空色りぼん
□揺れる黒髪
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…始まった。
自分の左前方の机に座り書類と向き合っているユキの黒髪が、さらさらと揺れる。
別に部屋に風が吹いているわけではない。こいつの首が揺れているのだ。まさに眠気と葛藤しているその光景にリヴァイは眉間に皺を寄せる。
時計を確認すると時刻は夜の10時を回ろうとしていた。副兵士長に就く前であればそろそろ寝る時間だろう、…その前から手伝わせていたのだが。
こいつには周りも認めるほどの実力がある。
それは立体機動であれ巨人の肉を削ぐ技術であれ、ミケを凌ぐほどの力を持っていることに間違いはない。
特に立体機動のあの速さは他の兵士には無い技術だ。ユキが今副兵士長の役職に就いたのは、その実力があってのものだと誰もが思っているだろう。
前回の壁外調査で行った捕獲作戦では、ユキは遺憾無くその技術を発揮した。
腕力は無いが繊細で高度な技術を持ったユキとの共同作戦は、非常にやり安かったという印象が強く残っている。
単独行動派と思っていたが、予想外にも俺の動きに合わせて動いてきた。周囲の状況を見て行動できる対応力は、他兵士より頭ひとつ抜けている。
しかし、圧倒的に体力がない。
見た目からも分かるが、細身で小柄なユキには他兵士との訓練は堪えるらしい。他兵士は訓練課程を経てある程度の筋力をつけているが、ユキは自分と同じようにそれをすっ飛ばして調査兵団にいる。
毎回訓練の合間の休憩時間にベンチに寝転がり、小さい体を更に小さくするように丸まって寝ているのをよく見かける。それでも訓練は完璧にこなすから、一応文句は言わないでおいてやっているが…。
ユキはたまにこうして眠気と葛藤しながら書類に向かっている。特に基礎体力訓練の日は必ずこの光景を見ると言ってもいい。
小さな頭がコクコクと動く度に肩に流れる黒髪が揺れる。目は瞑っているのにペンは動いていて、尚且つ線からはみ出したりもしていないのが不思議でならない。
どうすればそんな芸当が出来るんだ。そんなことを繰り返しているとゴスッと額を机に当ててハッと目を覚ましたユキは『いったぁー』と眉間に皺を寄せながら額をさすった。
「お前、もう上がれ」
『え、どうして?まだ書類残ってるよ』
よくそんな事を真顔で言えるなお前は…俺が見ていないとでも思ったか。
「目の前で頭振られてちゃこっちが集中できないだろうが」
『…私そんなことしてた?』
「お前はどうして自分が机にぶつかったかも分からねぇのか」
『…うーん、確かに途中の記憶がないかも。でも、今の衝撃で目も覚めたから大丈夫』
「前もそんな事を言ってまたぶつけてただろう」
『そんな昔の事早く忘れてよ』
「最近の話だ」
『あともうちょっと』と言うユキから書類を取り上げ、腕を引いて部屋の外へ連れていく。
『えええ、まだできるのにー』
「今日はもう終わりだ」
何か言いたげな顔をしていたが、バタンと扉を閉めて追い出した。
別に今日急いでやらなければいけない書類はない。それに、あいつが寝坊でもしてきたらエルヴィンにごちゃごちゃ言われるのは俺だ。
…ユキを無理に働かせているんじゃないか、と。
エルヴィンはユキが副兵士長になる際に「無理に仕事に付き合わせるな」という条件を突きつけてきたくらいだ。
愛する愛娘のためとは言え、少々過保護すぎないか?しかも、お前は父親ではない、自称父親だろうと言ってやりたいが言っても無駄なことはわかっている。
扉の向こうで人の気配が遠ざかっていく。小さくため息をつき、自分も今日は終わりにしようと簡単に机を片付けた。
**
***
晩飯を食べ終わり席につく。
少しすればいつもはユキが現れるのだが、今日は違った。いつまでたっても現れない。
「失礼します、兵長」
そう言って入ってきたのは新兵で、何かの書類を届けに来たらしい。適当に書類を受け取り新兵に問いかける。
「お前、ユキがどこにいるか知ってるか」
「え?…あ、ユキ副兵長なら談話室にいらっしゃったと思いますが…」
「呼んでこい」
「は、はい!」
丁度いいと呼びに行かせたが、数分後…部屋に入ってきたのはユキではなくさっきの新兵だった。おまけに何故か頬が赤く染まっている。
「お前は何をやっている」と睨みつけると、新兵は慌てて口を開いた。
「あ、あの…ユキ副兵長は談話室にいらっしゃったのですが…あの…」
「いたなら何故連れてこない」
「…それが…」
言いづらそうに口を開いた新兵の言葉に、リヴァイはガタリと席を立った。
**
***
「…」
これは、どういうことだ。
談話室のソファに転がっている物体を、リヴァイは眉間に皺を寄せて見下ろす。
[ユキ副兵長は…その、…お休み中だったので…]
顔を真っ赤にさせながら言った新兵の言葉にどうして赤くなる必要がある。…と、思ったがここに来て納得した。
ソファに埋もれる小さな身体。黒髪は白い手首に絡まり、胸元は微かにはだけようとしていた。
タンクトップに短パンという露出度の高い私服はその腕と足を惜しみなく晒け出し、腹まで捲れた無防備な寝姿に深くため息をつく。
すやすやと気持ち良さそうに眠る寝顔は果実のような赤い唇を面妖に浮かび上がらせ、長いまつ毛が影を落としていた。
これでは新兵が顔を赤くさせ、起こすことも出来ずに帰ってきたのも無理はない。調査兵団内だから大丈夫と思いたいが、この姿を見た男の全員が衝動を抑えられるとは限らない。
「オイ」
『…』
声を掛けても無反応で、返ってくるのはすやすやと規則正しい寝息だけ。こいつは本当に…っ、副兵士長になったら注意しろとあれだけ言っただろうが!!
「オイ」
『んぅ!?』
ドスッと腹を踏みつけると、ユキは驚いたように目を開いた。不機嫌そうに俺の方を見てくるが、寝ぼけてるのか目を猫のように手の甲で擦っている。
当然、それを待ってやる気はない。
「サボるとはいい度胸してんじゃねぇか」
『あっははは!やめてくすぐったい!』
そのまま腹をぐりぐりと踏めばユキは声を上げて抵抗する。漸く目を覚ましたらしく、俺を見上げて寝起きの掠れた声を出した。
『…どうしてリヴァイがここに?』
「お前今何時だと思ってやがる。晩飯を食ったら呑気に居眠りか?」
ユキは「しまった」という表情を浮かべる。漸く全てを理解したようだ。
『…ちょっと休むだけのつもりだったんだけど…なー?』
「知るか、俺に聞くな」
『あははは!お腹はやめて!』
「…お前、腹筋はどこに置いてきた」
『人類最強と一緒にしないでよ!』
仕方ないと足を下ろしてやれば、ユキは『…はぁ』と疲れたように溜息をついた。どっちの方が疲れてると思ってるんだ、こんな所まで迎えに来させやがって。
呑気に髪をなおすユキを見下ろせば、柔らかそうな白い肌が目についた。無防備に開けられている胸元とズボンから覗く太ももから視線を逸らす。
「さっさと着替えて執務室に来い」
『はーい』
ユキはグッと小さな体で伸びをする。あくびをしながら自室へ向かおうとするユキを「オイ」と呼び止める。
「お前、その服をどうにかしろ」
『執務室に行くんだからちゃんと兵服に着替えていくよ』
「そうじゃない。その服で兵舎をうろうろするなと言ってるんだ」
『なんで?今の時間は私服でいてもいいんでしょ?』
「…、お前はもう少し自分が周りにどう思われているのか自覚しろ」
『…ん?副兵士長としてってこと?』
真顔で首を傾げるユキにクソッと舌打ちをする。仕事でなら少し指示をするだけで察するのに、どうして自分のこととなるとこうまで鈍感になんだこいつは!
そういえばマリアで見た時も、拘束して調査兵団に連れてきた時も今のようなふざけた格好をしていた。
ユキにとってはこれが普通で、なんの不思議もないらしい。確かに地下街であれば肌の露出をしている女は多かった。それは娼婦が多いせいだが、ユキも周りの影響を受けていたのかもしれない。
あとは動きやすさと武器を取り出しやすさだろう。だが、ここは兵舎だ。特にユキのような容姿の持ち主にこんな格好をされたら、さっきの新兵のような反応をして当然だ。
男女間の変なトラブルが起きても困る。その場合、こんな格好をしているユキにも非はあることになるだろう。
「その服は肌の露出が多すぎる。それを他の兵士からどんな目で見られているのか自覚しろ。地下のような振る舞いはするなと前にも言っただろう」
『えー?だって動きやすいし…別に今までなにか言われたことはないよ』
それはそうだ。注意すればこの格好を見られなくなるのだから、男共はあえて何も言おうとはしないだろう。
相変わらず理解していないユキから不満そうな声が聞こえるが無視だ。一々丁寧に教えてやるほど俺は優しくない。
『これでリヴァイに起こされるのは2度目だね』
「3度目は手加減しねぇからな」
『今までだって手加減してなかったでしょ』
「お前はこれが本気だと思っているのか?」
『…気をつけます』