空色りぼんA

□心臓を捧げる
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『ハンジとミケってさ雪山訓練やった?』

「やったよ、いやぁあれは大変だったね」


食堂で問い掛けるとハンジは笑いながら答え、ミケは小さく頷いた。


『へぇ、やっぱりみんなやるんだ』

「訓練兵の恒例行事だよ、あれを越えないと兵士としては認めてもらえないからね」

『じゃぁ私とリヴァイは兵士として認めてもらえないってことになっちゃうね』


そう言うとリヴァイはカチャリと飲んでいたカップを置いた。


「…下らねぇ、巨人さえ削げれば問題ないだろうが」

「本当に、どうしてあんな事させられたのか今でも不思議だよ。それにしてもどうして急にそんな事言い出したの?」

「どうせまた餓鬼共のところに行っていたんだろう」

「あぁ、そっか。そろそろ雪山訓練の時期だもんね」


ハンジが外に視線を向ける。
窓の外は薄っすらと雪が降り積もり、辺り一面雪景色になっていた。


『訓練兵の子に、どのコースに行ったんですか?って聞かれて困った』

「そんなの、行ったことないから分からないよねぇ」

「お前はフラフラしすぎだ、訓練兵の餓鬼共と話して何が得られる」

『時間ができたら行ってるだけだよ』


自分以外のところに行くのが嫌なんだろうな、とハンジとミケは思うが口には出さないでおく。

言ったところで”下らねぇ”と一蹴されて、文字通り後で無言の暴力を振るわれるのが容易に想像できたからだ。いや、もしかしたら本当に拳が飛んでくる可能性さえある。


『あとさ、訓練兵の子に”ユキさんの黒髪綺麗ですね”って言われた』


ユキの発言にリヴァイが微かに反応する。それに気づいたハンジが慌てて口を開いた。


「そ、そんなのユキはいつも言われてるじゃない。特別なことでもないでしょ?」

『違うよ。お世辞とか下心がない純粋な子に言われたから嬉しかったの』


やめてくれえええ!
それ以上言わないでくれえええ!

私は心の中で叫ぶ。ユキは今まで自分の髪に関しての話をふってくることはなかった。

それはユキ自身が黒髪を嫌っていたからだろう。以前”自分の髪は好きじゃない”と言っていたこともあった。

髪のせいで散々振り回された彼女にとって、周りが感じるほど綺麗なものだけという訳ではないのだと思って私達もあまり触れなかったというのに、この突然の発言。

それはユキが如何に嬉しかったかという事を物語っている。

恐る恐る隣に視線を向ければ、案の定リヴァイの眉間にはこれでもかというほど皺が寄せられ、リヴァイの纏う雰囲気もみるみる殺伐としたものに変わっていく。つうっと自分の背中に冷や汗が流れた。

どうしてユキはいつもリヴァイの事分かってるくせに、こういう事に関しては鈍感なんだ!ほんと頼むから周りを巻き込まないでくれと叫びたいが、自分たちのことに関して鈍感すぎるこの二人に何を言ったって無駄なのだ。


「…オイ、その訓練兵はなんていう名前だ?」

『どうして?』

「答えろ」


やばいいい!こいつ殺りにいくつもりだ!

この男を暴走させるわけにはいかない…見たこともない訓練兵だけど、いきなりこの男にしばかれるのだけは可哀想すぎる。

隣にいたミケも同じことを思ったのか、静かに口を開いた。


「ユキの黒髪は綺麗だから、誰でもそう思うだろう」

『ミケって本当に悪癖さえなければかっこいいのに』


でかしたミケ!リヴァイの殺してやると言わんばかりの視線がミケに向いてしまったけれどしょうがない、尊い犠牲だ。


「そう言えばユキっていつも空色のリボンをつけてるよね」


なんとか話題をそらさなくては…と、私は普段から疑問に思っていたことを問いかけてみた。


「リヴァイが踏み潰して捕まえた時からつけてたよね」

「オイ、変な言い方をするな」


未だに眉間に皺を寄せ不機嫌全開のリヴァイに睨まれ、その威圧に少し押されつつ「事実でしょ?」と言う。

夜の街で揺らめいていた空色のりぼん。それのお陰でリヴァイはユキを見つけられたと言っても過言ではない。

普段装飾品をつけることがないユキも空色のりぼんだけはいつも欠かさず付けているし、私たちも遠目からでもすぐにユキだと分かるほど今では彼女の存在をも表すものになっている。


『このりぼんに深い意味はないけど、元はとってつけた目印のようなものだったかな』

「目印?」

『地下街では仕事の成果と評判が次の仕事に繋がるから、周りに印象が残るように目印をつけたの』


素性を明かさない地下街では、その人の容姿や特徴で評判が出回っていく。

そして、評判が良ければ良いほど次の仕事も簡単に舞い込んでくるようになる。

更に、“あいつには喧嘩を売らない方がいい”というのも一緒に広まってくれれば、いらない喧嘩を売られることも少なくなるという効果もあるとユキは言った。

名が売れればその分当然、危険度も上がるが。


『あとは「あの黒髪の」って言われたくなかったから、黒髪より目立つ何かがないかと思ってつけたのがこれだったような気がする』


まぁ、実際”黒髪の…”と言われる方が多かったが。

りぼんを指先に絡めながら紡がれるユキの言葉に、素直に「へぇ…」と感心してしまう。

ユキは過去のことをあまり話さないから忘れがちだったが、こういう話を聞くと本当に地下街で暮らしていたんだと実感させられる。

思わずじっと見つめていると、その視線に気づいたユキが眉間に可愛らしい皺を刻んだ。


『何?』

「いや、ユキがそういう話してくれるのって珍しいなと思って」


そう言うと、ユキは”そう?”と首を傾げる。


「そうだよ、前は聞いたって適当にはぐらかして終わってたじゃない」


ユキは基本的に自分の話をしたがらない。聞いても適当にはぐらかされるか流されていたのに、こういう風に話してくれるようになったのは…少しでも私たちに心を開いてくれているのかな?

…というと、ユキは『下らない』と呟いて視線をそらす。その呆れるようなため息のつき方から視線のそらし方までリヴァイにそっくりだった。

どうせ無自覚なのだろうと思わず笑いそうになったが必死に堪える。リヴァイの視線がビシビシとこめかみに突き刺さり、この男は私を視線で刺し殺そうとしているのかと思った。


「それにしても随分使ったんだね、それ」


ユキのリボンはところどころ切れており、よく見ると端の方がほつれてきていた。


『本当だ』

「汚ねぇな」

『うるさいな』


リヴァイ言葉にユキはむすっと頬を膨らませる。そして『まぁでも』と続けた。


『もうこのりぼんをつけている意味もないんだけどね』

「えー、それがないとユキっていう感じがしないよ」

『そう?』

「そうだよ!その空色のりぼんを見ると壁外でもすぐにユキだって気づくし。ねぇ、リヴァイ」

「そんなものなんかなくても、動きを見ていればすぐにこいつだと気付くだろう」

「普通の人はそこまで見ている余裕はないんだよ」

「それより匂いで分かる」

『え』

「それはミケだけだから」

「…そろそろ時間だ」

「本当だ」


ふと時計を見上げたリヴァイの一言によって、みんなで席を立ち上がった。


**
***


そう言えば午後からは訓練だった…。私は寒いの嫌だなぁと思いながらのんびりと立ち上がり、両手を突き上げてぐっとのびをする。

みんなはよく文句も言わずに訓練をするなといつも思う。ハンジなんて既にミケと一緒に食堂を出て行ってしまっていた。


「何のんびりしてやがる」

『だって、外寒いから』

「文句を言うな」


”…分かってるよ”と返してリヴァイの後をついていく。

この男も一番に文句を言いそうなものだが、なんだかんだでちゃんとこなすのだ。

でも、訓練兵のみんながやる雪山訓練に比べたらまだマシか…と思いながら小さく溜息を零す。


『痛っ』


その時、突然立ち止まったリヴァイにぼふっと頭から激突した。


『…ちょっ、どうしてそんなところで突っ立って…』

「…」


すると、ゆっくりと振り返ったリヴァイの瞳と視線が交わる。…あれ、何か怒ってる?と様子を伺うように一歩後退れば、伸ばされたリヴァイの手が私の髪に触れた。

突然の行動に困惑する私を他所に、リヴァイの手はゆっくりと私の髪を梳いていく。


『…リヴァイ?』

「ちょっと黙ってろ」


リヴァイの指先を、
私の髪がすり抜けていく。

さっきまで怒っているのか?と思っていたのはどこへやら…目の前の真剣な表情と普段のリヴァイからは想像できないほど優しい手付きに、心臓が煩く鼓動を立てる。

顔の横で動くリヴァイの指先に思わず意識が集中してしまう。いつも乱暴に頭を撫でる手が、今は私の首元で髪を弄んでいる。

その指先が首筋に触れようものなら声が出る自信があった私は、唇を噛み締め必死に耐える。

一体リヴァイはどうしたというのか?…この沈黙に耐えられない。

そう思った時、
漸くリヴァイが口を開いた。


「お前がどう思っているかは知らねぇが、俺はお前の髪を綺麗だと思っている」


私は思わず瞬いた。一瞬、時が止まったんじゃないかと錯覚する程、リヴァイの言葉が信じられなかった。

リヴァイは惜しむように髪から指を離すと、再び背を向けそのまま歩き始めてしまった。


「何ぼさっとしてやがる、行くぞ」

『う、うん』


何だったんだ、今のは。混乱する頭と、煩いくらいに波打つ鼓動を必死に落ち着かせる。

さっき髪の話をしたから?
いやいや、だからってどうして急に…。


ぎゅっと唇を噛み締める。リヴァイが後ろを振り向かないでくれて助かった…今私の顔はきっと真っ赤になっているだろう。

他の誰に言われるより嬉しいと思っていることを、この男は理解しているのだろうか。

災いを呼ぶ憎たらしいこの黒髪がリヴァイの一言によって好きになったことも、きっとリヴァイが知ることもないのだろう。


『…ありがとう』


私はマフラーに顔を埋めて、すれ違う兵士に気づかれないように俯きながら小さな声で言った。単純に恥ずかしかったからリヴァイに面と向かって言えなかったのだが、さすがに聞こえないだろう…そう思っていると「あぁ」と返事が返ってきて思わず顔を引きつらせる。やはりこの男の聴力は侮れない…。

だけど、リヴァイに褒めてもらえた…綺麗だと言ってもらえた。たったそれだけで東洋人に生まれてよかったと思うのだからもうどうしようもないな、と自嘲染みた笑みが零れた。



**
***



髪に指を通すと、絹のように柔らかいそれはあっさりと俺の指をすり抜けた。ユキは驚いた表情で俺を見上げ、赤く染まった頬に思わず鼓動が音を立てる。


(…クソッ)


後ろをちょこちょことをついてくるユキを振り返ることができない。

あの表情をもう一度向けられたら、耐えられる気がしなかった。


ユキは最近訓練兵のところに行くようになった。それは死ぬほど気に食わないが、ユキが楽しそうに帰ってくるから”行くな”とは言わない。

だが、今日のあの話を聞いて色目を使おうとしている訓練兵と、こっちの気も知らないで呑気に喜んでいるユキにイラついた。

俺はユキの髪は出会ったあの時から綺麗だと思っていたのに言わなかったことを、言いやがったのだその訓練兵は。

我ながら餓鬼相手になに嫉妬してるんだと呆れるが、俺はこの感情の止め方を知らない。

だが、今ので俺の中にある醜い感情は静まった。小さく呟かれた”ありがとう”というその一言だけで満足してしまうのだから、もうどうしようもない。

自分のガラではない小っ恥ずかしい事を言ってしまったが悪くない。普段は思っていても自分の性格上なかなか言えないのだから、言える時くらい伝えておいてもいいだろう。

言葉でこの想いの全てが伝わるなんて思っていないが何も言わないよりはマシだ。少しずつ伝えていけばいい。


後ろを振り返ると、ユキは白いマフラーに口元を埋めて俯いている。

その黒髪に遅れて、
空色のりぼんが揺れていた。



 

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