空色りぼん
□いただきますと、忠告
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もぐもぐと小動物のように頬を動かすユキに視線を向ける。
器に盛られたスープは素直に美味いと思った。食堂で食べるものより少し薄く味付けされたそれは、自分の好みにあっていて驚く。しかし、それを素直に言えるような性格でもない。
「とんでもないものを食わされるのかと覚悟していたが、お前のような女が料理ができるとは意外だな」
『私だってただの戦闘バカじゃないんだよ。少しは見直してくれた?』
「少しだけな」
『もっと褒めてくれてもいいのに。私の地下街の部屋の一階にレストランがあったでしょ?そこの親父に教えてもらったんだ』
…あぁ、あの時の男かと思い出す。確かにレストランをやっている店主直々に教えてもらったのなら、これだけ美味しいものが作れるのも納得だ。
あの男は大層ユキのことを気に入り面倒を見ていたようだし、荷物を取りに行ったときにはユキに「また来いよ」と言っていた。
もうユキが逃げ出すこともないだろうし、エルヴィンに言ってあのレストランの夫婦に会いに行かせてやってもいいだろう。
ユキに視線を向ければ少し湿った黒髪が肩の上でふわふわと揺れている。その奥には紫色の花が丁寧に花瓶に飾られていた。
[憲兵団や駐屯兵団の兵士から花をもらっているらしい]
昼間ミケとした会話を思い出す。この花がそれなのだろう。そういえば髪留めももらった物だと言っていたが、もしかしたら男から送られた物なのかもしれないと、ふと思った。
よく考えてみればあの髪留めは細かな花の装飾がされていて、自分の作業用に買うような物ではない。贈り物用のそれなりに高価な物だ。
窓際に飾られている花も大層大事に飾ってあるなと思った時、自分の中でもやもやとした感情が渦巻いていることに気づく。
不快感にも似た感情に違和感を覚える。どうして俺はこんな気持ちになっているんだ?たかがユキが他の兵士に贈り物をされたくらいで。
俺の視線に気づいたのか、ユキが小首を傾げる。
『どうしたの?』
「それがお前がもらったという噂の花か?」
『そうだけど「噂の」って何?』
「他兵団の兵士から花をもらう女なんてなかなかいないから噂になっているとミケが言っていた」
『そんな公衆の面前でもらっているわけじゃないのに誰がそんな噂流してるんだろうね。むしろ人目は避けてるつもりなんだけど』
「それほどお前が目立つってことなんだろう。世の中には物好きもいたものだな」
『黒髪が珍しいだけでしょ』
スープに口をつけながら、ユキは肩を竦めて呆れたように溜息をつく。
確かに珍しい東洋人独特の容姿の影響もあるのだろうが、それだけではないだろう。東洋人ということを差し引いても注目を集めるだろうが、ユキはこれが自分の黒髪だけの影響と思っているようだ。
この女は自分に関しては相当鈍感だ。夜会の時も思ったが、お前は地下街で何を学んできたんだと言ってやりたい。
「お前は花言葉を知っているか?」
『…花言葉?リヴァイは知ってるの?』
「俺が知るわけないだろう」
『あはは、だよね。詳しいのかと思って驚いた』
「これもミケが言っていたが、お前に渡される花の花言葉はどれも愛を語るものらしい」
ユキは少し驚いたように目を開いたが、すぐにケラケラといつものように軽く笑った。
『そんな表面上だけのぺらぺらな言葉もらったってどうしようもないよ』
「花をもらえば大抵の女は喜ぶものだと思っていたがお前は違うんだな」
『嬉しくないわけじゃないよ。でも、そういう表面だけの言葉は聞き飽きたかな。この花束を渡してくれた人達がもし私の素性を知ったら、きっと目もくれなくなるだろうね』
「…」
コトンと器を置いたユキの瞳が、ゆっくりと伏せられる。その寂しげな表情にドクンと鼓動が音を立てた。
「…甘いもの好きの大食いで、自由奔放な上に酒飲みのガサツな女だと知れば誰も近寄ってこないだろうな」
『そこまで言わなくてもよくない?』
「事実だろう?」
『…確かにそうだけど』
ユキは不満そうに口を尖らせ、視線を逸らす。その表情にさっきのような寂しさはなくなっていて無意識のうちに安心している自分がいた。
「そんなお前でも良いという物好きの変態がいるのなら、是非お目にかかりたいものだな」
『もしそんな人がいたら、私はその人の事を好きになるかもね』
「…単純だな」
『そんないい人、逃す手はないでしょ?女は愛するより愛されるほうが幸せになれるんだって誰かが言ってた』
冗談っぽく言えば、リヴァイは呆れたようにため息をついた。
こんな私のことを過去や素性のことまで知った上で好きだと言うのなら、それはすごいことだ、素直に尊敬する。…ただの馬鹿か変人かもしれないが。
…だが、例えそんな白馬の王子様的な人が来たところで、今の私の心は動かないのだろう。
私は不覚にも無表情で冷徹で、人の心を抉るような事を簡単に言い放つ目の前の男を好きになってしまったのだから。
…全く、どうしてこんな男のことを好きになってしまったのだろう。
花束をくれるあの人たちのような普通の人なら、こんなに苦労させられる事もなかったはずだ。
簡単に突き放して終われた。
だが、この男はそうはいかない。
いつの間にか副兵士長にまでなってしまって、益々逃げられなくなった。この現状をどうすればいい。
まぁ、今更考えたって仕方ない。この男に捕まって調査兵団に来た時点で、しょうがなかったのだと諦めるしかない。
全く難儀な話だが、こんな毎日は嫌いじゃない。側にいられることは今となっては最高に幸せだ。
これ以上を望まなければ、私は幸せでいられる。
小さな沈黙の後、リヴァイがコトリとお皿をテーブルに置く。その皿は既に空っぽになっていた。
あっさりと完食するなんて、どうやら満足してくれたようで安心する。するとリヴァイは少し神妙な面持ちで「少しは気をつけるんだな」と言った。
『気をつける?何を?』
「お前は副兵士長という役職に就いた人間だ。これからもっと注目を浴びることになる上に、厄介な奴らから目をつけられるようになる」
『厄介な、…ねぇ。でも心配はいらないよ。目をつけられる事には慣れてるし、それなりに対処もできる。今までだってそうしてきたしね』
そう言ってスープを完食した私が器をテーブルに置くと、リヴァイは徐に立ち上がった。
どうしたんだろう?と視線を向けると「立て」と視線で命令される。
急になんだと思いながら立ち上がると、ドンっと肩を押され壁に背がぶつかる。急なリヴァイの行動に思わず閉じていた瞳を開けると、両手を掴まれ壁に押さえつけられた。
『!?』
力を入れて振り払おうとするが、私の腕を掴むリヴァイの手はびくともしない。どれだけ力を入れようが暴れようが、こうなってしまっては女の力で男の腕を払うことはできない。
自分が特に非力なことは重々承知している。小柄な私はどうやったって力では勝てない。視線を上げれば、鋭いリヴァイの視線とぶつかった。
「お前が多少腕が立つことは認める。…だが、武器を持てばどうかは知らんが、丸腰で男に拘束されれば敵わないということを良く覚えておけ」
『…っ、分かってるよ。だからこういう状況にならないように注意してる』
腕を抑える手に力が込められ、圧倒的な力の差を痛感させられる。リヴァイほど馬鹿力の男はなかなかいないだろうが、大抵の男は私より力が強く敵わない。
だから今まではこういう状況に持ち込まれる前に対処してきた。私だって地下街で生きてきた人間だ。そんな危機は何度も乗り越えている。
鋭い視線を睨み返せば、手に力が込められ距離が縮まった。向かい合っている距離がいつの間にか近くなっていることに気づき、ドクリと心臓が跳ねる。
…あれ?いつの間にこんなに近くなってたの!?
顔に熱が登ってくるのが分かる。背中に冷や汗が伝い、頼むから早く離れてくれと強く瞳を閉じた時、ゆっくりと腕が離された。
「分かっているならいい」
リヴァイがゆっくりと離れ、ドキドキと鳴る自分の鼓動だけが取り残される。この音がリヴァイに伝わってしまったのではないかと不安になったが、恐る恐る見上げればリヴァイは至っていつもと同じ無表情だった。
…あぁ、よかった。どうやら不審に思われないで済んだらしいと息をつく。
『それなりに上手くやるし、リヴァイに迷惑かけるつもりもないから安心して』
「なら、いい」
そう言うとリヴァイは「邪魔したな」と扉に向かっていく。
『髪留め、わざわざ届けてくれてありがとう』
「お陰でいいものも食べられたからな。礼には及ばない」
それだけを言い残したリヴァイは小さく笑いながら私の頭を一度だけ撫で、扉の向こうへ消えて行った。
『…〜っ』
小さな髪留めを握り締め、ぎゅっと唇を噛みしめる。
なんだったんだ、あの笑顔は。
今のは反則だろう。
最後に一瞬だけ見せた笑顔と優しく頭に触れた手を思い出し、再び唇を噛み締める。
私はいつからこんなにリヴァイのことを好きになっていたんだろう。リヴァイのたった一言で嬉しくなり、頭を軽く撫でられるだけで鼓動が鳴る。
…私はもう、この気持ちを無かったことにすることは出来ないと分かっていた。どれだけ心を殺そうと努力しても、リヴァイを前にするとそんな努力はあっという間に意味を成さなくなる。
ならば、せめてこれ以上を求めないようにしよう。私は今のままで充分幸せだ。
リヴァイを側で支えることができる今の関係を失いたくない。それは私がこれ以上を求めなければ続けられるものだ。全然難しいことじゃない。
そもそも私はリヴァイとこれ以上の関係を望まないことを分かっている。そんな権利がないことを、そんな真っ当な人間ではないことを、私が一番よく知っている。
だから、大丈夫だ。この関係を崩さないようにすれば、私は今のまま副兵士長としてリヴァイの側にいることができる。