空色りぼんA
□もう一つの賭け
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「あっはははは!」
ルークは大口を開けて笑うと、手元にあったコップの酒を一気に煽った。
気づけば大瓶がカラになっている。もちろんこの男だけで飲んだのではなく、ほぼ半々の割合で飲んだのだが。
「お前よ、ちょっと変わりすぎなんじゃないか?そんなんじゃここでは生きていけないぜ」
『…』
3ゲーム目。
お互いの手元を見るとコインには圧倒的な差が出ていた。
このゲームで決まる。
それは恐らく、ユキが負けるという結末でだ。
断言できるほど、二人のコインの差は圧倒的だった。
「困るぜ、そんなんじゃ」
『心配いらないよ。』
再び二人は手札を持った。
「地下街でお前はただ喧嘩の強いゴロツキとして有名だった。他人と組んだのは窃盗紛いのものだけだったが、本業は違うところにあったんだろ?」
『…何が言いたいの?』
ルークは少し間を置き、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。
「ここには暗殺者がいた。決して姿を現さねぇから悪魔の仕業だなんて噂されたが…俺はあれをお前の仕業だと思っている」
『…』
ユキの指先が山からカードを一枚抜き取る。
手札に差し込んだその表情を伺うが、一切変わることはない。至って冷静でいて、何を考えているか全く読み取ることのできない瞳は昔から変わらない。
「唯一その姿を見た死人は口をきかねぇし、依頼人も後に他の依頼人に指名されて殺される。そう言う地下街らしい負のループのおかげで噂が立つことはなかったんだろう?」
ルークはゴクリと唾を飲み込み、
一際低い声で小さな少女に問いかけた。
「なぁ、お前はここでどれくらい人を殺したんだ?」
『ルーク。』
さくらんぼのように赤い唇が、
ゆっくりと名前を紡いだ。
妙に澄んだ声に視線を上げると、酷く濁った瞳と視線が交わり思わず息を飲んだ。
『私は今丸腰じゃない、やろうと思えばその首を三枚におろすこともできる。…この意味が分かるならその口を閉じて、何か言いたそうな悲しげな顔でもしてろ』
背筋を這い上がるような寒気が走る。白い肌に浮かび上がる黒真珠のような瞳は、再び自分の手札に伏せられ長いまつ毛が影を落とす。
その光景はさっきまであった人間らしさを失い、まるで精巧に作られた人形のようだった。
「…あぁ、そうするよ」
そう、答えるしかなかった。
小さな唇から紡がれた言葉が、
親切にも全てを物語っていたからだ。
仕事でほんの数回組むような事はあるが、それ以外ではユキは全く誰ともつるまなかった。
そんな彼女がただの窃盗だけで暮らしていたわけがない、それだけでは地下街では暮らしていけない。
”あれだけの”ことをしておいて誰にも姿を見られないなど、彼女の実力があったからこそだろう。
疑惑が確信に変わったことに、
なんとも言えない優越感と恐怖が入り混じる。
今まで自分はとんでもない女とつるんでいたんだ、と。
やがてユキがコインをテーブルの上に置いた。それはユキが持っているコインの全て。
そうだ、この女は今俺の手中にある。主導権は俺にあるんだ。
「なぁ」
『ん?』
「賭けを1つ増やさないか?」
ポケットから取り出した新たなコインを、ルークはテーブルの上に置いた。
「このコインを合わせれば、お前は俺と同じ所持数になる。これを合わせた全ての枚数を全額かけて最後の大勝負といこうじゃないか」
ユキは眉間に可愛らしい皺を刻んだ。要はこの4ゲームに勝ったほうがポーカーの勝者となる。
『…で、私にコインを追加してくれるってことは、負けた時にここに戻ってくること意外に何が追加されるの?』
「簡単な事さ、俺に抱かれろ」
『…あなたにそんな趣味があったなんてね』
「男が女に興味があるのは当然の摂理だろ?」
ユキは小さくため息をつき、”いいよ、のってあげる”と呟いた。
やった、のってきた。
俺は自分の手札を見て心の中でガッツポーズをする。自分の手札は全てスペードのマークで揃っているフラッシュだ。
これなら絶対に勝てる。
ユキは薄々俺の手札が強いということに気づいていても、この賭けにのってこなければどっちにしろ勝てないから、どうしてものらざるを得ないということは分かっていた。
ユキの小さな手が約束通り全てのコインをテーブルの上に差し出し、自分も全てを出した。
「覚悟はいいな?」
『できてるよ』
思わず零れそうになる笑みを必死に隠しながら、手札をテーブルに広げた。
「残念だったな、フラッシュだ」
…勝った。
これでユキは地下街に戻ってくる上に、誰もが憧れた彼女を抱くことができる。
今までの人生で1、2を争う賭けだっただろう。それに勝ったのだ。
「俺の勝ちだ、残念だがこれから宜しくな」
『まだ私は出してないんだけど?』
ユキがクスリと小さく笑い、その手札をテーブルに広げた。
『フルハウス。残念、私の勝ちだったね』
「…なっ!」
広げられた手札を見て呆然としているルークに小さく嘲笑いを浮かべたユキは続けた。
『最後の詰めが甘いところは昔と変わっていなくて安心したよ。昔の知人が変わらないでいるというのは、嬉しいことだね』
「…ぐっ」
『私は賭けに勝ったんだから、早くその鞄の中身をよこしな』
チッと舌打ちをしてルークは鞄の中から袋に入れられた札束を、小さな手のひらにのせる。
「…くそっ、さっきまでは大役なんて一回もできていなかったくせに…」
『そうすれば、最後の詰めが甘いルークが調子にのってくれると思ったんだよ』
「…、…まさかお前、今までのは全部演技で…」
席を立ち上がったユキを恐る恐る見上げると、にたりと口元を吊り上げていた。
…やられた。
完全にやられた。
この女は全部分かっていたんだ。
俺が最後に大きな賭けをしかけてくることも、何もかも。
『昔どれだけあなたの尻拭いをさせられたと思ってるの』
…そう言えばそうだった気がする。
「…なぁ、俺は冗談じゃなく、本気でお前を想っていたんだぜ」
だから、本気でこっちに戻って来て欲しかった。
「例えお前が“あの”暗殺者だったとしても、…愛していた。だから、抱きたいと言ったのもただポケットティッシュとして使おうとしたんじゃない」
『それは、どうもありがとう』
ユキは、
小さく笑った。
おいおい、お前
そんな風に笑うようになったのかよ。
地下街じゃそんな笑顔一回も見たことなかったっていうのに…、あぁそうか。
ここから出て、調査兵団とやらに入ってお前は変わっちまったんだな。
俺ではそんな表情終ぞさせてやれなかったが、今のお前にはそんな笑顔を浮かべさせることができる人間がいるということか。
”じゃぁね”と踵を返すユキを、思わず呼び止めた。
「ユキ」
『…何?』
「お前はもう、本当にここには戻ってこないのか?」
その小さな背中に問いかける。
ユキは振り返ることなく言葉を紡いだ。
『もし私の素性が全てバレて追い出されたら、戻ってくるよ』
それだけを言い残し、ひらひらと後ろ手に手を振ったユキは颯爽と店を出て行った。