空色りぼん
□壁の中
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ーーカンッカンカンッ!
鐘の音が鳴り響くと共に、
壁の扉が重々しく開かれた。
今回の壁外調査で犠牲者は出たが、聞けば今回は少ない方だったらしい。だが、出発時より人数の減った私たちを見た民衆からはヒソヒソと不満の声が上がった。
まさか、こんな風に暴言を吐かれるとは思っていなかった私が隣のナナバに視線を向ければ「いつもの事だから放っておきなさい」と言われた。
巨人の捕獲作戦に失敗した時から壁の中に戻って来るまで、どうしてリヴァイがあんなに怒っていたのかずっと考えていた。…だけど、いくら考えてもやっぱり答えは見つからない。
私は兵士を助けた。それがいけなかったのか?何故それがいけなかったのか?間に合うなら助けて当然だろう。
それともリヴァイは助けるな、見捨てろ。というのだろうか?
…いや、きっと違う。だとしたら、リヴァイもあの時ブレードを構えて駆け出したりはしていなかったはずだ。…だったらどうして?
そんなことを悶々と考えていると馬舎につき、それぞれが後処理へと移っていった。
帰って来たばかりなんだから少しは休めばいいのにと、やる事もない私が大人しく自室へ戻ろうとした時、背後から誰かに呼び止められた。
「お疲れ、ユキ」
振り返ると、そこにはヒラヒラと手を振っているハンジがいた。
『無事に戻って来れたんだね』
「そうだね、何とかって感じだけど」
ハンジは眼鏡を外し、緊張の糸が切れたようにぐっと伸びをする。
『ごめんねハンジ、捕獲作戦上手くいかなくて』
「どうしてユキが謝るのさ、ユキとリヴァイは完璧だったよ」
『でも結局巨人は連れて帰って来れなかったから』
「元々成功する確証は少なかったんだよ。巨人捕獲の成功例はないし、捕獲用の装備も不十分だったんだから」
「でもさっ!」と、ハンジは目をキラキラさせて続けた。
「これでリヴァイとユキがいれば巨人を捕獲できるってことは証明できた。あとはここまで運んでくる設備さえあれば巨人を連れて来れるって事が分かったんだよ!!」
『分かった!分かったから近いって!』
鼻息荒く距離を詰めてくるハンジの顔を、手のひらで制して落ち着けと促す。
『今回が上手く行っただけで、次回も上手く行くとは限らないでしょ』
「えー、そうかな?二人共息ピッタリだったし次回も同じことができると思うけど」
『私はリヴァイに合わせただけだよ。息が合ってたかは分からない』
「リヴァイに合わせられるってのはすごいことだよ。そもそも調査兵団でリヴァイについていけるのもミケくらいだったんだけど、ユキはリヴァイの意図を汲み取って動いてて、リヴァイもユキの動きを見て次の手を打っていた。それをあの極限の状況下で瞬時に行うのは息があってないとできないことだよ」
ケラケラと笑うハンジに『そうなのかな』と言うと「そうだよ」と即答される。
だが、息があっていたのならあんなことにはならなかったはずだ。リヴァイのあの怒りに満ちた表情を再び思い出す。それに気づいたのか、ハンジは少し困ったように笑った。
「それにしても派手に怒られたねぇ」
『…見てたの?削がれた巨人見て我を失ったように発狂してたくせに』
「マリーを失ったのはショックだったけど、ちゃんと見てたよ。リヴァイが珍しく怒ってたからついね」
『リヴァイはいつも怒ってるようなものでしょ』
「そういう怒りじゃないんだよねぇ、ユキも気づいてたでしょ?」
あの怒りがいつもの比じゃないことくらい気づいている。だから今もこうしてもやもやと悩む羽目になっているのだ。
「そもそもリヴァイが仲間に対してあんな風に怒ったのを見るのは、私も初めてだからね」
『…ハンジでも初めてだったんだ』
「ユキさ、どうして怒られたか分かってないでしょ」
『多少無理したのは分かってる。私が判断を誤ったことも。…でも私は兵士を助けた…なのにどうしてあんなに怒られたのか分からない』
正直にそう言うと、ハンジはまた笑った。
ひとしきり笑ったかと思えば瞳を少し伏せながら真剣な表情を浮かべた。
「そうだね、ユキは無謀な行動に出た。一歩間違えば自分が死んでしまうほどにね。それなのに『危なかった』って言ったユキは、まるで何にもなかったようにけろっとした顔をしてた。ちょっと躓いて転ばなくて良かった、ぐらいにね」
『そんなつもりはなかったけど』
「自分で気づいてないだけだよ。私達は兵士になった時に心臓捧げる覚悟はできてるけど、それでもやっぱり人間だから尻込みしてしまう。でもあの時のユキにはそれが全く感じられなかった。まるで死んでもいいと思ってるみたいにね」
ハンジは困ったように笑う。
「ユキってさ、出会った時から思ってたけど自分のことなんてどうでもいいって思ってるでしょ」
『…』
『違う』と言う否定の言葉は、すぐに出てこなかった。
「ユキは自分の命を軽く見てる。…だからあんな無謀なことができた、違う?」
確信をついた言葉に、私は開きかけていた口をゆっくりと閉じた。この短期間でよく分かったものだ。
真っ直ぐに見つめてくるハンジに、思わず自嘲じみた笑みが溢れる。
…全くその通りだった。
私は自分の命に価値があると思っていない。家族も身寄りもない私には生きる意味も目的もない。私が生きることを本当に望んでいる人間は誰一人としていないのだから。
物心がついたばかりの頃は何度か死のうとしたこともあったがその度に失敗し、どうしてか私はまだ生きている。そんなことを繰り返しているうちに死ぬことに対しての恐怖や生への執着は、とっくの昔に落としてきてしまった。
今まで散々な事をやらかしてきたのだから、ろくな死に方ができないことも承知の上だ。だが、過去の自分のような目にあうのだけは御免だ。今はただ何となく楽して生きられればそれでいい。たとえそこで命を落としてもいいとさえ思っている。
「それがリヴァイは許せなかったんだよ」
口を開かない私にハンジは自分の言ったことに間違いがないと悟り、寂しそうに笑って言った。
『私が自分をどう思っていようと、リヴァイには関係ないと思うけど』
「リヴァイはあんなだけど、巨人に食べられていく仲間を見て何も思わないほど非情な奴ではないんだ。ユキならもう分かってると思うけどね」
リヴァイが心底非情な人間じゃない事くらい分かってる。
もしそんなに冷たい人間なら、襲われそうになった兵士を見てブレードを構え、駆け出したりはしなかっただろう。
今回はたまたまリヴァイが遠くにいて、私が近くにいたというだけの話だ。同じ距離なら間違いなくリヴァイが項を削いでいた。
『その仲間に私はまだ入ってないよ。私はまだリヴァイに信用されてない』
「え、どうしてそう思うの?ユキはもうリヴァイに信用されてると思うけど」
『私が地下街の人間だからだよ。地下街の人間を信用できないのは地下街の人間であれば痛いほど身に染みてる。実際リヴァイに信用してないって言われてるしね』
「ははっ、それっていつの話?入団して間もない頃じゃないの?」
けらけらと笑われ、確かにそれを言われたのは入団当初の立体機動訓練の時だったと思い出す。だが、それから特に変わった様子もない。リヴァイがあれから私を信用してくれるようになったとは思えない。
「信用してない人間と捕獲任務なんてできないし、あんなに息ぴったりな立体機動なんてできるわけないじゃないか。ユキはもうリヴァイにとって信用できる仲間なんだよ」
『…へぇ』
「信じてないでしょ。でも、今日怒られたのがいい証拠じゃないか。どうでもいい相手にあんな風に怒ったりなんてすると思う?私だったら放っておくと思うけどね」
…まぁ、確かにどうでもいいと思っている人間がなにをやろうと放っておけばいい話だ。なのにあんなに本気で怒ってきたということはハンジの言う通り仲間として認めてくれたうえで、私が軽率な行動をしたからなのかもしれない。
『…だからってあんなに強く殴ることないのに。本当に痛かったんだよ』
「あれは本気で殴ってたからね、相当痛かっただろうなとは思うよ。でも、きっとリヴァイにとってはそれほど嫌なことだったんだ。死んで欲しくないって思われるくらいには大事にされてるんだよ」
『……、…あんな目で見られたのに?すごい殺気だったけど』
「他の人にはそんなことすらしないよ。私が巨人に突っ込んで行っても知らんぷりだし」
それはモブリットがいるからでは?と、思ったが敢えて言う必要はないだろうと言わないでおく。
「つまり、心配してたってことだよ」
本当にそうなのだろうか。あの時向けられた瞳は背筋が凍るほど鋭く細められ、怒りを含んでいた。心配してたとか私を思ってとかそんなのでは無かったような気がする。
本人じゃないから、本当のところリヴァイがどう思っていたのかはいくら考えても分かるはずもない。
…だけどもしそうだとしたら、私はリヴァイに何と言えばいいのだろう。いずれにしても謝らなくてはいけないとは思っていたけど、どう謝っていいのか分からない。
心配してくれてありがとう?
軽率な行動をしてごめん?
…どちらもしっくりこない。
「まぁ後処理で忙しくなるから、リヴァイとは暫く会わないだろうけどね」
『そっか』
まぁ、そうだよね。後処理に追われて暫くしたら、またいつものように戻っているかもしれない。
そうしたらこの一件のことはなかったことにして、また以前のように戻れる。それが一番楽だ。
『ハンジは意外と人を見てるんだね、巨人にしか興味ないと思ってた』
「もちろん巨人に興味はあるよ。…でも、大好きなユキはそれ以上だからね」
思わずきょとんとして見つめると「そんな顔しないでよ」と笑われた。
『だって、いきなり大胆告白するなんて思わなかったから』
「私は前から思ってたよ?だから私も大好きなユキに命を粗末に扱って欲しくないな」
『なるべく努力するよ』
「またそうやって軽く流してー…私は本気で言ってるんだよ?」
『分かってるよ、ありがとう』
こんな風に言われるのは初めてではなかった。地下の仲間にも言われたことはある。
でも、どうしても本気に受け止めることができない捻くれた自分がいる。だってどうせ私が死んだとしても彼らは驚きはするが悲しみはしない。
少しくらい悲しむかもしれないが、数日も経てばどうせ忘れられてしまうのだろう。私の存在なんて所詮そんなものだ。…そんなふうに思ってしまう自分が嫌になる。
風が吹き抜け、私達の頬を撫でる。草木が靡き、心地よい音を立てた。
夕日が壁の向こうへ沈んでいくのが見える。空は徐々に濃紺に包まれ始めていた。
「帰ろっか」
『うん』
改めてそう言ったハンジは兵舎へと歩き出す。
そこでふと、まだ兵舎へ戻らず残っている兵士がいることに気づいた。何をしているのだろうと思ったがそれはすぐに、仲間を思い壁の外に向かって涙を流しているのだと分かった。
いい年をした大の男が、大粒の涙を流しながら泣いている。
「どうしたの?…ユキ」
『…帰ってきたんだなぁと思って』
ぼけっと突っ立っていた私に、ハンジが心配そうに振り返った。
そして彼女は小さく笑うと、
「おかえり、ユキ」
と、言った。
『ただいま』
そう呟いた時に実感した。
そうか、私は帰ってきたんだと。