空色りぼん
□気付きたくなかった
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さっきまで考えていた事を思い出す。謝らなくてはいけないと思っていたのだが、まさかこんなにすぐ出会うとは思わなかった。しかもこんな所で、…こんな姿で。
暫くの静寂の中、意を決して口を開いた。
『…ごめん』
「…、…それは何に対しての謝罪だ?」
普通に考えれば今この状態の事だが、わざわざ聞くということはもう分かっているのだろう。
『捕獲作戦の時、リヴァイがどうしてあんなに怒ってたんだろうってずっと考えてた…でも今ならなんとなく分かる気がする』
私は、自分の命を軽く見てた。
だからあんな行動ができた。
『生きたいと願いながら死んでいく兵士もいるのに、私はそんな事を考えもせずに軽率な行動だった…、…ごめん』
再び沈黙が落ちる。普段使われることのない兵舎はやけに静かだ。ドアの向こう側から聞こえる雨の音がやけに大きく感じる。
「巨人に食われていった兵士は、兵士になった時に心臓を捧げる覚悟はできている。だから、その兵士にお前が罪悪感を感じる必要はない」
『…じゃあどうしてリヴァイはあんなに怒ってたの?』
「お前は何か勘違いをしているらしいが俺はお前に、お前の行動は死んだ仲間に対して失礼だと言ったわけじゃない」
『…だったらどうして』
そう言いながら顔を上げようとすると、グッと頭を押さえられ顔を上げることは許されなかった。
「前に言っただろう。あの場所を基準にするな、今までを基準にするなと」
…確かに言われた。地下街を基準にするのは間違いだと。
「お前はもう1人じゃない、いつまでも自分1人だけの命だと思うな。調査兵団はお前を必要としている…自分が死んでも誰にも気に留められないと思うな。ここはそんな薄情な奴らの集まりじゃない」
『いないよりはいるほうがマシだとは思うよ。ここに来る時にも言われた通り調査兵団は常に人材不足だろうから。でもたとえ死んだとしてもたった1ヶ月前に来た地下のゴロツキが死んだだけ。きっとすぐに忘れられる』
『そうでしょ?』と言えば、タオルで頭を拭くリヴァイの手が止まった。
「…親も身寄りもない自分には生きている価値もないか?」
『私には親どころか育ての親もそれに代わる人もいなかった…本当の意味で必要とされることがなかったから、その感覚がわからないよ。それにろくな生き方もしてないしね』
「俺はお前のことを必要としている。お前ほど安心して背中を任せられる実力者はなかなかいないからな」
その言葉の真意が分からずリヴァイを見上げれば、真剣な瞳と視線が交わった。嘘や冗談を言っているわけではないらしい。どうやら本気のようだ。
『…信用してないって言ってたくせに』
「いつの話をしてるんだ。お前に敵意がないことはもうわかっている」
いつの間にか私は信用されていたらしい。ハンジの言う通りだったなとぼんやり思っていると、頭をガシッと掴まれ視線を合わされた。
「生きる意味がないと言うのなら俺が作ってやる。簡単に死ぬな、絶対に生きろ。どんな状況でも必ず生きて帰ってこい。これは命令だ、勝手に死んだりしたら頭を殴るだけじゃすまさねぇからな」
真っ直ぐに向けられる瞳と真剣な表情に言葉が出なかった。ドクンと鼓動が音を立てる。
死ぬなと言われたのは別に初めてじゃない。なのにどうしてかリヴァイの言葉は私の胸に突き刺さるように響いた。
それがどうしてなのか分からない。リヴァイが嘘や冗談を言わないことを分かっているからなのか、他の人のように軽く流すことができなかった。
『…壁外に出たら分からないよ』
「返事は「はい」しか受け付けない」
『…はい』
死ぬなと、…生きろと言ってくれた。
その低く淡々とした声で紡がれる言葉が、自分の心に響いて消えない。再び髪を拭く手はさっきまで乱暴だったくせにいつの間にか優しくなっていて、それが余計に苦しく感じて唇を噛む。
どうして笑顔の1つもなく素気なく言われているのに、この人の言葉は私の心を動かすのだろう。しかも命令と来た…なんて威圧的なんだと思っているはずなのに嬉しいと思っている自分がいる。
調子が狂う。いつもの自分じゃいられなくなる。こんなに嬉しくて、泣きそうになったのは初めてだ。
今まで何のために生きているのか、自分でもよく分からないまま生きていた。そんなどうしようもない私に初めて生きる意味ができた瞬間だった。かなり強引で理不尽な命令だけど。
「俺の許可なく死んだら許さねぇ」
『はい』
「いいか、今度あんな真似してみろ。頭を殴るだけじゃ済まさねぇからな」
『…はい』
私の返事を聞いたリヴァイは、口元だけで小さく笑った。
どうやら私のことは許してくれたらしい。ホッと息をつきながら、これで簡単に死ぬことはできなくなったなと思った。
とんでもなく強引で理不尽な命令だが、あの拳骨以上の痛みが来ると思うと従うしかなくなる。あれ以上となれば私の頭は間違いなく砕けるだろう。
…死ぬなと言われたから、生きる。
なんとも馬鹿らしい単純な理由だが、それで充分だった。生きる意味なんてそんなものだろう。
それが自分のためではなく、他人の為に生きられるなら上々だ。
張り詰めていた気が抜けると同時に寒さが襲ってきた。今まで気を張っていて気づかなかったが、指先が小さく震えるほどの寒さに自分の身体を抱きしめるようにしゃがみ込む。
『…寒い』
「当たり前だ、馬鹿が」
チッと舌打ちをされ、手を差し出される。その手を掴んでもいいのか分からず見つめていると、リヴァイは私の腕を掴んで強引に立ち上がらせて歩き出した。
『…どこいくの?そっちは私の部屋じゃないよ』
「馬鹿かお前は。その格好で兵舎をうろつくつもりだったのか?」
自分の姿を改めて見ると服は水分を含み、上半身に至っては下着が透けていた。
確かにこれで人前には出られない。…というかもうちょっと早く言ってよ!あんたにバッチリ見られちゃったじゃん!
…まぁ、興味もないんでしょうけど。
そんなことを考えていると一つの扉の前につく。リヴァイは徐にその扉を開け、強引に私の腕を引っ張っていく。
『痛い痛い、取れちゃう!』
悲痛な叫びも虚しくバタンと扉が閉まる。目の前に広がる部屋の景色に、私は思わず目を見開いた。
私の部屋より少し広いそこは、埃一つ落ちていないほど綺麗に掃除されている。
余分な物が一つも見当たらない部屋にぼけっとしていると、「さっさと歩け」と腕を引かれ小さな部屋に放り投げられた。
『ねぇ、ここどこ……ーー』
ーーバタンッ!
私の言葉は扉によって遮られた。それはもうすごい勢いで閉められ、思わず仰け反りそうになるくらいだった。
「その汚ねえ手で壁を触りでもしたら削ぐからな」
扉の向こうから聞こえる声。説明が少なすぎて訳が分からない私は取り敢えず辺りを見渡す。すると、私が放り込まれたのはバスルームだと言うことに気づいた。
『…へ?』
思わず間抜けな声が出る。どういうことだと聞こうとしたが、部屋を出て行く音がした。
取り敢えずシャワーを浴びろということは分かった。だが、人を見ず知らずの部屋のバスルームに放り込んで出て行ったリヴァイに言葉が出ない。
なんて奴だと思ったがもう寒さも限界だし、今シャワーを浴びられるのは正直ありがたい。
服を脱いで暖かいお湯にホッと一息ついたとき、ふと周りが異様なほど綺麗なことに気がついた。
まさかここって、
……リヴァイの部屋?
いやいや、まさか。でもこの異様な綺麗さ…潔癖性のリヴァイの部屋だと言うのなら理解できる。そして、私を部屋へ取り残して出て行ったのも、自分の部屋だからそんなことができたのかもしれないと考える。
『…結局助けてくれるんだなぁ』
不器用すぎる優しさに思わず溜息が零れる。私は何回リヴァイに救われているんだろう。あんなに怒っていたのに結局は私を助けてくれたし、わざわざタオルまで持ってきてくれた。
無愛想で粗暴で近寄り難い奴のはずなのに、話せば話すほどその中にある優しさに気づいてしまう。いつだってリヴァイは真剣に話す私の言葉をちゃんと聞いてくれて、真面目に考え、答えてくれた。
『敵わないなぁ…』
はぁ、とため息をつきながら汚したら殺されると思い、極力汚さないように注意しながらシャワーを浴びた。
**
***
シャワーを終えて脱衣所に出ると、驚く事に新しい服が置かれていた。
綺麗に畳まれたそれは紛れも無く私の服だ。一体何故?…と、思ったが取り敢えずそれを着て出ると、リヴァイがソファに座り本に目を通していた。やはりここはリヴァイの部屋だったらしい。
これまた用意されていたバスタオルで髪を拭いていると、チラリと一瞬だけ本から視線を上げ、また視線を戻した。
「用が済んだのなら、汚い服を持ってさっさと出て行け」
冷たい言葉に思わず顔が引きつる。だが、ここまでやってもらって文句を言えるはずもない。
『…ごめん、潔癖なのにバスルームまで貸してもらっちゃって』
「お前の部屋より俺の部屋の方が近かった、それだけだ。それからエルヴィンがお前を探していた」
『…エルヴィンが?』
「あぁ、兵舎を探し回ってもいないと血相を変えていた」
『…何の用だろう』と呟くと「知るか」と返される。それもそうか。
しかしリヴァイに出会う前から探していたというのだから、もう大分時間も経っている。
どうして服まで用意されていたのか気になるが、長居するのも申し訳なかったので濡れた服を抱えてドアノブを捻る。
『…リヴァイ』
「なんだ」
ゆっくりと後ろを振り向くと、相変わらず無愛想なリヴァイと視線が交わった。
『ありがとう』
「…あぁ」
短く返ってきた言葉に、自然と笑みが零れた。
ドアノブを捻り扉を開ける。パタンと扉が閉まる音を聞きながら、私はエルヴィンの元へ向かう為足を進める。
暫く廊下を歩いたところで私は足を止め、誰もいないことを確認してしゃがみこんだ。
『…〜っ』
自分の顔に熱が上っていくのがわかる。
心臓が煩く鼓動を刻み、思わず自分の体を抱きしめるように腕を抱え込んだ。
認めたくなかった。
…だけど、気づいてしまった。
私は、リヴァイの事が好きなんだ。
死ぬな、生きろと言われた言葉が妙に心に落ちたのはこの気持ちのせいだろう。
あの無愛想な表情の奥に隠された不器用な優しさも、普段は乱暴をしてくる手が優しく触れる瞬間も。
…どうしようもなく好きで仕方ないと、いつからか思ってしまっていた。
誰にも心を許すものかと築いた壁も、彼は意図も簡単に崩してくる。彼の口から紡がれる一つ一つの言葉に心が揺らいでいく。
もっと一緒にいたいと思うこの気持ちが、もっとあの手に触れて欲しいと思う自分が…憎たらしくて仕方ない。
自分にそんな権利がないことくらい分かっている。今更人を好きになって、幸せを手にしようだなんて許されるはずがない。
こんな汚れた自分を、
愛してくれるはずがない。
気づかなければよかった。こんなくだらない気持ちに気づかなければ、こんな苦しい思いをしなくて良かったのに。
自分の思いに気づいてしまった瞬間、この思いは切り捨てなくてはならない。あってはならない気持ちだ。
自分の腕を掴む手に力を込めると、爪が皮膚に食い込みチリっと痛みが走る。その痛みに意識がはっきりとしてきて、少しずつ冷静になれた。
この想いは誰にも知られないように自分の胸の内にしまっておこう。時間をかけてもいい、少しずつ消して無くしていこう。
小さく深呼吸を繰り返すと、気持ちが落ち着いていくのが分かった。
地下街にいたときのことを思い出せ。世界は驚くほどに残酷だ。感情を動かさずに抑え込めばいい。今までだってそうやって生きてきた。
誰にも心を許さず、孤独に生きる。そうすれば楽に生きていける…無駄な期待をすることも、傷つくことも無くなるのだから。
すうっと自分の心から熱が引いていくのがわかった。
『…これで、よし』
私はゆっくりと立ち上がり、再び廊下を歩き出した。