空色りぼんA

□差し伸べられた手
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酒場を出ると冷たい風が頬を叩き、冬の訪れを知らせてくる。

あの男に会ってしまったせいで随分と遅くなってしまった。まぁ、臨時収入も入ったことだし何か美味しいものでも買って帰ろう。

なんて思いながら、
地下街すれすれの地上を歩く。


それにしても簡単なものだった。
私がイカサマしていることにルークは気づいていなかったのだ。

そもそも私にトランプで挑んでくるのが悪い、地下街で稼ぐために命がけで磨いたこの技術は兵団でも一回もバレたことはないのだから。

…と、言ってもリヴァイの前では見破られそうだからやろうだなんて思わないけど。


そんなことを考えていると、ふと一本の路地を見つけた。お世辞でも綺麗とは言えない住宅街が並ぶ、薄気味悪い路地裏。

私の足は無意識にその中へと進んでいった。


じゃり、と石を踏む音が響く。
進めば進むほど光は届かなくなり、人を寄せ付けない雰囲気が濃くなっていく。

突き当たりまで来ると、
目の前には地下に続く階段があった。

ここからでは先は闇に包まれていて、何があるかは窺い知ることはできない。

この先は地下街に繋がっている。
昔私がよく地上と地下を行き来するときに使っていた道だ。


[なぁ、お前はここでどれくらい人を殺したんだ?]


先程の言葉が頭を過る。

そう言えば初めて人を殺したのは、ここだったような気がする。


[オイ、そっち押さえろ!]


薄暗い空間で、激しい痛みに耐えながら必死に声を押し殺す。

声をあげたところで誰かが助けてくれる訳でもない、余計に暴力を振るわれるだけだからただ早く終われと祈るしかない。

口の中に血の味が広がった。
慣れた味に顔をしかめると、再び腹部に強い衝撃が走る。


[なぁ、お前はどうして生きてるんだ?]


問いかけられた言葉に、
返す気力も生まれない。

返そうとしたところで声なんてでないのは分かりきっているし、それは私が聞きたいくらいだった。

どうして生きているんだろう。
どうせならこのまま殺してくれればいいのにと思う。

私に自由はない。
生きていたところで、欲求不満の男共に弄ばれるだけなのだ。


[お前は生きていても、この先もずっと利用され続けるだけだ。この髪と瞳を持ってしまったばっかりにな]


男の指が髪を厭らしく梳いた。


[だから精々、死ぬまでその体で奉仕するんだな]


その言葉に、ぷつんと私の中の何かが切れた。



ーー…ドガァッ!


男の顔を蹴り飛ばし壁に叩きつける。肉ののった身体は呆気なく壁に飛んでいった。


[こんっの餓鬼…ッ!]


腕を掴む男の力が強くなる。
グッと首元に腕を入れられ呼吸が苦しくなったが、もう自分を制御することはできなくなっていた。

腕が千切れるんじゃないかと思うほどの痛みが襲う。だが、私の腕は男から逃れ自由になった。

すぐさま地面に転がっていたナイフを手に取り、私を捕まえようと屈んできた男の首元を貫く。


ズブリ、と背筋を這い上がるような嫌な感触が全身を巡った。粘着質の生暖かい液体が腕を伝う。


[この女を殺せ!]


男たちが一斉に駆け出した。
それを見て私は男の首からナイフを引き抜き、全速力で逃げ出す。

その間、思い思いに追いかけてくる男たちを殺した。

落ちていた刃物を突き刺し、その男が持っていた拳銃を奪い別の男の頭を吹き飛ばした。

もう訳が分からなかった。
ただ、初めて生きることに必死になった。


『…はぁ、…はぁ』


自分の荒い呼吸だけが、
薄暗い通路に響き渡る。

振り返れば、もう追ってくる人間はいなかった。代わりに地面に伏した男達の光景が瞳に映る。

そこで漸く、私は冷静さを取り戻した。


驚くくらいに、
落ち着いている心。

自分の握った真っ赤なナイフと手のひらを見て、



そう言えば、人を殺したのは初めてだ。



…そう、思ったのを覚えている。
こんなに呆気なく人は死ぬんだと、…こんなに呆気なく人は殺せるんだと思った瞬間だった。

私はゆっくりと歩き出す。
宛てもないが、取り敢えずこの暗い通路から抜け出したかった。

階段を一段一段登る。
すると、自分の体に影がかかった。


(まだ、追手がいた…!?)


見上げるより先に、私は再び血に濡れたナイフを握りしめ、その人影の首元に向かって真っ直ぐに突き出した。


ーーパシッ!

『!』


しかし、その手は呆気なく掴まれる。歯を食いしばって左手で殴ってやろうと拳を握ると、その手も呆気なく拘束される。


捕まった、連れ戻される。

ゾゾッと背筋を寒気が駆け上がった時、正面の人影が口を開いた。


「何しやがるクソガキ、危ねえだろうが」


その声は酷く落ち着いていて、
思わず呆気にとられた。

先程まで耳を突いていた叫び声とは明らかに違う。恐る恐る見上げると、男は私の後ろの光景を見ていた。


「…ほう」


そして、何故か納得したように呟く。

なんだ?この男は。
私の頭はそれでいっぱいだった。

だが、どうやら私を捕まえようとしていた輩の仲間ではないらしい。

だからといって、今のこの状況が変わるわけでもない。なんにせよ、この男を振り切って逃げなければ。

そう思った時、背後の通路から複数の足音が聞こえてきた。


やばい、新たな追手が来た。
逃げようと足に力を入れた瞬間、ふわっと体が浮いた感覚に包まれた。


(…え?)

目の前の景色が、物凄い速さで流れていく。追いかけていたであろう男達が下の方で騒いでいるのが見える。

私はいつの間にか先程の男に抱えられ、どうやってやったのか地下街を見下ろせる場所…地上に来ていた。


『…あの』

「俺は餓鬼は嫌いだ。汚ぇし煩い、いい事が一つもない」


”…だが”、と男は続けた。


「お前のように、自分の力で足掻く奴は嫌いじゃない」


男はマントを翻し、
背を向けて歩き始めた。


「二度と俺のような輩に会わないように、真っ当に生きるんだな」


そう言って、私を助けた男は去って行った。


…あぁ、随分昔のことを思い出してしまった。それもこれもあいつのせいだ、あんな奴に会わなければこんなことを思い出さずに済んだのに。


私は兵団に戻るため踵を返す。

結局、あれから地上では暮らせなくて地下で生きていた私だったが、あの男に会うことはなかった。

元々地下街の人間ではなかったのか?

だが、あの雰囲気は地上の人間ではなかった。


[…チッ、汚ぇな]



ーー…ドクッ。


ピタリと、歩いていた足が止まる。

あの時、血に濡れた私を抱え上げた男が放った言葉。よく思い出せば、男はポケットから取り出したハンカチで自分の手に付いた血を拭っていた…。


『……』


…まさか。

私は無意識に地面を蹴り、
全速力で駆け出していた。

あれが見間違いでなければ、
そんなことをする人間はそういるものじゃない。

それに、私が見つけられなかったのは既に地下街からいなくなっていたからと考えれば…。


全ての辻褄が合う。

あの時の男はまさか…、


ーー…リヴァイ?


市場を全速力で駆け抜け、検問しようとする門番をシカトして兵舎へ駆け込む。

珍しく廊下を駆けている私を、何人かの兵士が不思議そうな表情でこちらを見ていたが、今はそれを気にしている余裕はない。

階段を駆け上がり、見慣れた執務室の扉を勢い良く開けた。


『…リヴァイ!』


しかし、正面の机には誰もいない。

どうしてこういう時に限っていないんだ、と思ったが今日は休日だったんだと頭を抱える。

なんでこんな時に休日なんてとってるんだ!って、休日だから私も街に行ってきた訳なんだけれども!


『…まったく、どこほっつき歩いて…』

「それは俺の台詞だ。」

『…!?』


不意に聞こえてきた声に思わず目を見開く。

振り返った先にいたのは、入り口で不機嫌そうな顔をしたリヴァイだった。


「何を驚いている、俺を探していたんじゃないのか」

『…いつからいたの?』

「お前が全速力で扉を開けて入って行くのを、廊下から見ていた」


全く気づかなかった。
…と、言うことは目の前にいたんじゃないか。

どうして気づかなかったんだと自分を責めたくなるが、今はそれどころじゃない。

なんの為にこんなに走ってきたんだ、自分は。


キッと視線を向けると、リヴァイの瞳が珍しく少し驚いたように開かれた。


『リヴァイに聞きたいことがあるんだけど』

「何だ」

『あの時…、……』


そこから先が続かなかった。
もし、違うと言われたら?
そんなもの知らねぇと言われたら?

…とんだお笑いものだ。
そうだ、何の確証もない。
それに知ったところでどうなるということもないのだ。

あの時の男がリヴァイであれ、他の人間であれ、リヴァイにとってはどうでもいいことだろう。

もしリヴァイだとしてもそれを一々覚えている訳が無い。私にとっては大きな出来事でも、あの人物にとってはどうでもいい一コマだったかもしれない。


そう思うと急に悲しくなってきて、言おうと思っていた言葉が出てこなくなってしまった。

それを見たリヴァイはしびれを切らしたのか、不機嫌そうに口を開く。


「オイ、急に黙るな」

『…ごめん』

「それはどういう意味だ?あそこまで言っておいて何もないとか言うつもりじゃねぇだろうな」

『…』


急に俯いてしまった私を見て、リヴァイは更に眉間に皺を寄せる。


「普段余裕かましているお前が、血相変えて馬鹿みたいに走ってきたんだ。それなりの理由があったんだろう」

『…あった、けど』

「だったら言え、命令だ。俺の気が収まらねぇ」


刺すような視線が向けられる。
この状態になってしまったら、話さないで終われるということは100%ありえない。

それでも渋っていると”早くしろ”と促される。

私はゆっくりと様子を伺うように、先程まであった問いかけをした。


『…意味わからないかもしれないけど』

「なんだ」

『あの時、シーナと地下街を繋ぐ通路で私を助けたのは…リヴァイなの?』


静かな沈黙が落ちる。
沈黙に耐えられずに恐る恐る見上げれば、リヴァイは珍しく目を見開いて固まっていた。

その表情に思わず息を飲む。
暫くお互いに反らせない視線を合わせていると、先に沈黙を破ったのはリヴァイだった。


「…やっぱり、お前だったか」


私は大きく目を見開く。
リヴァイは”…はぁ”と呆れたようにため息をついた。


「初めてお前を見た時から、なんとなくそうじゃねぇかとは思っていたが…。そうか、あの時のガキが」


その言葉に私は顔を隠すように俯き、唇を強く噛み締めた。

溢れそうになる涙を必死に堪える。


…本当に、リヴァイだった。
こんな偶然あるだろうか?
あの時私を助けてくれた男が、今では自分の上司であり生きる意味であるなんていうことが。

覚えてくれていたことが嬉しすぎて、なんて言葉にしたらいいのか分からない。


「…どうして急に思い出した」

『…市街地に行って、あの通路を見てきたから』


そう言うと盛大な舌打ちが聞こえてくる。


「お前は俺に黙って勝手に出て行った上に、何してやがる。またあんな目にあいてぇのか」

『…ごめん』


怒っている口調に小さく謝ると、
くしゃくしゃと頭を撫でられた。

数年前に私を助けてくれた手。
あの時リヴァイが助けてくれなければ、私は再び捕まって更に深い闇に落とされていたかもしれない。

少なくとも、今こうして調査兵団にいることはなかっただろう。

”ありがとう”と感謝の言葉を紡ごうとすると、涙が溢れそうで言葉にできないのがもどかしい。

ありったけの感謝をしたいのに、
どうして言葉にできないんだろう。


「なんてツラだてめぇ」

『…っ』

「それに、俺がわざわざ親切に地下には来るなと忠告してやったのに、てめぇ無視しやがったな」

『…違う、確かに地下には戻ったけど捕まりに行ったんじゃない。自分で生きるために戻った』


支配される側ではなく、
自分の力で生きれるようになった。

そもそも私のような親も身よりもない子供が、地上で生きていけるわけもないのだ。

だから、自分で生きる力をつけて地下で生きてきた。


そう言うと、乱暴に撫でていた手がボコッと頭を殴る。


『痛い!』

「当たり前だ、痛くしたんだからな」


相変わらずの無表情で言われると、もう睨み返すしかない。

こっちが素直に感謝しようとしているのに、馬鹿らしくなってくる。


「…まぁ、あの時お前を助けたのはただの気まぐれだったが、間違いではなかったようだ」

『…え?』

「生き抜いて、今は俺の支えとしてこうしてここにいる。あの時の気まぐれがなければお前はここにいなかっただろう」

『…』

「お前を助けて良かった。」


スッと頭から手が離されていく。
思わず口を開いた気の抜けた顔で見ると、リヴァイは少しだけ…ほんの小さく笑った。


ドクン、と心臓が大きく鼓動を立てる。

生きていて良かったと、
強く思った瞬間だった。

あの時の自分はまさか、こんなことを思うようになるだなんて考えてもいなかっただろう。

私が支えようだなんて、
思い上がりもいいところだ。

思えば私は、リヴァイに助けられてばっかりじゃないか。あんな小さな頃から、私はリヴァイに助けられていた。


『…リヴァイ』

「何だ」


顔を上げたユキは、
ふわりと柔らかい笑みを浮かべて言った。


『ありがとう』


その笑顔に、
リヴァイは瞬く。

思わず呼吸すら止まるほど綺麗な笑みは、普段の彼女が持つ警戒心や冷たさを一切灯していない。

幼さを残したそれは、
ただの一人の女の顔だ。

思わず波打つ鼓動に、リヴァイは自嘲染みた笑みを零した。


「そう思うなら、精々俺に尽くせ」


”もちろんそのつもりだよ”…と返すと、リヴァイは”そうか”とだけ答えた。

あなたが与えてくれたものを、全て返せるとは思っていないけれど。

少しでもあなたの支えになれるように。


小さく微笑むユキの頭を、リヴァイはもう一度、ぽんぽんと軽く撫でた。




 

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