空色りぼんA

□より多くのこと
1ページ/1ページ




捕獲作戦は思った以上に難航した。

リヴァイとユキが手間取った訳ではなく、想像していた以上の数の巨人が市街地に侵入してきたからだった。


「…チッ、援護班は何してやがる」

『これだけの巨人が来てるんだからしょうがないよ』


その為エルヴィンの指示によって捕獲作戦は一旦中止され、巨人の掃討から始められた。

今更場所を変えるほど余裕もなければ時間もない。全部駆逐する必要はないためある程度数を減らしてすぐに捕獲作戦を決行し、捕獲次第即撤退することとなった。


「折角捕獲できると思ったのにぃぃ!だけど、これなら巨人を選び放題じゃないか!」


あっはははは!
と、場に似合わない声はハンジだろう。あの馬鹿みたいな笑い声はあいつでしかありえない。

隣にいたリヴァイは小さくため息をつき、ブレードを構えた。


「俺は右の二体をやる、お前は左をやれ」

『了解』


迷わず多い方を行くのに文句は言わない。というか、言う前にリヴァイは既に空を飛んでいた。

私も地を蹴りアンカーを放つ。体が舞い上がり風を切る感覚を感じながら、巨人の手をすり抜け項を削ぎ落とす。

真上に来ると建物で隠れていたのか3m級の巨人がこちらに向かって手を伸ばしていた。

地面すれすれの壁にアンカーを放ち、急降下して項を削ぐと同時に上方の屋根にアンカーを刺す。


靴の裏で地面を滑りながらワイヤーで巻き取って浮上する。くるんと一回転して辺りを見渡すとリヴァイは既に蒸気を発している巨人から離れ次の巨人に刃を構えていた。


ーーゴォッ!

風を切る音が耳を掠める。振り返らずとも分かる巨人の気配に高く飛び上がると、私の身体を掴もうとしていた巨人の手は空を切った。


『今のはちょっと危なかった』


身体を反転させながら見下ろした先にいる巨人の額にアンカーを刺しこむ。そして正面から一気に距離を縮めて両瞳を斬り裂き、再び飛び上がって項の肉を削ぎ落とす。


それを暫く繰り返しながら巨人を倒していると血相を変えた兵士が現れた。


「ユキ副兵長…!援護願えますか!?トーマ班の元に次々と巨人が…ッ」

『案内して』

「はッ!」


いつ捕獲作戦が再開されるか分からない今、ここからあまり離れる訳にはいかない。

しかし”トーマ班”という言葉に私の足はそちらに向かってしまった。

トーマ班はペトラの所属する班。ペトラは初陣でこそ恥ずかしい失態をしたものの、今では実力は折り紙つきだ。

死ぬことはないだろうとは分かっていても気持ちは焦っていく。壁外では何が起こるか分からない。

あんな喧嘩紛いなものをして、
そのまま…なんて真っ平御免だ。


屋根を駆けると所々に体の一部と思われる物体が転がっていた。巨人に食い千切られたのだろう。

隣をいく兵士が「うっ」と表情を歪めたその瞬間、彼の体が巨人の手の中に収まった。


「うわぁぁあああ!」


悲痛な叫び声が響き渡る。眼前いっぱいに広がる巨人の口に彼が涙を流す光景を横目に、巨人の背後を取り頸を削いだ。

パシュッ!と切り離された肉が宙を舞う。巨人の手から解放され腰を抜かして座り込む兵士の前に降り立ち、すぐに腕を引っ張って無理矢理立たせる。


『余所見してるとあっという間に巨人の口に放り込まれるよ。それから、ここでは腰を抜かして放心してる時間も猶予もない、そうでしょ?』

「…は、はい!」


大きく返事をする兵士の様子に『もう大丈夫だろう』と思った私は彼に背を向け再びアンカーを放ち、すぐ近くにいたもう一体の巨人の項を削ぐ。

その時「しっかりしろ!」という怒鳴り声が聞こえた。

視線を向けると声の主は班を仕切るトーマで、彼の視線の先には頭を打ったのかフラリと壁に背を預けるペトラがいた。


『…!』


薄気味悪い笑顔を浮かべた巨人が手を伸ばし、その体を捉えるのはもはや時間の問題だった。


「…ひっ」


ペトラの顔が青ざめる。その瞬間、腰を抜かしたように地面に座り込んだ彼女に巨人の指先が触れた。アンカーを刺し飛び上がるが、このままでは確実に間に合わない。

(…このままじゃ間に合わない!どうすれば…っ)

そう思った時、リヴァイがブレードを投げ飛ばしていた事を思い出し、体を捻って刃を放った。



**
***



巨人の手が体に触れた。
もう駄目だ、…殺される。

その一瞬で色々な事を思い出した。

こんな事ならもっと親孝行すればよかった。リヴァイ兵長に好きだと伝えればよかった。

ユキとはあんな下らない喧嘩をしたままだ。こんなことなら謝っておけばよかった。


そう思った瞬間、どこからか飛んできた刃がドスッと巨人の瞳に突き刺さり巨人が悲鳴を上げた。

キィィ…ッというワイヤーを巻き取る音が聞こえたと思ったと同時、小さな人影があろうことか立体機動の勢いそのまま巨人に蹴りを放った。

しかし、人間の蹴りでは巨人は少し体制を崩すだけだ。だが、その小さな体は巨人の体を足場にして再び舞い上がりながら鞘からブレードを装填し、そのまま旋回して項を削ぎ落とした。


ズゥゥン…と、巨体が倒れ蒸気を上げる。

あまりに一瞬の出来事。

黒髪を靡かせるその姿に、
私は思わず息をのんだ。


『間に合って良かった』


ユキは振り返るとへらりといつもの軽い笑みを浮かべた。その体は返り血を浴び、所々で蒸発し煙を上げている。


「…どうして?」


まず出てきたのはその言葉だった。

あんな事を言った私を、
どうして助けにきたのか。

そう言うとユキは頬についた血を手の甲で拭って口を開いた。


『仲間を助けるのは当然でしょ、それにあんな喧嘩別れするなんて御免だから』

「…でも、私ユキに酷いこと言ったのよ?」

『あんなの酷いうちには入らないよ』


”罵られるのは慣れてる”とユキは小さく笑った。


『ペトラ、私ね。ペトラには申し訳ないけど副兵士長の席は譲れない。私の生きる意味はあの人を隣で支えることだから。』

「…だったら、私を助けない方が良かったんじゃないの?私は生きている限り兵長の隣を狙うわよ?」

『渡さない自信があるから大丈夫。それに私的な事で怒られるだろうけど、ペトラには死んで欲しくないから』


腕を引っ張っぱられ立ち上がると、ユキの真っ直ぐな瞳と視線が交わった。

思わず吸い込まれそうなほど綺麗な瞳に、ぐっと唇を噛み締めてから問いかける。


「…ユキは兵長を好きなの?」


ユキはゆっくりとその黒真珠のような瞳を閉じた。サァァ…と風が吹き、ユキの黒髪を幻想的に揺らす。

再び口を開こうとした時、
ユキの瞳がゆっくりと開かれた。

その表情を見た時、時が止まったような感覚に思わず息を飲む。


ユキは、笑っていた。

とても柔らかく微笑んでいるはずなのに、どこまでも儚く悲しそうに細められている瞳に言葉を失った。


「オイ、てめぇどこまで行ってやがる」


酷く聞き覚えのある声に某然としていた意識がハッと引き戻される。視線を向けるとそこにはリヴァイ兵長が不機嫌そうな眼差しでこちらを見下ろしていた。


「今すぐ捕獲作戦に入る。ユキ、とっとと来い」

『了解』


ユキはくるりと踵を返すと、兵長の後を追いあっという間に目の前から姿を消した。

私は思わずぺたんと腰を下ろす。


「…あんなの、敵うわけないじゃない」


直接口に出さなかったものの、あのユキの表情は『好きだ』と言っているようなものだった。

いや、好き以上のものなのだろう。ユキは兵長を自分の“生きる意味”だと言っていた。

ユキの瞳には絶対に譲れないという強い意思が込められていた。

あんなに酷いことを言った私でさえ、命がけで守るあの優しすぎる性格にため息が出る。私だったらあんな事を言った人間を、自分の命をかけて護ろうだなんて思わないだろう。

それがユキと私の大きな違いだ。実力はもちろんだが、そんな彼女だからこそ兵長は信頼して隣に置いているんだと思った。

ただの憧れや尊敬じゃない、あの二人の間にはもっと強い何かが確かに存在していると突きつけられた。


「完全にやられちゃったって顔だねぇ」

「…ハンジ分隊長」


不意に掛けられた声に見上げると、ハンジ分隊長がこちらを見下ろしていた。


「どう?ユキに宣戦布告した結果は」

「…聞いてたんですか?」

「あの時たまたま廊下を通りかかってね、悪いけど聞かせてもらっちゃったんだ。まぁ、君を責めるつもりはないから安心してよ」


ぎゅっと唇を噛みしめるペトラを、ハンジは子供を見るような目で見つめた。


「”生きる意味”…かぁ、私も初めて聞いたな」

「…私、ユキはそんな深い思い入れもなくリヴァイ兵長の隣にいるんだと思ってました。団長に命令されたから仕方なくだと思ってたんです」

「まぁ、間違いではないね。実際ユキは勝手に連れて来られて、ほぼ強制的に副兵士長にさせられた訳だから」

「もしユキが本心から兵長の隣にいたいと思っているなら諦めもついたんです。でも、そうじゃないならどうして私じゃなくてユキなんだって…。こんなに思っている私じゃなくて、なんとなくなったユキなんだって思ってたんです」


ペトラは諦めたようにふっと笑った。


「だけど、あんな表情されたら諦めるしかないですよ。あんなのもう、好きだって言ってるようなものじゃないですか」


”言葉で言ってくれなかったのはちょっと引っかかりましたけど”

と、続けられた言葉に、
ハンジも呆れたようにため息をついた。


「ユキは絶対に口には出さないだろうね、多分死ぬ間際になっても言わないと思うよ」

「どうしてですか?」

「そういう不器用な子だからさ。どうしてそんなに頑なに口を閉じるのか…それは私にも分からない。きっとユキなりに理由があるんだと思うよ」


”…ただ”
と、ハンジは続けた。


「私達より短い人生で、より多くのことを感じてきた結果なんじゃないかな」


いいことであれ、悪いことであれ、ユキは自分たちより多くのことを経験してその分沢山のことを感じてきた。

その経験がユキの今の人格を作り出している。それがいい方向に向かったものもあれば、よくない方向に向かったものもある。

特にそれは彼女を臆病にさせるのには充分すぎるほどの役割を担ってしまった。


「…?…結局どういうことなんですか?」

「人に怯えている臆病なユキが、初めて心から信用できると思う人なんじゃないかな、リヴァイは」

「…ユキが臆病?…、そんな風には見えないですけど…」

「うん、絶対に表には出さないけどね。それをリヴァイは分かっていてユキと接しているし、ユキもリヴァイのことを分かっている。結局、お互いにしか理解できない部分があの二人にはあるんだよ」


“私だって仲間はずれにされるくらいね”

と笑顔を向けられ、
ペトラは再び小さく笑った。


「やっぱりユキには敵いません」

「あれ、諦めちゃうの?」

「当たり前ですよ。…あんなに信頼し合っている光景を見せつけられちゃ、諦めるしかなくなります」


ペトラと同じ方向に視線を向けると、そこには早くも二人で巨人を捕獲している姿だった。

リヴァイが駆ける側で彼が削ぎやすい様、そして他の巨人の手に落ちないよう飛び回るユキの姿。

ぶつかってしまうんじゃないかと見てる方がハラハラするほど至近距離を飛び交う二人は、一斉に高く舞い上がり交差するように急降下して肉を削いだ。

その距離はまさに紙一重。

一言も言葉を交わしていないにも関わらず、二人はあっという間に一体の巨人を捕獲段階まで追い込んでしまった。

お互いがお互いの力を信用していなければ出来ない芸当。

そんな凄いことをやってのけたというのに、二人は至って表情を変えることなくさも当然のように澄ましている。

これはさすがとしか言いようがない。


「…ユキの事を恨んでる?」

「いいえ。…ちょっと前までは嫉妬してましたけど、やっぱりリヴァイ兵長の隣にいなきゃいけないのは私じゃなくて、ユキです」


ペトラの表情を見たハンジは小さく笑った。

彼女の表情はここ最近浮かべられていた黒いものではなく、吹っ切れたようなとても柔らかいものになっていた。





 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ