空色りぼん
□放り込まれたケーキ
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「リヴァイがあまり怒るようなら、誰か人を呼ぶと良い」
会場から呼ばれたエルヴィンはユキにそう言い残して戻っていった。
「…チッ、余計なこと言いやがって」
舌打ちをしながら隣の椅子に腰を下ろせば、ユキは俺に殴られるとでも思っているのか小さな体を更に小さくさせて頭を護るように抱えている。
「お前は俺をなんだと思ってるんだ」
『暴力犯』
「…ほう、なら望み通りのものをくれてやる」
『嘘ですごめんって!』
バッと再び身構えるユキに呆れてため息をついた。
「お前の馬鹿さ加減には心底呆れさせられる」
『…そこまで言わなくてもいいでしょ。調査兵団にとっていい話だったんだから』
「いつからお前はそんなに献身的になったんだ?エルヴィンが行ってこいと言ったら、お前はその男の元にいったのか?」
答えずに視線を落とすユキは、恐らく行ったのだろう。
自分に心底興味がないユキは調査兵団のためになるなら、一晩の相手くらい構わないと本気で思ったらしい。本当に呆れるほどどうしようもなく不器用な女だ。
本来なら自分が嫌だと思うことなんて誰しもがやりたいとは思わない。だが、ユキはその辺の感情が欠落している。生きる意味がわからないからと自分の命を軽く見ていたのもそのせいなのだろう。まったく地下街のゴロツキらしくない考え方だ。
「そんな表情をしているお前を、エルヴィンが行かせると思ったか?」
『…分からない、でも別にどっちでもよかった。気乗りはしないけど調査兵団にとって良い話であることには間違いないし』
…もしかしたらユキは調査兵団のためになることをすることによって、自分の存在に価値があるように思いたかったのかもしれない。
どうせユキのことだ、自分の存在価値も自覚していないのだろう。
「エルヴィンはお前にそんなことをさせるつもりはねぇよ」
『そんなんじゃ巨人には勝てないよ』
「それはお前が心配することじゃない。とにかくお前はもっと自分に興味を持て。嫌なものは嫌だと言え、命令でもないのに自分を犠牲にするようなことはするな。…もっと自分を大事にしろ」
『自分を大事にする…』と呟きながら自らの手のひらに視線を落とすユキに「そうだ」と続ける。
「どうせお前のことだから自分に価値がないとでも思ってるんだろう。生きる意味がわからないとかほざいていたくらいだからな…お前は充分必要とされているのがわからねぇのか?俺もお前を必要としていると言ったはずだが」
ユキは俺の方を見て目を見開くと、少ししてゆっくりと視線を落とした。その口元には小さく笑みが浮かべられている。
『…そっか。こんなにみんなに大事にされてるんだから、自分も自分を大事にしなきゃね』
「あぁ、だから二度と自分を軽く売るようなことはするな。エルヴィンも言っていたがな」
『分かった』
そう言って困ったように笑うユキに、本当ならそんなこといちいち言われなくたって普通の人間は自分のことばかり考えるのが普通だろうと思う。
だが、普通の人生を歩めなかったユキはそんな当たり前のことさえ分からなかったのだ。普通の人間は生きる意味がなくなって生きるし、自分の価値なんて考えもしないだろう。
それは当たり前のように恵まれた人生を送ってきているからなのかもしれないと、ぼんやりと思った。そんな当たり前のことさえ分からなかったユキはどんな人生を歩んできたのかと思うと心が痛んだ。
だが、これでユキは今後こんなことをしないだろう。ホッと息をつく自分にふと違和感を感じる。
どうして俺はこんなにユキのことに口を出しているんだ?
自分が調査兵団に連れてくるきっかけになったとは言え、こいつがここでどうしようと関係ないことだ。調査兵団に害を与えようとしなければそれでいい、簡単に死ななければそれで良かったはずだ。
なのに気づけばユキのことを気にかけ、声をかけている自分がいる。ユキの話を聞き、真剣に答えている自分がいる。
ユキが見ず知らずの男と一晩を過ごさなくて良くなったことに、安堵している自分がいる。
いつの間にこんなに深く関わるようになったんだと考えていると、ユキは小さな体でグッと伸びをしながら口を開いた。
『少し休めたし、会場に戻ろうかな』
「戻りたいのか?」
『戻りたくないに決まってるよ、疲れたもん』
「だったら、ここにいればいいだろう」
『ずっと席外すわけにもいかないでしょ、リヴァイなんて兵士長なんだから』
「散々下らないやりとりをした。…もう充分だろう」
『リヴァイだって戻りたくないだけでしょ』
少し疲れたようにへらへらと笑うユキの髪飾りが揺れる。化粧をしているせいかいつもより柔らかく見える笑顔に自然と舌打ちが零れた。
「だから誰かと一緒にいろと言ったんだ」
『え?』
「お前、今の自分の格好を自覚していないだろう」
真顔で首を傾げる目の前の女を一発殴ってやりたくなる。これが計算されてやっていることなら見事だと言えるが、素でやっているのなら本当に手が付けられない馬鹿だ。お前は地下街で何を学んできたと言ってやりたい。
化粧をし、ドレスを纏い着飾ったユキは文句のつけようもなく綺麗だった。これはこの会場にいる人間なら誰もが思ったことだろう。元々整った容姿をしているからこうなるだろうとは思っていたが、予想以上の出来に当然会場の視線を集めることになった。
更には礼儀作法や笑顔の作り方、愛想の振りまき方まで完璧ときてる。ユキの家に行った時にドレスが何着かあったから夜会にも良くない仕事で行ったことがあるのだろうと思っていたが、これほど完璧に全てをこなすとは思っていなかった。
ユキが「親父」と言っていた男が「こいつはなんでも器用にできる」と言っていたことを思い出す。地下街のゴロツキが夜会のことなんて知るはずもない…ユキが自ら学んで得た技術なのだろう。
それは確かにパトロンに対する印象に関しては良かったが、良すぎたと言っていい。だからこそあれだけ多くの男から声をかけられるハメになったのにこの女はその自覚がないのか?
「散々男に声をかけられていただろう」
『ただ黒髪が珍しいからからでしょ』
ユキは即答だった。ただ東洋人としての特徴だけでこんなことになっていると思っているのか?それだけ声をかけられておきながら?
そんな目でこっちを見るな馬鹿が。どうせ言っても分からないような馬鹿に、わざわざ言ってやる言葉を持ち合わせているほど俺は優しくない。
「すぐ食い物にガッツく馬鹿女だと知れば、馬鹿な男共も寄ってこなくなるだろうな」
『がっついてませんー、上品に食べてますぅー』
「ワゴンに飛びつくような奴がよく言いやがる」
『見てたの!?』
「…本当にそんなことをやっていたのか?」
『・・・。』
暫くの沈黙の後、『ハメられた!』と悔しそうに言うユキに何度目か分からないため息をつく。
本当になんなんだこいつは。完璧にこなしていると思ったらこれだ。悔しそうにしていると思ったら項垂れるように落ち込んでいる。
「あんなに食ったのに腹が減ったのか」
『ずっと話しかけられてて食べられてないんだよ。…っていうかまさかお腹空いたから落ち込んでると思ったの?どんだけ単純だと思われてるの?』
「だったらケーキはもう食べなくていいんだな?」
『食べたい』
「結局腹は減ってるんじゃねぇか」
『…悪い?』
不貞腐れたようにそう言いながらユキは会場に視線を向ける。きっと楽しみにしていたケーキを取りに行きたいが、行けばまた捕まって食べられなくなることを懸念しているのだろう。
諦めたように机に肘をつくユキに「行くぞ」と立ち上がって言えば『え?』と間抜けな顔をして見上げてくる。
「何ボケっとしてやがる、取りに行くんだろう?だったらさっさとしろ」
『…一緒に取りに行ってくれるの?』
「一人で行ったらまた食えないだろうが。俺がいれば近寄ってこない」
ゆっくりと歩き出せば、ユキは慌てたように立ち上がってついてきた。
『…付き合わせてごめん』
「そう思うなら俺から離れるな」
『うん』と小さくユキが呟く。相変わらず歩きにくそうな靴でよくそんな器用に歩けるなと思いながら、少しだけ歩く速度を落としてやる。
いつものように歩いてはぐれたらまた捕まって同じことの繰り返しだ。会場を歩いていてもチラチラと俺たちを伺う貴族はいたが、声をかけてこようとはしなかった。男と歩いている女に声をかけることはほとんどない。
「やぁ、さっきの返事は考えてくれたか?」
こういう身の程知らずの男は例外だ。周りの人間は空気を呼んで話しかけずにいたというのに、よほど図太い神経をしているらしい。
貴族とは思えない下品な笑いにこいつがユキに取引を持ちかけてきた男だと悟る。
『…申し訳ありませんが、その話には…』
「オイ」
ユキの言葉を遮り、一歩前に踏み出す。驚いたユキが俺を見上げているのが分かった。
「これはリヴァイ兵士長殿、取引の内容は聞いていますかね?」
「あぁ」
「そうですか。…で、返事のほうは?融資の方はそちらの希望も聞きますよ」
「…下らねぇ。俺は部下に、巨人を殺す以外にさせるつもりはない。口説くならバカな貴族の女でも口説いていろ」
「行くぞ、ユキ」と呆気にとられて間抜けヅラを晒している男の横を通り過ぎると、後を追ってきたユキが慌てたように口を開く。
『あんな風に言っちゃっていいの?仮にも向こうは調査兵団に融資してくれている人でしょ!?』
「しつこい彼奴が悪い、あれくらい言っておいたほうがいいだろう」
『…だけど!』
「それにあいつはパトロンの息子だ、あいつ自体にはなんの決定権もない。まぁ、あとはエルヴィンがなんとかする」
『…そんな他人任せな』
「ピーピーうるせえ女だな」
『誰の為に言ってると思っ……んぐっ』
いつまでも騒いでいるユキの口に一口大のケーキを放り込めば、ユキは始めこそ驚いていたものの小動物のように口を動かし始めた。
そして徐々に口元が緩んでいき、瞳を細めて幸せそうな表情を浮かべるユキにため息をつく。
「たかがケーキ1つで幸せそうな顔しやがって」
『…別にいいでしょ、好きなんだから』
「別に悪いとは言っていないだろう。せっかくこんなくだらねぇとこまで来たんだ、好きなだけ食えばいい」
『あんまりがっつくなって言ったじゃん』
「嫌なら食わなくてもいいが?」
『食べるっ!…でも、いいの?』
「あぁ、今日はお前も頑張ったからな。少しくらいは多めに見てやる」
そう言えばユキはどうしたんだと言わんばかりに俺の方へ疑いの眼差しを向けてきた。どうやら俺は相当ユキに厳しくしている印象を強く持たれているらしい。
勝手にしろと言う意味を込めて視線を逸らし無言でいると、ユキは小さく切られたケーキを皿にとりパクパクと食べ始めた。
その所作は意識しているのか相変わらず綺麗なままだが、次々と食べていくユキは明らかに目の前のケーキに夢中になっていた。
「美味いか?」
『うんっ!』
「…」
あまりにも無邪気に浮かべられる笑みに思わず呆気に取られる。いつもの笑みとは違う、本当に幸せそうに笑う満面の笑みに言葉を失っていると、ユキはハッと自分が理性を欠いたことに気付いて顔を赤らめ視線を逸らす。
『…っ、今のは忘れて』
恥ずかしがるユキに思わず口元が緩む。…なんだ、お前はこんな表情もするんだなと思わず頭に手を伸ばした。
「今日はよく頑張ったな」
そう言えばユキは恥ずかしそうに赤くした顔を俯かせ、またケーキをパクリと口に運んだ。