空色りぼんA
□ポーカー
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壁外調査から休む間も無く事後処理が続いた日々も一息付き、珍しくもらった休日の朝。
リヴァイは明日から余裕を持てるようにさっさと書類を片付けてしまおうと執務室へ向かう。
扉を開けると、太陽の光がこれでもかというほど差し込んできていた。普段なら訓練をしている時間帯だからか、朝日が差し込む執務室は少し新鮮に感じる。
書類を押し付けられる前に取りに行ってしまおうと、エルヴィンの執務室へ向かうことにした。
だがそこで、ユキの机がやけに綺麗なのに気がつく。普段だったら休みでもあいつは必ず来るはずなのに、いない。
そういえばいつもは軽く掃除をする程度なのに、昨日の夜はやけに綺麗に片付けて行ったなと思い出す。
ついでにエルヴィンを問いただすかと、リヴァイは執務室を後にした。
**
***
「あぁ、ユキなら出かけたよ」
「は?」
エルヴィンを問いただすと、こいつは当然のようにそう言った。
…ユキが出かけた?
ユキにはゴロツキに攫われた一件以降、外出は控えさせていたはずだ。
なのに、出掛けただと?
そう思ったのが表情に出ていたのか、エルヴィンは小さく笑って口を開いた。
「心配いらない。ユキは髪も瞳も隠していたし、護身用の武器も持たせてある」
「…だからと言って狙われないという確証はないだろう。誰かつけたんだろうな」
「私もそう言ったが、ユキが頑なに断ったんだ。また巻き込むかもしれないし一人の方が戦いやすいからと」
「…あんの馬鹿が」
「どうして俺に黙っていた」と睨みつけると、エルヴィンはまるでそう言われるのを分かっていたかのように口を開いた。
「ユキが君に言うなって言ったんだ。リヴァイに知られたら絶対に出してもらえないから、とね」
…いい度胸してるじゃねぇか。
こっちの心配も知らねぇであの女…、そろそろ躾が必要か?
「そもそも、あいつは何をしに行ったんだ」
「さぁ、詳しくは聞いていないけど今日は美味しいトマトが市に並ぶと言っていたな」
まさか、夜食の買い出しか!?
あまりにくだらない理由にため息をつく。確かにそんな理由だったら俺は絶対に外出させようとはしないだろう。
あいつはそれを分かってて黙って出て行ったということだ。
「…あの馬鹿が」
俺は再び小さく呟き、盛大に舌打ちをした。
**
***
ワイワイと賑わう市場を通り抜けていく。
今日は久しぶりの休日。
最近は壁外調査後の処理があったから出られなかったというのもあるが、あの一件からずっと外出を許してもらえなかったため、夜食を作る食材も生活必需品も買いに来ることができなかった。
そろそろ買い貯めていたものも底を尽きそうだったので、エルヴィンに一日だけ許可をもらって今に至る。
今頃はリヴァイも気づいているだろう。
だが、あの男に言ったらまた面倒ごとを起こすんじゃないだろうな、という鋭い視線を浴びるはめになるだけだ。
しかも、夜食の買い出しなんて言った日には100%出してもらえないだろう。
髪も帽子で隠したし、瞳もハンジの眼鏡を勝手に拝借してきて誤魔化している。始めはそのままかけてみたが度が強くて耐えられなかったのでレンズは抜いた。
もちろん許可はとっていないがハンジのだしいいだろう、すぐ直せるだろうし。
さて、何から買おうか。
日用品とか軽いものから買って、帰りに重い食材を買っていこう。
そう思い、まずは衣料品のお店に向かおうとした時、ガシャァァンという音と共に怒号が聞こえてきた。
「てめぇ俺にぶつかってきておいて謝罪もねぇのかよ!」
「はぁ!?お前がぶつかってきたんだろうが!」
「なんだと!?」
続いて聞こえてきたのは下らない言い争い。全く真昼間っから迷惑な輩だ、このご時世に元気なのはいい事だが場をわきまえて欲しい。
関わらないほうがいいと、群がる野次馬を無視して振り返る事なくとことこと前を通過した。
その時。
目の前に一人の男が立ち塞がった。
これは偶然前に立っていたのではない、明らかに自分の進路を邪魔しようとする男を睨みつけるように見上げた。
「やぁ、お嬢さん」
『…』
見上げた先に笑顔で私を見下ろす一人の男。それを表情を一切変えることなく視線をそらし、踵を返して方向転換した。
「おい、待てよ」
呼びかけられるが、完全に知らない人のふりをする。だが、しつこい男はあろうことか私の腕を掴んで引き止めた。
「逃げることないだろう」
『…私はあなたなんて知らないけど?』
「つれないな、昔一緒に組んでいた仲じゃないか」
『なら言い方を変える。私はあなたと関わりたくない』
「調査兵団にいるんだったよな?安心しろよ、今のお前はただの町娘、そして俺もただの商売人だ。」
へらへらと笑ってくる男の顔を殴ってやりたかったが、そんなことをすれば確実に目立ってしまう。
私は小さくため息をついて男を見上げた。
『…私になんの用?…ルーク』
「久し振りに会ったんだ、喜べよ」
**
***
『真昼間っからこんなところに入り浸るあたりは変わってないね』
「旧友が変わってないっていうのはいいもんだろ」
『別に』
男はわざとらしくガックリと肩を落とす。
薄暗い店内のカウンターには数え切れないほどの酒瓶が綺麗に並べられている。
一見ただの酒場のようだが、ここは限りなく地下街に近い場所。周りの客層を見ればそれなりにガラの悪そうな輩ばかりだ。
一般人が知らないで入ってきたのなら、そそくさと会計を済ませ出て行くだろう。
「それにしても久しぶりだな、ユキ」
そう言って語りかけてくる男はルーク、地下街にいた時に仕事で組んだ中の一人。
今思い返してみれば何度か二人で仕事をこなしたこともあった。
「お前の噂は聞いてるよ、まさかお前が調査兵団の副兵士長になるとはな」
『…、どうして私だと分かったの?髪も瞳も隠しているのに』
「俺の話は無視かよ」
”まぁ、昔からか”
とルークはため息をついて続けた。
「そりゃぁ分かる。すぐ後ろであんな騒ぎが起こっているのに、あんたは見向きもしなかった。まるでその光景が”当たり前”で、特別な事じゃないようにな」
『…』
「お前は地下街で見慣れているだろうが、地上の町娘なら驚いて振り返るはずだ。あの野次馬たちのようにな。町娘を演じるなら少しでも心配そうな表情を浮かべておくもんだぜ」
『…覚えておく』
「そうしておけ、でないと俺みたいな輩に見つかるぞ」
胸ポケットから煙草を出して火をつけるルークは、”ほら”っと煙草を一本差し出してくる。
それを刺し殺すような瞳で睨みつけると、”冗談だよ”とわざとらしく両手を挙げて降参のポーズをとった。
『…で、どうしてわざわざ私を呼び止めたの?放っといてくれれば良かったのに』
「すっかり英雄になって会えなくなっちまったかつての仲間が目の前に現れたら、声もかけたくなるだろう」
『私は会いたくなかった』
「何回言うんだよ、もうわかってるよ…ったく」
早く帰らせろ、という視線を送るが、ルークは懐からトランプの束を出して見せつけるように机に置いた。
『なんのつもり?』
「昔よくやっただろう、…俺と賭けをしようぜ」
『何を賭けるつもり?』
「俺が勝ったらもう一度俺と組んでもらおう」
その言葉に瞳を細めた。
『つまり、兵士を辞めて地下街に戻って来いと?』
「そういうことだ」
『…』
ルークは器用に手のひらの中でトランプを切り始める。睨みつけると真っ直ぐな瞳で正面から受けられた。
これは冗談ではなく、本気で言っているのだろう。
『悪いけど、その賭けにはのれない』
「どうしてだよ、…調査兵団から離れられない理由でもあるのか?」
”そうだね”、と言うと”弱みでも握られているのか?”と返される。
確かに、立体機動装置を不正使用していたところを捕まったわけだから、逃げ出せば即牢屋行きだ。
だが、今は牢屋に入らないためにいるわけではない。自分の居場所となったあの場所を、離れたくないのだ。…随分と情けない話だが、離れるわけにはいかないし離れるつもりもない。
私は、リヴァイを側で支えると決めたのだから。
『脅されてる訳じゃない』
「だったらどうして…、まさかお前、あいつらに情がうつったのか」
『どうだろうね』
トランプを器用にきっていたルークの手が止まる。どうしたんだ、と見上げると地下街の住人らしい嫌な笑みを浮かべていた。
「そうか、なら無理矢理でも賭けにのってもらう」
『どうやって?』
「この賭けにのらないなら、お前の地下街での横行を兵団に密告する」
その言葉に殺気を込めた視線を向けると、ルークは”いいねぇその目、あの頃のお前が戻ってきたようだ”と笑った。
「やっぱり、細かい素性まではいっていなかったか。そうだろうな、お前の事を知っても側に置こうと思う奴はないだろうな」
『…勝負にはのってあげる。ただし、負けたら今持っている金を全てよこしてもらう』
「そんなんでいいのか?」
『その汚い財布の中身じゃなくて、鞄に入っているものも全てだから』
ルークは顔を引きつらせる。
まさか鞄の中身まで悟られていたとは、という表情だ。
『あなたが鞄を持ち歩く時は、大抵金を入れているでしょ』
「よく覚えてたな、…いいだろう」
器用にきっていた手を止め、ルークはトランプの山を中央に置いた。
『何で勝負するの?』
「昔と同じ、ポーカーにしよう」
二人で五枚ずつ取って手で広げると、徐に出した数十枚のコインを私と自分の方に半分ずつ分けた。
これをチップ代わりにするのだろう。ルールは簡単、先にコインが無くなった方が負けだ。
「それにしても、お前さんが急に姿を消した時は色々な噂が飛び交ったもんだぜ。地上に行ったと言う奴もいれば死んだと言う奴もいた」
『随分と勝手に言ってくれたみたいだね』
「死んだとまで噂された奴が調査兵団の凱旋で姿を現した時は、そりゃぁ驚いたもんだ。しかも副兵士長にまでなっていやがったとは、誰も夢にも思わなかった」
『…』
始まる合図もなく、お互いにポーカーを進めていく。
一枚捨て、一枚を山から取る。
暫くしてコインをテーブルの中央に出す。出したのは4枚、始めから中々の枚数だがちまちまやるのは地下街では嫌われるやり方だ。
「ツーペア」
『ワンペア』
「悪いな」
テーブルに出されたコインは相手に持っていかれていく。再び中央にトランプを戻し、再び5枚ずつとって第二戦が始まった。
「悪いがお前の部屋にも勝手に入らせてもらったよ、相変わらず引越しの時は何も持って行かないんだな」
『立体機動装置と剣だけは兵士に持ってくるように言われたけどね』
「どうりで探してもないはずだ。だが、金は拝借させてもらった」
”お前、よくあんなに隠し持っていたな”と言うルークに、ユキは”使い道もなかったから”と答える。
『いらないから置いてきたけど、今となっては兵団に寄付すれば良かったと思ってるよ。馬の一頭や二頭は買えただろうし』
「……で?何がどうなって地下街出身のお前が調査兵団なんかに入ることになったんだ?」
『捕まった』
「は?」
『人類最悪の日…、巨人が壁を突き破って来た時、私はたまたまマリアにいてそこで立体機動装置を使ったんだよ』
「お前、巨人を見たのか!?」
『そこで巨人の首を斬り落とした所を兵士に見られた』
「おいおい、マジかよ…。お前元々肝が座り過ぎている奴だとは思っていたが、まさか巨人まで手にかけるなんてな…」
”マジかよ…”と繰り返し、手が止まっている相手の脛を蹴飛ばして先を促す。
「痛…っ。…で、あっさり捕まったわけか」
『まぁ、そんなところ』
「…、だったらどうして逃げ出さないんだ?無理矢理入れられたようなものなんだろう」
『…知ってる?ルーク、あそこにいる人間は皆本気で自由を手に入れるために必死になって命をかけているんだよ』
「…」
『”人類のために”、”家族のために”。…そんな風に馬鹿正直な意思を掲げる人間を、私は初めて見た。人間は自分の私利私欲のことばっかり考えるものだと思ってたのにね』
ユキは細い指先で一枚のカードをつまみ、手札に差し込む。
そしてコインを再びテーブルに置いた。
『そんな馬鹿げた妄想に、少し付き合ってみたくなった』
「…」
二人は同時に手札をテーブルに出す。またルークの勝ちだった。
「地下街っていう狭い場所から地上に出て、更に壁の外にまで出て今まで動かなかった心が動いたか?」
『景色に動かされたんじゃない、人に動かされたんだよ。どうせ生きてるんだか死んでるんだか分からない人生を送るのなら、この馬鹿みたいに真っ直ぐな奴らと生きてみようかなってさ』
自分の命なんてどうでもよかった。逃げるのも面倒臭いし、いつ死んでも良かったから調査兵団に居続けた。
そして、その中の人間と関わっていくうち、私の中の人間の価値観が変わった。
ここにいる人間は自分の私利私欲のためだけではなく、”人類のために”と自由の翼を背負って命をかけていた。
勿論、最終的には自分の為だが、ただそれだけでは命を張ってまで巨人に立ち向かうことはできないだろう。
そういう人間に、心を動かされたことは事実だ。
初めはどうしてそんなに必死になっているんだろうと思っていたのに、随分変わってしまったものだと自分でも笑えてくる。
それもこれもあの男のせいだろう。
なんだかんだと言ってはいるが、結局私が調査兵団を離れられないのはリヴァイがいるから。
そして、私が死なないのは死ぬなと言われたから。
全く、自分でもため息が出るほど私はあの男に影響されている。