空色りぼん

□熟年夫婦
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…チャリ、と懐中時計につけられたチェーンが鳴る。時刻を確認すると、書類整理を始めてから既に一時間が経っていた。

自分の斜め前に座るリヴァイに視線を向けると、黙々と書類に向かってペンを走らせている。

紅茶でも淹れてあげよう。そろそろリヴァイも一息つきたいと思っている頃だ。

一ヶ月以上同じようなことをしていると、段々とこういう事まで分かってくるものだ。

表情は全く変わらないが、なんとなく彼が纏う雰囲気が変わっていく。それを感じられるようになったのは自分でも凄いと思う、拍手を送りたいくらいだ。

手伝い始めた頃は、こんな風に分かるようになるとは思わなかった。なんせ何も言わないし、前述したように表情にもでないのだから。


ガタリと立ち上がって執務室に取り付けられている給湯室に行く。

先程沸かしていたお湯を再度温め直している間にポットに茶葉を淹れ、ゆっくりとお湯を注ぐ。


ふわりと漂う紅茶の香りを確認しながら蓋を落として少し蒸らす。

蒸らし過ぎないように心の中で「…1…2…」と秒数を数え、頃合いを見計らって蓋を開けカップに注いだ。


色も香りも上出来だ。これならリヴァイも眉間に皺を寄せることなく満足するだろう。

いつの間にかここにいることが多くなった私のために用意されたカップに、ついでに自分の紅茶も淹れて書類と睨めっこしているリヴァイの元へ向かう。

空いているカップを自分の持っているトレイにのせ、新しい紅茶を置いた。


『少し休んだら?』

「あぁ」


やっぱりこのタイミングは間違いではなかった。リヴァイは持っていた書類を机に起き、紅茶を口に運ぶ。

前は「キリのいいところまでいったらな」とか「もう少ししたらな」と言われていたのに随分な進歩だ。


よしよし、と自分の中で満足していると、トントンと執務室の扉がノックされた。


『どうぞ』


反射的に返事を返すと、ギィィと音を立てて開く。にこやかな笑顔を浮かべながら姿を現したのはハンジだった。


「なんだぁやっぱりユキもいたんだね!今は休憩中?」

『まぁね』


何が楽しいのかケラケラ笑っているハンジに、リヴァイの眉間に皺が刻まれる。折角の束の間の休息を邪魔されて苛立っているのだろう。

どかりとソファに座るハンジは本当に遠慮というものがない。


『…で、ハンジは何しに来たの?』

「暇だからリヴァイとユキの様子でも見に来たんだよ」

『は?』


その発言にリヴァイは更に眉根を寄せる。私も同じような表情をしていたのだろう、「二人揃ってそんなに怖い顔しないでよ」とハンジは言った。


「用が無いならとっとと出て行け、クソメガネ」

「冷たいこと言わないでよ、静かにしてるからさ」

「…」


これ以上言っても無駄だと思ったのかリヴァイは紅茶の入ったカップを置き、再び書類と睨めっこを始めてしまった。

あーぁ、折角の休息だったのに。再び自分の世界に入ってしまったという事は、私にハンジの相手をしろということなのだろう。

…もしくは追い出せと。


「あらら、リヴァイったらつれないなぁ。折角なんだから話し相手になってくれてもいいのに」

『リヴァイが話し相手になんかなるわけないでしょ。折角の休憩時間だったのに邪魔しないでよ』

「まぁまぁ。それよりその紅茶ユキが淹れたの?私もユキが淹れた紅茶飲みたいな〜」

『自分で淹れな』

「えー、けちー」


ごちゃごちゃ言っている声を無視して私も机に座る。そして紅茶を一口飲んで書類の整理を始めた。


「ユキももう休憩終わりー?」

『静かにしてるって自分で言ってたでしょ。ここに来るなんて下らない理由があるんだろうけど、あんまりモブリットを困らせないであげなよ』

「嫌だなぁ、私がそんな事すると思う?」


どの口が言ってるんだ、どの口が。

と、思ったがそのまま書類整理を開始した。するとハンジはそれ以降何も言わず静かにソファに座っていた。




**
***




カサリと書類を捲る音、
ペンを走らせる音だけが響く。

先程まで自分と喋っていたユキも、一度始めるとその集中力はすごいものだ。2人して黙々と作業をこなしている。


「ユキ」


そんな中、リヴァイがユキの名前を呼んだ。

するとユキは自分の机の資料から一枚の書類を取り出し、リヴァイの元に持っていく。


『はい。さっきも言ったけど期日は明後日までだよ』

「あぁ」


短い返事、短い会話。あっという間に終わらせたかと思うと、ユキは再び自分の席に戻り書類を捲り始めた。

な、なんだ今のは。二人の間に今何が起こったというのだ?


「ね、ねぇユキ」

『なに?』

「今、リヴァイに何を渡したの?」

『何ってこの間の壁外調査の報告書だよ』


さも当然でしょ、みたいな表情を浮かべながら返される。

いやいやいや。
だっておかしいでしょ。

リヴァイは「ユキ」と彼女の名前を呼んだだけで、それ以外には何も言ってなかったはずだ。なのに、どうして分かったのか。

そう言うとユキはケラケラと笑った。


『期日が近いのがこれだったから、なんとなくこれかな?って思っただけだよ』


当然のように答えるユキにぽかんと口が開く。

なんとなくで分かるようなものではないだろう。ユキの机の上に積まれているのは一枚や二枚じゃない、期日が近いと言ってもそんな書類他にも何枚もあるはずだ。


「…すごいね、ユキ」

『もう1ヶ月以上もこんなことやってれば、分かるようになってくるんだと思うよ。』


書類を整理しながら言うユキに、私は思わず呆気にとられた。

自分が同じ立場になったとして、名前を呼ばれただけでリヴァイの望んでいるものが分かるようになるとは到底思えない。

そもそもそんな事がみんな同じように出来るのだとしたら、嘗てリヴァイについた補佐役達も追い返される事など無かっただろう。


そんな事を考えている間に、リヴァイは再びユキの名前を呼んだ。


「ユキ」

『それは私が印を押したから、リヴァイが確認して良ければ終わりだよ』

「そうか」


本当になんなんだ、この二人は。聞いている側は何の話をしているのかさえ分からないのに、2人は当然のように会話を終えてしまう。

そんな2人に呆気にとられていると、執務室の扉がノックされた。


ーートントン。


『どうぞ』


ユキが返事をすると、ノックと同じように遠慮がちに扉が開いた。


「失礼します、ユキさんあの…」


姿を現したのはモブリットだった。始めはユキの方に視線を向けていたが、ふっとソファにいる私に気づくと表情を一変させた。


「あああ!やっぱりここにいたんですか!何してるんですかあんた!」

「てへ、見つかっちゃった」

「見つかっちゃったじゃないでしょーが!ハンジ分隊長はどこだって中央の方が探してるんですよ!?」

「…面倒くさい」

「いい加減にしてください!」


ギャーギャーと騒ぎながら、ハンジはモブリットに引きずられていく。そして扉が閉まる直前、ハンジは「またねー」と陽気に手をふっていた。


ーーバタン。

思わず小さくため息をつくと、リヴァイの舌打ちと重なった。


「なんだったんだ、あいつは」

『モブリットから逃げてたみたい』

「…チッ、いい迷惑だ」


まったくだ。だけど、一番大変だったのはモブリットだろう。

恐らく兵舎内を探しに探して、どうしても見つからないから最終手段としてここに来たのだろう。

そしたらビンゴだったという訳だ。彼の苦労は果てしない。


『私なら絶対にモブリットと同じようなことはできないなぁ』

「できてたまるか、あんなもの」


リヴァイは背もたれに体重を乗せ、再びカップを手に取った。

やっぱり集中力が切れていたらしい。ハンジがいなくなって、漸く先程取り損ねた束の間の休息に入った。

それに倣い、私も再び紅茶を口に運ぶ。


『すぐ行方不明になる奇行種なら、万年不機嫌全開の人を相手にしてた方が楽かも』

「誰の事を言っているのか分からねぇな」

『心当たりが無いなら気にしなくていいよ』


くすくすと笑うと、米神辺りに鋭い視線を感じる。それこそ視線だけで身体に穴が空きそうなほどだ。

だけど、あなたもハンジと同じくらい難しい人なのだと理解するいい機会だ。ハンジよりコミュニケーション能力が劣っている分、厄介と言ってもいい。

だが、仕事は完璧にこなすからエルヴィンにとってはリヴァイの方が扱いやすいだろう。

そんな兵士長の手伝いをやっているのだから、私はもっと自分を褒めていいはずだ。

モブリットとは違ってなんの役職もついていないからこそ、責任感もなく気を張らずにマイペースでいられるのだろうが。

大して難しいこともないし、やることと言えば簡単な雑務と彼の癒しである紅茶を淹れるくらいなものだ。

最近それに書類整理と部下から上がってきた報告書の誤字確認が新たに加えられたのだが。

ちなみに当初私が口を滑らせた筆跡模写については試しに「やってみろ」とリヴァイとエルヴィンのサインを出されて模写したところ、「今後その技術は一切出すな」とキツく封じられた。

カチャリとリヴァイがカップを置く。これは再び作業を始めるという無言の合図。

私は小さく深呼吸をし、
目の前の書類に向き直った。




**
***




「でさぁ、思わず私も驚いちゃったんだよ。名前呼ばれただけでリヴァイが何を言いたいのか分かっちゃうんだもん」

「それはすごいな」


ハンジの話をエルヴィンは珍しく興味深そうに聞き入っている。


「扉を叩くと当たり前のようにユキが返事をするようになってるし、リヴァイが休みたいタイミングを見計らって紅茶も出してるみたいだし」

「ほう」

「なんて言うんだろう、あれはそう…熟年夫婦みたいな感じだよ!」

「それは言い過ぎじゃないのか?」

「本当なんだって、なんならエルヴィンにも見て欲しいくらいさ」


ふむ、とエルヴィンは顎に手を当てて何かを考え始める。


「リヴァイがどうしてユキを追い出さないのか分かるよ。あれほど気難しい自分の気持ちを組んでくれる人なんて今までいなかっただろうからね」


ハンジはエルヴィンに書類を渡すと「無駄話しすぎちゃった」と踵を返して執務室を後にした。




 

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