空色りぼん
□兵舎の裏
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壁外調査から帰ってきてからは、忙しく時間が過ぎ去って行った。
…と言っても私みたいな新兵は特にやることもなく、忙しく歩き回るみんなを見ているだけだ。兵舎に帰ってきて、ご飯を食べて、お風呂に入って眠りにつく。
朝起きて身体中が気だるさを残しているのを実感して「…あぁ、壁の外に行ってきたんだった」とぼんやり思った。
仲間が死んだんだと実感したのは食堂の空席だった。出発前までは埋まっていた席にぽつり、ぽつりと空席が目立っている。
朝食を食べ終わり、私は談話室へと足を運ぶ。
…しかし、そこには誰もいなかった。いつもなら何人か兵士が集まってトランプやチェスをしていたのだが、今は壁外調査が終わった直後で自粛しているのだろう。
[あなたが知る限り、死亡した兵士の名前を教えて頂戴]
検死官に呼び出された時、白衣に身を包んだ彼女は無表情でそう言った。兵士の死亡確認も状況把握には必要なことらしい。
私は自分が見たものを一つずつ思い出していった。巨人に食べられていく仲間を、一人ずつ順番に。
それを検死官は無機質なカルテに書き込んでいった。無表情のままペンだけを走らせていた検死官は全ての名前を言い終えると「ご苦労」とだけ言って他の兵士のところへ行ってしまった。
そんなものかと思ったが、それが彼女の仕事なのだから仕方ない。
そうして死亡者の名前を申告した時、ふと実感した。彼らは死んだのだ。だから、ここにいない。そんな当たり前の事がやけに重苦しく感じる。
『…〜』
どうもおかしい。私はこんなにどんよりくよくよとするタイプじゃなかったはずだ。
人が死ぬのは当たり前。まわりの人間が急に自分の前からいなくなるのも、人が死ぬ瞬間も見慣れたものだったはずだ。
なのにどうして私は死んでいった兵士の事を考えているんだろう。…周りの雰囲気に流されてしまったのだろうか。
ソファから立ち上がり目的もなく歩き出す。訓練が始まるのは明日からで、今日は後処理がある幹部以外は何もやることはない。
気分を変えるために私は散歩でもしようと外に出た。
**
***
扉を開けると、足元をすくわれるような風が吹き抜けた。輝く太陽を期待していたが、残念ながら空は重苦しい雲に包まれている。
光なんて射す隙間もないほど見事な曇り空にため息をつく。折角気分転換にと出てきたのに、これでは余計に気持ちが滅入ってしまいそうだ。
戻ろうかとも思ったが、どっちにしろ戻ってもやることはないので少し歩くことにした。
冷たい風が吹き、足元の草木を揺らす。歩き進めると見慣れない景色が広がってきた。そういえばこんなところまで来たことはなかった。
草木も整備されておらず、膝くらいまで伸びているところに到達した。
この先は何もないのか…と、思ったがまだ少し先まで兵舎の敷地はある。サクサクと草木を踏みながら進んだ時、一気に開けた場所に出た。
『…これって』
私は思わず足を止めた。草木に覆われた中に隠された小さな空間。そこにはいくつかの墓標が立っていた。
私は無意識に一つの墓標に歩み寄り、記されている文字を追う。
『…人類の英知のため犠牲になった兵士に、追悼の意を称する』
苔の生えた墓標には追悼の意を示す言葉と自由の翼が刻まれていた。前半は少し文字が消えかかっているが、第何回目の壁外調査かが記されているのだろう。
古そうなものは読み取れないが、新しいものは読み取れた。どうやら壁外調査がある度に建てられているらしい。
…こんなものがあるとは知らなかった。エルヴィンはもちろん知っているだろうが、他の人たちは知っているのだろうか。
一番真新しい墓標を見るとそれは前回のものだった。この隣にそのうち、今回の壁外調査の墓標も立てられるのだろう。
兵舎から隠されるようにひっそりと立ち並ぶ墓標に静かに瞳を閉じれば、兵士が死んでいく瞬間の記憶が鮮明に思い出された。
彼らは声を上げ、泣き叫び、最後の抵抗をしながらあっけなく巨人の手によって死んでいった。「嫌だ、死にたくない」と、人生で最大の恐怖を味わいながら死んでいったのだろう。
瞳から光が失われ、ぷつりと生命が絶たれる瞬間。一人一人の表情が、泣き叫ぶ声が…助けを求める瞳が頭から離れない。彼らは最後まで生きたいと願っていた。
生きたいと願っていた兵士が死んで、どうでもいいと思っている私が生き残った。世界は残酷で不平等だ。正義はなくとも世界は回るとはよく言ったものだ。
そんな事はとっくの昔に分かっている。だから私は自分の命が尽きるその時まで、なんとなく生きて行くだけだ。
…思わず自嘲染みた笑いが零れた。
こんな私をここに眠る兵士はさぞ恨むことだろう。だったら自分と変われと。
私だって変わって欲しい。「生きたい」と思えるような人生を送ってきた人間と、変われるものなら変わりたい。
いつどこで死のうが誰にも気に留められない…そんな私なんかと彼らはそもそも比べ物にもならないというのに。
[お前は死ぬつもりだったのか?]
怒りに満ち、責めるような鋭い瞳を思い出す。
…あぁ、そうか。リヴァイはたくさんの仲間を失う経験をもう何度もしているはずだ。
最前線に立つリヴァイは死に行く兵士を誰よりも目にしてきた。そして「生きたい」と願い懇願する最期の表情を見ることも数えきれないほどあっただろう。
しかし、全ての願いに応えられたはずがない。助けようとして、既に事切れていたこともあったはずだ。
それなのに私は自分の命を簡単に放りだすような軽率な行動をした。それが気に食わなかったのだろう。
無愛想で粗暴で万年仏頂面のくせに、本当は仲間思いで優しいのだ。…不器用なあの男は。
ぽたりと、髪から水滴が零れた。
ハッと意識を現実に引き戻すと、ザァァ…という音と共に雨が降っている事に気づく。しかもかなりの雨だ、パラパラなんて可愛いものではない。
いつの間に降り始めたんだと思った時、自分の洋服が水分を含み重くなっている事に気づく。髪からも水滴が滴り落ち、どれだけここにいたんだろうと辺りを見渡せばすっかり暗くなっていた。
『…戻らなきゃ』
私は兵舎へ戻るため踵を返した。