空色りぼんA
□宣戦布告
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窓から差し込む月明かりが、夜の廊下を妖しく照らし出す。私はみんなが寝静まって静かになった廊下をあてもなく歩いていた。
ここ数日の出来事が頭から離れない。それを思い出して嫉妬してしまう自分の気分を変えようと、こうして廊下をふらふら歩いていた。
誰かが見たら「何してるの?」と怪訝な顔で見てくることだろう。
だが、この時間なら心配はない。日々訓練に励んでいる兵士たちは寝静まるのが異様に早いのだ。
「…!」
しかし、廊下でバッタリ出くわしてしまった人物に思わず体が小さく跳ねる。視線を上げた先にいたのは、今一番会いたくないと思っていた人物だった。
『あれ、どうしたの?こんな夜中に』
そう言うユキの手には書類の束があった。…そうか、こんな時間まで仕事をしているのか。
…リヴァイ兵長と一緒に。
そう思うとまた黒い感情が湧き上がってきて、ぶんぶんと顔を横に振って振り払う。
「ちょっと寝付けなくて散歩してたの」
『そうなの?早く寝れるといいね、明日の訓練にも響くし』
「…そうね」
視線を合わせないように下を向きながら答える。やはりそれに疑問をもったユキはこてんと首を傾げた。
『…何かあった?』
「…」
何も知らず飄々と問いかけてくるユキと二人きりのというこの状況に、抑えていた感情は少しずつ溢れ出していく。
「ユキ」
『ん?』
「ユキは兵長のことどう思ってる?」
『…んん?』
突然の問いかけにユキはどうしたんだと言いたげに困惑の表情を浮かべていた。
あぁ、だめだ。お願いだからとまってという願いも虚しく、一度流れ出した感情は留まることなく言葉を紡いでいく。
「私は兵長が好き」
『…』
ユキは目を瞬かせる。先程まで合わせられなかった視線が交わった。
「兵長が好きで、憧れて、私は調査兵団になった。全部兵長の側にいるためなの」
『ちょっと待って、そんなこといきなり言われてもどうしたらいいか分からない。もし私たちのことを疑ってるなら心配しないで。私はリヴァイの事をなんとも思ってないし、向こうもそう。兵士長と副兵士長以上のものはない』
「…ユキは知らないでしょ。この間の一件で私だけが逃げ出したその姿を見て、兵長がまず「ユキはどこだ」って言ったのを」
「あの馬鹿はどこだ」
その第一声に、私がどれだけ傷ついたかユキは知らない。
あの兵長がユキにかけたであろう上着を見て、私がどれだけ悔しかったか、ユキは知らない。
「あんなに焦った表情をした兵長は初めて見たわ…ハンジ分隊長だって同じことを言ってた。ユキは気づいていなくても、それは兵長がユキを他の兵士より特別に思っている証拠よ」
ペトラの表情を見たユキは、開きかけていた口を静かに閉じる。目の前の彼女の表情は、あまりにも悲しそうに歪められていた。
「私はユキに嫉妬してる。ユキの実力を認めてるけど、…いつか絶対に兵長の隣を奪って見せるわ」
それだけ言うとペトラはすたすたと踵を返して廊下の先へ消えていった。
(…なんだったんだ、今のは)
ペトラの悲しそうに歪められた表情が頭から離れない。
…薄々気づいてはいた。ペトラがリヴァイを特別に思っているということ。
だけど、気づかないふりをしていたのかもしれない。…そうか、ペトラはリヴァイの隣にいくために厳しい訓練に耐え調査兵団に入ったんだ。
それなら私の事を憎いと思って当然だ。訓練過程も経ていないくせに、いきなり現れて副兵士長としてリヴァイの隣に立っているのだから。
ーーギィ…。
「遅い」
エルヴィンに書類を届けて戻ってきた私に発せられたのは、その三文字だった。
…それはそうだ。ただ書類を届けてくるはずだったのに、途中で別の立ち話をしていたのだから。
「お前は書類を届けるだけで何分かかるんだ」
『ちょっと寄り道した』
「寄り道だと?こんな夜中にか?」
リヴァイの眉間に皺が寄せられる。
「どこにだ」
『秘密』
[私はリヴァイの事をなんとも思ってないし、向こうもそうだよ]
咄嗟に出た言葉は、
偽りの言葉だった。
後半は本当だが、私はリヴァイの事を特別に思っている。それは絶対に伝えるつもりはないが確かに私の中に存在している。
以前の私だったら簡単に副兵士長の座を譲っていたのかもしれないが、今はそうはいかない。今の私の生きる意味はこの口の悪い不器用な男を支えることだ。
ペトラには悪いが、人生で初めて見つけることができた生きる意味を今は手放すつもりはない。
(…ごめん、ペトラ)
私はこの居場所を手放してしまったら、どうやって生きていけばいいのか分からなくなってしまう。
こんな私のせいでペトラの邪魔をしてしまっているのが心苦しい。
自分の気持ちを伝える気もないくせに、リヴァイの隣に居続けたいと思う私は…本当に最低な女だ。それが分かっていても離れられない。リヴァイの隣を誰にも渡したくない。
「こんな夜中に寄り道して、そんなツラで帰って来られたら気になるだろうが」
『何もないよ』
「まさかエルヴィンになにか言われたわけじゃないよな?」
『違う』
「…違う、ねぇ」
リヴァイに含みのある言い方をされ『しまった』と思ったがもう遅い。『違う』ということは他に要因があると言ってしまったようなものだ。
全く、本当に油断も隙もない。
『…リヴァイ嫌い』
「上官にそんなこと言うのはお前くらいだ。言葉に気をつけろ」
『なんか嵌められた気分』
「お前が勝手にボロを出したんだろ」
睨みつけてくるリヴァイに小さくため息をつく。
『リヴァイは随分人に慕われるんだね』
「いきなり何だ?話がよめねぇ」
『前も言ったでしょ、女同士のくだらない話』
そう言うとリヴァイは眉間に皺を寄せ、納得していない表情だったがそれ以上聞いてこようとはしなかった。
「なら、深くは詮索しない」
『そうじゃなかったら詮索するの?』
「かもしれねぇな」
あんたのせいなんですけどね。
と、心の中で呟く。
私がここからどけばペトラのためになるのだろうか。この机を前の名もなき机に戻せば…。
きっとペトラ以外にも同じような感情を持っている兵士はいるのだろう。人類最強の兵士長は調査兵にとっては憧れの的だ。
…こんなに気難しくて冷徹なこんな男でも。
小さくため息をつきながら机を指でなぞるユキにリヴァイは視線を向けていた。
**
***
「開門ーーッッ!」
重々しい音と共に壁の門が開かれていく。ついに壁外調査の日が来た。手綱を引き馬を走らせ、市街地に出ると同時に索敵陣形を展開させる。
今回の私の配置は荷馬車のすぐ左だ。最終的にはこの荷を運ぶのが一番の目的のため、荷馬車を守る最後の砦ということになる。
ちなみに右側にはリヴァイがいる。荷馬車を挟んですぐ近くにいるというのに、その姿は当然だが見えない。
”私はリヴァイ兵長が好き”
あれから一週間。結局、ペトラと言葉を交わすことは一度もなくこの日を迎えてしまった。
なんて声をかければいいのかも分からなかったし、自分に何かを言う権利もない。
ペトラから見て自分はさぞ邪魔な存在。自分にそんなつもりはなくても、邪魔者でしかない。
そんなことを考えていると、左翼側から赤色の煙弾が上がった。それは次々と上がっていき私も右翼に知らせるため煙弾を上げる。
すると前方から右方向に向かって緑の煙弾が上がった。エルヴィンからの指示だ。
私は既に用意していた緑の煙弾を右方向に向かって撃った。陣形が大きく右方向に向かって進路を変えていく。
ここが陣形の内側だからだろうか、煙弾は見えても巨人の姿は全くと言っていいほど確認できない。先程上がった赤い煙弾の元で戦った兵士の何人が死んだのだろうか。
ーードォォオオオン!
そして再び煙弾が上がる。
しかもまた左翼側だ。
どういう事だ?
と思いながら赤い煙弾を撃ち上げる。
先程の進路変更の後にまた新手の巨人が来たのか?それとも、進路を変更しても逃げ切れないほど巨人がいるのか?
次に来るであろう緑の煙弾を装填しながら、左翼側に視線を向ける。
すると、次に上がったのは前方からの緑の煙弾ではなく、再び左翼側から上がった黒の煙弾だった。
「…奇行種!?こんなに早く…」
班長であるナナバの表情が曇る。緑の煙弾を素早く外し、黒の煙弾を打ち上げた。
『予想以上に早かったね』
「…えぇ、でもこれだけ馬を走らせたんだもの。そろそろ一体や二体出てきてもおかしくはないわ」
緑の煙弾が上がり、隊列は旧市街地へと入って行った。
建物のあるこの場所で一度奇行種を振り切ろうというのだろう。さすがエルヴィンと言うべきか、その作戦は見事に成功した。
しかも、目的であるもう一つ先の市街地にもここからならさほど遠回りしないで向かえる。
そこで二度目の捕獲作戦となる。
荷馬車に新しい巨人捕獲用の縄が積まれているから、今度こそ巨人の捕獲に成功するとハンジが出発前から鼻息を荒くしていたのを思い出した。
「それにしてもあなたが副兵士長になるとはね」
『今でも実感なんかあんまり湧かないよ』
「いつも兵長の隣にいるのにね。今回だってまた兵長と一緒に捕獲作戦なんて、団長にも認められてる証拠よ」
『あまり期待されるのには慣れてないんだけど』
「しょうがないわよ、こんな世の中なんだから」
ナナバは呆れたように笑う。
「それにしても、副兵士長がいるのに私が班長なんて気が引けるわ」
『何言ってるの、経験で言えば私なんて到底及ばないしそもそも私は班長なんてガラじゃないよ』
「副兵士長の方が充分すごいと思うけど」
『副兵士長の仕事はあの気難しい男のご機嫌をとることくらいだから』
「それ、兵長に聞かれたらマズイわよ」
『間違いなく頭に強い一発をもらうことになるね』
再び見晴らしのいい草原を走り、再度見えてきた市街地へと隊列を進めていく。
出発からどれほど時間が経っただろうか。一番の目的である補給物資を置き、荷台を空にさせる。
ここに捕らえた巨人を積んで壁内へ持ち帰るのだ。
「オイ」
後ろを振り返ると、そこには馬に乗ったリヴァイがいた。
「これから捕獲作戦に入る。モタモタしてねぇでさっさと準備しろ」
『りょーかい』
ヒラリと余韻を残して揺れるマントを追いかける。「気をつけるのよ」とナナバの優しい声が聞こえた。
『また、帰りね』
「ええ、待ってるわ」
背中を向けたユキの空色のリボンが舞った。