男だった。


「ようやく二人きりになれた」

『…あなたは初めに声をかけてくれた…』

「覚えていてくれたんだね、たくさんの男に声をかけられていたというのに」


この男の笑顔には嫌な予感がした。

この男の目は地下街で何度も見たことがある。自分の利益を考えて策を巡らせている男の目だ。そのためなら手段を選ばないだろう。


「どうだろうか?今夜のこと考えてくれたか?」

『申し訳ありませんが、私はこの間の壁外調査の後処理がまだ残っていますので。』


もちろんそんな物はないが。


「へぇ、それは大変だね。一日でも無理だろうか」

『私はただの一兵卒です。上司の確認を取らないと外泊はおろか、外出もままなりません』

「相変わらず兵団組織というものは面倒だな」


笑って距離を詰めてくる男から今すぐにでも踵を返して距離をとりたかったが、足にぐっと力を入れて耐える。

その様子を見た男は私が抵抗できないのを確信したように、わざとらしく顔を近づけてきた。


「でも、君達がこうやって調査兵団として活動を続けていられるのも、僕の力だと思わないかい?」

『…』

「そうだろう?」

『その通りですね』

「僕の家の融資が無くなれば君たちは相当な痛手だ」

『日頃より感謝しております』

「どうだろう?君が今夜共にしてくれると言うなら、融資を更に上げてもいい」


その申し出にピクリと指先が反応する。視線を上げて男を見れば真っ直ぐな真剣な瞳と視線が交わる。嘘は言っていないようだ。


『それは本当ですか?たった一晩のお相手をするだけで?』

「嘘は言わないさ、それで君のような美しい女性を抱けると言うのなら惜しまない」


男の手が頬に触れ、髪を撫でる。反対の手はいやらしく腰に添えられた。


『善処しましょう』


私は無意識のうちに唇を吊り上げていたのだろう。その挑発するような笑みに、こんな表情をすると思っていなかったのだろう男は少し目を見開いた。



**
***



ユキは再び会場へ戻ると、テラスで束の間の休息をとっているエルヴィンの元に向かった。カツン、というヒールの音で振り向いたエルヴィンはユキを見て表情を緩ませる。


「君も疲れただろう、少し休息するといい」

『エルヴィン、話があるんだけど』

「なんだ?」

『パトロンから今夜の相手になってほしいって言われたから外泊許可が欲しい』


表情を変えることなく言うユキにエルヴィンは珍しく目を見開く。


「その男に惚れたのか?」

『いや、違う。融資を増やすって取引を持ち出されたから』


相変わらず淡々と言うユキを見れば、その表情は至って真剣で嘘や冗談を言っているようには見えなかった。

小さな静寂の後、エルヴィンはゆっくりと口を開く。


「それで、君はその取引にのると?」

『別にのってもいいと思ってる』

「それほど相手の男は魅力的だったか?」

『まさか。どっちかと言ったら胡散臭くて嫌いだよ』

「なら、どうしてその取引に応じるようと思った?」

『エルヴィンも知ってるだろうけど、東洋人って高く売れるんだよ。多分、エルヴィンが思っているより高くね。なんて言ったってまだ”受け入れる”準備もできていないガキに札束を叩きつけるくらいなんだから』


瞳を細め、視線を落とすユキの言葉に嘘はなかった。それは間違いなく、彼女自身が知っている。

エルヴィンは深く聞かずとも分かっていた。淡々と口を開くユキの瞳が、一切の光を灯していないことを。

過去を語る時にユキがするこの目は、世界の全てに絶望しているように深い闇に包まれている。

その瞳はいつも目の前にいる自分を捉えているようで捉えていない。もっと遠くの…自分には見えない過去の記憶を見ているようだった。


「なら、その許可は出せない」

『どうして?融資の増額だよ、いい条件じゃないの?』

「確かにそれは願っても無いことだ。…だが、私はユキにそんなことをさせるつもりは一切ない」


本気で理解できないと言わんばかりに小首を傾げるユキにエルヴィンは苦笑する。


『転がり込んできた駒は使わないと損だよ、エルヴィン』

「私は人類の為なら非情な命令も出す。必要とあらば巨人の群れに仲間を行かせることもある。だが私は兵士を仲間と思っている、駒と思ったことは一度もない」

『…』

「そもそも私がユキにそんなことをさせると思われていたことが心外だ。私はユキを娘のように大切に思っているというのにどうやら君に伝わっていないらしい」


エルヴィンの言葉にユキはぽかんと口を開けて言葉を失っていた。自分がそんなふうに大切に思われているとは、微塵も思っていなかったようだ。


「私はこれでも君を大事に思っているんだ、父親のようにね。だから今後一切、自分のことを軽く売るようなことはやめてくれ。私はそんなことを望んでいない」

『…そんな風に思ってもらってるとは知らなかった。…けど、…そっか…分かったよ、エルヴィン』


未だに驚きを隠せず、頭が追いついていないユキは1つ1つ理解しようとしながら言葉を紡いでいく。

まるで自分が大事にされていることが理解できないでいる様子のユキの頭を、エルヴィンはゆっくりと撫でた。


「それに、君にそんなことをさせたら私の項は削がれてしまうだろう」

『私から提案したのに、そんなことしないよ』

「ユキじゃない」と言いながらエルヴィンの視線がユキの後ろに向けられる。その視線を追ったユキは柱に背を預けていたリヴァイを見て固まった。


『…げっ』


隠すことなく嫌そうな表情を浮かべたユキにエルヴィンは小さく口元を緩める。対して眉間に深い皺を刻んだリヴァイはエルヴィンを睨みつけた。


「誰がお前の項なんか削ぐか」

「そういう顔をしていたが?そんな視線を向けられていたら、許可することなんてできないだろう。初めから出す気はなかったが」


その会話にユキはリヴァイはいつからいたんだと頭を抱える。今の話を聞く限り初めからいたのかもしれない。

やってしまったとユキは迂闊な自分を責めた。リヴァイにだけはこんな会話を聞かれたくなかったのに。



 

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