空色りぼん

□醜い感情
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初めて彼を見た時、私の世界は一瞬にして色を変えた。

靡く髪、鋭い瞳。空を自由に飛び回るその姿は本当に翼が生えているようにさえ見えて、一瞬にして心を奪われた。

人類最強のリヴァイ兵士長が、訓練生である私達の前で一度だけ立体機動を披露してくれた時のことだ。その技術に、誰もが心を奪われた事だろう。

しかし、私は「すごい」だけでは終わらなかった。彼を追うために、調査兵団にまで入団したのだ。


「ペトラ・ラルだな」

「はい」

「君の入団を歓迎する」


訓練生になった当初は駐屯兵団、…もしできれば憲兵団と考えていたのに、あの日の一瞬の光景が私の人生を変えた。

絶対に行きたくないと思った調査兵団に、自ら志望して入ることになるとは思わなかった。

全ては彼に少しでも近づくため。あの日自分の世界を変えた彼の、側に立つためだけにこれまで頑張ってきた。

…入団して数日。

食堂ですれ違った一人の姿に思わず振り返った。一瞬だけ見えた黒真珠のような瞳。小さな身体に整った容姿、真っ直ぐに伸びた黒髪。…そして、余韻を残して揺れる空色のリボンに目を奪われた。


「…今の子って」

「あぁ、あの子は私達の数日前に入ったらしいよ」


初めて見かける人物に思わず同期に聞くと、彼女はそう答えた。

数日前?それはおかしな話だ。訓練兵は半年毎に配属される。だから、私達の数日前というのはありえない。

そうして元ゴロツキだったとか訓練過程をすっ飛ばしたとか、様々な噂を聞いた。

どれもいいイメージのものはない。どこまでが嘘か本当かは分からないが、訓練には姿を現さずどうやら特別に訓練をしているらしいという話を聞いた。

そう聞いてしまうと、その噂もあながち嘘ではないのかと思ってしまう。

…まぁ、自分には関係ない。私がこの調査兵団に入ったのは、リヴァイ兵長の側にいく為なのだから。

しかし、いつの間にかリヴァイ兵長の側にはあの時の女の子がいた。空色のリボンを靡かせる彼女を見間違えるはずがない、あの時食堂で見た東洋人の女の子だ。

へらりと綺麗な笑みを浮かべながら兵長と仲良さそうに話している。

…どうして?と困惑した私だったが、彼女が同じ訓練に参加した時にはもっと困惑した。


ーーバシュ…ッ!

宙に舞う小さな身体は、風を纏い青空を自由に飛び回っていた。

今まで見たことのない動きに、立体機動の不便さをカバーする技術とスピード。その異常な速さと圧倒的な実力に、まわりの兵士も目を見開いて彼女を見ていた。

…すごい。
出てくるのはそれだけだった。


そんなユキがリヴァイ兵長の次席を噂されたのはあっという間。彼女の人間性に惹かれ、まわりに人が集まるのもあっという間だった。

始めは妬んでいた私もユキの人間性に触れていくことによって、どうしてユキがみんなに慕われるのかが分かった。

誰にでも向けられる笑顔と面倒くさがりながらもやることはやり、他の追従を許さぬ実力があったからこそ皆は彼女を認めて受け入れている。

特に前回の壁外調査で兵長とユキが行なった捕獲作戦では、息の合った二人の連携に他の兵士もその光景に釘付けになった。

風を切り空を舞う二人は、一体の巨人をあっという間に捕獲まで追い込んだ。

ユキが巨人の目の前を飛び注意を引きつけると、兵長が巨人の視覚を奪い左腕と右足の腱を削ぐ。

それを見たユキは旋回して起動を変え、交差するように右腕と左足の腱を削いだ。

四肢の自由を息を付く間も無く奪われた巨人は、あっけなく地面へ伏した。人間を意図も簡単に食い殺す巨人。その恐怖の象徴があっという間に機能を停止したのだ。


これは、彼ら二人だったからできたことだろう。言葉も交わさずあそこまで見事な連携をとれるのは、実力と二人の間に築かれた信頼があってこそだ。


そんなユキが副兵士長になったのは納得できたし、適任だと思った。友達の昇進に心から嬉しいと思ったのは間違いない。


だけど、…だけど。
心に引っかかるものも確かにあった。

自分よりずっとリヴァイ兵長に近いところにいるユキ。兵士長と副兵士長だから当たり前なのだけれど、自分が必死に目指してきた場所にいるユキが羨ましいと何度も思った。

実力を考えれば当たり前。空を舞うように飛ぶユキが兵長の側に立つことは、何ら不思議ではない。

そう思って過ごしてきた。実際、ユキの事は友達として大好きだし、恨んでなんかいない。

だけど、あの時。2人でゴロツキに捕まって私だけ逃げたその時。

駆けつけたリヴァイ兵長のガラにもない焦った表情と「ユキはどこだ」という言葉に自分の中のドス黒い感情が湧いてきたのをハッキリと感じた。

兵長は私の無事よりも、ユキの安否を確認した。

巨人の大群に襲われても顔色一つ変えない兵長が、…ユキ一人の安否を気にして焦っていたのだ。

しかも、兵長は目を覚まさないユキに一晩中付きっきりだったという。それは兵長がユキをただの部下として見ていない明らかな証拠だった。

少なくとも私より、ユキは兵長にとって大きな存在なのだ。

分かっていたのに、
心が酷く痛んだ。

そして自分の中にはっきりと感じた黒い感情を認めたくなかった。自分がこんなに汚い人間だと思いたくなかった。

しかし、ハッキリとその黒い感情は自分の中で渦巻いている。

私は、ユキに嫉妬している。

自分の憧れの場所に立っているユキを。


なんて醜い感情なんだろうか。勝手に好きになって勝手に嫉妬するなんて。ましてや命をかけて守ってくれた親友にそんな感情を抱いてしまうなんて、…最低だ。


あの事件の後、私はユキとあまり話をすることはなくなった。

別に避けている訳ではないが、副兵士長になったユキは色々と忙しく食事も少し遅れてとることが多くなったからだ。

訓練も別行動。
自然と会話することは少なくなった。

そのスケジュールにホッとする。ユキに会ったら醜い感情を再認識してしまいそうで嫌だった。そんな風に思いたくないのに、醜い感情はとどまることを知らない。

ユキがこんな幼稚な私の事を知ったらなんて言うだろうか。呆れて幻滅するかもしれない。そんな奴と友達なんて続けたくないと縁を切られるかもしれない。

はぁ、とため息をついたとき肩を叩かれ振り返ると、そこにはナナバ班長がいた。


「申し訳ないんだけどこの書類を兵長に渡してきてくれないかしら」

「…私が、ですか?」

「ええ、団長に呼び出されていて行けないのよ」


「お願いできる?」と言われ「はい」と渋々受け取った。上官からの頼み事を断る訳にもいかない。

受け取った書類を見て再びため息をつく。

いつもならリヴァイ兵長に会えるというだけで飛び跳ねたいくらい嬉しい事なのだが、今は気分がのらない。

兵長の執務室に行くということは、副兵士長であるユキと二人の空間に行くということだ。

その光景を見て自分はまた嫌な考えを抱くことになるのだろうが、行くしかない。私は重い足取りで執務室へ向かった。



**
***



ーートントン。


「入れ」


ノックをするとリヴァイ兵長の声が返ってきて鼓動が音を立てる。最近はいつもユキが返事をするので不意打ちに驚いた。


「失礼します」


扉を開けると、こちらに鋭い視線を向けるリヴァイ兵長。そして、机に突っ伏しているユキがいた。


「何の用だ」

「あ、あの、…ナナバ班長に書類を渡すよう頼まれたので」

「そうか、ご苦労だったな」


手を差し出され、兵長に書類を手渡す。

そしてチラリとユキに視線を向けると、彼女は机に突っ伏してすやすやと寝息を立てていた。

いつもの綺麗な光を灯している瞳は閉じられ、幸せそうな表情で眠っている。


「そいつに用か?」

「…あ、いえ」

「そうか」


ユキに視線を向けているのに気づいた兵長が、呆れたように小さくため息をついた。


「そいつは今そんな状態だ、悪いがそのままにしといてやってくれ」

「……」


その言葉に、返事が出てこなかった。何も言わない私を兵長が不思議そうに見上げたのが分かる。


「どうした?」

「……いえ、…、それでは私はこれで」


背中に痛いほど兵長の視線を感じた。だけど、それ以上何も言うことはできなかった。


「起こさないでやってくれ」

リヴァイ兵長から発せられたその言葉は、ユキを思いやる優しい言葉。

そして、一番心を抉られたのはユキの小さな体にかけられていた上着だった。

あの大きさはユキのものでない。…と、すると兵長がユキの為に自分の上着を掛けたのだ。

リヴァイ兵長が他の人間に自分の上着をかけてあげているところは見たことがない。ユキだけが彼にとって特別なのだと突きつけられたようで胸が締め付けられる。


「…っ」


グッと唇を噛み締めると、口内に血の味が広がった。自分の中に渦巻くこの黒い感情を認めたくない。どうにか納めようとしても全く消えてくれない。


「…最低だ、私。」


ぽつりと呟いた声が、
薄暗い廊下に響いた。



 

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