空色りぼん
□秘められた力
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「どういうつもりだ」
机に向かって仕事をしていたリヴァイにギロリと睨みつけられる。
『最初に私から取り上げた刀ってまだ残ってるのかなぁ…と思って』
そう、あの時地下街にわざわざ取りに行かされた私の愛刀。それはまだあるのかと聞くと、ものっすごく鋭い視線が向けられる。
こんな反応になるとは分かっていたけどね…。
「残っていたら何に使うつもりだ」
『開かずの扉を開けようと思って』
「開かずの扉?」
初めはリヴァイも意味が分からなかったようだが、思い出したのか「…あぁ」と呟いた。
「あいつはまさか遊んでいるのか?死ぬ気で資料を探せと言ってあったはずだが」
『その資料が開かずの扉の向こう側にあるかもしれなくて、どうしても開けなくちゃいけなくなったの』
私の説明に、リヴァイは再び眉間に皺を寄せた。
「…で、どうしてあれを開けるのにお前のあの刀とやらが必要になるんだ?」
『あれで斬り崩そうと思って』
リヴァイの瞳と視線が交わる。「何言ってんだ、こいつ」という疑惑の視線をピシピシと感じた。
「…あの扉を、お前が開けられるというのか?」
『開けるというより破壊する訳だけど…、壁が多少壊れてもいいならやってみる価値はあると思うよ』
「…」
リヴァイは少しの間、考えるように顎に手を当てる。すると、ガタリと無言で立ち上がって扉の方へ向かって行った。
『…リヴァイ?』
「お前のはエルヴィンの執務室にある。今エルヴィンは会議でいないから、取りに行くなら今しかない」
『よかった…、……で、リヴァイもついてくるの?』
「当たり前だろう。武器を持ったお前を野放しにできるか」
『…見張りね』
一応私はまだリヴァイの監視下にあったんだった。最近では忘れかけていたけど武器を持たせる以上、見張らないわけにはいかないんだろう。
私は足早に歩き出すリヴァイの背中を小走りで追った。
**
***
『うわぁ、久しぶり…』
ハンジの執務室の中、…開かずの扉の前に来たところでユキはリヴァイに刀を手渡された。(ここに来るまでの間は持たせてもらえなかった)
久し振りの重量と手に馴染む感覚に、懐かしいなと手に握られた愛刀を見つめる。
「あれ、それってユキがここに来る時に持ってたやつだよね?」
『うん、そう』
「へぇ、そんなので本当にこの扉を開けられるの?」
心配そうに言うハンジに、ユキは『大丈夫』と呑気に笑う。その様子にしびれを切らしたリヴァイが口を開いた。
「下らない会話をしている暇はねぇ、やるならさっさとやれ」
『…わかってるよ』
一歩前に出るユキに、ハンジは心配そうに口を開いた。
「…ほ、本当に大丈夫?」
もう何度目か分からない不安の声に、ユキはもう一度『大丈夫』と言った。
扉を開けると言ったユキが持っているのは、ブレードよりも細そうな刃物。本人が”刀”だと言っていたそれは、確かにブレードより固くしなりも一切ないが、だからどうしたという話だ。
それを持つユキの白い腕は見るからに細く、とても扉をどうこうできるとは思えない。
だが、ユキは至って余裕そうな笑みを浮かべていた。
『大丈夫だって、壁は傷つけても文句言われないんでしょ?』
「壁の修理ならどうとでも言いくるめられる」
リヴァイの言葉にユキは『ならよかった』と笑う。そして一歩、また一歩と足を進め扉の前に立った。
ピリピリとした緊張感が、辺りを包み込む。
小さな背中で揺れていた黒髪がぴたりと止まった時、ユキはそのまま左手で鞘を持って腰の位置で構え、右手で柄を握った。
カチャリ、と刀剣独特の鍔鳴り音が鳴る。
すぅっと重心が落とされ、
彼女の瞳がゆっくりと伏せられた。
…小さな静寂が落ちる。
やがて、ユキの左親指がクンッと鞘に収まった刀身を少し押し上げた。
(…なんだ?刀身を出していないあの状態からやるのか?)
そうリヴァイが思った瞬間、
ユキの瞳がカッと開いた。
ーー…ズシャァアア!
まさに、一瞬の出来事だった。
彼女の右足が踏み出された瞬間、
一本の軌線が空間を斬り裂いた。
一瞬何が起こったのか分からないほどの速さに、二人は目を見開く。
小さなユキから放たれた一閃によって扉は綺麗に斬られていた。左下から右上に向かって一本の亀裂が走っている…まさに一刀両断だ。
その凄まじい威力は、放った瞬間に巻き起こった風が何よりの証拠だった。
黒髪に飾られた、
空色のリボンがふわりと揺れる。
『ごめん、やっぱりちょっと壁傷つけちゃった』
なんて呑気に言うユキがパチンと刀身を鞘に収めると、ガコンと言う音と共に真っ二つになった扉の下半分が崩れた。
「……すごい」
第一声はこれだった。ハンジはポカンと空いた口から言葉を零し、真っ二つにされた扉と少し斬り込みが入った壁に、交互に視線を向ける。
リヴァイも言葉は出さなかったものの、同じようにユキによって成された光景を信じられないというように見つめていた。
…が、バキッ!という僅かな物音に気付いたリヴァイは視線を上げると、チッと舌打ちを零し思いっきりユキの腕を掴んで引き寄せる。
『え!?』
突然の行動にユキは驚き、バランスを崩す。咄嗟に体制を立て直した瞬間、ドガシャァァ!…と派手な音と振動が襲った。
…え?
何、…今の…。
ユキが恐る恐る振り返ると、扉を押さえつけていた元凶であろう書物用の棚が、扉を突き破ってこちら側に倒れてきていたところだった。
まさに自分がさっきまで立っていた位置だ。リヴァイに引っ張ってもらっていなければ、今頃私はあれの下敷きになっていただろう。
「危なかったねぇぇユキ!さすがリヴァイだよ!」
「何呑気に言ってんだクソメガネ…っ、全ての元凶はお前だろうが」
「あははは、無事だったんだから気にしない!それよりやっと開通したよ!」
ハンジは「助かった!」と喜びの笑顔を浮かべながら開かずの扉の先に入っていく。
「少しは周りを注意しろ」
『…ごめん』
掴まれていた腕が離され、顔を見上げると眉間に皺が寄せられていた。
完全に油断していた。やっぱり私はなんだかんだこの男に助けられるのだ。…もう何度目だろう。
心の中で反省し、自分の手に握られている刀を思い出してリヴァイにそれを差し出した。
『これ、ありがとう』
「…」
差し出された刀を無言で見つめられ、どうしたんだ?…と思う。『返すよ』と付け足すと、リヴァイはゆっくりと私と視線を合わせた。
「お前はこのままちゃっかり持っていくものかと思ってたがな」
『そんなことするはずないでしょ、今の私には不要なものだしね』
「…始めは「返せ返せ」と五月蝿いくらいに付き纏ってきた癖にな」
『あはは、そうだね。自分でもこんなに長い間手放すなんて思ってもいなかったかな』
私はもう一度差し出している刀を見つめる。
地下街にいた時は片時も離さず側にあったものだ。それこそ寝るときでさえベッドの片隅に立てかけるほど。
いつ騒ぎに巻き込まれるか分からなかったからこそ、いつ命を狙われるか分からない場所だったからこそ、そうしていた。
…自分の身を、守るために。
だけど、ここに来てからと言うものこれの必要性は全く感じなかった。
始めは手元に無い事を不安に思っていたけど、最近では存在すら忘れるくらいだった。それはきっと、周りの人間が信用できると思ったからだ。
『必要ないんだよ、…ここでは。前は手放せなかったのに今では手ぶらで歩くのが普通になってる。…平和なところに来たんだねぇ、私は』
ユキの瞳が、ふっと伏せられた。睫毛の影が白い頬に落とされる。細められた黒真珠のような瞳は儚い光を灯し、不安定に揺れていた。
(…またこの表情だ)
[東洋人は高く売れるんだよ]
夜会の夜にユキがエルヴィンに言っていた言葉を思い出し、斬り裂かれた扉の残骸に目を向ける。
あの地下街で理不尽な扱いをされていたであろうこいつは、自分の力で自由を掴み取った。
自分の身を護る為に、武器を取り戦うことを選んだ。こういう目をする時、いつもユキは目の前の景色とは違う…別の何かを見ている。
俺達には見えないもの。それは恐らく過去の記憶なんだろう。そうやって瞳を伏せては不安定な光を灯し、零れそうになる涙を抑えているようにも見える。
『…!』
無意識のうちに伸ばしていた俺の手が頬に触れた瞬間、驚いたようにユキが見上げてくる。
真っ直ぐに向けられる黒真珠のような瞳は、吸い込まれそうなほどに綺麗だった。…だが、不安定に揺れ、寂しげな光を灯している。
俺はお前にそんな表情はして欲しくない。どうやったら元に戻るんだと、頬に指を滑らせる。
『…あ、あの』
「…なぁ、ユキ…」
沈黙に耐えきれずに口を開くユキにゆっくりと呼びかけた、その時……
ーードガシャァァ!
『!?』
開かずの扉の先から何かが崩れたような音が鳴り響き、ユキが体を震わせた。
「あった!あったよ二人ともっっ!!」
その直後、更に埃まみれになったハンジが満面の笑みで出てくる。
その瞬間、反射的に頬に触れていた手でユキの頬を摘めばユキは『痛い!』と俺の手を掴む。
「…っと、何してるの二人とも」
「気にするな、ただの躾だ」
『躾!?今躾って言った!?』
自分の周りの状況も把握できないお前が悪いと、頬を摘んだまま引っ張ればどこまで伸びるんだと思うほどだらしなく伸びる柔らかいそれを離せば、パチンと間抜けな音が鳴る。
頬を抑えるユキは悔しそうに唇を噛み締めながら睨みつけてきていた。
「ほどほどにしてあげなよ」
「うるせぇ、それより書類は見つかったんだな?」
「うん!やっぱりこの中にあったよ!!」
(確かに私の注意不足で危ない目にあいかけたけど、そんなに引っ張らなくてもいいじゃん…!!)
痛む頬を押さえながら睨みつけてもリヴァイは相変わらず無表情でしらんぷり。
「ほら!」と自慢気に渡される資料を見て、リヴァイは資料についた埃を嫌そうに払っていた。
しかし、それは確かにお目当てのものだったようだ。そのまま私の手から刀を奪い取ると、何も言わずに風のように部屋を去って行った。
「いやぁユキのお陰で助かったよ!あれを無くしたらリヴァイに蹴られるくらいじゃ済まなかっただろうからね」
『…今度はもう手伝わないからね』
「そんなこと言わないでよ」
へらりと笑うハンジにため息をつく。
もうこんな埃まみれの部屋で探し物をするなんて御免だ。しかも、そのせいでこっちは命の危険にまて晒されたのだ。
『ほら、早く着替えてケーキ食べに行くよ』
「うん、急ぐからちょっと待ってて」
『はいはい』
ドタバタと支度を始めるハンジを見てもう一度深く溜息をつく。確かに大変な目にあったが、ようやくケーキも食べられるしよしとしよう。
[…なぁ、ユキ…]
それにしても、あの時リヴァイは何を言おうとしたんだろう。
触れられた頬に手を添えると、まだあの暖かい温もりが残っているような気がして、慌てて首を振って忘れることにした。