空色りぼんA

□無防備な寝顔
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「オイ、離れろ」

『嫌』

ぎゅうっと更にリヴァイの腕を抱き締めるユキは、まるで自分のものだと言わんばかりに大切そうに抱え込む。

「離れろって言ってるのがわかんねぇのか」

『絶対に離れない』

「オイ、クソメガネ。こいつをどうにかしろ」

「私の手におえるわけないでしょ。リヴァイが来た途端君から離れなくなっちゃったし。」

「…チッ」


リヴァイに体重を預けるユキは、実に幸せそうな表情を浮かべている。

いつもの警戒心は欠片も見られない。驚くほど安心しきった表情でリヴァイの腕を抱え込んでいる。


「でも、リヴァイが突き放さないなんて珍しいね」

「馬鹿言え、こいつが勝手に引っ付いてくるんだろうが。離せるならとっくに離してる」

「本当に?だってリヴァイ、もし私が同じように引っ付いたら力付くでひっぺがすでしょ?」


私が同じことをしたら、間違いなくものすごい勢いでひっぺがして更に床に放り投げるだろう。

なのに、そうしないのはユキだからでしょ?

そう言うと、リヴァイは盛大に舌打ちをした。


「もう一度言う、離れろクソガキ」

『いーやー』

「…てめぇ」

『…リヴァイは私のこと嫌いなの?』


とろんとした瞳でリヴァイを見上げる。

水分を含んだ瞳に、それを正面から向けられている兵長はなんて羨ましいんだ!

と、周りの兵士は思った。

だが、リヴァイの表情は変わらない。それに不満になったのか、ユキはふわりとリヴァイの首に手を回して顔を近づけた。


ま、まさかここでキス!?

誰もがその光景に釘付けになった瞬間、リヴァイはぐいっとユキの額に手を置いて押しのけた。


「いい加減にしろ」

「どうして避けるのさ!?」


思わず心の声を口に出すと、明らかに不機嫌そうな視線が向けられた。


「ふざけるな、お前が何を期待してるのか知りたくもないが誰が思い通りにさせるか」

「そんなぁ!」


リヴァイがユキを特別に思っていることはほぼ間違いないのに。

なにせ自分の側に他人を置こうとしないあのリヴァイが、今となってはユキがいないと”あいつはどこだ”と探し、他の男がユキと仲良くしようものなら獣を狩るかのような鋭い瞳で睨んでくる始末。

更に自分の荷を下ろす所も見られるようになった。それを彼女は受け入れるし彼女が下ろす荷もまた、リヴァイは迷いなく背負っている。

お互いを支え合うということを、この警戒心が異常に高い二人がやっているのだ。

リヴァイがこんなにも心を許し、信頼することなどあり得なかった。


だから、どさくさに紛れてキスを拝めると思っていたのに!この男はどうしてそんなに冷静さを保っているんだ!

ユキが迫ってきているんだぞ!?断る理由がどこにあるというんだ!?


『けち…』

「オイ、もう飲むな」

『あーっ』


酒瓶に伸ばそうとしていたユキの手は、あっけなく掴まれる。

うっ、と眉間に皺を寄せたユキは今にも泣き出してしまいそうに唇を噛んだ。


「何てツラしてやがる」

『…うぅっ、リヴァイのバカ、チビ、潔癖』

「お前酔いが覚めたら覚えておけよ」


ユキはこてんとリヴァイの肩に額をつけると、洋服の裾をきゅっと握った。

すると、数秒後。
ずるりと滑り地面にぶつかりそうになるところを、リヴァイが受け止めた。


「あれ、まさか寝ちゃった?」


そのまま起こしてやると、ユキはすやすやと気持ち良さそうに寝息を立てていた。


「…チッ、面倒かけやがって」


思わず笑うハンジを”何笑ってやがる”と睨みつける。元はと言えば原因はお前なんだぞ、と。


「全く無防備な寝顔だねぇと思って。きっとリヴァイがいるからだね」

「…んなもん今のこいつには分かっちゃいねぇだろう」

「分かってると思うよ?だってひと時も離れようとしなかったじゃない」


さっきまではフラフラしてたんだよ?

というと、リヴァイは”下らねぇ”と吐き捨てた。


「ユキどうする?」

「部屋に運ぶ、また目を覚まされても面倒だ」


そう言うとリヴァイはユキの背中と膝裏に腕を回して軽々と持ち上げた。


「大丈夫?リヴァイもお酒に酔ったりしてない?」

「馬鹿と一緒にするな」


”いってらっしゃい”とへらへら笑いながら見送るハンジを、リヴァイは睨みつけて部屋を出る。


「あんなに大切そうに抱えちゃってねぇ。」


ハンジは小さく呟いた。


**
***


ユキの自室につき扉を足で押し開ける。


「…ったく、呑気な顔しやがって」


腕の中にいるユキを見下ろせば、すやすやと気持ち良さそうに寝息を立てている。

ベッドに下ろすとぱさりと黒髪が広がった。白い肌は紅潮していて赤く染まっている。


[リヴァイは私のことが嫌いなの?]


先程の光景を思い出して、
思わず片手で顔を覆う。

いきなり抱きつかれたと思えば、腕を掴んだまま離そうとしなかったユキ。

離れろ、と言えば更に腕を絡ませ引っ付いてきた。


紅潮した頬、
とろんと気の抜けた瞳。

水分を含んだ瞳で見つめられた時は、正直に鼓動が音を立てた。

なのにこいつは人の気も知らねぇでこうして無防備な寝顔を晒している。しかも、キスまでしようとしてきたのだ。あの時押し倒さなかった自分を褒めてやりたい。

ここにいても自分を抑えられる自信がないと判断し、早々と立ち去るため扉に手をかける。


『…んぅ、……あれ』


だが、小さく零された声に思わず振り返ってしまう。相変わらず自分はどうかしているんじゃないだろうか。


『…、…リヴァイ?』

「起きたか」


再び歩み寄ると、ベッドに横になったままゆっくりと瞳を向けてきた。

だが、それはとろんとしていて俺を捉えているのか怪しいものだ。


「状況が分かってるか?お前は酔い潰されて、部屋に運ばれてきた」

『…』


まだ酔いが抜けていないのだろう。ぼーっと天井を見つめて、猫のように手の甲で目を擦った。

彼女が普段纏っている警戒心は完全に面影をなくしている。その表情は本当にただの一人の女だ。

その辺でのうのうと生きているような奴と変わらない、なんの穢れも知らない気の抜けた表情。


普段とは違うその無防備な表情にさえ、心が動かされる。


「眠いなら寝ろ、どうせ何もできやしねぇだろ」


そう言うとユキは再び視線を向け、小さな手で俺の手を掴んできた。


「…なんのつもりだ」

『離れちゃいやだ…』

「いい加減にしろ、餓鬼じゃねぇんだぞ」

『…さっきクソガキって言った』


どうしてそれは覚えている。自分の状況すら分かってねぇくせに。

…そんな泣きそうな目で俺を見るな。襲われてぇのかお前は。


『ねぇ、一緒に寝よ』

「あ?」


…オイオイ、
何を言い出しやがった。


『…隣にいてくれるだけでいいから』


ぐいぐいと袖をひっぱる弱い力と見上げる瞳に、盛大に溜息をついた。

隣にいてくれるだけでいい?
お前、それがどれだけ大変な事か分かっているのか。

だが、普段なら言われることのない我儘と、捨てられた子犬のような瞳に俺の心は呆気なく折れた。


隣に寝転がってやると、ユキは”へへっ”と気の抜けた笑みを零して幸せそうな表情を浮かべた。

触れる体温が、酔っているせいかやけに暖かく感じる。


『あったかい』

「…そうか」


本当に酔っ払いというのはタチが悪い、こういうことを悪気もなくやってくる。

こてんと額を胸にうずめられ、
深く深く溜息をついて心を落ち着かせる。

下を見ればユキはすやすやと寝息を立てていた。


「…安心しきった表情しやがって」


小さく呟き、その黒髪を撫でる。
するすると指の間をすり抜けていくそれは月明かりを浴びて綺麗に光を反射する。


[無防備な寝顔だねぇと思って。きっとリヴァイがいたからだね]


お前は、俺のことをどう思っているんだ?クソメガネの言うとおり、俺を信用してくれているのか?

自分らしくない考えに自嘲染みた笑みが零れる。

全く、本当にお前には手を焼かされる。こんなに俺の心をかき乱せるのはお前くらいだろう。

もう一度自分の腕の中に眠る小さな体を見下ろして少しだけ自分から離す。

無防備な寝顔に浮かぶ赤い唇。
少し開いたそれに、ゆっくりと口付けた。

ふっくらとした柔らかい感触に、
名残惜しさを感じながら離していく。

ユキの瞳は閉じたままだ。


「クソガキ、…あんまり俺を信用するなよ?」


そんな言葉がユキに届くとは思っていないが、何か言わなくちゃ気がすまない。

なんの反応も見せない愛しい体を再び抱き寄せ、そのままゆっくりと瞳を閉じた。



**
***



とても、幸せな夢を見たような気がした。

内容を覚えている訳ではないが、すごく幸せな気分だったのははっきりと覚えている。


ゆっくりと目を開けると、
うっすらと朝日が登っていた。

…朝?
あれ、私どうやって昨日寝たんだっけ。

確か歓迎会をして、

…、…それから?

起き上がろうとすると、グッと何かに押さえつけられていて体が上がらない。

ん?…と目の前を見ると自分のものではないワイシャツ。


(…んん?)


あれ、ちょっと待って。
これって誰…


『ーーッ!』


視線を上げた私は声にならない悲鳴をあげた。

眠っていたのかその人物は一瞬顔をしかめ、ゆっくりとその瞳を開ける。


『な、な、なんでリヴァイがここに!?』


間違いなくここは私の部屋で、
今いるのは私のベッドだ。

しかも、二人で同じベッドに寝ている。その事実に頭がパニックを起こしている私に、リヴァイは眉間に皺を寄せた。


「…朝からうるせぇ奴だな」

『そりゃ驚くでしょ!どうしてリヴァイがここにいるの!?』

「お前が餓鬼みてぇに引き止めたんだろうが」

『え?』


リヴァイはむくりと起き上がると、何事もなかったかのようにベットから出て服装を直し始める。

ハッと自分の洋服を見ると、多少着崩れているもののちゃんと着ていた。


「…、… お前が何を考えているのか知らねぇが、俺はクソガキに興味はない」

『…っ!私はもう20歳だよ!』

「俺から見たらガキだ、それに酔い潰れて他人に絡む奴を大人とは言わねぇ」

『酔い潰れた?』


”私が?”と聞くと、”お前意外に誰がいる”と睨まれる。


「ここまで運んで来てやったんだ、感謝はされど疑いの目を向けられる筋合いはない。」


まさか自分が酒に酔うなんて。
確かに、一度だけ前に酔っ払った時はそれはそれは周りに迷惑をかけたらしい。

絡むわ誘惑するわで大惨事だったと聞いたが、そこまで飲むことは今後ないだろうと余裕をこいていた。

確かに、ハンジにたくさん酒を注がれたが…そういえば、後半はヤケに強い酒だったような気がする。

…あんの野郎。
あとで覚えてろよ。


『…痛っ』


立ち上がろうとしたと同時に頭に走った鈍い痛みに、思わず眉をしかめる。

その様子を見ていたリヴァイは不機嫌そうに口を開いた。


「今日の訓練は午後からだろう、それまでゆっくり休んでおけ」

『…うん、…ごめん』


そう言ってパタンと閉められる扉。

…何がどうなってこうなった?
リヴァイは”お前が餓鬼みたいに引き止めたんだろうが”と、言っていたが全くもって覚えていない。

だが、あれは嘘や冗談を言っている様子ではなかった。…って、そもそもリヴァイがそんなことを言うとは思わない。

何てことをしてしまったんだと両手で頭を抱える。とんでもなく恥ずかしい。

だが、恥ずかしさと同時に悲しさが襲ってきた。


[俺はクソガキに興味はない]


やっぱりリヴァイにとって私は餓鬼なんだと思い知らされる。

数年前に助けられたあの時から、私はリヴァイにとって子供だというのは変わらない。

呆れたように笑いながら頭を撫でてくれるのも、私がまだまだガキだからなのだろうと思うと無性に悲しくなってきた。


『…痛っ』


再び襲ってくる頭痛に、私はもふっとベッドに体を沈ませる。

先程まであった体温に愛おしさを感じると同時に、無性に悲しくなってシーツを握りしめた。


**
***


そして、午後。
訓練へ向かうと何故か兵士に”ありがとうございました!”とお礼を言われる。

一体何がありがとうなんだと思っていると、肩を叩かれ振り返る。そこには頬を赤く腫らしたエルドとグンタがいて思わず目を開いた。


『どうしたの、それ』

「…いや、なんでもない」


何でもなくないだろう、
それはどう見ても殴られた跡だ。


「昨日の代償にしちゃ安いもんだ」

『は?』

「ありがとうな」

「身に余る光栄だった」


それだけ言ってすたすたと去って行く二人。

一体、何があったというんだ。
…と言うか私は何をしたんだ。

不安になって来た時、ハンジを見つけて問い質したが”酔ったユキ万歳!”とそれはそれは満面の笑みで言ってきたので殴った。


「いいじゃない、リヴァイに部屋まで送ってもらえたんだよ?」

『どこが良かったの?散々悪態つかれたよ』


そう答えると、ハンジは”あ、知ってたんだ”と瞬いた。まさか朝まで一緒にいたとは言えるはずもない。


「酔ったユキはそりゃぁリヴァイにベッタリ。リヴァイもユキのことを大切そうに抱えていくし」


”リヴァイにべったり”というところに驚いたが、すぐに今朝のことを思い出して俯く。

さっき話した時も、まるで何事もなかったかのような様子だった。

リヴァイにとって私はただのガキだ。だから、多少甘やかしてくれるし朝まで一緒にいてくれた。

急に俯いた私に、心配そうに顔を覗き込んできた。

「…ユキ?」

隣で支えられるだけでいいと思っていた。それ以上は汚れた自分が望んでいいことじゃないことくらい分かっているはずなのに。

気づいたらあの手にもっと触れて欲しいと思っている自分がいる。

できることなら、振り向いて欲しいと思っている自分がいる。

…あぁ、この気持ちを
どうすればいいんだろう。

私はそのまま雑念を振り払うように訓練へ向かった。



 

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