空色りぼんA
□不貞腐れたいってらっしゃい
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ーー…ギシ、ギシッ。
「いやっほぉぉおおお!!」
ハンジの高らかな声が響き渡る。その光景を遠目に見ながらエルヴィンが口を開いた。
「流石だな二人とも。よくやってくれた」
「あとはこいつを持ち帰るだけか」
「あぁ」
新型の捕獲用の縄に捕らえられている巨人。ユキの特殊仕様の刃によって斬り落とされた体の各部位が再生され、容量を増していけばいくほど縄が肉体に食い込んでいき体を更にキツく拘束していく。
『うわぁ、気持ち悪い。これ縄ちぎれたりしないよね?』
「あぁ、巨人の体積が増えることを考慮した上での強度がある。心配はいらない」
「巨人の心配より、お前はその汚いナリをなんとかしろ」
『仕方ないでしょ、こればっかりは避けきれないんだから』
全身に返り血を浴び蒸気を発する彼女に、リヴァイは冷たい視線を送った。
ユキは二本の指で今回初めて実戦で運用した特殊仕様の刃を挟み、根元から先まで滑らせるように血を拭う。その手馴れた手付きにリヴァイは敢えて何も言わなかった。
「しかし、本当に手足を斬り落としてしまうとはな」
『リヴァイが腱を削ぎ落としてくれたからできただけだよ、もし単体で行ってたら斬り落とす前にあの腕に掴まれてたと思う』
「そうは見えなかったが?…それでどうだった、その刃の使い勝手は」
『すごくよかった。刃も損耗してないし、斬れ味も抜群だったよ』
「それはよかった」とエルヴィンは満足そうな笑みを浮かべる。
漸く巨人の全ての関節を荷馬車に固定し終えると、エルヴィンは撤退の指示を出した。
ハンジのギャーギャーと騒いでいる声が聞こえるが、あれはモブリットがなんとかしてくれるだろう。
繋いである自分の馬に向かい、ユキも撤退の準備を始める。隊列が整い次第即出発だ。
「帰りは汚いツラと並走か。…気が乗らねぇな」
『行きは荷馬車だったのにね』
荷馬車を守る為だったのが、今度は巨人から巨人を守るのだ。なんとも可笑しな事だがしょうがない。これを持ち帰ることが人類が巨人に勝つための一歩になると信じるしかないのだから。
ユキが繋いでいる兵長(馬)の手綱を握ると、ブルっと大きな体を震わせた。足元もバタバタと足踏みをしていて落ち着かない。
馬が恐怖心を抱いているというのは簡単に見てとれた。
『こんな近くに巨人がいれば怖いよね』
「お前の馬はそもそも性格に問題があった奴だろう。ここに置いていって予備の馬に乗り換えろ、今のお前なら他の馬でも乗れるだろう」
『乗り換えないよ、私は兵長にのって帰る』
「お前な…」
リヴァイの眉間に皺が寄せられる。しかし、ユキはそんなこと御構い無しにその手を馬の首元に当ててゆっくりと撫でた。
『大丈夫。一緒に帰ろう、兵長』
ユキの瞳がふっと優しく細められる。
すると、落ち着きのなかった馬の足踏みはピタリと止まり、ユキの頬にその顔を寄せて擦り寄った。
『ほらね?大丈夫でしょ?』
「…途中で置いてきぼりにされても知らねぇぞ」
『そしたら助けてよ』
「知るか」
『ええー見捨てないでよ』と笑いながら言うユキを無視して、リヴァイは自分の馬に跨る。
それを見たユキはもう構ってもらえないと悟ったらしく、自分の馬に跨り息をつきながら額の汗を拭った。
「オイ」
『なに?』
「お前の豆粒並みの体力は、途中で尽きたりしないだろうな」
『…、もし駄目だって言ったら兵長を並走させてリヴァイの馬に乗せてくれる?』
「甘えるんじゃねぇよ、誰がそんな面倒なことするか」
『だったら頑張って壁内まで戻りますよ』
長距離の不得手な乗馬に加え捕獲作戦の前に行われた巨人の掃討。そこでユキは相当な数の巨人を倒していた。
立体機動の技術もスピードも他兵士より頭一つ分抜けているユキだが、その分体力がないのが不安要素でもある。
なのにこいつはへらへらと笑っていると来たものだ。こっちの心配も知らねぇで呑気な顔しやがってとリヴァイは舌打ちをする。
そしてふと、ユキの表情の中に疲れとは違う何かが浮かんだ。
細められた瞳に宿される光。それは、何かを達成したかのように清々しさを写していた。
それが巨人の捕獲成功から来たものではないと悟ったリヴァイはユキに向かって問いかける。
「…お前、何かあったか?」
『なんでもないよ。ただ、自分の気持ちを再確認できたかな』
「は?」
『リヴァイは知らなくてもいいこと』
『またね』と言いながら小さな背中は隊列に戻っていく。
ここ最近は時折うかない顔を浮かべることがあった。何があったかは知らないが、どうやらそれが解決したらしい。
…いいことだ。
隣であんな浮かない顔をされていたんじゃ、どうしても気になってしまうというものだ。
ユキが班に戻ると、
ナナバは笑って彼女を迎えた。
「おかえり、ユキ」
『壁内に戻って初めてただいまって前にナナバ言ってたじゃない』
「そうだったわね」
各兵士が馬を走らせ市街地を勢い良く飛び出していく。巨人を乗せた荷馬車が動き出したと同時に再び馬の手綱を引いて駆け出した。
**
***
兵団内に戻り、やっとふぅと一息つく。
恒例の冷たい視線や野次を浴びたが、そんなものは気にしない。一々構っていられる余裕など私たちにはない。
兵舎に着いて早々に捕獲した巨人を別の場所に移動させる作業が始まった。移動作業中に「ここで実験しよう!今すぐしよう!」と邪魔するハンジをリヴァイが蹴り飛ばしていた。
ああなったハンジはもう部下のモブリットのような生ぬるさでは止められない。ハンジを人とも思っていないようなリヴァイの蹴り…、要は力で鎮める武力行使しかないのだ。
「ユキ、さっきはありがとう」
気を失わされたハンジが引きずられていく悲惨な光景を見ていると、不意に後ろから声をかけられる。
振り返ると、そこにはペトラがいた。
「もうダメかと思ったわ」
『弱気になるなんて、ペトラらしくない』
そう言うと、ペトラはクスリと笑った。
「やっぱりユキには敵わないって実感したわ。嫌な事を言ってごめんね、勝手に片想いして友達に迷惑かけるなんて」
『さっきも言ったけど、私はあれくらいじゃ何とも思わないよ。それよりまた生きて会えてよかった』
「…ユキ」
ユキは小さく笑みを浮かべる。
その真っ直ぐな瞳に吸い込まれそうな錯覚に陥った。兵長の事を”生きる意味”と言ったユキを思い出す。やっぱりこの気高き魂に、勝てる気は全くといっていいほどしなかった。
だからこそ負けを認められる。そこら変の陰湿な女ではなく、男に媚を売るような女ではなく、ユキだからこそ自分の気持ちに区切りをつけられるというものだ。
「あなたになら負けてもしょうがないって思えるわ」
『何言ってるの、生きてる限り私の席を狙うんでしょ』
「…クスッ、そうだったわね」
二人は小さく笑い合い、
お互いの拳をコツンとぶつけた。
「作戦成功おめでとう」
『ありがとう』
『みんなの協力があったおかげだよ』と、言うとユキはある一点に視線を向けた。つられてそちらに視線を向けると、エルヴィン団長とリヴァイ兵長が馬車に乗り込むところだった。本部へ報告しに行くのだろう。
『行ってくる』
「あ、ユキ!?」
ユキはマントを翻すと、スタスタと走って行ってしまう。前は覚束ない足取りで即自室に戻って寝ていたというのに…。
(よっぽど兵長の隣にいたいのね。)
ペトラは小さく笑みを零し、
揺れる空色のリボンを見送った。
**
***
『待って』
馬車に乗り込もうとしていたエルヴィンは私を見て驚いた表情を浮かべた。リヴァイからは「なんだ」と言わんばかりに鋭い視線を突きつけられる。
「どうしたんだ、ユキ」
『これから本部でしょ?私も行く』
それを聞いたエルヴィンの表情が曇った。
「…ユキは待っていなさい」
『本部への報告に兵士長が行くなら、副兵士長も行くべきでしょ?』
「駄目だ、ここで待ってなさい」
『どうして』
「どうしてもだ」
エルヴィンの真っ直ぐな瞳と視線が交わる。すると、見兼ねたリヴァイが口を開いた。
「エルヴィンの言う通りだ、お前は大人しく部屋に戻って呑気に居眠りでもこいてろ」
『リヴァイまで…』
「行ったところで嫌味を言われるだけだ、そんなところにわざわざ行く必要はない」
『…』
再びエルヴィンを見るとその表情はぴくりとも動かなかった。この男も初めから私を庇って行かせないつもりなのだろう。
しかし、そんな甘やかされる必要はない。それより団長と兵士長が行くのに副兵士長が留守番なんて本部が知ったらどう思うだろうか。
それこそ弱みを握ろうと躍起になっている輩に美味しいネタを与えるだけだ。
『私を気遣う必要はないよ。相手に美味しいネタを与えるつもり?』
「ほう、お前のめでたい脳味噌が調査兵団の心配をするようになったとは、少しは成長したもんだな」
この男はどうしてこう、一言も二言も余計なことを言うのだ。思わず反論しそうになるところをぐっと堪えてエルヴィンを見つめる。
私はリヴァイを隣で支えると決めた。と、言う事は必然的に調査兵団という居場所も護らなければならない。
例えどれだけ疲れていようが、今すぐ倒れそうなほどだるかろうが、本部に報告なんて面倒くさいと思おうが、副兵士長としての責務を果たす義務がある。
そう言うと、エルヴィンはゆっくりと口を開いた。
「ユキ、私は何も残ってのんびりしていろとは言っていない。君には捕獲した巨人の移動についていて欲しい」
『捕獲した巨人はハンジがつきっきりで見てるでしょ?分隊長がついていれば問題ないと思うけど』
「本当にそうか?万が一巨人を固定し直している時に拘束から解かれたとして、あのハンジが冷静に対処できるだろうか」
思わず言葉に詰まった。
あのハンジが冷静に対応できるはずがない。縄が外れている巨人に頭から突っ込んで行く想像しか思い浮かばなかった。
「悪運強くハンジが生き残ったとしても、まわりの兵士の何人かは命を落とすだろう」
『…』
「そもそも拘束しているとは言え、壁内に連れてきた巨人の管理は厳重にするべきだ。少なくとも調査兵団屈指の実力者である兵士長か副兵士長のどちらかはつけるべきだ」
…完全に言いくるめられた。
捕獲した巨人の見張りをさせていると言われれば、本部も充分納得するだろう。エルヴィンの言う通り巨人を壁内に連れてきておいて、並兵士だけに見張らせている方が問題だ。
すっかりエルヴィンにやられたと分かっていても頷くしかなかった。
『…分かった』
「何かあった場合は君に対処してもらうことになる。その分責任も重大だ、損な役回りをさせてしまってすまないね」
損な役回りはそっちだろう、今から嫌味を言われに行くというのに何を言っているんだという不満の言葉を飲みこむと、リヴァイに頭をくしゃくしゃと撫でられた。
『わっ』
「なんて顔してやがる。上司が報告に行くのをお前はそんな顔で見送るつもりか?」
『…、せいぜい気をつけていってらっしゃい』
今更何を言っても仕方ないと小さく笑って言うと、リヴァイは少しだけ口元を吊り上げた。
「上等だ」
最後にぽんっと頭を撫でられ、リヴァイは馬車に乗り込んだ。
バタンと扉が閉められ馬車が速度を上げていく。独特の揺れに揺られながら、リヴァイが口を開いた。
「お前が甘やかすとはな」
「娘を中央の奴らに会わせたいわけがないだろう」
リヴァイは呆れたようにため息をつく。お前は”自称”父親であって本当の父親ではないだろう、何を当たり前のように言っているんだ。
「それに、壁外調査帰還直後で満身創痍のユキを中央なんかに連れて行ったら、君に何を言われるか分かったものじゃない」
「あ?」
「君も、連れて行きたくないように見えたが?」
「あいつは実力はあるが体力は豆粒並みだからな。途中で倒れられたりでもしたら面倒なだけだ。巨人のおもりでもさせておけばいい」
実際、ユキを王都の豚野郎共に晒すのは気がのらなかった。
今回はエルヴィンに感謝しておこうと思ったが、その澄ました顔を見ると一発殴ってやりたくなる。
そこをグッと堪え、リヴァイは流れる景色に視線を戻した。