空色りぼん

□躊躇いの無さは場慣れの証拠
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「市街地からは少し離れているが、人目は多そうな場所だ。…だとすれば早々に人目から避けられる場所に移動したいと考えるだろう」

「ここから近い場所で身を隠せそうな場所となれば、…ここら辺か?」

「…いや、そこは兵士の訓練所がすぐ近くにあるからなるべく避けたい。行くとすればここか、ここだ」


鉄を採掘する地層がある鉄工所か、林業の中心とされる森の2か所を示す。そのどちらもが昼はその道の職人が来るものの、夜は人一人いなくなる。

人目を盗んで何かをするには絶好の場所だ。


「駐屯兵団も動いているため調査兵団としてはあまり事を大きくするべきではないと思っている。迅速に行動するためにもこの4人で動こうと考えているが、どちらかに絞ることはできないのか?」

「できないな、どちらも可能性がある。駐屯兵団の連中はどうせまだ動き出してもいねぇんだろ、ノロマの能無しは期待できねぇ」


エルヴィンは一瞬思考するように間を開けた後、すぐに口を開いた。


「二手に別れよう。私とミケは鉄工所、リヴァイとハンジは森の方だ。ミケとハンジの班から数人出して引き続き捜索をしてくれ」


「分かった」とミケとハンジが頷き、エルヴィンの指示に全員が動き出す。今日の街への買い物を楽しみにしているんだと言っていたユキを思い出し「クソッ」と舌打ちを零した。



**
***



「…ん」


ゆっくりと瞳を開ける。しかし、望んでいた光は見えず辺りは真っ暗だった。眠る直前の事を思い出してバッと起き上がる。


「…私…っ!」

『静かに』


口元を抑えられ体が震える。しかし、自分の口を抑えていたのはユキだった。


「…ユキ…どうして……」


そこでふと、自分の手が動かないことに気づく。おまけに足もだ…少し動かせば痛むほどきつく縄で縛られている。


『ごめん』

「…え?」

『ここは私たちを攫った男たちのアジトだと思う。狙われていたのは私だけだったのに一緒にいたペトラまで巻き込んだ。本当にごめん、…謝っても許されることじゃないけど必ずここから助け出すから』


瞳を伏せ、申し訳なさそうに言うユキの言葉に何も言い返せなかった。まず、攫われたという状況にまだ混乱していて頭が上手く働いていない。


『…ごめん』


…だが、もう一度謝罪するユキの姿に息が詰まる。蝋燭の灯りに浮かぶユキの頬には殴られた跡があり、口端からは血が滴っていた。

いつもの表情とは違う、酷く悲しそうな表情を浮かべるユキに胸が締め付けられたように苦しくなった。

初めて見るその表情に目頭が熱くなる。攫われたという恐怖より、自分が傷ついてるにも関わらず謝罪するユキに溢れそうになる涙を堪える。


「どうしてユキが謝るの…?ユキだって被害者じゃない…っ!そんな怪我しているのに謝らないでよ…」

『…、…私と一緒にいなければペトラまでこんな目にあうことはなかった』

「それは違うわ!ユキはあの時自分の後から迫ってくる男を倒していたのに…私が捕まったばっかりに…」

『東洋人である私は自分が狙われやすいことを充分にわかってた。東洋人はこういう界隈では価値が高いから。…なのに危機意識が低かった…だからこれは私のせいなんだよ』


ユキはもう一度謝罪の言葉を零すと『今外すから』と言って私の手首の縄をほどき始めた。


「…!ユキは拘束されていなかったの?」

『さっきほどいた。ちょっと手間取っちゃったけど』

「ほどいたってどうやって…」


ユキの手に視線を落とし、私は言葉を失った。

ユキの手首は真っ赤に染まり、ぽたぽたと血が滴り落ちている。何かに擦り付けたような何本もの跡が痛々しく刻まれている。

ユキの足元に落とされた縄の切れ端と、背後の壁の角に擦り付けられたように広がる血痕に、ユキが自分の縄を壁の角で擦り切ったのだと分かった。

整備されていない地下牢は荒れていて血が滲んでいる壁の角もところどころ砕けて鋭利な箇所があるとは言え、そこで手首を縛る縄を切るのが容易じゃないことは簡単にわかる。

途中までは順調に切れたとしても、切断部分が自分の肌に近づけば当然、縄だけを切るのは難しくなる。最後まで切るなら自分の肌ごと擦り切るしかない。想像するだけで背筋が凍った。

ほどけた縄が、ぽとりと地面に落ちる。


「男たちに襲われた時、ユキ1人だったら倒すなり逃げるなりして切り抜けられたはずよ。私が捕まったばかりにユキは捕まるしかなくなったの…だから私のせいよ、ユキは悪くない」

『仲間を盾にされることも踏まえて、私は想定しておくべきだった。想定できたはずだったのにそれを怠った。だからペトラは何も悪くない。お願いだから自分のせいになんてしないで』

「それは私も同じよ、ユキ。同じようにユキに自分のせいだなんて思ってほしくない。だって悪いのは私たちを攫った奴らでしょう?私たちはお互いに被害者よ。だからそんな顔しないで、貴女らしくないわ」


持っていたハンカチを半分に切ってユキの手首に巻きながら言えば、ユキは驚いたように目を見開いてからゆっくりと視線を落とし力なく小さく笑った。


『…そうだね、ありがとうペトラ。ここから一緒に脱出しよう』

「ええ、もちろんよ」


拳を作って笑って見せれば、ユキは安心したように笑った。手首に巻いたハンカチを結んであげれば、ユキはもう一度『ありがとう』と言って手首を動かし動きを確認する。


「それで、これからどうするの?」

『私に考えがある。まずはここの地下牢の鍵を奪いたいんだけど……』


ユキがそこまで言った時、カツン…カツンと足音が響いた。

バッと素早く寝転がり、囚われていた体制になるユキと同じように私も寝転がって目を覚ましていないフリをする。

足音が近づいてくる。
恐らく二人分の足音だ。


「そろそろ下におろすぞ」

「取引先の相手はもう来たのか?」

「いいや、だがもうすぐだ」


ガチャンと南京錠が外され、
重々しく鉄格子が開けられる。

この先、ユキはどうするつもりなのだろうか。さっき全ての言葉を聞けなかったためにどういう作戦なのか分からず心臓が大きく音を立てる。

どうしたらいいのかと思った瞬間、地を蹴る音がした。


「な!?」


私が慌てて目を開いた時には、大男がその巨体を一回転させていた。「ぐぇっ!」という情けない声を発し男は地面に倒れる。


「なんだ!?なにが起こっ……」


異変に気付いたもう一人が駆けて来た瞬間、闇に紛れていたユキは背後から男の頭を蹴り飛ばした。

バキィッ!という耳を塞ぎたくなるような音が響き、男は地面に前のめりに倒れていく。


(…すごい)

二人の男が白目を向いて床に伏せるまでは、息もつく間もないほどあっという間の出来事だった。ユキの黒髪と空色のリボンがふわりと揺れる。


『行こう』

「…え、…あ、うん」


二人の男を倒したと言うのに、ユキは表情の一つも変えずに淡々と言った。

そして部屋を出たところでユキは壁に立てかけられていたモップを手に取り、徐に棒部分だけを取り外して右手に携える。


まさかそれで戦う気…?ただの木の棒よ?…と思った時、目の前から二人の男が歩いてきた。


「…ひっ」


思わず口から出てしまった悲鳴を手のひらで抑えるが、遅かった。こちらに気付いた男がナイフを構える。その奥にいた別の男は、あろうことか短身の銃を構えていた。

全身を寒気が駆け上がっていく。


(…殺されるッ!)


グッと唇を噛み締め、
頭を抱えてしゃがみこんだ。


「ぐぁっ!」


しかし、聞こえてきたのは男たちの短い悲鳴。恐る恐る顔を上げると、ユキが先程手に入れたモップの棒で男を叩き伏せていた。

ナイフを弾き飛ばされ、頸を叩かれた男はゆっくりと倒れていく。「くそっ!」と銃を向ける男に対してユキは一切の躊躇もなく男の懐に滑り込み、銃を構える右手に向かって棒を振り下ろした。


バキッと男の骨が折れたような音が響き、あまりの痛みに男が悲鳴を上げながらよろよろと後退する。

握られていた銃が地面に転がり、次のユキの一撃で男は気絶し地に伏せた。


『立てる?』


手を差し出され、いつの間にか抜けていた腰に力を入れて立ち上がる。

ユキは、小さく笑った。血の跡を残した口角を微かに上げるその表情は、怪しく月明かりに浮かび上がる。

暗くてわからなかったが、月明かりに照らされたユキはよく見ると腹部や足に殴られたような跡があった。


…噂には聞いていた。ユキはリヴァイ兵長と同じで、地下街のゴロツキ出身だと。私の少し前に調査兵団に入ったらしいが確かに訓練中、先輩訓練兵の中にはいなかった。

もちろん私の同期の中でも見たことがある人はいない。人数がたくさんいたから気づかなかった…訳がない。こんな美しい黒髪をもつ彼女を誰も見たことが無いなんてありえなかった。


ただの噂だと正直信用していなかった。ユキはそんな素振りを一切見せなかったし、ただの噂だと本気にしていなかった。

だけど、今こうして戦っている姿を見て、あの噂は本当だったんだと実感する。捕らえられているこの状況で、一つも冷静さを欠くことなく相手を倒していく。

例え相手がナイフを持っていようが銃を持っていようが、それは関係なかった。それは”こういう場”に慣れている証拠…たくさんの場数を踏んできた証拠なのだろう。


「なんだ、なにがあった!?」


異変に気付いたのか、ドタバタと足音が聞こえてくる。ユキは小さく舌打ちをすると、モップの棒を思いっきり壁に叩きつけ、バキッという音と共に棒が半分に折れる。

狭い屋内で扱いやすいように短くしたのだろう。ユキはそれを見て満足そうに『これでよし』と頷き、先程の男が持っていたナイフと拳銃を拝借した。


「いたぞ、あそこだ!」

『ペトラ!』


あまりの手際の良さにぼーっとしていると、ユキに思いっきり腕を引かれて壁側に隠される。

その直前、チュンっと言う音が足下で弾けた。ユキが数秒引っ張るのが遅かったら私の足に当たっていたかもしれない。そう思うとサァァ…と血の気が引いていく。


しかし、相手は待ってなどくれない。威嚇するように何発かの銃声が響き渡り、私たちの背にしている壁に当たっている。


『ただの威嚇射撃なんだろうけど、万が一当たったらどうするつもり?』


あまりに冷静な声に手元を見ると、ユキは手慣れた手つきで奪った銃に弾を詰めていた。

兵士用の銃じゃないのに、どうして使い方を知っているのか。…それはもう聞くまでもなかった。


「相手は少なくとも2人いたわよ、その両方が拳銃を持ってた…こんなの敵いっこないわ…」


弱気な声を出し頭を抱える私にユキは淡々と言った。


『さっき倒した男たちといい、そんなに腕が立つやつらじゃない。武器を手に入れた今なら絶対に倒せる。だから安心して。合図があるまではここから動かないでね』


ガシャンッ!とユキは弾を銃に装填した瞬間、バッと壁から頭と腕を出して引き金を引いた。


ーードンッ、ドン!


「ぎゃぁ!」


遠くの方で悲鳴が聞こえる。その瞬間ユキは壁から飛び出し、一気に駆け出した。


「くそっ」


男が再び銃を手にしようとした時には、その体を小さな影が覆う。男が見上げれば、ユキが横凪に振り払った棒がこめかみを捉えていた。

トン…と着地したユキの空色のリボンがふわりと夜風に舞う。あまりにも一瞬のできごとに放心していると、何かに気づいたユキが踵を返してこっちに戻ってきた。


『行こう、まだ追手がいる!』


ユキが見た方向に視線を向けるが、そこには人の姿は見当たらない。だが、ユキにはきっと何かが見えているのだろう。

ユキの黒髪を追って走れば、ユキは度々私がついてきているか確認するように振り返っていた。

私だって調査兵団の兵士なのに、まるで役に立つことができていない。これではまたお荷物になってしまうと思っても、巨人相手ではなく人間相手に戦うのなんて訓練時代の対人格闘くらいだ。

対人格闘は点数にならないからと適当に流していたことを後悔する。だが、あれを真面目にやっていたところで今力になることはなかっただろう。

訓練とはまるで違う。あんな訓練では実戦では何の役にも立たないと痛感させられる。その分ユキがどれだけ対人戦闘の経験を積み、ここまでの技術を身に付けたのかと思い知らされる。

あの躊躇いの無さは、場慣れの証拠だ。


「…ユキ」


渡り廊下を抜け、再び建物内に入ったところで小さく名前を呼ぶと、ユキはぐいっと口端についていた血を親指で拭った。



**
***



『まさか私たちが拘束されてた場所が屋上だったなんてね…てっきり地下だと思ってたよ。あと1つでも階を降りられれば飛び降りることもできると思うんだけど』

「…そうね、ここから飛び降りたらその場で身動き取れなくなるわ」


確かにさっき、一瞬だったが外が見えた。

今は普通の建物で言えば三階といったところだろう。普段立体機動で飛んでいるのはもっと高いが、だからといって丸腰では流石に降りられない。もう一つ降りられれば飛び降りてもなんとか受け身が取れる。

今持っている武器は初めに手に入れたモップの持ち手部分と、先程奪ったナイフと拳銃だ。拳銃の弾はあと1発しかない。

装備を確認しながらどうしようかと考えていると、ペトラが拳銃を見て複雑そうな表情を浮かべている。もしかして先程2発撃った時に相手を殺したと思っているのだろうか。



  

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