空色りぼんA
□初雪の草むしり
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「ここだ」
後をついていくと”司令室”と書かれた扉の前に着いた。
『ありがとう』
「…あんた、調査兵団の副兵士長だろう。そのあんたがうろついていると周りの兵士が騒いで煩くてしょうがない」
そう冷たく言われ、”ああそうですか”と悪態を着きたくなったが、この女の人が本当に嫌な奴じゃないことは分かっていた。
本当に嫌な奴なら、他兵士の視線をあんなに受けながら私をここまで案内してくれる事なんてしないだろう。
「リコ、お前どこに行っていたんだ。」
「別に」
「班長が呼んでいると言っただろ」
「今行く」
そんな彼女に一人の兵士が慌てた様子で声をかけてくる。
やっぱりそうだ。
自分の用事があったのに彼女は送り届けてくれたのだ。
『ありがとう、リコ』
「…いきなり呼び捨てか?」
『いいじゃない、これも何かの縁だと思って。』
「調査兵団の副兵長は無口冷徹無表情と聞いたことがあるが…、そうではないんだな」
なんだそれ、
どこから聞いたんだ?
というかそれリヴァイのことなんじゃないか?と思ったが『噂の一人歩きだよ』と言うとリコは「そうか」と小さく笑った。
「…あんたも気をつけな、ユキ。うちの司令は変人だから」
『覚悟してる』
もう一度お礼を言うと、リコはそれだけ言って立ち去って行った。
ピクシス司令が変人だというのは聞いている。だから、来たくなかったのだ。
まぁ、それも会ってみないと分からないのだけど。
ーートントン。
「入っていいぞ」
扉をノックすると中から返事が返ってきた。
”失礼します”
などと、エルヴィンの部屋に入る時も言わない言葉を言いながら扉を押し開く。
すると、中にいた司令は私の姿を見た途端その瞳を見開いた。
「これは珍しいお客さんじゃのう」
『…どうも』
パタンと扉を閉めると、周りにいた駐屯兵に冷たい視線を向けられる。
何かの報告中だったのだろう、敬礼をしながらこちらを見ている。報告の邪魔をしたから怒っているらしいが、招き入れたのは司令だ。
私は扉を開くまでそんなの知らなかったんだからしょうがないだろうと思ったが、どうやら違うようだった。
「貴様…っ、司令に向かって敬礼もしないのか!」
・・・は?
一瞬”何を言っているんだ”と言う表情を浮かべてしまったが、彼らを見るとそれが常識らしい。
ちょっと待って欲しい。思えば私は敬礼なんて一度もしたことないから、勝手が分からない。
見よう見まねでなんとかしようか、と思っていると高らかに笑ったピクシス司令が口を開いた。
「そんな堅苦しいものはしなくて良い。彼女は特別だ。」
司令の一言に他兵士は口を閉じた。あれだけ変人と言われていても、やはり権力者だと実感させられる。
「いつものじゃろう?…して、今日はどうしてエルヴィンではないのだ」
『エルヴィン団長は内地へ向かっているので、本日は私が代役で参りました。』
ピクシス司令に書類の入った封筒を渡すと、彼は中身を開けて軽く目を通し始めた。
「…ほう、冬が明けてすぐにか。全くあの小僧の精力には驚かされるのぅ」
”ふむ”と頷くと、ピクシス司令はそのまま判を押した。
あれ、意外にあっさり?
もっとこう、堅苦しいものとか色々あるんじゃないの?
なんて思っていると司令の瞳がこちらに向けられた。
「それにしても、お主は噂通り人目を引く容姿をしておるのぅ。とても美しい髪と、意志のこもった瞳じゃ」
『…ありがとうございます』
「どうじゃ?駐屯兵にならんか、お主ならワシの隣においてやるぞ。最近側近を任せているものが嫌だ嫌だと駄々をこね始めてしまってのう」
『折角ですけど、私は調査兵団から離れるつもりはないので』
「そりゃそうじゃろうなぁ。憲兵団に勧誘されても動かなかったお主が、駐屯兵に勧誘されて動くはずがない」
周りにいた兵士達は少し驚いたようにお互いに目を合わせている。
きっと、どうして憲兵団の勧誘を断ったんだとかそんな内容だろうが。
”どうしてそれを?”と言うと、司令は”あっはっは!”と大口を開けて笑った。
「言ったじゃろう。お主の噂は伝わっておると」
『…』
「そんな怖い顔をするな。…それにしても、どうしてそこまでして調査兵団に拘る?」
『あそこには護りたい人がいますから。』
そう言ったユキの瞳を見たピクシスは、初めにその姿を見た時のように瞳を見開いた。
真っ直ぐ自分に向けられたユキの瞳は、とても強い意志の篭った光を灯していた。
儚くも鋭い、
黒真珠の瞳。
ピクシスは小さく口元を緩めた。
「エルヴィンもまた、粋の良いのを連れてきたのぅ。あんたのその目はテコでも動かせん目じゃ」
『自分でもそう思います』
「それにしても、そんなお主を繋ぎ止める程の人物がいるとは…一体どんな奴なのか一度拝んで見たいのう」
『やめた方がいいですよ、きっと背筋が凍るほどの視線で睨まれますから』
「そうかそうか。それは余計に興味が出てきてしまった」
判を押された書類を受け取ると、ぽんぽんと頭を撫でられる。
少し驚いて見上げると、
司令は不敵に笑っていた。
「気分が向いたら来てくれ。お主ならワシはいつでも歓迎するぞ」
『それまで命があれば』
お互いに小さく笑みを交わし司令室を出る。パタンと扉が閉まったと同時に”ふぅ”と思わず溜息をついた。
確かに、変人と言われるだけある。なんとなくだが、あの吸い込まれるような雰囲気は油断できない。
やはり、人の上に立つだけあると言うものだ。エルヴィンとはまた違う雰囲気があの人にはある。
「…おい、あの人って…」
…あぁ、忘れていた。
私はここから帰らなくちゃいけないんだった。
様々な視線を浴びながら、
私は再び駐屯兵団の建物を歩き始めたのだった。
**
***
なんとか駐屯兵団の建物を出ることができた私は、疲れたと溜息をつきながら調査兵団へと向かう。
その途中で、ふわりと目の前を白い塊が降りてきた。
『…雪』
空を見上げると次々と白い結晶が舞い落ちて来ていた。どうりで寒いはずだ。
今年も沢山積もるのだろう。
以前は地下にいたからあまり弊害がなかったが、地上では雪掻きやらなにやら大変そうだった。
それを今までは遠くから見ているだけだったが、今年はもしかしたらやらされるかもしれない。
正直面倒だなぁ、と考えていると建物の隙間から女の子が出てきた。
金色の髪を揺らすその姿は、さっきまでエレンを好き放題投げ飛ばしていたアニだった。
アニも私に気づき、ぺこりと小さく頭を下げてくる。その手は土で汚れていた。
「…姉御」
『どうしたの、こんな所で』
「罰だ」
ぽつりと呟かれた言葉に、
思わず”…は?”と聞き返す。
「…訓練をサボっていたのを教官に見つかった。その罰」
『…あぁ、なるほどね』
そう言えばアニは、エレンとやっている時以外はふらふらと適当に流していた。
毎回上手くやっていたが、今回は見つかってしまったのだろう。彼女の近くには袋があり、その中には草が溜まっていた。
どうやら罰は草むしりらしい。
『どこまでやるの?』
「この一帯」
『…今日中に終わる?』
「終わらない」
ぼそりと言葉を零したアニは再び草を毟り始めた。この一帯とはさすが教官…、だけど少し厳しすぎるんじゃないか?
書類を脇に挟んでしゃがみこみ、草を毟り始めた私にアニが目を見開いて、まるで理解できないというような視線を向けてきた。
「…どうしてあんたが手伝うの?」
『こんなの見て放っておけないでしょ。私にキース教官を説得させられるほどの力もないし』
ぶちぶちと草を毟る私を、アニはまだ見開いた瞳で見つめてくる。
『早く終わらせよう、寒いし』
「…、…もっと根っこを持たないと綺麗に抜けないよ」
『こんなの表面から見て綺麗になればいいんだよ』
真面目に根っこまで抜いているアニにユキは言う。
そんなユキの伏せられた瞳を、アニはじっと見つめた。
寒さから赤く染まった頬。白い肌に浮かび上がる唇は、今はマフラーに埋められ隠されている。
伏せられた瞳は、いつも通り儚い光が灯されていた。その姿を暫く見つめていたアニは、小さく口を開く。
「…姉御は」
『何?』
「どうしてそんなに悲しそうな目をしているのに、…いつも笑っているの?」
その問いにユキは手を止めることなく、”んー”と考える。
『悲しいから笑うんだよ』
「…は?」
意味が分からない。という表情を浮かべるアニを気にすることなくユキは続けた。
『泣いたところで何かが変わる?唇噛み締めて変わるんだったらいくらだってやってる。だけど悲しいことにそれだけじゃ世界は変わらない』
”だったら”
ユキは続ける。
『だったら、笑ってた方がいいでしょ。そうすれば周りに余計な心配もかけなくて済むから。』
”そうじゃない?”と言われ、アニは俯いた。
「…私はあんたみたいに強くはなれない」
『何言ってるの、私は何とか取り繕ってるだけで本当はとんでもない臆病者だよ』
「そうには見えないけど」
『そう見えないようにしているだけ』
それから私達は二人で草むしりを続け、終わる頃には薄っすらと雪が積もっていた。
封筒を見ると土で所々が汚れていて、封筒があって良かったと心底思った。
「…ありがとう」
『いーえ、またね』
軽く別れの挨拶をして私は駆け出した。早く戻らないと、リヴァイに”何やっていたんだ”と問い詰められる。
そして、その汚いナリはなんだと。
なんとか奴らが戻って来る前に帰らなくては、と思いダッシュで兵団へと戻った。
**
***
ーーコンコン。
形だけのノックをして扉を開く。
そこには既に内地から戻ってきていたエルヴィンがいた。
『もう戻ってきてたんだ』
「あぁ、リヴァイは自室に戻ったよ」
何故聞いてもいないのにリヴァイの居場所を言ってくるのだろうか。私は”そう”とだけ返して封筒を手渡した。
『はい、ちゃんと判もらってきたよ』
「あぁ、助かった」
エルヴィンは封筒の中身を確認して、”ありがとう”と改めて言った。
[敬礼をしろ!]
そして、ふと駐屯兵団に行った時のことを思い出す。
『エルヴィン』
「なんだ?」
『敬礼の仕方を教えて』
エルヴィンの瞳が、”どうしたんだ急に?”という風に向けられる。
『駐屯兵団に行った時、ピクシス司令がいた部屋で兵士に”敬礼をしろ”って言われたんだけど、…思えば私はやったことがなかったから』
「そう言えば、君には敬礼のやり方を教えていなかった。もう1年も経つというのにな」
エルヴィンは小さく笑った。
調査兵団の副兵士長が敬礼の一つもできなかったのだ、怒ってはいないのかと言うとまた笑った。
「一番の見本であるリヴァイがしないのだから、知らなくても無理はない。それに、君たちに関しては私の部屋に入室する時にも敬礼はさせていなかったからね」
『どうして?』
「君達とは対等な関係でありたいからだ。それに、リヴァイに敬礼されても落ち着かない」
『それはそうかも』
いつも自信満々と言ったリヴァイが敬礼している姿を想像できない。
ましてや、エルヴィンに向かって敬礼しているところなど余計に想像できなかった。
「敬礼は左手を後ろに回して、右手は拳を作って心臓の前に当てる」
『こう?』
やって見せると、エルヴィンは”あぁそうだ”と満足げに頷く。
「この敬礼には”心臓を捧げる”という意味がある」
だから、右手を心臓の前に持ってくるのか。
エルヴィンは続けた。
「王や民衆の為に、心臓を捧げるのが我々兵士の役目だ」
『…王や民衆』
「本当の意味で心臓を捧げているのは我々調査兵団くらいかもしれないが」
調査兵団ほど心臓を捧げるという意味が似合う兵団はないだろう。壁から一歩外に出ればそこは地獄の世界。常に死と隣り合わせの状況へ調査兵は身を投じる。
それは全て自由のため。
…人類の未来のため。
「もう分かっていると思うが君も調査兵として自由の翼を背負っている以上、心臓を捧げる覚悟をして欲しい」
『そんなのとっくにしてる。何回壁外に出ていると思ってるの?』
「これは悪い事を言ってしまったかな」
私はもう心臓を捧げる覚悟はできている。
だが、それは王や民衆の為ではない。人類の為かと言われれば、大きな声では言えないがそうでもない。
私が心臓を捧げる相手は、ただ一人。
口が悪くて無表情で、
不器用なあの男のため。
自由の翼を掲げるあの背中を護るために、私はこの心臓を捧げると決めたのだ。
ぎゅっと胸に当てていた右手を握り締めるユキを見たエルヴィンは、小さく口元を緩め口を開いた。
「何の為に心臓を捧げるのかは個人の自由だが、表向きには王や民の為に捧げて欲しい」
『表向きも何も、王と民の為に捧げてるよ。何てったって私は兵士なんだから』
”じゃぁね”と言いながらエルヴィンの執務室を出る。視線を感じたが振り向かなかった。
…全く、うちの団長様は侮れない。