空色りぼん

□就任
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いつものように書類を脇に抱え、エルヴィンの執務室を訪れる。


『はい、これ』

「あぁ、いつも助かるよ」


書類を渡すとやっと一つ肩の荷が下りた。…だが、まだ夕方だ。これからが長い。机に積み上がった書類を思い出すと溜息がでる。


『もうリヴァイに渡すものはない?』

「今日はもうないよ」


「今日は」という事は明日はまた新たなものが来るということか。

…まぁ、いい。今日は今日、明日は明日だ。明日のことは明日の自分に任せよう。

ぺらぺらと書類を確認するエルヴィンのOKが出るのを待つ。それにしても当初はじっくりと見ていたくせに、今ではパラパラと文字通り目を通すだけだ。


「確かに受け取った」

『もっと細かく見なくていいの?』

「あぁ、ユキも確認しているのだろう?…なら、問題ない」


当然のように返され不安を覚える。私はただ手伝いで見ているだけだ。完璧とは程遠いのにそんなのでいいのだろうか。

それが表情に出ていたのか、エルヴィンは口元だけで小さく笑った。


「リヴァイだけの時も大して確認していなかったが間違っているところは殆ど無かった。それにユキがリヴァイの手伝いを始めてからというもの間違いは今まで一個もなかったからな」

『これからあるかもよ?』

「信頼しているよ」


そう言われては何も言い返せない。今後も間違いがないように持ってこなくては、という気にさせるのだからエルヴィンには敵わない。


『またできたら持ってくるね』

「あぁ、頼むよ」


会話が一区切りついたなと思って部屋を出ようとした時、エルヴィンに呼び止められた。


「ちょっと待ってくれ。まだ大事な話があるんだ」

『何?』


大事な話とは何だろう、改めて言われるとつい身構えてしまう。もっと面倒な仕事の話だったらリヴァイが不機嫌になるだろうなと心配になる。

振り返ると、エルヴィンはやはりいつもの笑顔を浮かべていた。




「君を、副兵士長に任命する」




エルヴィンの言葉に、
思わずぽかんと口が開いた。

今なんて?
副兵士長って言った?

目を見開いて固まっている私に、エルヴィンは更に続けた。


「これは前から考えていたことだ」

『…ちょ、ちょっと待ってよ。副兵士長?私が?』

「あぁ」


そんな当たり前のように頷かれても困る。いきなり過ぎてどうしたらいいか分からない。頭がパニックで悲鳴を上げそうだ。


「君の実力はもう周知の事実だ。副兵士長の役職に相応しいと私は思うが」

『…そんなこと言われたって、周りと比べたら私はここに来てまだ日も浅いし訓練過程も経てないんだよ?』

「それはリヴァイも同じことだ。それに、リヴァイが兵士長の役職についたのも、君がここに来てからちょうどこのくらい経った頃だ」

『だからってそんな急に…私は自分が副兵士長なんて役職に見合ってると思わない』

「君が副兵士長になることに不満を持つものはいないよ」


エルヴィンは至って真剣な表情で言葉を紡いでいく。不満をもつものならいるだろう…確実に一人。


『そんなの、リヴァイが認めるわけない』


そう、あの男だ。副兵士長ということは、正式にリヴァイの直属の部下になるということ。

今まではなんとなく手伝っていただけだったが、それが今度からは必然的になる。嫌と言っても付いて回るようになるのだ。そんなのリヴァイが認めるはずがない。


「リヴァイはもう了解している」

『…ええ!?私は何も聞いてないけど!?』


さっきまで普通に同じ部屋にいたけど何も言われなかったよ!?普通にいつもの無表情だったよ!?

そこでふと、リヴァイは知っていても言うはずがないか…と妙に納得してしまう自分がいた。どうせエルヴィンが言うだろうから、自分から敢えて言う必要もないと思っているのか。

なんて奴だ。いつから黙ってたんだ!


「ユキがリヴァイの補佐をするようになってから、もう随分経つだろう?」

『…ただの成り行きから始まったはずだったんだけど』

「前にも言ったがリヴァイは自分の仕事に他人を干渉させようとしなかった。だが、ユキだけは違った。戦闘でもそれ以外でも、リヴァイを側で支えられるのは君しかいない」


本当に突然の話に頭がパンクしそうだ。私が副兵士長?

そんな馬鹿な話があるのかと思うが、エルヴィンが言うのだからそれは間違いなく現実なのだ。

こんな地下街出身の私が?…だが、リヴァイも兵士長を勤めている。形式やしきたりに囚われないエルヴィンだからこそできるのだろう。

はぁ、と深く溜息をついて落としていた視線を上げるとエルヴィンと視線が交わった。

結局、今から私が何を言おうが無駄なのだ。この調査兵団団長に私の囁かな反論など通用しない。


『…、…分かった』

「これからもよろしく頼む」


渋々頷いた私に、エルヴィンは満足そうに頷いた。

まさかこんなことになるとは思わなかった。今日も今日とて山積みの書類を片付けて眠りにつくと思っていたのに。


「皆には明日伝えよう」

『…それで、私は何をすればいいの?』

「今まで通りやってくれればいい。その先の事はやりながら覚えていけばいいことだ」


本当に今まで通りでいいのだろうか。もう普通の一兵士ではなくなるのだ…役職につくという感覚は当然初めてだから、何をどうしていいのかさっぱり分からない。


「大きく変わるのは夜会や会議などで内地に行く機会が増えることくらいだろう。心配することはない、後はリヴァイについていればいい」

『…わかった』


まだ整理しきれていないままエルヴィンの執務室を後にする。

未だに信じられない。

私が副兵士長?嘘でしょ?とエルヴィンと話している最中に何度も思ったが、嘘ではないらしい。

明日皆の前に立った時、私は一兵士ではなく副兵士長となる。まだ来てから間もない私をそんな役職に就かせるなんて、何を考えてるんだろう。

…というかまだ私って監視対象じゃなかったの?と思ったが、副兵士長にするくらいなのだからもう正式に信頼されたということなのだろう。

…あと問題なのはあの男だ。リヴァイは何故そんな重要なことを言ってくれなかったのか。いきなりこんなこと言われた私の身にもなって欲しい。

取り敢えず文句を言ってやろうと執務室へ向かう足はどんどん早くなっていく。どうせいつもと変わらないすました顔をしているのだ、あの男は。

それで「何こんなに怒ってんだこいつは」と冷たい目で見てくるに違いない。

その光景を想像すると妙に腹が立ってきた。実際に見たわけでもないのに随分勝手な話だが、絶対にリヴァイはそういう反応をするに違いない。

廊下の角を曲がると、見慣れた扉が見えてきた。ツカツカと歩きドアノブに手をのばす。

…が、その手はドアノブに触れる直前にピタリと止まった。


『…』


リヴァイは、どう思っているのだろう。

エルヴィンは「リヴァイは了解している」と言っていたが、それは本当なのだろうか。

私も副兵士長になることを諦めて引き受けたように、リヴァイもまた反論できずに渋々頷いただけかもしれない。

本当は、望んでいないのかもしれない。もしそうだとしたら私はどうすればいいのだろう。…かと言って今更もうどうすることもできないのだが。

でも、兵士長と副兵士長となればこれから先は嫌でも付き纏う関係だ。少なくとも他の兵士より多くの時間を共にすることになるだろう。

その役目は、私でいいのか?
本当に私が副兵士長になっていいのか?

正直に言えばエルヴィンに話をされた時、困惑したのと同時に嬉しさもあった。自分の存在を認められたような気がしたし、これからは正式にリヴァイを側で支えて行けると思った。

だが、自分の気持ちをこれ以上大きくさせないためにも距離を取ろうと思っていたのだ。なのにこれじゃあ容易に離れることはできなくなる。

いざ文句を言ってやろうとここまで勢いで来たものの「副兵士長になる」と言った時の反応が怖くなり、ドアノブに伸ばしていた手をゆっくりと下ろす。

いずれにしてもここには入らなくてはいけないのは分かっていても、身体が動かない。

まだ今から引き返してエルヴィンのところに行けば、取り消すこともできるんじゃないか…?

…どうしようかと迷っていると不意に扉が開いた。


『!?』


思わず身体が震える。視線を上げると、リヴァイが怪訝そうな表情でこちらを見下ろしていた。


「こんな所で突っ立って、何してんだ」

『…いや、…その』


リヴァイの眉間に皺が寄せられている。

どうしよう、言葉が出てこない。さっきまで文句を言おうと意気込んでいた自分はどこに行った!?


「いつまでも入ってこねぇからエルヴィンに大量の書類でも持たされて、開けられないのかと思ったじゃねぇか」

『…ごめん』


ろくな返事を返さない私に呆れたのか、リヴァイは踵を返して部屋の中へ入っていく。

ここまできて入らないわけにはいかない。私はリヴァイに続いて部屋の中に入った。



ーーパタン。
と、扉が閉まる。

再び椅子に腰を下ろしたリヴァイは改めて口を開いた。


「…で、お前が扉の前で意味もなく突っ立っていた理由はなんだ?」


リヴァイの鋭い視線が向けられる。もう隠しても意味がない。どうせ明日には知らされることになるし、この男はもう知っている。

私は無意識に視線を落としながらゆっくりと口を開いた。


『副兵士長になるように言われた』

「なんだ、そんなことか」

『そんなことか…って…!』


今更聞いたのかよ。という表情を浮かべるリヴァイを睨みつける。そもそもあんたが言わなかったからこんな急なことになったんじゃないか!


『どうして言ってくれなかったの?知ってたんでしょ?』

「いずれエルヴィンに聞くことだろう」


想像していたことと全く同じことを言いやがった。ここまで予想できた自分を褒めたいくらいだ。


「言っていたら何か変わっていたのか?どうせ断る事も出来ず、結局は引き受けることになるだろう」

『…、それはそうだけど私にも心の準備がある』

「お前の下らない心の準備とやらまで考えてやる余裕はない」


優雅に座ってるくせによく言う。

そしてふと、私は先程まで感じていた不安を思い出した。…リヴァイはどう思っているのだろう。私が副兵士長になることを。

再び落としていた視線を上げれば「なんだ?」と返される。私は胸が締め付けられるような痛みを隠しながら、勇気を出して問いかけた。


『…リヴァイはどう思ってるの?私が副兵士長になれば正式にリヴァイの直属の部下になる。その役目は本当に私でいいの?もしエルヴィンに無理矢理頷かされたんなら、今からでも断るよ』


小さな沈黙が落ちる。細められた瞳から放たれる視線に心臓が大きく鼓動を鳴らす。

沈黙に耐えられなくなった頃、リヴァイがゆっくりと口を開いた。


「お前が何余計な事を考えているのかは知らねぇが、俺はあいつに頷かされたんじゃない。俺自身が、お前が副兵士長になることを望んだんだ」


私は思わず目を見開いてリヴァイを見た。リヴァイの表情は相変わらず変わらない無表情だったが、嘘を言っていないことは明らかだった。


「俺はお前の戦闘技術も認めているし、ここ最近の執務を通して戦闘以外でもお前の力が必要だと思った。だが、副兵士長になればそれなりに責任も大きくなる…断るのなら今のうちだ。俺は嫌がるお前を無理矢理副兵士長にさせるつもりはない」


リヴァイはそう言いながら、走らせていたペンを置いた。真っ直ぐに視線を向けられ、再び鼓動が音を立てる。

そう言ったリヴァイの声色はどこか寂しそうにも聞こえ、向けられる瞳には優しげな色が灯されていて私は思わず笑みをこぼした。


『私なりに頑張ってみるよ。ただし一度副兵士長にするって決めたなら、もう返品は効かないからね』


強気に言う私に、リヴァイは珍しく口元に小さな笑みを浮かべながら「あぁ」と言った。

副兵士長になるというのに、なんだか本当にあっさりだ。兵団組織とは本来もっと堅苦しいものなんじゃないのだろうか。

それにしても、リヴァイ自身が私が副兵士長になること望んでいたという事実に心底安心している自分がいる。

じわじわと湧き上がる高揚感を納めようとグッと唇を噛みしめる。だが、同時にリヴァイと距離を置くことは叶わなくなった。この先のことを冷静に考えれば、不安の方が圧倒的に大きかった。


『副兵士長になったらどうすればいい?』

「別に改めて何かをする必要はない、今まで通りにしていればいい」

『…それエルヴィンも言ってたけど、本当にいいの?』

「あぁ」


ふーん、と小さく頷く。エルヴィンも言っていた通りそこまですぐに劇的には変わらないのだろう。追々学んでいくしかないのかもしれない。


「ただ、兵士とだらしなく酒を囲って談笑するのは控えろ。どこで他の兵団の奴らが見ているとも分からないからな」

『…えー、あれが楽しみなのに』

「ダメとは言ってねぇ、節度をもってればいい」


振る舞いには気をつけろって事ね。はいはい、分かりましたよ。副兵士長になるということは他の兵士の上に立つということだ。

まだギリギリしたことはないが、これは朝寝坊も今まで以上に気をつけないとなと溜息をつく。

そして、いつか言われた言葉を思い出す。


[俺の許可なしに死ぬことは許さねぇ]


あの時から私は「死ぬな」と言うたった一言を生きる意味としていた。だけど、これからはそれだけではなくなるのだろう。

力の限り、生きている限り、この人を支えていく。

それが副兵士長としての私の義務であり、役目だ。私は全力でこの男を支えていかなければならない。

まさか自分にこんな大役が回ってくるとは思ってもいなかった。だが、私に生きる意味を与えてくれたリヴァイを支え続けることになったところで、今までと大して変わりはない。

彼の存在こそが私の生きる意味だ。


『…これからよろしくお願いしますね、リヴァイ兵士長』

「面倒事だけは絶対に起こすんじゃねぇぞ」


そうして私は副兵士長という役職をもらい、執務室にあった名もなき机は正式に私のものとなった。


 

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