空色りぼん

□南京錠
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「気をつけろ」と言われた警告を忘れていたわけではなかった。

だけど私はリヴァイがしてくれた警告を「地下にいた時より危険なことなんてない」と甘く受け止めていた。



**
***



「やっほーお二人さん!今日も仲良く……ってあれ、ユキは?」


扉が外れるんじゃないかというほどの勢いで入ってきたハンジは、部屋の中に一人しかいないリヴァイを見て目を瞬かせた。


「今日は休暇だ」

「休暇!?どうして急に!?」

「急じゃねぇ、前から申請されていた」

「そんなぁ酷いよ、私を置いてどこに行っちゃったの!?」

「さぁな、ペトラと何処かに行くんだと騒いでいたが」


それを聞いたハンジは「私も連れて行って欲しかったなぁ」と残念そうに呟いている。

そんな事できるわけないだろう。今日までが期日の書類はどうしたんだ。今の様子からすると随分と余裕そうだが、…もし出来ていなかったらどうなるか分かっているんだろうな。

休暇は普段仕事をこなしているからこそ取れるものだ。


「何時ごろに帰ってくるの?」

「知るか、門限までには帰ってくんだろ」

「ええ〜、ユキに聞いてほしい話があったのに」


残念そうに肩を落とすクソメガネに「さっさと仕事しろ」と言えば、逃げるように去って行った。

パタンと締められる扉。無意識に窓の外を見れば雲一つない青空が広がっていた。これなら買い物も楽しめるだろうと思いながら、俺は再び机に向かった。



**
***



『ペトラは色んなお店を知ってるねぇ』

「この辺は私の地元なのよ」


もぐもぐと買い食いをしながら2人で往来を歩く。

地元とは言え、ペトラは本当に色々な事を知っている。特に今食べている甘味なんて最高だ。

私はと言えば地下街なら詳しいけど、まさかペトラをそんな所に連れて行ける訳もない。


こういう如何にも女の子っ!という買い物は初めてだった。前にハンジと来た時はケーキ食べて結局呑み合いになってしまった。ペトラの女子力は本当に見習いたい。


『それにしても、大分日も落ちてきたね』

「そろそろ帰らないとね」


見上げれば茜色の空が広がっていた。

ぱかっと懐中時計を開くと、もう夕方の六時を迎えようとしている。まだ急いで帰らなくてはいけない時間ではないが、余裕を持って帰るにこしたことはないだろう。ちょっと名残惜しいけど。


「近道して行こうか」

『近道なんてあるの?』

「ええ、その途中にあるパン屋さんがとても美味しいのよ」

『行く』


即答した私にペトラが小さく笑った。

「じゃぁ、行きましょ」と言うペトラは往来を外れて裏路地へと入っていく。いわゆる住宅街を通れば、日が沈み始めたこの路地は少し薄気味悪さを醸し出している。

まぁ、今更怖いとは思わない。こんな道よりよっぽど危険なところは山ほど知っている。

ペトラもさすが兵士になるだけはあるなと思ったが、彼女にとっては地元の道だ。慣れ親しんでいるのだろう。


『…』

その時、ふと背後に嫌な気配を感じる。

慣れ親しんだ久し振りのそれに振り返ると同時、背後に迫ってきていた男に遠心力をいっぱいに乗せた回し蹴りをお見舞いした。


「ぐはぁ…ッ!」


見事に脇腹を捉え、男は壁に肉ののった巨体を叩きつける。それと同時に男の手に握られていたナイフがカラン…と音を立てて落ちた。

なんだ?…こいつは。


「きゃぁぁ…っ!」


確認するために男に歩み寄ったその瞬間、ペトラの悲鳴が響き渡る。振り返ればペトラが2人の男に背後から拘束されていた。


『…ペトラっ!』


ペトラを助けるため駆け出そうとした瞬間「待て!」と言う背後からの声に足を止めて振り返る。


「状況をよく見ろ。俺たちが用があるのはお前だけだ。大人しくするならそっちの女に手は出さない」


4人目の男は私が蹴り飛ばした男を介抱しながら立ち上がらせる。ペトラの方に視線を向ければ、2人の男がしっかりと彼女を拘束し、ナイフを突きつけていた。

自分1人であればこんなやつら簡単に痛い目にあわせて逃げることができる。だが、今下手に動けば既にペトラを拘束している男が彼女に何をするか分からない。

見たところ地上の半グレ程度ではなさそうだ。おそらく地下の人間だろう。…であれば、ペトラに何をされるか分かったものではない。こいつらは簡単にその刃を彼女の身体に滑らせるだろう。


「どうする?」

『…あなたたちの狙いは、私だけだって言ったよね?』

「そうだ」

『じゃあ私が大人しくついていけば、ペトラには一切危害を加えないんだよね?』

「お前が逃げ出さないために多少拘束はするが、必ず無傷で解放すると約束しよう」

「ダメよユキ!こいつらの言うことを聞いちゃ!私のことはいいから…」

「うるせぇ、口を開くな」


ナイフを喉元に押し当てられ、ペトラが顔を青くさせながら口を閉じる。


「どうする?」


そう言う男に、私はなす術なく頷くしか無かった。



**
***



『……、…』


ゆっくりと瞳を開けると、大きな男の顔が私の瞳を覗き込んでいた。思わず目を見開く私を見た男は、げらげらと汚い大きな口で笑い始める。


「おお、東洋人の女が起きたぜ!」

「もう目を覚ましたか。まだ目的地についてもいないのに」


次々と男の下品な笑い顔が視界に入ってくる。…あぁ、そうだ。あのあと睡眠薬を嗅がされたんだと思い出す。

隣にはペトラが寝かされ、私と同じように手足を縄で拘束されていた。周囲を確認すれば、恐らく馬車の中だろうということがわかった。

あれからそんなに長い時間は経っていないはずだが、窓の外から日は差し込んでおらず、夜の闇が覆っていた。

どこに向かってる…?…クソッ、こんなやつらナイフの1本でもあればすぐに皆殺しにしてやれたのに!

当然地下街にいる時と違って、武器の携帯は許可されていない。おまけに今までは自分1人だったからこんな男たちなんて脅威でもなんでも無かったが、仲間を盾にされ動くことができなかった。

目的は恐らく私をどっかの売人に売ることだろう。それか直接顧客に売ろうとしているのかもしれない。

こんなことにペトラを巻き込むことになるなんて…っ。悔しさと申し訳なさが胸を締め付ける。

こいつらはペトラには手を出さないと言ったが、それも信用できない。どこかで隙をついて必ず逃げ出さなくては。


普通ならパニックになる状況にも関わらず冷静な私を面白くないと思ったのか、一人の男にぐいっと髪を引っ張られた。


『…っ』

「なんだぁてめェ、この状況分かってんのか?お前はこれからどうなると思う?」


蝋燭の光だけが灯された車内で、よく見ると先程後ろから襲いかかってきた私が蹴りを沈ませた男だった。


『どうせ何処かに売るつもりでしょ』

「よく分かってんじゃねぇか」


髪を掴んでいた手を離されたと思った時、グッと首を締め上げられる。呼吸が詰まり咳き込みそうになった。


「調査兵団の副兵士長は噂通り上玉じゃねぇか」


ただ街を歩いていたところを偶然攫ったわけではなく、私を調査兵団の副兵士長と分かった上で攫ったのか?

今の格好は私もペトラもただの町娘でしかない。なのにどうして分かった?兵士を狙うなんて相当なリスクが伴うのを分かっていながら、どうして私を狙ってきた?

ギリギリと首を絞める手に力が込められていく。『…ぐっ』と声を漏らすと、見兼ねた他の男がその手を止めさせた。


「やめろ、死んじまったらこの話は無くなっちまう。それに首なんかに痣を残せば報酬が減っちまうぞ」

「あぁ、そうだったな。こういうのは見えないところにやらねぇとな」


ーー…ドカッ!

『…っ!』


ニタリと男が笑った瞬間、腹部に衝撃が走った。


「お前が俺にした挨拶のお返しだ」


グイッと髪を掴まれて上体を上げさせられ、再び腹部を殴られる。無駄に図体のでかい男の拳打はそれなりに重みがあり、繰り返される度に襲いくる痛みに意識を手放しそうになる。

『…ケホッ』と咳こめば口の中に鉄の味が広がり、スカートに赤い染みが浮かび上がる。

縄で拘束された状態では抵抗もできずされるがままだ。何か策はないかと視線を巡らせるが、痛みでチカチカと視界が明転して見えづらい。


「それにしてもこの女…、本当に絹のような黒髪をしてやがる」


男の手が髪に触れる。睨みつければ再びドカッと鈍い音が響き激痛が走った。


『…っ』

「やめろよ、腹の中のもん出されたらどうするつもりだ」


ケラケラと笑い声が頭に響く。この手の拘束さえなければ、ナイフさえ持っていれば…今すぐその汚い手を斬り落としてやれるのに。


「それにしてもこの白い肌はたまんねーなぁ、髪と同じ黒い瞳もたまらねぇ」

「これ、今食っちゃ駄目か?」


私の頬に手を這わせた男が、にたりと怪しげな笑みを浮かべて瞳を覗き込んでくる。


「そろそろ拠点につく。そこについたら直ぐに引き渡しだ、白い液で汚した体じゃぁそれこそ報酬は無しになる」

「…チッ」

『残念だったねぇ、童貞』


ペッと口の中の血を吐き出し口端を吊り上げ挑発すると、目の前の男の顔に影がかかった。


「気の強い女は嫌いじゃねぇ」


ーーバキッ!

『…っ』

「あっ、お前なにしてやがる!」

「この女が調子乗ったこと言うからだ!」

「顔に手を出す馬鹿があるか!これは届け物なんだぞ、あいつに引き渡すまでに顔なんかに傷つけたらいくら報酬が減ると思ってんだ!」


じんじんと痛む頬を抑えようとするが、当然手が拘束されていてそれは叶わない。

拳が振り上げられるのを見ていたから舌を噛むことはなかったが、なるほど相手は相当気の短い人間らしい。短気な人間は必ず大きなスキをうむ…逃げるにはそこを狙うしかない。


「もうここでヤッちまおうぜ!金なんて知ったことか!」

「落ち着け、もう拠点についた!」


ガタンと馬車が停車する。扉が開かれ周りの景色を見ると、大きな木と古城のようなものが見えた。

分かったのは微かに見えた壁で、自分たちが壁の中にいるということだけだった。殴られた痛みに耐えていると、俵の様に担がれ建物内に運ばれていく。

その途中道順を覚えようとしていると口元に布が当てられた。


『…っ』

「諦めるんだな」


初めて嗅ぐ甘ったるい匂いに、睡眠薬じゃない事を悟る。こんなものは自分が使ったことも使われたこともない…これは何の薬だ?

やがて牢屋のような場所にペトラと一緒に放り込まれ、鉄柵には重々しい南京錠がつけられた。

放り込まれた牢屋は、酷くジメジメとしていて兎に角暗かった。これでは自分たちの状況がよく分からない。ペトラを見ると何処にも怪我はしていないようで安心する。

今は何時頃だろうか、途中眠らされていたから時間の感覚が分からない。おまけに身体中が痛い。…あいつら、覚えとけよ。

人の気配がないことを確認してゆっくりと起き上がると、ポケットから懐中時計が転がり出てきた。

さすが私の時計!暗闇に紛れながら何とか指先で蓋を開けると、既に七時半を回っていた。

とっくに門限の七時を過ぎている。もしかしたら調査兵団の皆が異変に気付いてくれてるかもしれない。

私は刻一刻と迫る「受け渡しの時間」とやらが来る前にどうにかしてこの縄を切ろうと周囲に視線を配らせた。



**
***



「ユキが帰って来ない?」


ノックも無しに開けられた扉に「またクソメガネか…」と視線を向けるとそこにはエルヴィンがいた。

その後ろにはミケまでいる。あまりに珍しい光景に「何事だ」と問えば「ユキが帰ってこない」と言い出した。


「あぁ、もう七時をとっくに回っている」


時計を見ると確かに七時半を回っていた。

あのへらへらと軽いユキの事だ、どうせ『ごめんねぇ』なんて笑って帰ってくるかと思ったが、…それはないだろう。

ユキはなんだかんだ言って規律は守る。朝だって小言は言うが、初日以外寝坊したことは一度だってない。毎日滑り込んでいるようなものだが。


「朝出かけたっきり帰ってこねぇと?」

「あぁ、一緒に出掛けたペトラ・ラルも戻ってきていない」

「…」

「これって、何かに巻き込まれたんじゃないの…?」


珍しくハンジの震えた声が部屋に沈黙を落とす。

あのユキが何かに巻き込まれたと言うのは考えにくい。襲われたとしても相手を返り討ちにするだろう。

しかし武器の携帯を許可していない今のユキは丸腰だ。正直、武器を持っていないユキの戦闘力はそんなに高いとは言えない。体術にも優れているが軽身のために威力はさほどなく、複数人相手に立ち回って容易に逃げることはできるだろうが…それは1人だったらの話だ。

もし仲間を盾にされたら、護りながら戦うのは丸腰のユキには厳しいかもしれない。嫌な想像が頭の中を過ぎる。

その時、勢い良く扉が開いた。息を切らして部屋に入ってきたのはハンジの部下であるモブリットだった。


「大変です、団長!6時頃、街で女性二人がゴロツキらしき集団に攫われたと…っ、しかもそのうちの一人が”黒髪の東洋人だった”…と駐屯兵団に通報があったとのことです!」


その場の空気が凍りつく。黒髪の東洋人…そんなのは滅多にいるものではない。間違いなくユキだ。


「迷っている時間はない、早急に二人を助け出す。この人数分の馬を用意してくれ」

「はい!」

「リヴァイ、ハンジ、ミケも一緒に来てもらうがいいな?」

「当然だ」

「当たり前だよ!」

「…だがどこに行くつもりだ、検討はついているのか」

「それは今からつける。それには君の知識が必要だ」


相手はゴロツキ。奴らがどこに向かおうとするかは、同じゴロツキであった俺が詳しいと思っているのだろう。

地図を広げたエルヴィンの視線が真っ直ぐに向けられる。


「でも、既に遠くまで逃げられちゃってたらどうするの!?」

「いや、陽も落ちたこの時間から長距離移動するとは考えにくい。暗闇の中移動して事故にあいたくないのは誰でも同じだからな…夕方頃に攫ったということは目的地が近くにあるんだろう」


モブリットはユキとペトラが攫われたとされる箇所に印をつけ、馬を用意するため早足に部屋を後にした。


 

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